第12話 死なせはしない
オロギーが、エルカを迎え撃つべく構えを取った。しかしエルカは、オロギーを無視するかのように飛び越え、再び走りだした。標的はオロギーではなくズシムだ。ズシムに焦りの表情は見られない。
「でやあっ!」
ズシムに突き出した拳が空を切った。いや、正確には当たっているが、全く手応えがない。ズシムの体がぐにゃりと歪み、霧のように姿を消した。
「残像……!?」
後ろからオロギーが迫ってくる。消えたズシムを探す余裕はない。エルカが振り返り、オロギーにカウンターの蹴りを放つ。しかし、これも空を切る。オロギーも同じように消えたと思いきや、エルカの無防備の背後をオロギーが殴り、エルカは吹っ飛んで湖に落ちた。エルカが湖から勢いよく飛び出し、着地と同時に敵を確認する。
「むっ……」
三人……四人……いや、五人、六人、七人。オロギーとズシムが何人もいる。
「エルカ、一体どうしたの!? さっきからあさっての方向にばかり攻撃してるよ!」
遠くからタオが叫ぶ声。目をやると、タオも三人に増えていた。スケ夫もだ。エルカは、ここで初めて自分の身に起こっている事を把握した。両手を広げて目を瞑り、思い切り自分の両頬を叩いた。目を開けると、本来の視界が広がっていた。
「幻術……か。さっきの馬鹿でかい雄叫びは、ただ耳を痛めつけるだけじゃなかったってわけね。ムカつく事してくれるわ」
オロギーとズシムがニタニタと笑みを浮かべ、エルカの怒りのバロメーターが上昇していく。再びズシムに向かって突進。今度は幻ではない。オロギーの巨体がエルカの行く手を阻む。
「どきなぁ!」
怒りに任せた拳の連打。その予想外の速さにオロギーは防御に徹するしかなく、そしてそのあまりの重さに顔をしかめる。オロギーの防御が次第に間に合わなくなっていく。エルカの拳がオロギーのみぞおちにクリーンヒット。オロギーが血反吐を吐きながら転がった。
(……奴がいない!)
ズシムが姿をくらました。気配を探っても、やはりさっきのように位置が掴めない。上に何かの気配を感じ見上げると、小さな雷雲がエルカの真上に出来上がっていた。反射的に駆け出し、間一髪でその雷を避ける。しかし一撃では終わらない。立て続けに雷がエルカを襲う。
「オロギー、今です!」
「!」
木に隠れていたズシムの声。雷に気を取られていたエルカは、オロギーの接近に気付くのが一瞬遅かった。オロギーの巨大な手がエルカの顔を鷲掴みにし、そのまま押し倒して後頭部を地面に打ち付けた。腕力と体重に任せ、グイグイと押し付けてくる。
「ゲハハ! このままトマトみてえにぶっ潰してやるぜ!」
「~~~!」
オロギーの腕のリーチは長く、エルカの腕と脚では攻撃がオロギーの体に届かない。エルカの頭蓋骨が軋む。しかし今度はエルカが、オロギーの腕を両手で掴み、握力を込め始めた。
「無駄なことしてんじゃねえ! さっさとくたばり…………!? い、いてててええー!!」
エルカの凄まじい握力により、指がオロギーの腕に食い込んでいき、オロギーが悲鳴を上げた。たまらずにもう片方の腕で、しきりにエルカの腹部を殴り続ける。その度にエルカの脚が跳ねる。しかし、エルカは手を離さないどころか、どんどん力を強めていく。そして、遂にオロギーの腕が限界に達し、気持ち悪い音を立てて千切れた。
「うっぎゃああーーー!!」
拘束が解かれた。エルカが素早く起き上がり、地を蹴ってオロギーの顎に頭突きを食らわせる。ズシムが慌てて魔法を放つが、エルカはオロギーを蹴り飛ばし、その魔法にぶつけさせた。オロギーの体が火柱に包まれる。
「くっ、しまった! オロギー!」
ズシムが火を消そうと、水の魔法を放とうとするが、ピタリと止めた。何故なら……既に手遅れだからだ。オロギーの首が、無い。一体どこに……。それに気付いたズシムの顔が青ざめる。それは、エルカの手の上にあった。燃え盛るオロギーの頭部を、まるでボールのように弄ぶ。最後には下に落とし、見せ付けるように踏み潰した。
「い、いつの間にそんな真似を……!」
「あんたが、間抜けにも自分の弟に魔法をぶつけた瞬間、刈り取っただけだけど? 雑草を引っこ抜くようにね。速すぎて見えなかったかしら?」
