第1話-8

「くくく、死者からの告発状か」

 その声は、騒然とする教室にあって尚はっきりと聞こえた。

 黒板の前、教卓に悠然と腰掛ける【悪魔】を、私はうんざりした気分で眺める。当然それで大人しくなるわけもないし、私は渋々彼の方に歩み寄った。

「面白いと思わないか、風上時雨」ニヤニヤと笑う【悪魔】は、クラスメートの青白い顔を順繰りに眺める。「死人は語らず、なにもしない。それが解っているのに、こいつらはそれを恐れる。何故だかわかるか?」

 クラスメートたちは、私にも【悪魔】にも奇異の視線を向けては来ない。お母さんと同じように、不自然でない光景に変換されているのだろう。私はそれでも小声で答えた。

「………復讐される、覚えがあるから?」

「違う」

 半ば確信していた私は、否定されて思わず目を丸くした。てっきりこの底意地の悪い【悪魔】は、私たちの後悔を嘲笑うつもりなのだと思っていたのだが。

 そう言うと、【悪魔】は肩をすくめた。

「そういう趣向があることは否定しないがな。今の話題には関係ない。………わからないか、風上時雨。それはな、

「………え?」

「本能的な恐怖だな。死体から得られるものは多いが、同時に、その死因に恐れもあるんだ。………見ろ」

 促されて、私は振り返った。

「あいつらは、今疑心暗鬼の塊だ。お前の言う通り、過去からの仕返しに怯えているし、それ以上に、それが真実死者からの手紙であるかどうかを怯えているのさ。………疫病で死んだ死体に、近付くのは嫌だろう?同じように、

 悲鳴を上げた少女は、心配そうに駆け寄った友人を突き飛ばして距離をとった。

 手紙を読んだ少年は、ひきつった笑みを浮かべながらキョロキョロと辺りを見回している。

 皆が皆、周りを見ている。息を殺し、目立たぬように、他人の動向を窺っているのだ。

 他人………そう、他人だ。

 ゾッと、背筋が冷える。

 友達も、親友も、或いは単なる知り合いも大差はない。そこにいるのは単に、同じ方向を向いているだけの他人たちに過ぎないのだ。

 その自覚が、教室中に伝播した。

 手紙に向けられていた、不気味なものを見る目つきは、そのまま周りに向けられた。誰もが思ったのだ――と。

 教室の誰もが共犯者。だから、彼らはこう思ってしまう。

 と。

 下山紀子を殺した者たちだけが、互いに互いを恐怖しあっている――。



 下山紀子は、四年前に死んだ。

 小学校四年の夏。

 狭い地域の常として、同じ中学に通う私たちは、元々から同じ小学校に通っていた。

 幼いというのは、危険なことだ。因果関係というものを理解できない。

 目の前のことしか考えられないから、それがどんな結果を引き起こすかわからない。

 想像も出来ないし、

 だから――それは当たり前だった。当たり前に、



「………詳しい内容は覚えてない。薄情かもしれないけど、でも、仕方なかった………それだけの衝撃インパクトが、結末にはあったから」

「ほう」【悪魔】は、内心の感じ取れない目つきで頷いた。

 凍りついたようなその瞳には、いつもの揶揄は無く、ただ冷たい真剣さが浮かんでいる。

 その切っ先に圧されるように、私は話す。

「夏休みの終わり。暑くて暑くて、私たちは川で遊ぶことにしたの」

「最初はただ、水をかけたりしてた。でも、紀子が通りかかって………」

「泳げないって、紀子言ったわ。それにそこは、急に深くなるから危ないって」

「私たちもいたし、紀子、ただ泳げない以上に怖がって………怯えて………」

「それが、とても楽しくて」

「川の真ん中まで、引っ張り込んだの。そしたら、浮かんでこなくて。怖くなって、私たちは逃げ帰った」

「紀子、見付かったの、次の日だった。風船みたいに膨らんでたって、誰かが言ってたわ」

「家、お隣さんだったから。私もお母さんも、お葬式に行った。紀子のお母さんもお父さんもお兄さんも、泣いてた………泣きながら、こっち、見てた。私、怖くて、まともに見られなかったわ。目があったら、怒鳴られるって、怒られるって思って。って、言い当てられるのが怖かったから」

「だから――」

「だから、お前たちは忘れたのだな」

 【悪魔】は、無表情に私を見ていた。その視線の鋭さは、私が恐れていた断罪者のそれだった。

 息を呑む私を、【悪魔】は嘲るように笑った。

「安心しろ、それは、お前だけではない。お前以外の全員が、恐れ、逃避し、そして忘れた」

 【悪魔】が両手を広げる。私はぼんやりと、暑さに歪む意識のなかで彼を見上げる。

?」

 その言葉が、何かの契機トリガーとなったのか。

 天井から、白い嵐が降ってきた。



 それは、紙だった。

 掌大に千切られたノートの切れはし。それが大量に、紙吹雪のように降り注いだのだ。

 だがそれは、祝いのためのものではない。

「これ………湿ってる?」

「なんか書いて………ひっ!?」

 手にした者が、叫び声と共にそれを打ち捨てる。

 そこには、悪意が満ちていた。

 赤い絵の具で、何事か書かれている。水に浸けたのかボヤけたそれは、片仮名四文字か。

 

 濡れた紙、救助を求める文言。それは、クラス中に否応無く、一つの光景を想像させた。

 深く、暗く、冷たい川の底。

 啜り泣く、一人の少女。

 腐敗し膨らんだ、ボールみたいな頭の彼女が、叫んでも音にならない水のなかで、それでも懸命に送ってきた、SOSのサイン。

 

「い、いやぁぁぁぁぁっ!?」

 叫んだのは、誰だったか。

 視界が歪む、意識が朦朧とする。暑い。なんて暑いのか。まるで、夏の日みたいじゃあないか。

 一人がドアに飛び付く。そして、ドアを懸命に開けようと試みた。

 だが、それは無駄だ。

「なにこれ、開かない………?うごかない!!」

「ど、どけっ!!………くそっ、マジかよ?!」

「おい、手を貸せっ!!」

 一人が叫び、直ぐに三人ほどの男子がドアに挑んだが、びくともしなかった。

 当たり前だ。私はもう立っていられず、黒板の前に座り込んだ。

 ここは、【悪魔】の処刑場皿の上逃す残すつもりは彼には無いのだから。

 私の背後で【悪魔】が笑う。誰にも聞こえないその笑い声を聞きながら、私は、小さくゴメンと呟いた。

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