第19話 ベルーゼの過去(後編)
それから三百年近くも、ベルーゼとその手下達は、何の意味も無い日々を過ごしていった。何もすることがなく、腹が減ったら食べて、眠くなったら寝る。死んではいないが、生きてもいない。自分の存在意義も分からないが、分かる必要も無い。ベルーゼ達は、堕落への一途を辿り続けていた。
だがそんな時、転機が訪れた。人間界のジャクシー国の南部に位置する無人島で、大地震が起こった。その時に大きな亀裂が走り、偶然にもBエリアと繫がったのだ。魔界には、いくつか人間界と繫がっている穴がある。しかしそれは、Bエリアから遠く離れたエリアにあるため、ベルーゼ達とは無縁だった。それが今回突然このような事態が起こった。ベルーゼは手下達を集め、緊急会議を開いた。
「人間という生き物は、俺達魔族や魔物と違い、脆弱な生き物だと聞いているが……実際はどうなんだ?」
ベルーゼの問いに、手下達が答える。
「それは間違いないっす。奴らはちょっとしたことですぐに死にますぜ。例えば十メートルの高さから落ちただけでも 、打ち所が悪ければ死んじまうそうです」
「脆いだけでなく、力も貧弱ですよ。普通の人間は、リンゴを握り潰すことすら出来ないみたいですからね」
「そうそう。空も飛べないし足も遅い。その上、暑さにも寒さにも弱い。まったく、笑っちまいますよ。唯一長所をあげるとするなら、その小賢しい知恵ぐらいのもんですぜ」
人間のことを知る手下達が、口々に人間を乏しめる言葉を口にする。ベルーゼはそれを聞いてほくそ笑んだ。
「ふっ、なるほどな。吹けば飛ぶようなカスばかりというわけか。貴様ら、これはチャンスだぞ。魔界は無理でも、人間界を支配することなら造作もない。幸い、魔界の他の連中は人間界には興味が無いようだし、俺達を邪魔する者もいないだろう」
その時、ちょうど人間界に偵察に行っていた手下が戻ってきた。そしてベルーゼの前に跪く。
「ベルーゼ様、ご報告します。あの穴の近辺を調べたところ、海を渡った先に王国らしき場所を発見しました。人間に化けてそこに潜入し、少々情報を集めたところ、そこはジャクシーという国で、なんでもその王宮には美しい姫もいるとか」
「ご苦労。ふむ……美しい姫か。よし、ちょうどいい。そいつを攫って、俺の妃にしてやろう」
ベルーゼが玉座から立ち上がった。久しぶりに目標が出来たことに、喜びを感じずにはいられない。魔界を支配できないから、自分より弱い者達を虐げて支配する。その事に、誰も何も疑問に思うことは無かったのだ。
「よし、早速行くぞ貴様ら。スケルトン、留守を頼んだぞ。今のうちに人間が食える料理を考えておけ」
「了解でやんす。しかし、本当に人間の女を妃にするんでやんすか?」
「魔王が姫を攫うのは当然の流れだろう? よく聞く話ではないか」
「魔王?」
「そう。俺は今日から魔王ベルーゼと名乗る。人間界に君臨し、脆弱な人間共を恐怖のどん底に陥れてやる。そして、俺は支配者となるのだ。ふはははは!」
ベルーゼが高笑いしながらその場を後にした。手下達も意気込みながら、ぞろぞろとベルーゼに続いて出て行った。ポツンと一人取り残されたスケルトンは思う。
(まあ……これで良かったのかもしれないでやんす。フライヤ様のことも、スコーピオのことも忘れて生きていく方が……。そして、人間界の支配……か。今のベルーゼ様は生き生きしているでやんす。あんなベルーゼ様を見るのは、いつ以来でやんしょ。どんな形であれ、ベルーゼ様が生き甲斐を見つけてくれたのなら、あっしはそのお手伝いをするだけでやんす)
*
ジャクシー国では、悲鳴や銃声、爆発音が止むこと無く鳴り響いていた。魔界では底辺の彼らも、人間にとっては脅威だ。魔物達は、まるで自分達が本当に強くなったような錯覚を起こす。それはベルーゼも同じだった。ベルーゼは、立ちはだかるジャクシー兵達を、まるで箒でゴミを掃くように片付けていく。そして王宮の強固な門もあっさりと破壊し、ジャクシーは魔王の進入を許してしまった。そこには王宮の大広間。そして、大勢の兵士達と王族の姿。
「ふはは。おるわおるわ、雑魚共がうようよと。だが、貴様らに用はない。大人しくここの姫を差し出せ。そうすればこれ以上の攻撃は止め、引き上げてやるぞ」
ベルーゼは、魔界では決して味わうことの出来ない優越感を、存分に堪能していた。弱者を踏みにじることが、これほど面白い物だとは思わなかったのだ。
魔王の目的が姫だと分かった途端、無意識に兵達の視線が一点に集まる。その視線をベルーゼは追った。そこには、まだあどけなさが残る、一人の少女がいた。少女に向かってベルーゼが歩き出す。
