第10話 挑戦者現る

 嵐が過ぎ去った海のように、Dエリアは静まり返っていた。しかし、その光景は決して穏やかな物ではない。見渡す限りの死体、死体、死体。そして……その地獄絵図の中で、一人の痩せた中年の男が空を見上げていた。長い髪を後ろで縛り、顔には無精髭、袴を着て腰には刀を携えている。まるで侍のような出で立ちだ。


「とんでもねえ女だったな……一体なにもんだ?」


 その男は、戦いの一部始終を見ていた。常識外れなエルカの強さを……。どこからか、微かに呻き声が聞こえる。男が辺りを見回すと、僅かに息がある魔物を発見し、その場に座り込んだ。


「おい、ちょいと聞きてえことがあるんだけどよ。お前らをやったあの女は誰だ?」


「うっ……。し、知らねえ……。俺が……聞きたいぐらいだ。だが……一緒にいた男は……Bエリアのベルーゼだ」


「ベルーゼだと?」


 男は疑問に思った。ベルーゼと言えば、全エリアで最弱のエリアボスだ。当然Bエリアも全エリア中最弱で、他エリアに殴り込みに来るなど、今までならあり得ないことだ……と。


「あの女……気になるな。どう見ても人間だったが、どう見ても人間の強さじゃあねえ。正体を突き止めたくなったぜ」


 男はニヤリと笑い、立ち上がった。その眼差しは、エルカと同じように、戦いが好きで仕方がない者の眼差しだった。久しぶりの大物の登場に、男の胸が高鳴る。男はBエリアに足を向け、歩き出した。



 *



 Dエリアでの戦いから三日後。ベルーゼ軍の面々は、いつものように城の近くの平地で、エルカとの組み手に勤しんでいた。相変わらず全くエルカの相手にはなっていないが、以前とは気迫が違う。それはエルカも感じていた。

 三日前、ベルーゼが瀕死の体で帰還してきた時、彼らは思った。自分達が不甲斐ないばかりに、ベルーゼ様に苦労ばかりかけてしまっている……と。それからというもの、彼らの意識は変わっていった。何度エルカにぶちのめされても、意識がある限りは向かっていく。傷が癒えずに見学しているベルーゼも、そんな手下達の姿に、不覚にも感動を禁じ得なかった。


「ふん、ちょっとはマシになってきたじゃない。勢い余って殺さないようにするのが大変だわ」


 エルカも自然とノッてくる。小指一本で倒せるような相手でも、やはり戦うことはエルカにとって、最大の悦びなのだ。しかし一番忙しそうなのは、非戦闘員のタオとスケ夫だった。エルカにノックアウトされた魔物達を、次から次と介抱しているのだから、休まる暇が無い。それでもタオは、どこか充実したような表情を浮かべていた。自分も皆の役に立ちたい。常にそう思っているからだ。


(……ん?)


 エルカが微かな殺気を感じ取る。目を向けると、見慣れない男がこちらに歩いてくるのが見えた。魔物達もそれに気付く。


「おい、止まれ。誰だてめえは」


 魔物の一人が前に出て、男を制止した。しかし男は立ち止まらない。その細い目で、エルカを真っ直ぐに見据えている。


「悪ぃが雑魚に用はねえんだ。どきな」


「んだとぉ!? ふざけ……」


 突如、魔物が吹っ飛ばされた。エルカ以外の者には、何が起こったのか全く分からない。いつの間にか、男が刀を抜いていた。刀の峰で殴り飛ばしたのだ。ベルーゼが血相を変えて前に出た。


「貴様何者だ! いきなり何をする!」


「ベルーゼか。お前にも別に興味はない。俺が用があるのは、そこの嬢ちゃんだよ」


 男はそう言ってエルカを指差した。全員の視線がエルカに寄せられる。エルカは既にその男に、自分と同じ匂いを感じ取っていた。即ち、男がここに何しに来たのかを。エルカは嬉しそうにフッと笑った。


