第9話 大魔王になるために
「おいエルカ。手は大丈夫なのか?」
「手? ああ、さっき奴の肩に刺したところ? まあ、骨で止まったから大した傷じゃないわね」
エルカは、拳の先から滴る血を舐めながら言った。
「そうか、よし。じゃあ次はどこを攻め落とす?」
「あら、珍しくやる気満々じゃない。てっきり一旦帰ろうとか言うと思ったのに。うーん、そうねぇ……」
エルカは地図を広げた。今いるTエリアから一番近いのはDエリアだ。
「このDエリアってのはどうなの?」
「ああ、そこは大したことないな。お前なら楽勝だろう」
「今まで倒してきた奴らより弱いってこと?」
「ああ、噂で聞いた限りではな。だからこのまま続けて行っても大丈夫だろう」
「……」
エルカはベルーゼをじっと観察した。何か今までと態度が違う。弱いエリアだから安心してるのか。もちろんそれもあるだろうが、他にも理由がありそうだ。そしてそれはすぐに分かった。
「……なるほどね。じゃあ、Dエリアのボスとはあんたが戦いなさい。雑魚は私が掃除してあげるから」
「えっ」
予想外のエルカの冷徹な発言に、ベルーゼは青ざめた。
「ちょ、ちょちょちょっと待て。どういう事だ? 雑魚の集団相手よりも、強い奴とのタイマンの方が好みなんだろ?」
「そうだけど~、今更モーキスとかより弱いボスと戦ってもねぇ。いまいちテンションが上がらないわぁ」
エルカは、わざとらしく溜息をついた。ベルーゼは、エルカの態度が急変した理由が、何となく察しが付いた。しかしベルーゼは食い下がる。
「お、お前の手で俺を大魔王にしてくれるんじゃなかったのか?」
「ええ、そのつもりよ。でも自分は何もせずに、全部私にやらせようっていう魂胆が何か気に入らない。ていうかムカつく」
エルカはそっぽを向いてしまった。一度こうなったら、エルカはテコでも動かない。それを分かっているベルーゼは、これ以上何も言えず、唇を噛みしめた。
(しまった……なんてことだ。噓でもいいから、次も強敵だと言っておけば良かった。こいつの性格を考えれば、こういう展開になることは予想できたはずなのに……浅はかだった)
今更悔やんでも遅い。これ以上ごねたら何をされるか分からないし、ましてや逃げようとしたら確実に殺されるだろう。もはや覚悟を決めるしかない。ベルーゼが後ろを向いて膝を突くと、何事もなかったかのようにエルカがその背に乗り、Dエリアに向けて飛び立った。
*
ベルーゼは、いつもよりゆっくり飛んでいた。まだ心の準備が出来ていないからだ。Dエリアのボスの名はダゴン。ベルーゼの言うように、魔界のエリアボスの中では決して強くはない。しかし、最弱はあくまでベルーゼ自身だ。自分より強いことには変わりない。つまり勝てない。イコール敗北、イコール死だ。
「ちょっとぉ、まだ着かないの? チンタラ飛んでんじゃないわよ。もしかしてビビってんの?」
「……これから自分より確実に強い奴に喧嘩を売りに行くんだぞ。ビビらない方がどうかしてる」
「普通はワクワクすると思うけど。まあ、あんたがそんな考えの持ち主だったら、はなっから人間界になんて攻めてこないか」
エルカの嫌味に腹を立てる余裕も、今のベルーゼには無かった。あと数時間後に死ぬかもしれない。いや、多分死ぬ。そう思うと、どんな嫌味を言われても、右から左にすり抜けていくだけだ。
「それにさ、そのダゴンって奴が、本当にあんたより強いとは限らないんじゃないの?」
「何を言ってる。全エリアのボスの中で、俺が一番弱いと言っただろう」
「それは以前までの話でしょ。たった一ヶ月の修業だけど、あんた確実に最初に戦った時より強くなってるわよ。と言っても私からすれば、目クソが鼻クソになったようなもんだけどね」
(……目クソと鼻クソどっちの方が強いんだ?)