「貴様が姫だな。ちっ、何だ。まだガキじゃあ…………」
ベルーゼの足が止まった。目を見開き、その姫……タオの顔をまじまじと見据えた。心の奥底に、無理矢理押し込めていた記憶。その扉が今、音を立てて開いてしまった。
「……フ……フライヤ……?」
「えっ……?」
フライヤ。聞き覚えのない名を呼ばれ、困惑するタオ。ベルーゼの鼓動が早まる。あの日の、あの時の光景が脳内で再生される。そこには、確かに妹フライヤの面影があった。
「ベルーゼ様、どうしたんです?」
手下の一人が小声で声をかけた。今の手下の中で、ブブルの時代から残っているのはスケルトンだけだ。ここにいる者は、誰もフライヤを知らないのだ。
(落ち着け……似ているだけだ。本来の目的を忘れるな)
ベルーゼは妹の幻影を打ち消し、動揺を無理矢理隠すように跳び上がり、タオに向かって滑空した。
「きゃああー!!」
ベルーゼは強引にタオを脇に抱え込み、素早くUターンして王宮から飛び出した。手下達が慌ててベルーゼの後を追う。ジャクシーの者達は、唯々呆然と見送ることしか出来なかった。
「お願い、離して! お父様とお母様のところへ帰して!」
魔界の入口向かう飛行中、タオは泣きわめきながら暴れ続けた。ベルーゼの心に僅かな痛みが走る。これが罪悪感という物だとは、その時のベルーゼは知る由もなかった。
しかし今回は、言うなれば自分の魔王としての初仕事だ。人間に対しての宣戦布告だ。このままおめおめと、タオをジャクシーに帰してやるわけにはいかないのだ。ベルーゼはタオの悲痛な願いを無視して、魔界に向かって飛び続けた。
*
タオを攫ってきてから三日経過した。三日前の意気込みはどこへやら、ベルーゼは以前と同じように、部屋の中でベッドに横たわり、ただイタズラに時が過ぎるのを待っていた。そんな時、誰かが扉をノックした。
「入れ」
「失礼するでやんす」
スケルトンが少し疲れた様子で部屋に入った。
「どうだ? タオの様子は」
「ようやく、少しだけでやんすが食べてくれたでやんす。流石に三日も飲まず食わずでは、限界だったようでやんすね。まあ、こんな骸骨が運んできた料理を食べろというのも、無理があったでやんすが」
「そうか……」
ベルーゼは一安心した。このまま自ら餓死の道を選択するのではないかと思っていたのだ。
「でも、相変わらず泣いているでやんす。初めてあっしを見た時のように、泣き叫ぶことは流石にしなくなったでやんすが。何だか可哀想でやんすね……」
「……」
ベルーゼの心に、再びチクリとした痛みが走った。
「それにしても、最初見た時は驚いたでやんす。てっきりフライヤ様が生き返ったのかと……。偶然とはいえ、不思議なこともあるもんでやんすね」
「……」
「…………本当にあの子を、妃にするんでやんすか?」
「……言うな」
「すいませんでやんす……」
ベルーゼは、心のもやもやを消すべく起き上がった。
「あいつはお前に任せる。掃除や料理などの雑用の手伝いをさせろ。召使いのようにこき使っても構わん」
「えっ? し、しかし……」
「……部屋に閉じ込めておくよりは、その方が気が紛れるだろう」
ベルーゼはスケルトンを残したまま、部屋から出て行った。手下達を召集するために。
(うだうだ考えるのはもう止めだ。俺は魔王だ。今日からまた、人間界に攻め入る。俺にはもう、他に道はないんだ)
それから再びベルーゼによる人間界侵略が始まり、世界中が魔王ベルーゼに恐怖した。タオは徐々に魔界の生活に慣れ、笑顔を見せるようになってきた。故郷を忘れたわけではない。タオもベルーゼ同様に、くすぶっていた過去の自分に終止符を打ちたかったのだ。
暫くしてから、メッカとガラパが魔物の襲撃に遭い、それぞれの国の姫である、タルトとイアーナが攫われ、滅ぼされたという話がベルーゼの耳に入った。当然身に覚えがないし、手下達も首を横に振るだけだった。最初は、自分以外に人間界侵略に乗り出した者が現れたのかと戦慄したが、結局それ以降は動きが見られず、取り越し苦労となった。後に、少なくともメッカを滅ぼしたのはアリアだったということを、知ることになる。
そして、タオを攫ってから約一年の時が過ぎた。ベルーゼは、フロッグのエルカ姫の噂を耳にした。なんでも、タオ以上に美しい姫だとか。ベルーゼは、侵略に夢中で忘れていた。人間の姫を妃にするプランがあったことを。
「よし……。次の標的はフロッグのエルカだ。さあ行くぞ! 準備はいいな貴様ら!」
「おおーー!!」
彼らは間もなく思い知ることになる。エルカという名の、最大の恐怖を……。
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