邪馬台国奇譚

楠 薫

第1話

 刑事責任能力があるかどうか精神鑑定を依頼されたその男は、年齢26歳。身長は180㎝を超え、筋骨たくましいが、どこかおっとりとしていて品のある顔立ちである。別の表現をするなら、良いとこのお坊ちゃん風である。

 名前は本田仁ほんだひとし

 どこにでもありそうな名前なのだが、最初にこの文字を目にした時、なにか引っかかるものがあった。だが、地域基幹病院である東九州総合病院という、まるで九州の4分の1の災厄を引き受けると宣言したような名称が与えられた病院の忙しい外来時間帯にやってきた、この招かれざる患者にせかされるように本題に入ってしまったため、その姓名の意味するところに気づいたのは、しばらく経ってからのことである。

 容疑は8歳少女へのストーカー。

 芸能人的イケメンではないが、育ちの良さそうなその顔立ちは、もし自分が女性だったら、好意を持って見つめる対象となりえただろう。

 その気になれば、女性あいてに不自由することはないだろうに、なんでまた、8歳の子供なんだ。

 少しばかりの嫉妬と怒りに似た感情がふつふつと涌き起こってきたのが自分でもわかって、急いで蓋をしていつもの表情にとりつくろった。

「奇妙に思われるかも知れませんが、私は昔、都仍とよちゃんに逢ったことがあるのです」

 その男は言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

「それはいつのこと? 3年前? 5年前?」

 私の背中越しに、大学から派遣され、週1回外来を担当している助教の中原先生が小さく鼻を鳴らして言葉を発した。中原先生の悪い癖である。精神疾患の患者に対して、見下すような、上から目線で話しかけてしまうのは。しかも今日は明らかに苛立ちを含んだ、つっけんどんな言い方だった。

「そんな最近じゃなくて……」

 本田が続けるのを遮るように、中原先生が怒鳴るように言った。

「じゃぁ、8年前、相手の子が生まれたばかりの時とでも?」

 もう、今すぐにでも措置入院の書類に印環を押しそうな勢いである。

「1765年前のことです」

 溜息とともに、見なくてもわかるくらい、大仰に音を立ててお手上げの仕草を中原先生は私の背後でしてみせた。そして私の横から身を乗り出して両手を机に叩きつけた。

「そんなの、あり得ないんだよ。まさか前世とでも言いたいのか?」

 中原先生の激情をまるで予期していたかのように、静かな瞳で本田は中原先生を見つめた。

「はい、40世代以上前に遡ります」

 ほとんど同時に「はぁっ⁉」と、中原先生は声を荒げた。

「高坂先生、もう、話になりませんね。立派な作話です。議論の余地もないほどに」

 だが中原先生と違って、私はこの本田という男がいい加減なことを言っているとはとても思えなかった。それに、精神疾患患者特有の目の据わり方はしていなくて、むしろ静かな落ち着いた瞳で我々、聞き手の反応を推し量るような慎重さとともに、言葉を選びながら話をしているように思えた。それどころか知的な遊びに誘いをかけてきているようにさえ思えた。

「都仍さんに訊いていただいても結構です。私たちは昔、逢っているのです」

「高坂先生、時間の無駄です。私は外来待ちの患者が大勢いますので、これで失礼します。ハンコ、お預けしておきましょうか? それとも今、措置入院の書類にハンコ、押しておきましょうか?」

 まるで中原先生は、押すのは時間の問題、とでも言いたげである。

「いいえ、これはちゃんと医師本人が聴取・問診を終えてから一緒に押さなくてはならないものですから、私が判を押す時には先生の外来に書類をお持ちします」

 一瞬、呆れ果てて脱力した表情を見せたが、自分でそれに気づいたか、すぐ、いつものどこか人を小馬鹿にしたような表情に顔を作り変えると、背を向けて足早に部屋を出て行った。

 私はその後ろ姿がドアの向こうに消え、そしてドアが完全に閉まるのを音で確認して、本田の方へ向き直った。

「その、1700……」

「1765年前です」

「そう、1765年前、初めてその子に逢った時のこと、話してもらえるかな?」

 本田は大きくうなずいた。

「少々長くなりますが、よろしいでしょうか?」

 私がうなずくのとほとんど同時に、私の背後の直立姿勢の看護師(男)が小さく溜息をついた。

「あれはこの国が倭国と呼ばれていた時代のことです。母が日子山・・・・・・、今は英の文字をあてて英彦山と書きますが、その英彦山です。そこで巫女をしていたので日之巫女、それがなまって卑弥呼と言う名で今に伝わっていますが、これはまだ母が健在だった頃の話です」

 私は目を丸くした。

 歴史に疎い私でもその名はよく耳にしている。そして日本の古代史において、金印をもらったという『漢委奴国王』とともに燦然と輝くその名は、しかし未だに誰も真の姿を確かめることができないでいるのだ。

 私の目の前にいるこの男が、その卑弥呼の息子だと、いや、正確には息子だったと言うのか?

 さすがの私ですら、その荒唐無稽な話には懐疑的にならざるをえなかった。

 やはり中原先生の言う通り、作話なのかな。

 後悔の念が過ぎったが、本田はそんな私にお構いなく、まるで語り部のように、淡々と語り始めた。

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