第1話demonstration
授業の終わりを告げるチャイムと共に、中年の教師は話を終えた。起立、礼、着席という流れ作業をこなしてから、俺は馴染みの場所へと歩み寄った。
教室の窓際の列最後尾、俗に云う『
用事があるのはそこに座る人間の方だ。いや、当たり前だけど。喋りもしない木製の机に用事なんてあるわけがない。
「よお、
「………………」
声をかけたというのに、椅子に座った少女は返事もしない。
昼休み前の授業でよく見かけるような、睡魔に敗北したというわけではない。少女は目を開けていて、その視線は俺へと向いている。ただ、返事をしないだけだ。
ボブ、というのだったか。長くも短くもない黒髪に中肉中背の身体。何の改造もしていない校則通りの制服に身を包んだ、模範的というよりも平均的な高校一年生であるところの彼女は、俺の顔を見て、それから首を傾げる。
「………何で?」
「何でって………」俺は呆れた。「もう昼休みだぜ?飯食わねぇの?」
「食べるけれど」少女は、俺に輪を掛けたほど呆れたような表情を浮かべた。「何故、君と食べなきゃいけないの?」
何て冷たいやつだ。だが、その冷たさが少女の通常運転である。俺に対して思うところがあるわけではなく、ただ単純に理由を聞いているのだ。
これで外見がもっと良ければ男子もその冷たさを喜ぶのかもしれないが、良くも悪くも平均的な少女は、ただ単に無愛想なやつと認識されていた。
黒織高校一無愛想なやつ。そんな風に噂されているのがこの少女、
俺はため息をつく。
「食べなきゃいけないわけじゃあねえよ。ただ、食うんなら一緒に食わないかなと思っただけだ」
「そう。なら、良いけど」
この通り、実際津向は無愛想なわけではない。ただ、他人の心情を酌むのが不得手というか、その必要性を感じていないだけなのだ。
それを無愛想と呼ぶのかもしれないが。俺にとっては関係ない。
何しろ、昔からそうだ。人間関係にドライ過ぎるのである、友情だとか或いはそれ以上の関係を築くつもりがまったくないらしい。
津向が小さいとき、初めて会ったときから、こいつはこういうやつだったのだ。
理由のない情なんて、怖い。そんな風に言われたことを、俺は覚えている。もしかしたら、こいつも覚えているかもしれない。
「どこで食うんだ、屋上にでも行くか?」
「うん」
素直に頷くと、津向は弁当箱を取り出した。立ち上がり、教室を横切り廊下に向かう。
そんな津向に向けられるのは、無遠慮な視線だ。入学して一月弱、誰とも仲良くならず目立たない少女に対する好奇の視線。
それはそのまま、後を追う俺にも向けられる。
誰とも仲良くならない少女が唯一毎日話し、行き帰りを同じくし、ここ数日は昼食も一緒に食べる同級生――それも異性だ。ひそひそと噂を囁き合うクラスメートたちの仲には、笑いながら頬を染める者もいる。
こういうときばかりは、俺も津向のやつに同意する。
人間なんて、面倒なやつばかりだ。
「そういや、お前に話したっけか」
「誰の話?」
何の、と聞かない辺りが俺と津向との付き合いの長さを表している。俺の話がワンパターンという可能性については、まあ無視するとしよう。
自分に都合の悪い可能性なんか、考えないに限るというものだ。
「中学生の話。悲劇のヒロインの復讐譚」
「君の話って、常に『悲劇』って付くよね。何、趣味なの?」
「まあな。他人の不幸は蜜の味、って云うんだろ?甘いの好きだからさ、俺」
スイーツ男子ってやつ、という俺の言葉は津向のお気には召さなかったらしい。無視して膝の上に弁当箱を拡げ始めた。
その中身を覗き見て、俺は呆れた。
「おいおい、今時日の丸弁当って。逆に珍しいぞそれ。うわ、色彩が気の毒だわ」
「気の毒なのは君の語彙力よ。今日は白米の気分だっただけ。それに、あっさりしてる方が良いでしょう。君の話、くどそうだもの」
淡々と言われ、俺は肩をすくめる。表情が変わらないから怒ったわけではないようだが、本気でそう思っているのならそっちの方が辛い。
まあ、とにかく。津向は俺の話を聞く気はあるらしい。俺は一度目を閉じ、話を整理してからゆっくりと口を開いた。
「今じゃないいつか、ここではないどこかの話だ。ある時、少女は【悪魔】に出会った」
………………………
………………
………
その日、私、
とはいえ、他人が見てもどうということはない行為だ。自分のような中学生なら社会的にも法律的にも問題はない、むしろ模範的な行為と言えるだろう。
私は、図書館に行った帰りだった。それも、自分の住んでいる町の図書館にだ。
ほら、おかしくはない。
試しに道を歩く誰かに聞いてみるといい――私は今図書館に行っていました、おかしいですかと。
聞かれた彼又は彼女は不審そうに眉を寄せながらも、制服という私の格好を見て、いや別にと答えるだろう。
だがもしもそいつが私と同じ制服を着ていて、私のことを知っていれば、答えは百八十度変わるはずだ。
何故?そう難しい話じゃあない、叙述トリックなんて代物じゃあない。ただ前提が変わるだけだ。
正しくはこう尋ねるべきなのだ――運動にしか興味がなく進学も部活の成績で決まっている、これまで一度たりとも勉強らしい勉強をしたことのない私が図書館に行っていました、おかしいですかと。
答えはこうだ――別におかしくはないけど珍しい。
だから胸を張って言える。私は、世にも珍しい行為をしていたと。
