第18話 ベルーゼの過去(前編)

 溯ること、およそ三百年前。ベルーゼはまだ少年だった。人間で言えば十五歳ぐらいである。当時のBエリアのボスは、ベルーゼの父であるブブル。今のベルーゼとは比べ物にならないほどの強者だった。ブブルだけではない。その配下達のレベルも高く、Bエリアは魔界中から一目置かれていたのだ。

 そして、ベルーゼの妹フライヤ。彼女もまた、まだ未熟ながらその才能には目を見張るものがあり、ブブルの才能を確実に受け継いでいた。ブブルの両親も、祖父母も、この一族は皆、戦いにおいては非凡な才能を持っていたのだ。

 しかし、ベルーゼだけは違った。彼にだけは、この一族に見られるような戦闘の才能は全く見られなかった。妹のフライヤの方が遙かに強いぐらいだ。そんな彼が劣等感の塊になり、腐っていくことは必然だったと言えるだろう。

 この日、ブブル軍はFエリアとの戦争に赴いていた。しかし、その中にベルーゼの姿はない。とても戦力にはなりそうにないとブブルに判断され、城に置いて行かれたのだ。ベルーゼは一人、渡り廊下から城の外を眺めていた。


「ベルーゼ様、ここにいたんでやんすか」


 後にスケ夫と名付けられるスケルトンは、当時から既にBエリアのコックとして、ブブルに仕えていた。ベルーゼはスケルトンに目をやるが、再び視線を前に戻し、溜め息を一つ付いた。


「何だよスケルトン……俺を笑いに来たのか?」


「そ、そんなわけないでやんすよ。姿が見えないから、まさかブブル様達について行かれたのかと、心配になって探していただけでやんす」


「そうだよな。俺なんかが戦争に参加したら、すぐに殺されちゃうもんな。心配かけて悪かった」


「う、うーん……」


 この卑屈な言い回し。これも劣等感から来るものなのは言うまでもない。


「なあ、スケルトン……。何で俺には、父上のような才能がないんだ? 最初は、俺がまだ子供だからだと思ってた。いつかは父上のようになれると思ってた。でもそれは違った。現にフライヤは、既に第一線で戦えるんだからな」


「ベルーゼ様……」


「そして、誰もその事を言ってこないのが逆に辛いんだ。父上は俺にもフライヤにも変わらずに接しているし、フライヤも俺を兄として慕ってくれている。でももしかしたら、腹の中では父上は俺のことを、出来損ないだと思っているのかもしれない。フライヤも俺を見下しているのかもしれない。俺はそれが恐ろしい……」


 スケルトンは言葉が出てこなかった。下手に慰めても逆効果であることを知っている。事実として、ブブルやフライヤは決してベルーゼのことをそんな風に思ったことは無い。しかしスケルトンがそれを言ったところで、信じることは出来ないだろう。




 戦争から帰還したブブルは、ベルーゼに稽古を付けていた。少しでも自分に近づけるために。だが、強くなりたいというベルーゼの思いとは裏腹に、体は全くそれについていかない。


「どうしたベルーゼ。それでお終いか? そんな様で、私の後を継げると思っているのか!」


「ハア、ハア……し、しかし父上。もう、体が限界です……」


「むう……。仕方あるまい。城に戻り、手当てを受けてこい」


 ブブルは残念そうに身を翻し、城へと戻っていった。痛みと無力感が同時にベルーゼを襲う。立ち上がろうにも、体が動かない。俯いて座り込んだままのベルーゼに、誰かが手を差しのべた。


「……大丈夫? 兄さん」


「フライヤ……」


 フライヤの手に掴まり、よろけながら立ち上がった。恥ずかしさと情けなさで、フライヤの目を見ることが出来ない。


「俺は……本当に父上の息子なのかな。お前の兄なのかな」


「えっ?」


「俺には才能が無い。かといって、たまたま父上やお前が天才だったわけじゃない。一族の中で、俺だけがこうなんだ。本当はどこかで拾われてきたんじゃないか?」


「兄さん。父上は、兄さんに才能が無いなんて思っていないわ。でなければ、稽古なんてつけないわよ」


「でもお前は最初から強かった! 何故俺は、俺だけは違うんだ!」


 溜まっていた感情が溢れ出した。しかし、フライヤは冷静にその問いに答える。


「大器晩成って言葉、知ってる? 確かに今の兄さんは、はっきり言って弱いわ。肉体的にも精神的にも。でも、今はただ眠っているだけ。覚醒する時は、いつか必ずやってくる。そして、その時には兄さんは私も父上も超えている。私はそう思ってるわ」


「……見え透いたお世辞を言いやがって。もういい。この話は終わりだ」


 ベルーゼは一方的に話を打ち切り、肩を押さえながら城に向かって歩き出した。


「お前には俺の苦悩は分からんさ。分かりようがない。だが、お前がいて良かったと思っているよ。お前がいれば、父上が身を退いた後もBエリアは安泰だ。頼んだぞ、出来のいい妹よ……」


「兄さん……」


 フライヤの言葉も、ベルーゼの心には届かなかった。フライヤは決して噓はついていない。しかし、明確な根拠がない。何か一つでもそう思わせる根拠があれば、少しは違ったのかもしれない。ベルーゼは振り返ることなく、歩き続けた。


(所詮俺は異端児……一族始まって以来の落ちこぼれだ。フライヤがいるのだから、俺は無理して辛い思いをしてまで、強くなる必要はない。適当に生きて、食いたい時に食い、寝たい時に寝て、死にたい時に死ねばいい。文句があるなら、才能の欠片すら俺によこさなかった父や母に言え)




「きゃあ!!」



 ────!?