いずれにせよ、ただ一方的にボコられ続けてきただけのベルーゼに、自分の成長など実感出来るはずも無かった。しかし、エルカがわざわざお世辞を言うような性格ではないことも、ベルーゼは知っている。考えている間に、一本の川が見えてきた。その川が、TエリアとDエリアの境の蜘蛛の糸だ。川を越えた瞬間、ベルーゼが一気に加速し、Dエリアの中心部に向かって全速前進を始めた。もはやベルーゼは考えるのを止めた。どうせ選択肢など無いのだ。ならば、さっさと終わらせるのが最善。それが結論だ。
「おー、速い速い。あんたやっぱり、スピードだけなら一流だわ」
ベルーゼは何も言わずに飛び続けた。途中、地上にいる何匹もの魔物に見つかるが、ミサイルのように高速で飛行するベルーゼには何も出来ない。しかし、何匹かの飛行出来る魔物が、目の前に立ち塞がる。
「雑魚は任せていいんだろ?」
「ええ、私は約束は守るタチだから」
エルカがベルーゼの背の上で立ち上がった。スピードを緩めず突進するベルーゼに、魔物達が襲いかかる。いや、その瞬間に魔物の頭が爆ぜていた。エルカの拳打のパワーとスピードに、更にベルーゼの飛行速度も上乗せされているのだから当然の結果だ。
直接襲いかかることの危険を知った魔物が、今度は槍をエルカに投げつけてきた。もちろんそれも無駄だ。刺さるすんでのところで槍をキャッチし、それを投げ返した。槍はエルカに向かって飛んできた時と全く同じ軌道と、そして何倍もの速度で、持ち主の心臓目掛けて帰っていく。槍は持ち主を貫通し、更にその後ろにいた何匹もの魔物を貫きながら、どこまでも飛んでいった。
「一、二、三……四五六…………七。七匹か。十匹ぐらい落としたかったわね」
槍で貫かれてバラバラと墜落していく魔物の数を数えながら、エルカは残念そうに呟いた。残った魔物の間を縫うようにベルーゼは飛び、エルカがすれ違い様に仕留めていく。敵の空中部隊はほぼ全滅した。更に飛行を続けると、前方に城が見えてきた。二人は、それがダゴンの居城だと確信する。
「ベルーゼ。このまま城の屋上を目指して」
「ああ。上から攻めるのか?」
「攻める……っていうのとはちょっと違うわね。あ、別に下に降りなくていいから。このまま真っ直ぐ通過してくれればいいわ」
「?」
エルカの意図は分からないが、ベルーゼは素直に従うしかない。高度を下げずに、真っ直ぐダゴン城を目指した。もう間もなく通過する。その直前になって、さっきまで腕組みをして直立不動だったエルカが、突然しゃがみ込み、そのまま勢いよく頭から飛び下りた。ベルーゼの飛行速度と自らの落下速度を合わせたエルカは、まるで隕石のようにダゴン城に向かって落ちていく。
(あ、あいつ……まさか……!)
狙いの落下地点は城の屋上だ。エルカが拳を振り上げた。到達まであと三秒……二秒……一秒!
「だあっ!!!」
拳を一気に振り下ろし、屋上を突き破った。その勢いは全く衰えることなく、城内の床や壁を次々と破壊していく。仕舞いには外壁をも突き破り、エルカは城の外に墜落した。爆音と共に激しい砂埃が辺りに舞う。ベルーゼは、ただただ呆気に取られているだけだ。地面に深く埋もれてしまったエルカが、頭を押さえて這い出てきた。
「いたたた……ちょっと勢い余りすぎたわ。普通に着地するはずだったのに」
突き抜けてきたダゴン城を見上げると、自分が作った穴を中心に、徐々に亀裂が広がっていく。ある程度広がりきったところで、ダゴン城はガラガラと崩れ始め、最後には見るも無惨な姿になった。ベルーゼが下りてきて、エルカの隣に着地した。
「もうお前が何をしても驚かないと思っていたが……。本当にとんでもない奴だな」
「あのでかい城の中を駆け回って、ダゴンを探すのは面倒くさかったからね。これで出てくるでしょ」
ベルーゼは、崩れたダゴン城を眺めて思った。出来れば今ので死んでてほしい……と。しかし、それはあり得ないとすぐに思い直す。仮に自分が城の下敷きになったとして、その程度で死にはしないからだ。ならば、ダゴンも同じ事だろう。どこからか怒号が聞こえてくる。どうやら地上の魔物達が集まってきたようだ。
「さてと。それじゃあ私は、もう一仕事してくるわ」
「……ああ」
エルカが上機嫌に魔物達の方へ走って行く。一人になったベルーゼは、途端に心細くなった。ふと何かの気配を感じ、城の方へ視線を戻す。
「うっ!」
ちょうど城の瓦礫から、三メートル級の巨大な二足歩行の豚のような魔物が這い出てきた。Dエリアのボス、ダゴンだった。
「ブゥゥゥイ……。誰だぁ? オラの城にこんな事した奴はぁ」
ダゴンは、鈍い動作で辺りをキョロキョロと見渡し、ベルーゼの姿をとらえた。
「ああ? ベルーゼ、何でおめえがここにいるんだ?」
(くっ……もうやるしかない。ならば先手必勝だ。あの豚野郎が戦闘態勢に入る前に、一気に片を付けてやる!)