「オーケーオーケー。そういう要件なら大歓迎よ。なかなか強そうだしね。あんた、どこのエリア? 名前は?」


「俺は今はどこのエリアにも所属していない。出身はNエリアだがな。こうやって魔界各地を回って、武者修行しているのさ。名前はカゲトだ」


 その男、カゲトが刀を鞘に収め、腰を落とした。居合抜きの構えだ。早くも戦闘態勢に入った。それに応えるように、エルカも構えを取る。


「戦う前に言っておくことがある。俺は決闘の相手は極力殺さないようにしてきた。殺しちまったら、更に腕を磨いて俺にリベンジすることも出来ないからな」


「へえ。それで?」


「だが、お前さんの強さは、Dエリアでの戦いを見て知っている。だから、殺さないように気を遣う余裕は俺にはねえし、お前さんが素手だろうと俺は遠慮無く刀を使うつもりだ」


「どうぞご自由に。不意打ちでも目潰しでも罠でも助っ人でも、何でも使いなさい。私は決して卑怯だなんて思わないし、それをされたからって負けるつもりもないから」


 それがハッタリではないことを、カゲトは瞬時に察する。カゲトの頬を冷や汗が伝う。カゲトはこれまで数々の強者と対峙してきたが、これほどの威圧感を放つ者は滅多にいなかった。しかしそれが逆に、カゲトの闘争心をますます燃え上がらせる。


「そうかい……ほんじゃ、行かせていただきますか」


 一瞬だった。周りの者から見たら、瞬きしたらカゲトがエルカの目の前に移動していたのだ。カゲトが刀を引き抜く。しかし、エルカの反応速度はそれを上回った。エルカのジャブがカゲトの顔面をとらえ、カゲトが大きく仰け反る。続け様に渾身のストレートを放つが、これは空振り。既にカゲトは後ろに飛び退き、エルカとの間合いを取っていた。


「ってぇ~……! あそこで切り返してくるのかよ。信じらんねえぜ、ちくしょうめ!」


 カゲトが、血が溢れ出る鼻を押さえながら悪態をついた。


「でも、あの体勢から退避するなんて、あんたもなかなかやるじゃない。じゃなきゃ終わってたわよ」


 しかし、エルカも実際のところ危なかった。あとほんの百分の一秒反応が遅れていたら、無傷では済まされなかった。周りの魔物達は何が起こったのか、全く理解できていない。ベルーゼも、カゲトの強さに驚きを隠しきれない。


(エルカが負けるとは思えない。しかしあのカゲトという男も、かなりの達人だ。今の攻防を見た限りでも、絶対とは言い切れん)


 仕切り直し。同じ手を続けて使うのは悪手と判断したカゲトは、今度は最初から抜刀した状態で、中段の構えを取る。数秒の睨み合いの後、先に仕掛けたのはまたしてもカゲトだった。刀のリーチを活かし、エルカの間合いの外から刀を振りかざす。刀の連擊を、エルカは全て紙一重で躱していく。カゲトの軽いフェイント。エルカのリズムが一瞬崩れる。その隙にカゲトが体を沈ませ、回転しながら遠心力たっぷりの横払いをエルカの頭部に繰り出す。


(避けれるはずがねえ! 終わりだ!)


 しかし、それをエルカは手の甲でガードした。金属の衝突音に近い音が、平地にこだました。驚き焦ったカゲトが、再び距離を取る。エルカの拳の皮が裂けて、血が滴り落ちていた。


「何だよ、鉄板を拳に仕込んでやがったのか……」


「は? そんなもん仕込んでないわよ。それとも何? 鉄板すら斬れないようなナマクラ刀使ってんの?」


「……! いや、確かにそうだな。鉄板ならそのまま斬り飛ばせてたはずだ。てことは、お前さんの拳が硬すぎるのか……参ったねこりゃ。想像以上だ」


 改めて肌で感じるエルカのバケモノ染みた強さに、カゲトは苦笑いしか出てこない。エルカの拳の硬度は確かに異常だが、それだけではない。今のは、ただガードしただけではなく、衝突の瞬間に僅かに拳を引いて、衝撃を和らげたのだ。並外れた戦闘センスが無ければ不可能だ。カゲトの心中に、真の強者に出会えた喜びと恐怖が入り混じっている。ここまで明らかにエルカが優勢だ。周りの魔物達も活気立つ。