 ベルーゼが振り返ると、フライヤが倒れていた。そしてそこには、見知らぬ男が一人。鶏のトサカのように逆立った赤い髪と、先が尖った太く長い尻尾が特徴の、いかにも柄の悪そうな男だった。


「フ、フライヤ! 貴様、何者だ!」


 ベルーゼが駆けだし、その男に殴りかかった。しかしあっさりと躱され、すれ違い様に腹を殴られる。ベルーゼは痛みでその場にうずくまった。


「弱え……噂通りだな。これがあの勇猛なブブルの息子とは、笑わせてくれるぜ」


「くっ……!」


「雑魚はおねんねしとけよ。俺が用があるのはあっちの……」


 男が振り返った所に、フライヤがいない。ハッとなった瞬間、フライヤの蹴りが男の背中に入り、前のめりに吹っ飛んだ。


「兄さん大丈夫!?」


 フライヤは自分のことなど気にせず、兄を心配して先程と同じ台詞を口にした。これ以上フライヤに情けない姿は見せられない。ベルーゼは苦しみに耐えながら立ち上がった。


「な、何とかな。それより、あいつは一体なんなんだ?」


「分からないわ。いきなり現れて攻撃してきたの。……あっ!」


 男が起き上がった。全く効いていないのか、けろっとしている。そしてフライヤを見てニヤリと笑った。


「流石だぜ。てめえも噂通りだ。それでこそブブルの娘……。そして、それでこそ俺の糧となる資格がある」


「糧……ですって?」


「俺の名はスコーピオ。いずれはこの魔界を支配する男だ。だが、そのためには俺はまだまだ力が足りねえ。例えば、お前らの父親のブブルには、今は全く勝てる気がしねえ。だが、てめえなら別だぜフライヤ。末恐ろしいガキだが、ガキはガキだ。今ここで、その絶大な魔力を俺の物にしてやる!」


 スコーピオが地を蹴り、フライヤに突進した。尻尾を上げ、照準を合わせるようにフライヤに向ける。


「やめろお!」


 ベルーゼが前に躍り出て、スコーピオに魔法弾を放った。スコーピオに着弾……しかし、スコーピオは全く怯まない。


「そ、そんな!」


「何だぁ? そのゴミみてえな魔法はよぉ。お手本を見せてやるぜ!」


「ひっ!」


 スコーピオが、ベルーゼの数倍の大きさの魔法弾を一瞬で作り上げ、それをベルーゼに放った。ベルーゼは驚愕と恐怖で動けない。フライヤがベルーゼを抱えて紙一重で退避した。対象を失った魔法弾が、ベルーゼ達の遙か後方の岩に着弾し、大爆発を巻き起こす。


「兄さんは逃げて! 戦える相手じゃないわ!」


「おっと、そうはいかねえ。たとえ蝿みてえな雑魚でも、父親を呼びに走ることぐらいは出来るからな。へへへ」


「くっ……!」


 スコーピオが余裕の笑みを浮かべ、歩き出した。その足音は、二人にとって死へのカウントダウン同然だ。しかし、スコーピオはピタリと足を止め、振り返った。


「……ハッ!? この魔力は!」


 フライヤも気付いた。殺気立った強い魔力を感じる。それが猛スピードで近付いてくる。それは、ブブルの魔力だった。さっきの大爆発で勘付いたのだろう……害虫の侵入を。初めてスコーピオが焦りの色を見せた。


「ちっ、やべえな。遊んでる暇はなさそうだ。さっさと終わらせるか」


 スコーピオが明確な殺意を持ってフライヤを見据えた。フライヤが地を蹴り、天高く舞い上がる。


「逃がさねえぞ!」


 逃げたのではない。これからやる事に、ベルーゼを巻き込まないためだ。フライヤが宙に留まり、魔力を集中し始める。


「……なに!?」


 フライヤの周囲に、羽の生えた小さな赤い蟲が大量に出現した。そのどれもが、敵を威嚇するように、バチバチと火花を散らしている。


「ゆけ!」


 フライヤがスコーピオを指差し、号令をかけると、蟲は一斉にスコーピオに襲い掛かった。


「うおおお!?」


 予想外の攻撃に、スコーピオは対処法を考える間もなかった。蟲はスコーピオに触れた瞬間次々と自爆し、連鎖的に爆発が巻き起こる。そのとてつもない衝撃と爆音に、ベルーゼは頭を抱えて縮こまった。煙がもくもくと立ちのぼり、ベルーゼからはフライヤとスコーピオの様子が全く見えない。しばらくして、ようやく爆発が収まった。


