第14話 B vs A

 Aエリア……それはDエリアの隣に位置する、他と比べて一回り広いエリアだ。土地の広さに比例するように、そこに属する魔物の数も、魔界全土の中で最も多い。エルカ達は今、DエリアとAエリアの境の、蜘蛛の糸の目の前にいる。そこは大きな谷になっていて、飛び越えればもうそこはAエリアだ。


「さあて、行くわよ。準備はいいわね?」


「お、おー……」


 エルカの号令に、手下達が力無く返事した。彼らにとっては、他エリアに攻め入るのは初めてのことだ。緊張するのも無理はない。ベルーゼも、今までのエリアとはレベルが違うAエリアを前にして、平常心を保つのがやっとだ。そして、そこにはタオの姿もあった。タオは実戦はこれが初めて。当然、最も緊張しているのは彼女だった。



 *



 溯ること二日前。ベルーゼの自室にて、エルカ、タオ、ベルーゼの三人の間で、このような会話がされていた。


「ねえ、次はここ行きたい。このAエリア」


「うっ……」


 端から見ると、まるで彼女が彼氏に遊園地に行くのをねだっているようだが、もちろんそんな穏やかな話題であるはずもない。


「何? また何か問題でもあるの?」


「いや……もう今更お前の強さに疑いなどは持っていない。だがそれでも、Aエリアに行くとなると、今までと同じだと思っていると命取りになる」


 その言葉を聞いて、エルカがキラリと目を光らせた。


「ほほう……それはかなり期待していいってことなのね?」


「俺が知っているエリアの中では、Aエリアが最も危険だ。そこの魔物共は、一匹の強さはそれほどでもない。恐らく、ここの連中でもタイマンなら勝てるだろう。しかし、とにかく数が多い。とてつもなく多い。数の暴力という言葉が、何よりもお似合いだ」


「ふーん。まあ、千匹が一万匹になろうが、雑魚は雑魚よ。興味ないわ。それより、エリアボスはどんな奴なのよ」


「……エリアボスか」


 ベルーゼが水を一口飲み、心を落ち着かせるように軽く溜息をついた。思い出したくないことを思い出すかのように。


「Aエリアのボスは、アリアという女だ。俺は百年ぐらい前に一度だけ、奴が戦っているところを見たことがある。相手は、当時のDエリアのボスであるドンボという奴だ」


「……侵略、ですか?」


 タオが口を挟んだ。


「そうだ。仕掛けたのはドンボの方で、Aエリアでその戦いは繰り広げられていた。俺はその戦いを、たまたま蜘蛛の糸を通りかかっていた時に気付いて、遠巻きに見ていた。ちなみに当時のDエリアは、今と違って魔界の中でも一目置かれる強豪エリアだった」


「へえ。そいつと一回戦ってみたかったわね」


「だから、当然俺はドンボが勝つと思っていた。だが……俺が見た光景は、予想とは全く正反対だった」


 ベルーゼの険しい顔に、タオが息をゴクリと飲んだ。


「一方的だったよ。恐らく、アリアにはドンボを瞬殺出来るぐらいの力はあった。しかしすぐにはそうせず、ドンボはじわじわとなぶり殺しにされた。四肢を引き裂かれ、目玉をくり抜かれ、体中に小さな風穴を開けられ……。まるで血の一滴も残さず、搾り取るようにな」


 エルカもタオも震えていた。もちろん、その理由は真逆だ。タオは恐怖によって……そしてエルカは武者震いによってだ。今すぐにでも、ここを飛び出してAエリアに行きたい衝動を必死で堪える。


「で、あんたの見立てではどうなの? そいつは私より強いと思う?」


「お前より強い奴が存在するとは思えんが……俺にとっては、お前もアリアも雲の上だ。どっちが上かなんて、正直なところ分からん。ただ今度ばかりは、お前でもそう簡単に勝てる相手ではないことは確かだ。何度も言うように、手下の数も半端ないからな」


 エルカは暫し考えた。元より油断するつもりはないが、万全を期すに越したことはない。雑魚相手に消耗して、アリアとの戦いに支障が出るということは避けたい。かといって、ベルーゼに全て丸投げするのも不可能だろう。