バケモノ……。ズシムの脳内に、真っ先にその言葉が浮かんだ。今の目にも止まらぬ首切りもそうだが、何よりもオロギーのパンチをあれだけまともに食らって、ピンピンしている。それがあまりに異常。一対一でも負ける気はしないなど、とんでもない。正攻法では、絶対に勝てる相手ではなかったのだ。だが、それならズシムにもまだ策はあった。
(かくなる上は……)
ズシムが動いた。エルカに向かって走り出す。
「玉砕覚悟? 意外と潔いのね」
エルカは迎え撃つ構えを取る。しかし、ズシムはエルカを飛び越えた。そしてそのまま、タオとスケ夫の元へ滑空する。
「うわ!? ぐえっ!」
「スケ夫さん! きゃあ!」
スケ夫を蹴飛ばしたズシムが、タオの首に後ろから腕を回した。苦しさで、タオが顔を歪める。
「ふふ……形勢逆転ですね。この娘の命が惜しければ、大人しく…………なっ!?」
エルカは全く動じず、歩いて近付いてくる。ズシムが慌てて言葉を繋げる。
「き、聞いているのですか!? それ以上近付くと、この娘を殺しますよ!」
「……」
それでもエルカは足を止めない。だが、決してタオのことが、まるっきりどうでもいいわけではない。これが最善だからだ。エルカは強さとは裏腹に、実戦経験はまだまだ浅い。もちろん人質を取られたことは初めてだ。だが、それでも本能で分かる。この手の輩は、どうせ約束など百パーセント守らない。自分を殺した後、タオも殺すことは明白。ならば従う必要など無い。
「く、くそ! ならば望み通りにしてあげますよ!」
「ひっ……!」
ズシムが腕を振りかざす。その瞬間、エルカが足下の石を蹴り上げた。
「ぎゃあっ!」
その石が、ズシムの右眼を撃ち抜いた。エルカが走り出し、ズシムの顔を掴み、さっき自身がオロギーにやられた時と同じように、そのまま地面に叩きつけた。エルカが、血も凍るような笑みを浮かべた。最初の余裕など吹き飛んだズシムが、激しく取り乱す。
「お、お願いします! い、命だけはお助けを!」
「……うーん、どうしようかしらねぇ?」
エルカは、暫し考える振りをした。もちろん、それに対する返答など最初から決まっている。
「駄目ね。カゲトと違って、あんたとはもう一度戦いたいとは思わないし、顔も見たくないわ」
エルカがズシムを押さえつけたまま、もう片方の拳を握り、振り上げた。
「や、やめて助けて! やめ……ぶげぁ!!」
見苦しい命乞いをかき消すように、その拳はズシムの腹を貫いた。数秒の痙攣の後、その動きは停止した。間近で見ていたタオは思わず目を逸らしたが、すぐにエルカの痛々しい体の方を心配した。
「エ、エルカ大丈夫?」
「ええ。ったく、不愉快な奴らだったわ。さて、さっさと山菜採りに行くわよ。スケ夫、さっさと立ちな!」
「は、はいでやんす……」
スケ夫が頭を押さえながら身を起こした。ワイバーンがやられてしまったので、山中には歩いて行かなければならない。今回は登山観光に来たのではなく、あくまでも食材集めだ。時間短縮出来るなら、エルカにとってもその方が良かったのだ。その事が、エルカをますます苛つかせた。
「魚の籠は私が持ってやるわ。ちょっとした筋トレ代わりになるし。道案内は任せるわよ」
「了解でやんす」
「この時期は何が採れるんでしたっけ? この間食べた闇アザミは結構美味しかったけど、流石にもう旬は…………エルカ危ない!!」
何かに気付いたタオが、エルカを突き飛ばした。次の瞬間、何かがタオの肩を撃ち抜いた。
「タオ!」
エルカが周りを見渡す。犯人はすぐに分かった。死んだと思っていたズシムが、息も絶え絶えに指先をエルカ達の方へ向けていたのだ。
「あの………くたばりぞこないが!」
エルカが怒りの形相で跳び上がった。ズシムの顔が恐怖で歪む。エルカが振り上げた拳は、今度は確実に頭部に振り下ろされ、オロギー同様に首から上が完全に破壊された。それでもエルカは気を緩めない。残った胴体も、バラバラになるまで踏み潰した。もはやズシムはただの肉片となり、たとえ不死身の肉体を持っていたとしても、活動は不可能だろう。今度こそ止めを刺したと確信したエルカが、タオに走り寄った。タオの意識は無い。
「スケ夫、タオは!?」
「急所からは大きく外れているでやんす。しかし……これは厄介でやんすよ」
「何が? 出血もこの程度ならきつく縛れば止まるはずよ」
「これは毒でやんす。既に全身に回りつつあるから、傷口から吸い出すのも不可能でやんす!」
