第21話 超えられない壁

「スコーピオ……何をしている? もうお前以外は全員集まってるぞ」


 スパーダが、スコーピオに視線を移して問いかけた。タオはその声を聞いただけで、思わず身震いした。


「……見りゃ分かんだろ、くそ」


「他エリアの者に戦いを挑まれて負けた。これで合ってるか?」


「ぐっ……」


 無遠慮に図星をつかれ、スコーピオは何も言い返せない。スパーダが、傷ついたベルーゼとそれを支えるタオに目をやり、再びエルカに視線を戻した。


「訳あって今そいつに死なれると、少々都合が悪いんだ。離してやってくれないか?」


「……」


 エルカは黙って腕を下ろし、スコーピオの胸ぐらから手を離して立ち上がった。ベルーゼはその様子に、激しい違和感を覚える。いつもなら不敵な笑みを浮かべ、挑発的な台詞の一つでも吐いてるはずなのに、何も言わないのは明らかにおかしい。エルカに、一切の余裕が見られないのだ。


「それで、お前達は何者だ?」


「Bエリアのエルカ。あっちでボロボロになってんのがボスのベルーゼ。あとその手下」


「ベルーゼ……。ああ、なるほどな。用件は分かった」


 スパーダは、ベルーゼの名を聞いて察した。どうやらベルーゼとスコーピオの事情は知っているらしい。


「他人の仇討ちに首を突っ込むつもりはないが、さっきも言ったように、今この男に死なれると困るんだ。代わりがいないわけではないんだがな。分かったらさっさと帰るがいい。ここは俺のエリアだ」


 スパーダがスコーピオの首根っこを掴んで引き起こし、エルカ達に背を向けて飛び立とうとした。


「……待ちなよ。逃げるつもり?」


 スパーダが振り向いた。言っている意味が分からないという顔だ。


「今、逃げるつもりかと聞いたのか? よく分からないな。何故自分より弱い者から逃げる必要があると思うのだ?」


 見下すような視線を向けて挑発仕返すスパーダ。エルカもそれに応えるように、ようやくいつもの笑みを浮かべた。


「私はここに遊びに来たわけじゃないの。最初はスコーピオをぶち殺して、ベルーゼを回収して終わりのつもりだったんだけどね。あんたがSエリアのボスでしょ? それなら、このまま見送るわけにはいかないわね」


「戦う理由は?」


「私が強い奴と戦いたいから。以上」


 沈黙が流れる。スパーダは、まるで珍獣を見るようにエルカを観察した。


「人間というのは、不死身なのか? それとも、相手の力量がまるで分からないのか? でなければ、俺と戦おうなどとは決して思わないはずなんだが」


「不死身でもないし、あんたが強いのも分かる。分かった上で言ってんのよ。話はこれで終わり。あんたがこれ以上御託を並べようが、私は勝手にあんたを攻撃するわ」


 エルカが構えた。スパーダがスコーピオを離すと、スコーピオはその場に倒れて呻き声を上げた。スパーダは小さくため息をつき、面倒くさそうにエルカの方に向き直る。


「いいだろう、来てみろ。それで満足するならな」


「……ハア!」


 エルカはいきなりスパーダの顔面に向けて、渾身の右ストレートを放った。タオとベルーゼは、次の瞬間にスパーダがぶっ飛んでいく光景を想像した。しかし……実際に起きたのは全く逆の出来事だった。エルカが、砂埃を舞い上げながらぶっ飛んでいく。二人には、何が起こったのか全く分からない。

 しかし、エルカは確かに見た。自分の拳がスパーダに当たる直前に、視界を覆い尽くすスパーダの拳を。空中で一回転して体勢を立て直し、地に足を付けてブレーキをかけ、止まったと同時に前に走りだした。走りながら、改めて先程起きた異常事態を思い返す。


(先に仕掛けたのは私。そして後数センチで奴の顔面に私の拳が入るところだった。それなのに……後出しした奴の拳が先に私に入った……)


 ふと、オロギーとズシムの兄弟と戦った時のことを思い出した。幻術……? そんな術をかけられた覚えはないが、エルカは両頬を叩いて目を凝らした。

 再びスパーダとの間合いに入った。今度はフェイントを混ぜながら攻め立てる。それでもスパーダに攻撃が当たらない。全ての攻撃を躱され、受け止められ、受け流される。先ほどのエルカとスコーピオの戦いを、逆の立場で再現しているかのようだ。


「うらあ!!」


 攻撃の締めは、頭部を狙った回転しながらの、不意を突いたハイキック。今度こそ完璧にとらえた…………はずだった。

 高々と天に向いたスパーダのつま先。真上に打ち上がるエルカの体。動きが全く見えなかったタオとベルーゼにも、その結果だけを見れば、何が起きたのかを想像するのは容易だ。またしてもエルカのハイキックよりも先に、後出ししたスパーダの足がエルカの顎を蹴り上げたのだ。打ち上がったエルカの体が、砂の上にドサリと落ちた。


「ベ、ベルーゼ様……。今日のエルカ、どこか調子が悪いんでしょうか? そ、それとも本気を出してないだけですか?」


「…………」


 ベルーゼは何も答えない。しかし、タオにも分かっていた。だが、そんな事実が存在することなど、信じられないのだ。即ち、エルカより強い者が存在するなどということは……。


「……エルカは……今までも苦戦を強いられたことは何度もある。しかしそれは実戦での経験不足ゆえ、変則的な攻撃をする魔界の者達に、序盤遅れを取る程度のものだ。だから最終的には……その本来の実力差をまざまざと見せ付け、勝利を収めてきた」


