第8話 その圧倒的な暴力で
ベルーゼは、Mエリア上空を飛行していた。モーキス軍は、あの時にほぼ全滅したのか、時々残党が目に付く程度で、Mエリアは無人同然だった。その数少ない残党も、二人を見るなり慌てて姿を隠した。Kエリアも恐らく同じだろう。この二つのエリアは、完全にベルーゼ軍の手中に収まったと言っていいだろう。
エルカはというと、ベルーゼの背の上で仰向けに寝そべり、自分の腕を枕にして空を仰いでいた。これから攻め入るTエリアのことを考えると、既に陥落したMエリアの景色などには興味は無い。
「そろそろTエリアに入る。一旦地上に降りるぞ」
「いいよ降りなくて。このままティスマンって奴の所まで行きな」
「おいおい……見つかったらまた集中砲火に遭うぞ」
「それが分かってるんなら、心の準備だけしとけば? あんたのご自慢のスピードで、全部避ければいいじゃない」
「む、無茶苦茶言いやがって……」
そうこうしている内に、Tエリアに突入した。ベルーゼの緊張が高まるが、エルカは相変わらず寝そべったままだ。しかしそれは、並みの攻撃ならベルーゼは全て躱せるという、信用の裏返しでもある。
まともに修行を開始して、まだ一ヶ月にも満たないが、ベルーゼは確実に強くなった。と言ってもエルカからすれば、ちょっとはマシになったという程度だが。今まで修行はもちろん、自分より強い者との戦いは徹底的に避けてきたベルーゼにとって、何もせずに生きてきた数百年よりも、エルカに痛めつけられ続けたこの一ヶ月の方が、遙かに身になった。
「……来るぞ!」
ベルーゼが叫ぶと同時に、どこからともなく現れたティスマン軍の魔物達が、地上から一斉に矢や魔法で狙い撃ってきた。ベルーゼは素早く方向転換を繰り返し、下から降りそそぐ雨のような攻撃を避け続ける。後ろから聞こえてくる羽音。振り返ると、羽をばたつかせた虫のような魔物が槍を持って、後ろから襲い掛かってきていた。
「ちぃっ!」
右手から魔法で突風を巻き起こし、バランスを崩させたところを狙って、今度は左手から火炎を放射して、まとめて撃ち落とした。地上からの攻撃が続く。飛行出来る魔物も更に数が増えて、一息つく暇もない。
「へえ、やれば出来るじゃん」
「感心してる場合か! もう戦いは始まってるんだぞ!」
「そうね。準備運動ぐらいはしといた方がいいわね。じゃあ、地上の敵はあんたに任せるわ。私はこいつらと遊ぶから」
「えっ、逆じゃあないのか? ぐえっ!?」
ベルーゼを地に落とす勢いでエルカがベルーゼの背を強く蹴り、その反動で空中の魔物に跳びかかった。エルカの予想外の行動に、魔物の動きが一瞬止まる。一番手前にいた魔物の頭を掴み、そのまま膝蹴りを顔面にお見舞いする。その魔物を蹴り落とし、反動で再び宙に舞った。魔物達が反撃に出る。空中で自由が利かないエルカを、一斉に槍で突きにかかる。
「しゃらくさい!」
大振りで槍を蹴り上げ、魔物達から槍を手放させた。エルカは、またしても魔物の頭を掴み、その上に逆立ちになった。掴んだまま体をコマのように回転させ、魔物の首をバキバキと捻り折る。白目を剥いて絶命した魔物を蹴り落とし、また別の魔物に襲いかかる。
翼を持たないエルカが、完全に空中戦を制していた。次々と魔物から魔物へ飛び移り、確実に仕留めていく。地上戦は以前充分に堪能した。だからこそ、今回は敢えて空中戦を買って出たのだ。空を飛べない自分がどこまでやれるか、エルカはそれを知りたかった。
魔物達にとっては、もはや何が何だか分からない。砂漠のど真ん中で鮫に食い殺されていくような、そんな理不尽さを目の当たりにして、どう対処していいのか全く分からずにいた。
一方、ベルーゼは地上の敵相手に奮闘していた。上空から魔法で攻撃すれば割と楽に戦えたのだが、エルカに地上に蹴落とされたせいで、そうもいかなくなった。飛ぼうにも、次から次と四方八方から攻撃されるせいで 飛び出す暇が全くない。ベルーゼの疲労が蓄積されていく。やられるのも時間の問題だ。ベルーゼを取り囲む魔物達が、下卑た笑いを浮かべる。
「はあ、はあ、くそったれが……! この魔王ベルーゼをナメるなよ…………むっ!?」
いきなり何かが空から降ってきて、一匹の魔物が下敷きになった。それに驚いた周りの魔物達の動きが止まる。落ちてきたのはエルカだ。悔しそうに空を見上げて立ち上がった。
「くっそ腹立つ~! あと一匹だったのに!」
ベルーゼも空を見上げると、一匹の魔物が尻尾を巻いて逃げ去っていくのが見えた。
(五十匹以上はいたはずだが…………どうやって倒していったんだ?)