エルカはショックを隠しきれない。戦い以外のことに興味が無く、タオにも特に友情などは感じてはいないエルカだったが、タオがこうなったのは間違いなく自分のせいだ。タオの顔色がどんどん悪くなっていく。汗も止まらない。このままでは危険だ。
「姫、とにかく早く城に帰るでやんすよ! 城には毒に詳しい者もいるでやんす!」
「……分かった」
エルカはタオをおぶさり、城に向かって走りだした。何としても死なせるわけにはいかない。エルカは、ワイバーンの数倍の速さで荒野を駆け走る。戦いで負った傷が痛む。しかしそんなことを気にしている余裕はない。一人取り残されたスケ夫は、エルカとタオの背中を茫然と見送っていた。
「物凄い速さ…………もう見えなくなったでやんす。タオ、助かるといいでやんすが……」
そして、大変なことにスケ夫は気付いた。山のように積まれた魚が入った籠。それも二つだ。
「……もしかして、あっしが一人で持って帰るでやんすか?」
*
エルカは、城に帰るなり全員を大広間に呼びつけた。タオを蝕み続けている毒が何なのか分かる者、そして解毒する方法が分かる者を探すために。魔物達の中には、毒の扱いに長けた者は確かに何人かいる。しかし、いずれの者が見ても解決法が分からない。
「くそ、誰かおらんのか! この忌々しい毒を消せる者は!」
「…………」
大広間で、ベルーゼの叫びが響き渡る。しかしその叫びに応える者はいない。先程まで苦しそうにしていたタオの呼吸が、次第に落ち着いてくる。決して容態が良くなっているわけではない。むしろ逆だ。今にも命の灯火が燃え尽きようとしているのだ。
エルカは、唇を噛みしめるだけで何も出来ない。あの時自分が油断せず、ズシムに確実に止めを刺しておけば……。自分自身に対して、ここまでの怒りを覚えるのは生まれて初めてだ。ベルーゼも焦りの色が増していく。しかし、決して諦めはしない。
(……絶対に死なせんぞ。もう二度とな。もはや、手段を選んでいる場合ではない……!)
ベルーゼは、横たわるタオの頭の下に手を差し入れ、抱き起こした。そして、タオの首筋に口を寄せる。魔物達の間にどよめきが起こる。
「ベ、ベルーゼ様、まさか!」
ベルーゼが口を開き、牙を剥いてタオの首筋に噛みついた。
「ちょっとあんた! 何してんのよ!」
エルカが気色ばむが、ベルーゼが黙って見ていろと言わんばかりに睨み返す。ベルーゼはタオを助けようとしている。エルカは、その事だけは察することが出来た。何をするつもりか知らないが、どちらにせよ自分には何も出来ないし、見守ることしか出来ないのだ。暫くした後ベルーゼが口を離し、タオを再び横たわらせた。
「説明して。一体何をしたの?」
「タオに、俺の血を直接体内に送り込んだ。それをされた人間は、俺達と同じ魔族になる」
「……吸血鬼やゾンビみたいに? それでタオは助かるの?」
「分からん……。いわば劇薬みたいなものだ。強い肉体や精神力を持った者でも、魔族に変異する過程で耐えきれずに発狂死する者も多い。奇跡的にそれが上手くいって魔族の肉体を得たとして、ズシムの毒に耐えられるとは限らん。エリアボスの使う毒だ…………並の毒ではないだろう」
「……結局最後はタオの生命力に賭けて、祈るしかないのね」
その場にいる全員が、固唾を飲んで見守った。やがて、タオの肉体に変化が起こり始めた。雪のように白かった肌は、浅黒く変色していく。丸い爪は鋭さを増していき、体の所々に血管が浮き出てくる。本来ならこの段階で激しい痛みや苦しみを味わうのだが、既に意識の無いタオに、その様子は見られない。そして…………タオの呼吸によって浮き沈みしていた、胸の動きが止まった。
「タオ……!」
エルカがタオの胸に耳を当てて、心臓の音を探った。その結果は、エルカの苦悶に満ちた表情を見れば明らかだった。ベルーゼが、その場を膝を突いた。
(やはり、駄目だったのか。俺はまた……助けることが出来なかった……)
他の者も言葉が見つからず、黙って俯いていた。タオに情を持っていたのは、ベルーゼだけではない。誰にでも優しく、献身的なタオは、ここの魔物達にとっても大切な存在だったのだ。エルカは彼らのそんな様子を見て、その事を初めて理解した。
そして、まだ誰も気付いてはいなかった。たった今、タオの体がピクリと動いたことに……。
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