 エルカが立ち上がった。しかし、顎は人体急所の一つ。脳しんとうを起こし、足が痙攣してふらついている。エルカのそんな姿を見るのは、当然二人は初めてだ。


「だがあのスパーダという奴は……真っ向からエルカを上回る動きを見せた。パワーも、スピードも、エルカを超えている。奴は…………エルカより強いんだ……!」


「う……嘘……」


 目の焦点が合わないエルカに、スパーダが手を翳して魔力を貯め始めた。このままではやられる。しかしタオとベルーゼは動けない。スパーダは、視線こそエルカから離さないが、タオとベルーゼに対しても決して気を緩めていない。無言の威圧感で、しっかりと牽制しているのだ。


「終わりだ」


 その時、エルカがスパーダの手首を素早く掴み、真上に逸らした。放たれた魔法が空に向かって飛んでいく。


「むっ!」


「おおおおお!!」


 スパーダを掴んだまま、もう片方の拳をガラ空きのスパーダのボディーに連続で叩き込んでいく。千載一遇のチャンス。エルカは無心で打ち続けた。これでもかというぐらいに打ち続けた。

 しかし五十発ほど入れたところで、スパーダの反撃の拳がエルカの顔面をとらえ、吹っ飛ばされた。スパーダは、エルカの着地を待たない。まだ宙にいるエルカを指差すと、その指から糸のような物が飛び出し、エルカをぐるぐる巻きにして引き寄せた。猛スピードでスパーダの元へ引き戻されていくエルカの体。しかも糸に巻かれていて手も足も出ない。スパーダが足を振り上げる。そして、戻ってきたエルカに向けてそれを振り下ろし、踏み潰すように地面に叩きつけた。エルカの口から、おびただしい量の血が吐き出される。その血がスパーダの顔の高さまで飛び、青白い顔を赤く染めた。


「か……はっ……」


 視界がぼやける。遠のいていく意識を必死で捕まえる。だが、もはや戦う力は残っていなかった。戦いの終わりを確信したスパーダが、エルカの上から足をどけ、巻き付けていた糸も回収した。

 生まれて初めて経験する敗北……。魔界のどこかにいるかもしれないと思いながら、一向に現れなかった自分より強い者。それは今、目の前でエルカを見下ろしている。エルカは笑った。何故笑ったのか、エルカ自身にも分からなかった。


「……私の負けよ。好きにしな」


「その前に一つ、聞きたいことがある」


「何?」


「お前は、サウザンドトーナメントには出るのか?」


 ベルーゼの心臓が跳ねた。エルカには絶対に知られたくなかった事。エルカの頭には疑問符が浮かぶ。


「サウザンド……なんて?」


「サウザンドトーナメントだ。知らんのか?」


「知らないわね」


 やめろ……言うな……! ベルーゼの心の叫びだ。当然スパーダには届かない。


「魔界の某所で千年に一度開かれる、魔界最強を決める武闘大会だ。それが三ヶ月後に開催される。お前はそれに出る気はあるのかと聞いている」


 エルカの目に光が戻ってきた。魔界最強……武闘大会……トーナメント……。エルカにとって、何とも心躍る言葉の連続だ。


「ちょっと何よそれ。めちゃくちゃ面白そうじゃない。詳しく聞かせなさいよ」


「後はベルーゼにでも聞け。俺は忙しいんでな。これからその件で部下達と打ち合わせがあるんだ」


 スパーダがエルカに背を向け歩きだし、倒れているスコーピオの首に手を伸ばした。


「くそ、触んな! もう立てるっつーの!」


 スコーピオが悪態をつきながら、よろめきながらも自分の力で立ち上がった。スパーダが、エルカに殴られた胸に手を当て振り返った。


「エルカとかいったな。俺が手傷を負わされたのは久しぶりだ。お前は興味深い奴だ。だから決着はサウザンドトーナメントでつけてやる。それまでに腕を磨いておけ」


 それだけ告げると、スパーダは飛び去っていった。残されたスコーピオが、下卑た笑みをエルカに向ける。


「へへ……命拾いしたな、おい。言っておくが、スパーダには絶対に勝てねえぜ。俺もかつては魔界の支配者になるべく、各地を転々として強者達の魔力を頂いてきたが、奴に出会って俺は全てを諦めた。どうやっても超えられない壁にぶち当たったってわけだ。奴と同じ時代に生まれちまったのが、俺の運の尽きだったぜ」


「……ふん。だから今は虎の威を借る狐みたいに、あいつの下についてるってわけね。だっさ」


「何とでも言え。俺は常に最も賢い生き方を選択してるだけなんでな。おい、てめえも俺を見習った方がいいぜ、ベルーゼよ! ギャハハハ!」


 スコーピオが、遠くで倒れているベルーゼに、馬鹿にするような口調で声をかけた。ベルーゼが唇を強く噛み締める。スコーピオは高笑いしながら、スパーダの後に続いて飛び去っていった。先程までの激闘が噓のように、砂漠に静けさが戻った。柔らかい風が、エルカ達を慰めるように肌を撫でる。


「エルカ!」


 スパーダが現れてから震えて身動きが取れなかったタオが、ようやくエルカの元へ走りだした。抱きかかえて傷を診る。命に関わるほどではないが、深手には変わりない。タオは涙を堪え、エルカとベルーゼを両脇に抱え、逃げるようにその場を後にした。

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