「……あいつらの出番ね。どこまで使い物になるかは正直分からないけど」


 ベルーゼ軍の雑兵達。彼等の修行の成果を試す時が来たとエルカは考えた。


「出来ればもう少し楽なエリアで慣らしてやりたかったが……。どうせ聞かんのだろう?」


「聞けないわね。まあ、大丈夫よ。今回はタオっていう強力な仲間がいるからね」


「えっ! 私も行くの!?」


 いきなり自分の名前が出て、驚愕するタオ。この展開も予想していたベルーゼは、溜息一つ漏らすだけで、何も言わなかった。


「何言ってんの? 当たり前じゃん。ベルーゼ軍のナンバーツーが戦場に行かなくてどうすんのよ」


「わ、私は別にそんな……」


「無意味な謙遜ね。あんたの力がベルーゼをも上回っていることなんて、誰の目にも明らかじゃない」


 仲間内での組み手と、敵地での実戦はまるで違う。それはエルカも分かっている。しかし、タオは確実に戦力になる。今回の戦いが厳しいものになるというのなら、是が非でも連れて行きたい。

 一方、タオは迷っていた。自分も皆の役に立ちたい……それは前々から思っていたことだ。これまでは、精々城の雑用係ぐらいでしか役に立てなかった。モーキス軍とカムデ軍の残党が攻めてきた時も、何も出来ないばかりか、自分のせいでベルーゼに怪我を負わせてしまったことに、憤りと無力感を覚えたものだ。

 でも今の自分には戦う力がある。皆と肩を並べて一緒に戦える。恐怖心が無いとは言えない。しかし、タオのその思いは恐怖心を上回った。


「……分かった。私、頑張るよ」


「よし、決まりね。じゃあ、今日と明日は休んで、明後日にでも行くわよ」



 *



 各々、ジャンプや飛行でその谷を越えていく。まだ敵の姿は見えないが、いつどこから襲ってくるか分からない恐怖が、エルカ以外の者達を包む。辺りは至って静かだが、この静けさが逆に不気味だ。エルカ達は、細心の注意を払いながら、Aエリアの中心部を目指して荒野を駆け抜けていく。しかしAエリアは広い。いつものように、ベルーゼがエルカを背に乗せて飛んでいけばそれほど時間はかからないだろうが、この大所帯で足並み揃えて行くとなると、なかなかそうはいかない。エルカのイライラが募っていく。


「……まだ?」


「俺に聞くな。中心部にいる可能性が高いというだけで、どこにいるかなんて実際来てみなければ分からん。いつもそうだっただろう」


「そんなことは分かってるわよ。私が言いたいのは、大群って聞いてたのに何で魔物の一匹も姿を見せないのかって事よ」


 ベルーゼとしては敵と出くわさないに越したことはないのだが、このままではエルカに八つ当たりされる危険がある。ベルーゼは、これまで以上に神経を研ぎ澄ませ、敵の気配を探った。以前、敵が出て来ないと思ったら、地中からいきなり出てきたことがあったのを、ベルーゼは思い出した。


(地中……)


 ベルーゼが足を止めた。それに倣って他の者も止まる。周りをよく見てみると、地面にちらほらと穴が空いている。いずれも直径五十センチ程の穴だ。中心部に向かうにつれて、その穴は数が増えていく。

 ベルーゼはピンと来た。手下達にジェスチャーで指示を出す。手下達は息を飲み、それぞれ穴の入り口にばらけていく。エルカは全てを察したが、タオは皆が何をしようとしているのか分からず、一人おどおどしていた。


(よし……やるぞ、お前達)


 手下達が頷いた。次の瞬間、ベルーゼ達は一斉に穴の中に向けて攻撃を仕掛けた。ある者は魔法をしこたま撃ち込み、ある者は炎を注ぎ込み、ある者は爆弾を大量に投下した。轟音が地中で鳴り響く。あわよくば、このまま生き埋めにしてしまいたい。それが彼等の願いだった。


「キイイイイイイ!!」


「う、うわあ!」


 何かが大量に穴の中から飛び出し、驚いた手下達が攻撃の手を止めた。飛び出してきたのは、穴よりも一回り小さい黒い球体。それに短い手足と口だけが付いている不気味な魔物だった。それが穴という穴から、次から次へと出てくる。


