第1話-3
「さて、と。叶えてやるとはいえ、先ずは順番がある。約束というか、決まりごとがな」
「決まり、ですか?」
【悪魔】は上機嫌に頷いた。くーちゃんを見て、それから私を見て、嬉しそうに笑う。
「悪魔にはそれぞれの『やり方』がある。好みと言っても良い、好きな契約の仕方があるんだよ」
「………………」
特に言うことはなく、私は黙って【悪魔】の言葉の先を待った。くーちゃんも、同様だ。
「そして俺は『二回』。すべて、二度目が本番なんだ」
「『二回』………?」私とくーちゃんは揃って首を傾げた。
「そう、二回だ」【悪魔】はにやにやと笑っている。「俺は親切な、人に優しい悪魔なんだ。詰まり、願いを二つ叶えてやる」
【悪魔】はピッと指を二本立てた。「代償は二分割される。一度目の願いで魂半分、もう一つ叶えたら残りの半分だ」
親切だろ、と【悪魔】は笑う。それを見ながら、私は慎重に口を開いた。
「………親切、本当に?」
「あぁ、優しいやつなんだ、実は」
へらへらと薄っぺらく笑う【悪魔】を見ながら、私は軽く息を吸って、そして尋ねる。
「親切、本当に?」
「………ギャハ」
私の問いかけがおかしくてたまらないというように、【悪魔】は声を出して笑った。それを見て、私はやっぱりと頷いた。
「いいね、良く気が付いたな」
「二度目が本番なら、一度目はウソってことでしょ?」
「嘘、というわけじゃあないさ。もっと
けれど、と【悪魔】は不意に真面目な顔で私を見詰める。思ったより整った顔立ちに、私は不覚にも頬が熱くなってしまった。「親切なことは親切だぜ、実際。願いを二つ叶えるってのは嘘じゃないし、一つ目の願いがうまくいかなきゃ二つ目で訂正も出来る」
「よくある、願いを増やしてくれっていうのは?」
「いいぜ別に。ただ、二つ目で結局魂は貰うけどな」
そのルールは曲がらないらしい。
だとすると、一つ目で願いを止めれば魂を支払う必要は無いのだろうか。いや、半分は奪われるのだろうけれど。
「いや、その場合、『願いを放棄したい』という願いに数えさせてもらう。世の中はそんなに甘くないんでな」
「親切なんじゃなかったの?」
「決まりは決まりさ、甘いのと親切なのは違う。………それに、充分甘いと思うぜ?一つ目で後悔したら、二つ目で取り消せばいいんだ」
それは、確かに甘いといえるかもしれない。
人間はとかく後悔する生き物だ。ちょっとした選択でさえ逆が良かったと嘆くのだから、魂を賭けた願いに後悔しないわけがない。
私は、くーちゃんの方を横目で見る。
くーちゃんは、食い入るようにして【悪魔】の話を聞いている。彼のことを疑う気持ちはないようだ。
彼女も、後悔するだろうか――もしも願いが叶ったら。
「それで、どうだ?坂上海月。お前の願いは変わらないのか?」
「はい」
くーちゃんは、ほとんど間を置かずに答えた。良く考えたのか不安になるくらい。
「………考えたよ」くーちゃんは、ポツリと呟いた。「もう、一年以上も考えたんだ、私は」
「くーちゃん………」
「しーちゃん、私はね、中学に入った頃からイジメられてたんだよ?ずっと、ずっとずっと考えてた。悩んでた。何が悪いのか、誰がいけないのか、どうすればいいのかって」
くーちゃんは、自分の髪を摘まんで示す。短く切り揃えられた黒髪。
切り揃えられた、黒髪。
私は無意識に、自分の髪を弄る。面倒だからと後ろで一本に結わえた髪は、私にとって煩わしいだけのものだった。
くーちゃんの顔には、笑みが浮かんでいる。絶望の果てに希望を見いだしたのだろう。それが偽りの希望でも、彼女にとっては待ちわびた助けの手なのだ。
私は、くーちゃんから目をそらした。
手を差しのべられなかった私には、彼女を止める権利はない。
彼女はずっと叫んでいた。クラス中から無視されて、虐げられて、止めてお願い助けてと叫んでいた。
助けて、しーちゃん、と。
「死のうかなって、何度も思ったよ。でも、私が死んでも、きっと何にも変わらないんだって思ったから。皆も、先生も。………お母さんも」
私は知っていた。くーちゃんの家の特殊な事情を、誰よりも深く知っていたのだ。
彼女は独りだった。学校でも、家でも。
それでも、一人で死にたくはなかったのだ。
「………思い知らせたい」
彼女は、言った。
「あいつらに、思い知らせたい」
彼女は言った。
「私を殴ったあいつを殴りたい。私の髪を切ったあいつの髪を切りたい。私を、私の身体を汚したあいつらを、同じ目に会わせてやりたい………!」
彼女は言った。溜まりに溜まって澱んで腐った感情は、憎悪として結実した。
その声に、私は漸く理解した。
ずっと、くーちゃんは言いたかったのだろう。助けを求める言葉でなく、イジメに対する疑問でも、行為に対する拒絶でもなく、憎しみを言葉にしたかったのだと、今更ながらに気が付いた。