「いいぞ姫ー!」

「そんな奴やっちめえー!」

「ギャハハ、見たかこのボケナスがぁ!」

「てめえなんかが姫に勝てるわけねえだろがあ!」

「調子こいてんじゃねえよ、バーカ!」





「う る さ い ん だ け ど」





 エルカの一言で場が凍り付き、さっきまでの野次が噓のように静まり返った。エルカの穏やかな口調は、時に怒鳴られるよりも威圧感を与える。黙って見ていろ馬鹿共が。ベルーゼが冷や汗をかきながら小声で言った。


「姫? お前さん、ベルーゼの娘か何かか?」


「馬鹿言わないで。人間界で姫やってたから、あいつらが勝手にそう呼んでるだけよ」


「……マジかよ」


 気になっていたエルカの正体が判明。カゲトの思い描いていた人間の姫とは、あまりにもギャップがありすぎた。驚きを隠せないカゲトをよそに、エルカが指をボキボキと鳴らしながら前に歩き出した。


「さあて、そろそろ私からも攻めていいかしら? 私SかMかって言ったら、確実にドSだからさ。うずうずしてんのよ」


「……へへ、拒否権はねえんだろ? まあ、来てみんさいや」


「ええ、行くわよ……。ん? あれは何かしら?」


 エルカがカゲトの背後の空を見て目を凝らした。カゲトも後ろを振り向くが、何も見えない。カゲトはハッとなった。再びエルカに向き直った時には、既に拳が目の前にあった。


「ぶはぁ!」


 もろに顔面にパンチを食らい、カゲトが殴り飛ばされた。それを見て、ベルーゼが唖然となる。


(あ、あいつ何て女だ。格下相手にいきなり騙し打ちするとは……)


 カゲトが地面をスライドしながら体勢を立て直す。エルカが、今度はカゲトに向かって地を蹴り上げ、石つぶてを飛ばした。これもカゲトの予想の範疇には全く無く、満足にガードも間に合わない。カゲトは石つぶてに目を眩まされ、エルカの姿を見失った。


(くっ、どこだ? 今度はどこから…………はっ!)


 上! 確認する間も惜しみ、カゲトはそこから退避した。その勘は当たっていた。上から急襲してきたエルカの脚が、さっきまでカゲトがいた地点に突き刺さり、大地が大きく揺れた。カゲトの顔が青ざめ、エルカが不敵に笑う。

 騙し打ちも石つぶても、エルカには何の悪気もなければ、カゲトをおちょくっているわけでもない。ただ、常に勝つために最善の行動を取っているだけなのだ。真正面から正々堂々戦って勝てる相手でも、相手が全力で自分を殺しにかかってきている以上は、エルカは戦いに一切の妥協はしない。


(やべえな……どうやら俺は、あまりにも無謀な喧嘩を売っちまったらしい。だがよ……俺もまだ全てを出し尽くしたわけじゃねえぜ!)


 さっきまで、どこか飄々としていたカゲトの表情が変わった。その体から闘気が滲み出て、刀に伝わっていく。ただならぬ気配を察知したエルカが、魔界に来て初めて守りに全神経を集中させた。


「行くぜ!」


 下段の構えのまま、カゲトが地を強く蹴った。しかし、最初の攻撃よりも遅い。それにより、エルカは受けるタイミングを狂わされる。かと思いきや、エルカの数メートル手前で一気に加速し、エルカは更に不意を突かれた。カゲトが刀を下から振り上げる。エルカが拳でガード……しかし弾かれた。ガラ空きになったエルカの胴目掛けて、カゲトが刀を振り下ろす。




 ────カゲトは、確かな手応えを感じた。縦一直線に斬り裂かれたエルカの肉体から、激しい血飛沫が舞う。ベルーゼも、タオも、スケ夫も、他の魔物達も、誰もが目を疑った。


(か、勝った……!)