ベルーゼは思い切り地を蹴り、ダゴンに向かって突撃した。突然の事に、ダゴンは反応が完全に遅れてしまう。ベルーゼのドロップキックがダゴンの顔面に炸裂し、その巨体が吹っ飛んだ。
「まだまだあ!」
再び猛スピードで直進し、吹っ飛ぶダゴンを追い越し、迎え撃つ形で立ち塞がる。迫り来るダゴンの背を蹴り上げた。今度は真上に舞い上がるダゴンの肉体。ベルーゼも飛び上がり、またしてもそれを追い越した。頭上で両手を組んで構え…………上がってくるダゴンに向けて思い切り振り下ろし、叩きつけた!
「ブヒィィィ!」
絶叫しながら、数十メートルの高さから落下していくダゴン。地面到達を待たずして、ベルーゼは両手に魔力を溜め始めた。
「うおおおおおお!」
上からの、嵐のような魔法弾の連射。ダゴンの落下点を中心に、小爆発が次々と巻き起こる。爆煙がもくもくと立ち上り、もはや何も見えない。ベルーゼはひたすら撃った。撃って撃って撃ち続けた。そして、溜めた魔力がいよいよ尽きたところで、ベルーゼは撃つのを止めた。
「ハア……ハア……ど、どうだ。思い知ったか、クソッタレが……!」
煙が晴れていく。あれだけやったのだ。もはや肉片一つ残っていないと思うのが、当然の考えだ。しかし……ベルーゼのその期待は、見事に裏切られた。鬼の形相でベルーゼを睨み付けているダゴンが、そこに立っていた。
「ば、馬鹿な……!」
「おめえ、いきなり何すっだぁ! 痛えじゃねえかこの野郎!」
ダゴンがベルーゼに掌を向けた。
「うっ!? うわああーー!」
ベルーゼの体が突然重くなり、宙に留まることが出来なくなった。為す術もなく、地面に叩きつけられた。
「な、何だ? 体が、重いぞ……!」
ダゴンが近付いてくる。まともにやりあっても勝ち目はない。ベルーゼは慌てて身を起こそうとするが、思うように体が動かない。相手の体を魔力で覆い、質量を一気に増幅させる。これがダゴンの能力。動きが鈍いのがダゴンの最大の弱点だが 、それなら相手も鈍くすればいい。そういう発想の元に得た力だった。ようやく立ち上がろうとした時、ダゴンの影がベルーゼを覆った。見上げると、下卑た笑いを浮かべたダゴンが、ベルーゼを見下ろしていた。
「おめえは這いつくばってる方がお似合いだぞ」
ダゴンがベルーゼの顎を蹴り上げた。浮き上がったベルーゼに、今度は張り手をぶちかます。激しく吹っ飛ばされたベルーゼは、城の瓦礫の山に叩きつけられた。
「ぐっは……!」
吐血。全身が激痛で悲鳴を上げている。何とか反撃しなければと思うものの、力が入らない。ダゴンが、今度は体を丸くし始める。そして丸まった姿勢のまま猛スピードで転がり出す。避ける間もなく、ベルーゼはダゴンの体当たりをもろに食らい吹き飛んだ。ダゴンはそのまま瓦礫の山を突き破り、足でブレーキをかけて止まった。
「ストラィィィク。ブヒヒヒヒ」
ベルーゼは、受け身も取れずに地面に落下した。既に体中ボロボロだ。遠くで魔物相手に大立ち回りをしているエルカが、その様子を見ていた。
「あっちゃ~……ありゃ駄目かもね。やっぱ現実はそう甘くないわ」
案内役がいなくなっては困る。エルカは不本意ながらも、とりあえず助太刀に行こうと足を向けるが、その足がピタリと止まった。ベルーゼが再び立ち上がったからだ。どう見ても勝算など残されていないが、まだ諦めた様子はない。隙だらけのエルカを背後から襲った魔物が、裏拳でぶちのめされた。当然ながら、エルカの方は何の心配もない。