そんなことを考えている暇はない。我に返った魔物達が再び攻撃してくる。その瞬間、飛びかかってきた魔物全員の顔面が陥没した。……エルカの拳によって。苛立ちを露わにしたエルカが殺気を放つ。
「パーフェクトを逃した腹いせに、ちょっと付き合ってもらうわよ、ゴミ共が……!」
その後、大量の血の雨が降り注ぎ、恐怖の悲鳴が荒野に響き続けた。ベルーゼはつくづく思う。もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな、と。
*
Tエリアの中央に位置する樹海。ここのどこかにティスマンがいる。闇雲に探すにはあまりにも広すぎる樹海だが、エルカは気にしている様子はなかった。適当に暴れてれば、向こうから顔を出すだろうという考えだからだ。
エルカは、視界に入った魔物を片っ端から攻撃していった。ベルーゼはさっきの戦いで既にバテバテだったが、手を抜いているとエルカに睨まれるので、仕方なく戦っている。
「はぁ……なかなか現れないわね。こんだけ派手にやってるってのに。まさかビビって隠れてるんじゃないわよね?」
エルカは、苛立ちを隠せない様子で、木に背を預けて寄りかかった。足元に転がっている、ついさっき自分が倒した魔物の頭を、八つ当たりに踏みつける。
「いや、恐らくそれはない。ティスマンは慎重な奴ではあるが、臆病ではない。もしかしたら、既に近くまで来ていて、攻撃する隙を窺っているのかもしれん」
「どっちでもいいわ、そんなこと。とにかく、近くにいるんならさっさと…………」
────!!
何かを察知したエルカが、その場から飛び退けた。直後、さっきまで自分が寄りかかっていた木が、切り刻まれてバラバラになった。木の向こう側に、一人の魔物が立っていた。明らかに雑魚ではない。ベルーゼに確認するまでもなく、こいつがティスマンだ。エルカは、その姿を一目見ただけで、ベルーゼが言っていた事…………相性が最悪という意味を理解する。
それは、一言で言えば『人の形をした刃物』だった。どの角度から見ても、刺々しい銀色の肉体。両腕に至っては、鎌のように鋭く弧を描いている。もし抱きつかれでもしたら、それだけで全身がズタズタに切り裂かれるだろう。
「てめえか。MエリアとKエリアを潰した女ってのは。マジで人間の女だな」
柄の悪そうな口調で話すティスマンに、エルカは無言で肯定する。ティスマンが、今度はベルーゼに視線を送る。ベルーゼは目を逸らさないようにするので精一杯だ。
「強力な助っ人を得て、いっちょ前に縄張り荒らしかコラ。いい度胸してんじゃねえかベルーゼよ」
「……くっ」
ティスマンがベルーゼに睨みを利かせている間に、エルカはティスマンの体を観察した。
(確かになかなか厄介ね。下手に攻撃すれば、こっちがダメージを受ける。刃の側面をピンポイントで突くしかなさそうだわ)
「へっ、まあいい。雑魚は後回しだ。女、まずはてめえから切り刻んでやるよ」
ティスマンがエルカに向き直り、鎌状の腕を擦り合わせた。エルカも構えを取り、お互いが戦闘態勢に入った。一人レベルが違うベルーゼは見守るしかない。二人の間にひらひらと木の葉が舞い落ちる。それが地面に落ちた瞬間に、二人が同時に仕掛けた。
先手を打ったのはティスマンだ。右腕をエルカの首筋目掛けて斜めから振り下ろす。エルカは屈んで避けるが、ティスマンは勢いのままに、太刀のような脚で後ろ回し蹴りを繰り出した。エルカは後ろに飛び退き、紙一重でそれを躱す。ティスマンは攻撃を緩めない。しかしエルカは、回避に徹しながらも、虎視眈々と反撃のチャンスを窺っていた。
(……そこだ!)