 倒れゆくエルカ。しかしその顔は…………嗤っていた。エルカと目が合い、カゲトの全身に鳥肌が立った。エルカがカゲトの肩を掴み、腕を後ろに大きく振り上げる。そのまま振り子のように拳をカゲトの腹に叩き込むと、大砲のような音が辺りに鳴り響いた。


「ぐっぼおあ!!」


 カゲトが、エルカの出血量以上の血を吐き出した。ヨロヨロと後退り、最後には膝が体重を支えきれなくなり崩れ落ちた。その場にいた全員が確信する。エルカの勝ちだ、と。エルカが歩み寄り、立ったままカゲトを見下ろした。


「ゲホッ……か、完敗だぜ……ハア、ハア。強えのは分かってたが……何もかもが俺の想像を上回ってやがった……ゴホッ。さあ、止めを刺せよ。お前さんに殺されるなら、俺も悔いはねえぜ……」


「断るわ」


「……何だと。俺は、お前さんを殺すつもりで戦ってたんだぜ? それとも、俺を侮辱してんのか?」


「まだ遊べる玩具を自分で壊す馬鹿がどこにいんのよ。鍛え直してから、いずれまた私を楽しませなさい。あんただって、今までそうしてきたんでしょうが」


「……はは、確かにそうだ。それを言われちまうと、何も言えねえや。そういや、まだ名前を聞いてなかったな」


「エルカよ。いずれは、魔界でその名を知らない者はいなくなるわ」


「エルカか、いい名だ。覚えておくぜ」


 話は付いた。そう判断したタオが、治療道具を持ってカゲトに駆け寄るが、カゲトはそれを拒んだ。


「ありがとよ。気持ちだけ受け取っておくぜ。とりあえず立って歩けるからよ」


「は、はい」


 カゲトは、刀を杖代わりにして立ち上がり、ふらつきながら歩き出した。その背中に、エルカが声をかける。


「このまま逃げるんじゃないわよ。必ずリベンジしに戻ってくること。さもないと、こっちから探し出してぶっ殺しに行くからね」


 カゲトはフッと笑い、手を上げて応えた。やがてその姿が見えなくなると、ベルーゼがエルカに話し掛けた。


「一時はどうなることかと思ったが、終わってみれば、いつも通りの圧勝だったな」


「……本当にそう思うの?」


 エルカが服を脱ぎ捨てると、肩から太股にかけての、長く深い傷が露わになった。血は止まりかけているが、あと数センチ深ければ致命傷になっていたかもしれない。


「エ、エルカ大丈夫!?」


「死にはしないけど、そんなこと聞く暇があったら、さっさと手当てしてほしいわね」


「あっ、ごめん!」


 タオが大慌てで手当てを始める。手当てを受けながら、エルカがベルーゼを見上げた。


「見ての通りよ。スリリングな戦いだったわ。百回戦ったら、もしかしたら一回ぐらいは負けることもあるかもね。あいつは見所あるわよ」


 百回中一回……。褒めてるのかそうでないのかよく分からない。しかし、一パーセントでもエルカに勝てる可能性があるのなら、やはりカゲトはただ者ではないと、ベルーゼは思い直した。自分では何千回エルカに挑もうと、全く勝てる気がしないからだ。


 そしてエルカは、まだ魔界には自分の知らない強者がいたことに、傷の痛みも忘れてこの上ない悦びを感じていた。そして同時に思うことは、やはり自分だけの力で征服出来るほど、魔界は甘くないということだ。


(こいつらの特訓メニューを増やす必要があるわね)


 これから更なる地獄が待ち受けていることを、魔物達は知る由もなかった。

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