私はお前たちを憎悪する。お前たちの行いを糺し、後悔させ、報いを受けさせる。たとえ、死ぬことになったとしても。
【悪魔】の存在に、くーちゃんはきっと背中を押されたのだ。自身の破滅に突き進むだけだとしても、それは望むところだったのだろう――自分を虐めた者たちを、等しく破滅させられるなら、諸ともに転がり落ちても構わないのだ。
「私は、願う」背の高い【悪魔】を見上げて、くーちゃんは宣言する。祈るように、唄うように。
………呪うように。
「私のイジメに関与したやつらに復讐させて!」
「心得た」【悪魔】はニヤリと笑う。ちらりと私の方を見て、わざわざ確認するように指を一本立てる。「一つ目の願いだ。二つ目は、良く考えておくがいい」
返す言葉も、友人を止める言葉すらも持たなかった私は、彼のニヤケ面を睨み付けるので精一杯だった。
「さて。願いの通りお前を助けるとしてだ、坂上海月。復讐の手段に何か希望はあるか?」
「………え?」
目を瞬かせたくーちゃんの様子に、【悪魔】は呆れたというように肩をすくめた。
「手段、方法、計画。何でもいいが、何か考えとかは無いのか?こうしたいとか、或いは逆にこれだけはしたくないとかな?あるなら言ってみろ」
「選んでも、良いんですか………?」
驚いて尋ねるくーちゃんに、【悪魔】はにこやかに微笑んだ。
「当たり前だろう、それくらい」
正直にいって、私は驚いた。
何せ相手は【悪魔】だ。手段は選ばず、選ばせもしないと思っていた。
くーちゃんも同じ気持ちだったのだろう。目を月みたいに丸く見開いて、言葉もなく【悪魔】の顔を見詰めている。
【悪魔】は再び肩をすくめた。その顔に浮かぶ邪悪な笑いを見て、私は、【悪魔】が悪魔なのだと思い出した。
「何しろ、やるのはお前なのだからな」
「ちょ、どういうことよ!?」
私は、恐れも忘れて【悪魔】に詰め寄る。
復讐を、くーちゃんにやらせる?ただの中学二年生に?そんなこと出来るわけがないし、何より危なすぎる。
「そんなの、【悪魔】が勝手にやればいいじゃない!悪魔なら、簡単に出来るでしょ?」
「出来るが、やらない。………坂上海月の願いをもう一度考えてみろ。復讐をさせてだろ?復讐せよでも、やつらを殺せでさえない」
「そ、それは………」
確かにその文言では、復讐をするのは願った坂上海月本人だろう。
「どうする、願いを変えるか?いや、願いを変えることを願うか?」
【悪魔】が指をもう一本立てた。二本目………詰まり、本番の二つ目だ。それが叶えば、魂を奪われる二つ目の願い。
ギリッという音で私は、自分の奥歯に異常なほどの力がこもっていたことに気が付いた。
悔しさに歯噛みすることなんて、生まれて初めてだ。さすが
悪魔、そう、悪魔だ。
こいつは悪魔だ。人にひざまずき、下を向いて笑う。そして一度願いを唱えたら、それを使って罠に嵌める。そして何より、それを楽しむ悪趣味の権化みたいな生き物だ。
私は、それを忘れていた。忘れて、信じかけていた。疑うことを忘れていたのだ。
結果として、またしても私は、大切な友人の手を取り損なった。彼女を心配しておきながら、その足元にぽっかり空いた落とし穴に気が付かなかった。
私は【悪魔】を睨みながら、心に誓う。もう二度と、【悪魔】を信じてしまわないようにしようと。
「まあ、心配するな。俺は、願いを叶えるのが仕事だからな。させろというなら万難排してさせてやる」
「………はい、お願いします」
くーちゃんは、素直に頷いた。その瞳には、変わらず暗い歓喜が燃えている。
もしかしたら、と私は思った。もしかしたら最初から、くーちゃんは自分の手で復讐するつもりだったのではないかと。意識的にせよ無意識にせよ、だからこそくーちゃんは、復讐させてと願ったのではないか。
彼女を苦しめる全てに対して、最期の顔をその目で見たいと願っていたのではないだろうかと。
「良いな、実に人間らしい不合理な感傷だ。ただ命を奪うだけでは足りず、己が目の届かぬところで死ぬのも許さずとは。回りくどく面倒で、実に俺好みだ」
何よりも恐ろしい想像だった。
幼い頃から家族ぐるみで仲の良かったくーちゃんの内心を、私は何も理解できていなかったのではないか。彼女は、坂上海月は、私にとって未知の怪物なのではないか。
そういうものに、私たちはしてしまったのではないか。
なぶられ続けて自らの殻に籠った少女。破れ羽化するとき、どのような変貌を遂げるかなんて、誰にもきっとわからない。
「ならば、俺もいい作戦をくれてやろう。坂上海月、お前の復讐のために、死者を冒涜する覚悟はあるか?」
「え?」
私とくーちゃんは、揃って同じようなリアクションをした。並んでポカンと口を開けた私たちを見て、【悪魔】は愉しそうに笑い、そして一人の少女の名を告げた。
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