肩の、平たい部分を狙って拳を突き出した。しかしティスマンは、それを待っていたかのように体を捻って、尖った肩先を拳に向けた。
「……っ!」
攻撃が止まらない。エルカの拳の肉に、ティスマンの肩先が食い込む。ひるんだエルカを鎌の連擊が襲いかかる。エルカは後方に高く跳び上がり、木の枝に掴まって一旦距離を置いた。エルカの拳から血が溢れ出てくる。
「へっ! 俺と戦う奴は皆同じ事をやってくるんだよなぁ。確かに刃の側面を狙えば安全に攻撃出来るが、そんなことは当然俺だって百も承知だぜ。
「……なるほどね。道理で慣れた動きだと思ったわ」
エルカが木から下りて、両者が再び同じ目線で対峙する。ベルーゼは、こうなることは予想出来ていながらも、焦りを隠しきれない。しかし、ティスマンも実は焦っていた。エルカに殴られた肩先に、僅かにヒビが入っていたのだ。
(あの女…………何て硬い拳してやがるんだ。あの速度で俺の刃先を殴っておいて、あの程度しか斬れてねえ。普通なら肘まで裂けてもおかしくねえはずなのに。こりゃあ、俺も迂闊に奴の攻撃は受けねえ方がいいな……)
再びエルカとティスマンの攻撃が交叉する。しかし、先程とは打って変わって、お互いが消極的になっている。焦って仕掛ければ、カウンターで致命傷を負いかねないからだ。
ティスマンの攻撃によって、周りの木々が次々と斬り倒されていく。エルカがそれを拾い抱え上げて、ティスマン目掛けて振り下ろした。
「どりゃあ!」
「無駄だ!」
ティスマンが腕の鎌を振りかざすと、その木は真っ二つに切断された。エルカは怯むことなく、続け様に木を振り回すが、やはり同じ事だった。次々と丸太が宙に舞い、最後には見る影もなく短くなった木が、エルカの手元に残った。
「ケケケ。その程度の木は、俺にとっちゃ大根みてえなもんよ。今度は千切りにでもしてやろうか?」
「……」
エルカはしばし考えた後、それを放り捨てた。そして…………後ろを振り返って全速力で走り出した。
「はあっ!?」
あまりの予想外の行動に、ティスマンとベルーゼが同時に声を上げた。
「て、てめえ! ここまでやっといて今更逃げる気か! 待ちやがれ!」
ティスマンが慌ててエルカを追いかけた。ベルーゼも後に続く。
(逃げる……? エルカが? いや、絶対にありえん。しかし、あいつ一体どういうつもりだ?)
ベルーゼの困惑をよそに、エルカは森を猛スピードで駆け抜けた。ある物を探すために。それは森の中には恐らく無いだろう。だから、一旦森を抜ける必要がある。後ろからはティスマンが迫ってくるが、エルカの方が速い。一足先に森を抜けると、早速辺りを見渡した。
「見~つけた」
二十秒ほど遅れて、ティスマンが森を抜けた。エルカの姿を探すが見つからない。
「くそっ、すばしっこい女だ。どうやら逃がしちまったようだな……」
そう諦めかけたその時、不自然な影がティスマンの周りを覆った。不審に思ったティスマンが上を見上げる。影の正体は一瞬で判明した。十メートル近い高さの所に、重さ数十トンはありそうな大岩が、ちょうど自分の真上にあった。それに右腕を差し込んだエルカが、悪魔のような笑みを浮かべてティスマンを見下ろしている。そして正に今、その大岩をティスマンに叩きつけようとしていた。
「斬れるものなら、斬ってみなぁ!」
「う、うわあああーーー!!!」
落下の勢い、大岩の重量、エルカのパワー、その全てを全身に受け、表現のしようが無い異音と共に、ティスマンは大岩の下敷きになった。そのあまりの衝撃に、Tエリア全土が揺れた。誰がどう見ても、生死の確認は不要だと分かる。その瞬間を見たベルーゼは、開いた口が塞がらない。
「あ、あの大岩を片手で持ち上げて、あの高さまで跳んだってのか…………!?」
差し込んだ大岩から腕を引っこ抜いたエルカが、ベルーゼの方に向き直ってニヤリと笑った。
「今回もなかなか歯応えのある相手だったわ。素手の勝負だったら負けてたかもね」
「……何を言ってやがる。らしくない謙遜しやがって…………ははは」
ベルーゼは確信した。エルカは無敵だ。こいつに勝てる者など存在しない。満足に動けない空中戦だろうと、相性が悪い相手だろうと、そんな物はこいつには関係ない。圧倒的な暴力で全て握り潰してしまうのだから。そう……こいつのやりたいようにやらせておけば、俺は何もせずとも魔界の支配者になれる。邪魔者は全員、こいつが消してくれるからだ。しかし、ベルーゼのそんな甘い考えは、この後すぐに覆ることになる…………。
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