「ベ、ベルーゼ様ーー!」


「狼狽えるな! とっとと臨戦態勢を取れ!」


 パニックになっている手下達に一喝を入れるついでに、ベルーゼが敵の集団を焼き払う。一瞬で数十匹の敵が黒焦げになるが、それ以上の速さで数が増えていく。しかし、ベルーゼは焦りを表には出さず、着々と駆除していく。その姿に手下達は勇気づけられ、いよいよ全面戦争へと突入した。

 予想していた通り、個々の力はベルーゼ軍の方がやや上だが、やはり数が異常すぎる。穴からは絶えず敵が湧いてくる。過去にエルカが潰してきたエリアの魔物を全て合計しても、ここまでの数にはならない。更に、敵には一切の恐れがない。まるでロボットのように、機械的に攻めてくる。特に、オーガやトロルのような体がでかい魔物は、こいつらの格好の餌食だ。一斉に纏わり付き、その強靱な顎の力で皮膚を食い破り、体内に入って内臓を食い散らかすのだ。

 一方エルカは、あくまでこれはウォーミングアップだとばかりに、自分からはあまり打って出ようとはしない。向かってくる敵にだけ、一撃を放つ。エルカの間合いに入ったと同時に、魔物達はまるで風船のように弾け飛んでいく。そんな風船割りをしながら、エルカの意識は他に向いていた。


(……ようやく、敵の増加が緩やかになってきたわね。でも、相変わらずアリアは姿を見せない。この穴…………巣の奥に行けばいるのかしら?)


 エルカはそこに侵入する決意を固めた。しかしその前に、やっておくことが一つ。エルカは、全く本調子が出ていない期待の新戦力であるタオの元に向かい、後ろからその尻を平手で力いっぱい引っぱたいた。


「い、いったーーい!! 何するの!?」


「あんたこそ何やってんのよ。こんな雑魚共に手こずる程弱くないでしょうが」


 エルカは喋りながら、秒間二十匹のペースで、敵を叩き割っていく。


「いい加減自覚しな。あんたはこの場で私の次に強いのよ。私はこれから奴らの巣に侵入するから、後はあんたが引っ張りな。あいつらを死なせたくないでしょ?」


 エルカがそう言って、奮闘を続けるベルーゼ達を親指で差した。それを見たタオの顔が引き締まり、力強く頷いた。エルカとタオが背を向けあい、それぞれ別の方向へ走りだした。タオは戦場の最前線へ、エルカは巣の中へ……。

 入り口は狭いが、中の通路はエルカでも普通に歩けるほどの広さだった。巣の内部は、まるで迷宮のように入り組んでいる。そして、あれだけ魔法や爆弾などを投下したにも関わらず、壁はほとんど崩れていない。あのような不意打ちを想定した上で、頑丈に作られているのだろう。魔法による灯火が点々としており、思いの外明るい。


(あの敵の数を考えると、かなりの広さのはず。何も考えずに進んでも、迷子になるだけね。でも、下の方から確かに感じるわ。凄い力を持った者の気配を)


 その大体の方向は分かるが、どう進んで行けば辿り着けるかは分からない。だが、エルカにとっては方向さえ分かれば何の問題もない。その場にしゃがみ込み、拳を叩きつけた。地面が崩れ落ち、下に別の通路が見えた。エルカはそこに飛び下りて、また同じように地を叩く。道が分からないのなら、行く手を阻む壁や地面は、全て壊せばいいことだ。

 何度目か分からない破壊。その先を覗き込むと、これまでとは違う光景が広がっていた。そこは通路ではなく、広い空洞になっている。エルカがそこに降り立つと、どこかから寝息のような音が聞こえてくる。振り返ると、そこにはふかふかの藁の上で、何者かが気持ちよさそうに寝ていた。

 黄色い体毛に黒い斑点、長い尻尾。エルカは一瞬、ヒョウが寝ているのかと思った。しかしそれは違う。顔や手足はヒョウのそれではなく、人間の女に近い。エルカは確信した。こいつがAエリアのボス、アリアだ。

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