「や……やったのか?」


 ベルーゼが目を凝らす。さっきまでの凄まじい爆音が噓のように、辺りは妙に静かだ。煙が晴れてきた。そこで見た物は、ベルーゼの想像していたものとは、あまりにもかけ離れていた。


「フ…………フライヤァァァァ!!!」


 スコーピオの尻尾を、胸に深々と突き刺され、持ち上げられているフライヤ。高笑いするスコーピオ。フライヤの最大の魔法を持ってしても、スコーピオに大きなダメージを与えることは出来なかった。


「てめえが未熟で本当に良かったぜ。あと何年かここに来るのが遅かったら、俺が返り討ちにあっていただろうぜ」


 尻尾を振り下ろし、フライヤを下に投げ捨てた。慌てて走りだしたベルーゼが、フライヤを抱き止める。そしてフライヤの胸の穴から、血がドクドクと溢れ出てくる。


「ありがたく頂いたぜ。てめえの妹の魔力をよ。さて、そろそろやべえから、俺はもうとんずらさせてもらうぜ。ベルーゼ、てめえの親父に伝えとけ。俺は更に強くなり、今度来た時にはてめえもぶっ殺してやるってな! ぎゃはははは!」


 スコーピオは再び勝ち誇った高笑いをあげ、飛び去っていった。ベルーゼを絶望が包み込んだ。フライヤの容態を見る。傷は深いが、この程度ならフライヤなら死ぬことは無い。すぐに手当てすれば助かる。

 …………少なくとも、この時のベルーゼはそう思った。しかし、次第にフライヤの容態が急変する。呼吸が荒くなり、顔色もどんどん悪くなっていく。毒…………ベルーゼでも、その結論に至るのは容易だった。スコーピオは、フライヤの魔力を奪うだけでなく、最悪の置き土産を残していったのだ。ベルーゼには、何も出来ない。ただフライヤに声をかけることしか……。


「フライヤ! しっかりするんだ! フライヤ!」


 気を失っていたフライヤが目を覚まし、ベルーゼと目が合った。


「ハア……ハア……ハア……に、兄さん。無事で……良かった……」


「な……何を言っているんだ! 俺なんかのことより、自分の心配をしろ!」


「……兄さん……ハア……ハア……さっき、私が言ったこと……忘れないでね」


「えっ……?」


「出来れば……見たかったな。兄さんが……魔界の王に……なるところを……」


 フライヤがニコリと笑った。


「お、おい……何を言って……」


「さよなら……兄……さ…………」







「うおおおおおおーーー!!!!」





 それから間もなく、ブブルが二人を発見した。しかし、もはや何もかもが手遅れだった。フライヤは死んだ。もう二度と戻ってこない。自分は何一つ出来なかった。見殺しにしたも同然。その事実が、ベルーゼの心の傷を抉った。抉り続けた。

 事情を知り怒り狂ったブブルは、スコーピオを追って魔界中を探し回った。そして、ベルーゼを更なる悲劇が襲う。ブブルは確かに強い。だが、上には上がいる。スコーピオを探すということは、他のエリアにも足を踏み入れるということ。つまり、常に死の危険と隣り合わせだ。

 ブブルは戻ってこなかった。どこかの強大なエリアに足を踏み入れ、戦死したという噂だけがBエリアに届いた。ブブルを殺したのがスコーピオではないことは確かだったようだ。だから、結局スコーピオを見つけることなく、ブブルは死んだのだ。

 残ったブブルの優秀な手下達は、一人、また一人とBエリアから去って行った。それと入れ替わるように、どこかからかベルーゼ同様の落ちこぼれ達が集まってきた。いつしかBエリアは、魔界の弱者が身を寄せる場所となっていた。

 スコーピオに復讐するために、そしてフライヤの墓前に、魔界の支配者となった自分の姿を見せるために、ベルーゼは一人修行を続けた。その甲斐あってか、少なくともBエリアのボスとして恥じない程度には強くなった。しかし、スコーピオの行方は未だに分からない。そして、結局自分はいくら修行しようが、他のエリアの強者達からすればゴミ同然ということも、思い知ることになる。

 いつしかベルーゼは、その野心はもちろん、復讐心すらも徐々に風化していった。下手にスコーピオを探し回っても、父の二の舞を演じることは必然。


 ────もういい……。見つけたところで、どうせ俺では奴には勝てん。このままBエリアに閉じ籠もり、静かに暮らしていこう……。


 ベルーゼは、無駄なことをするのに疲れたのだ。周りも誰も反対しなかった。最も古い手下であるスケルトンも、ただ黙ってベルーゼの傍にいた。

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