いや、嘘をついた。胸を張って言えることでは実はない。何故なら、私は図書館に行っていただけであり、勉強などまるっきりしていなかったのだから。
私には別の目的があった。図書館という場所が本来担う役割ではない、全く別の目的が。
「………………」
その目的は、今現在私の前五メートルのところを歩いている。
私と同じ制服を着た女の子。髪は肩の辺りでバッサリと切り揃えられていて、後ろから見ると失礼だがコケシに見えてしまう。………【そうなった理由】を知っている私としては、笑うよりも悲しく哀しくなってしまうのだが。
うつ向きながら歩く彼女のペースは、かなり遅い。慎重に調整しなければ、すぐに追い付いてしまうだろう。
………追い付きたくはなかった。
いや、実際のところ追い付かないと文字通り話にならないのだ。私がせっかくの日曜日に、わざわざ部活を休んでまで図書館に行き、開館時間から閉館時間まで過ごしたこの時間をムダにしないためには、今すぐにでも駆け寄って声を掛ける必要がある。
むしろ、遅いくらいだ。
既に五時、言い換えるなら十七時だ。今日はあと七時間しかない。そもそも七時間前には図書館で彼女の姿を目撃していたのだ。それなのに、こんな時間まで私は声を掛けられず、どころか彼女の視界に入らないようこそこそと隠れる始末だった。
珍しいというなら、こんな行動こそ珍しい。
自分で言うのもなんだが、風上時雨という少女は竹を割ったようなさっぱりした性格をしているのだ。こんな風にじめじめとしているなんて考えられない。
いつから、私はこんな風になってしまったのだろうか。いつから、彼女にこんな風に接するようになってしまったのか。
答えはわかっている――あの日の出来事が、すべての原因だ。
私はため息をつく。このままでは、声を掛けられずに終わりそうだった。
図書館を出た彼女は、大通りとは逆の道を歩いている。車がすれ違えないような狭い道の右手は畑、左手は家の壁。街灯はなく、家から漏れ出る明かりである程度見通しが聞く程度の暗い道だ。
このまま五分も歩けば、彼女は家につく。それまでに、勇気を出さなくてはならない。
誰か、背中を押してほしい。ほんの一押しでいい、最初の一歩さえ踏み出せば、どうにかなるはずなのだ。
そんな他力本願に私の心が染められた、まさにそのときだった。
「………こんばんは、お嬢ちゃん。何してんだい?」
その声は、私の真横から聞こえてきた。
「え?」
思わず、私はポカンと口を開けた。
足を止めた私のすぐ右手、ガードレールに腰掛けていた。誰が?………、
「………誰?」
知らない人だった。
高校生だろうか、どこかで見たことあるような紺の学ランを、第一ボタンまできっちり閉めて着た男の子である。
男子高校生は唇を歪める。辺りを包む夕焼けのせいだろうか、その瞳が赤く見えた。
「俺は――」
ちょうどそのとき、車が私の左を通った。狭い道だというのに結構なスピードを出していて、彼の名乗りは吹き飛ばされてしまった。
私は少し悩んだ………別に聞き取れなかったと言えば住むが、目の前の少年はもう名乗りましたというしれっとした顔で私を見ている。何となく、聞き返し辛い雰囲気だ。
「ま、呼び辛いなら、単純に【悪魔】でいいぜ」
「………は?」
流石に聞き返した。あくま?それって、悪人の悪に魔王の魔を付けるあの悪魔だろうか?キラキラネームというやつだろうか。
「おいおい、そこ気にするところか?だいたい今俺が、突然現れたこととかおかしいと思わないのかよ?」
「それは………」
確かにおかしいけど、私も不注意だった可能性はある。なにしろ、私は彼女の後を追うのに必死で、
「あっ!!」
私は慌てて前を見た。薄暗い道の先には、もう誰の姿もない。
見失ってしまった。私は肩を落とす。目的地としては彼女の自宅な訳で、それなら私も知っているが、しかしそこまで行く勇気はなかった。
「どうした、探し物か?風上時雨」
「あんたが話し掛けてきたせいで………って、あれ?私、名乗った?」
ニヤニヤと笑う自称【悪魔】を見ながら、私は首を傾げた。名乗ったような気も、名乗っていない気もする。なんだか記憶が曖昧で、ぼんやりとしている。
まあ、何にせよ。結果として私の日曜日にムダに終わったわけである。私は大きくため息をついた。
「はあ………なにやってんだろ、私………」
「おいおい、そうガッカリするなよ。何か話があるんだろ?なら、話せばいいだろうが」
「………あんたに話したい訳じゃないよ。私は………」
「俺にじゃあない?妙なことを言うな、お前。【悪魔】たるこの俺以外に、誰がお前の望みを叶えるんだ?それとも」【悪魔】はニヤニヤと笑いながら、私の背後を指差した。「そいつと話がしたいのか?」
「………しーちゃん?」
囁くような声に、私は弾かれたように振り返った。
そして、息を呑んだ。
振り向いた先には、私に向かって歩いてくる彼女の姿があった。
「ギャハハ、どうやら、追い抜いてたみたいだな?いつの間にか、な」
口元に微かな笑みを浮かべながら、小走りで寄ってくる彼女を見ながら、私は言葉もなく立ち尽くした。
私の耳には、【悪魔】の笑い声が喧しく響く。それを吹き飛ばすように、一台の車が猛スピードで私の横を通り過ぎていった。
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