ベルーゼは思う。確かにダゴンの攻撃は重く強烈で、ダメージはとてつもなく大きい。しかし……ベルーゼは日頃から、もっと強い攻撃を受けているのだ。それに比べれば……。
「エルカの……パンチに……比べれば。貴様の攻撃など…………屁でもないわ!」
「おめえ、弱ぇくせにしつこいぞぉ 。とっとと死んじまえ」
ダゴンが再び体を丸めて、ベルーゼに突進した。
「二度も続けて同じ手をくうか!」
ベルーゼは魔力を帯びた手で地を薙ぎ払い、大きな亀裂を発生させた。
「ブヘ!?」
ダゴンの体が亀裂に挟まり動けなくなった。抜け出そうともがくダゴンに向かって、ベルーゼが走り出す。普通の攻撃ではダゴンは倒しきれない。ならば止めを刺す方法は一つ。ベルーゼは後ろからダゴンの脇の下に腕を差し入れ、強く地を蹴った。そしてダゴンを抱え込んだまま、ロケットのように上空へと飛びだす。ベルーゼの体は重くなったままだが、それでも力を振り絞って上に飛び続ける。
「お、おめえ何する気だぁ! 下ろしやがれ!」
「……ああ、そろそろいいな。望み通り、下ろしてやるとも」
雲よりも高い位置まで来たところで、ピタリとは制止した。そして、今度は地上に向かって真っ逆さまに落下を始めた。
「ブヒイ!? は、離せこの野郎!」
ダゴンの後頭部がベルーゼの顔面を直撃する。しかしベルーゼは、鼻血を出しながらも離そうとしない。
「悪いがこのまま俺と共に墜落してもらうぞ。いくらタフな貴様でも、この高さから受け身も取らずに頭から落ちれば、ただでは済むまい」
「な、なにいい!?」
ダゴンがそうはさせまいと暴れ出すが、ベルーゼは更に力を込めてがっしりと抱え込んだ。地上衝突まで残り数百メートル。その時、ダゴンは再びベルーゼの顔面に頭突きを食らわせる。ベルーゼの意識が薄れ、力が抜ける。
「ブヒャヒャヒャ! ざまあみ……」
────凄まじい轟音が、Dエリア全体に響き渡った。エルカにとっては、それが試合終了のゴング代わりになった。敵を全滅させたエルカが、二人の落下地点に走りだす。そこで目にした物は…………無惨にぺちゃんこに潰れたダゴンと、その背の上で倒れているベルーゼだった。ダゴンがベルーゼにかけた重力を解除していれば、もしかしたら死なずに済んだかもしれない。しかし焦ってその事を忘れていた。一方ベルーゼは、肉厚のダゴンの体がクッションとなって一命を取り留めたのだ。ベルーゼにとっては、計算外のラッキーだった。ベルーゼが目を開け、フラフラになりながら立ち上がった。
「魔王らしくない勝ち方ねぇ。かっこ悪いわ」
「……勝ち方にこだわっている余裕など、微塵も無かったんだよ」
ダゴンの体の上から足を下ろし、再び地面に倒れ込んだ。
「どうする? 次のエリア行く? もう帰って休みたいっていうなら、今回だけは勘弁してあげるけど」
「……そうさせてもらおう」
「あっそう。じゃ、帰りましょうか」
エルカはそう言って、倒れたままのベルーゼの背に勢いよく跨がった。背中の傷に触れて、ベルーゼが痛みで呻き声を上げる。
「ほら、帰るんでしょ? 早く飛びなさいよ。ケツ叩けば力が出るっていうなら、やってあげてもいいけど」
「…………あ、悪魔か貴様は」
せめて労いの言葉の一つでも……ベルーゼのそんな甘い希望は、もちろん叶うことはなかった。その後ベルーゼは何度も落ちそうになりながら、やっとの思いで帰路に着いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます