第7話 落ちこぼれ軍団

 ベルーゼ城の近くに、木も沼もない、だだっ広い平地がある。ベルーゼ軍は全員、修行のためにそこに集まっていた。エルカと五人の魔物が平地の中心に立っており、残りは遠巻きにそれを見ている。


「そんじゃ、始めるわよ。あんたらは手加減一切無用。私を殺すつもりでかかってきなさい」


「は、はい」


 五人はエルカを囲むように立ち位置を変え、そのままじりじりと距離を詰めていく。しかし、エルカの間合いに入る一歩手前で全員が足を止めた。いや、無意識に止まったのだ。あと一歩踏み出せば、その瞬間に首が飛ぶ…………そんな予感がするのだ。もちろんエルカにそんなつもりは無いし、現に殺気も出ていない。しかしどうしても、目に見えないエルカのオーラが、五人の体を硬直させていた。


「……早くしなさいよ。やる気無いなら殺すけど?」


「ぐっ……。う、うおおおお!」


 半ばヤケクソになり、エルカに跳びかかった。しかし次の瞬間には、五人は後方に高々と宙に舞い、脳天から地面に突き刺さった。何が起こったのかは理解できても、実際どうやったのかは分からない者がほとんどだった。手加減していても尚、エルカの攻撃が速すぎて見えなかった。


「はい、次」


「ちょ、ちょっと待てエルカ!」


 黙ってみているわけにもいかず、ベルーゼが慌てて口を挟んだ。


「何よ」


「何よじゃないだろう……。そんなんじゃ修行にならんぞ」


「これでも物凄く手加減してんだけどね。難しいのよ。飛んでる蚊を殺さないように掴むようなものだから」


「そ、そこまで言うか……」


「まあ、確かにこれじゃ意味ないから、私からは手を出さないようにするわ。じゃあ次の五人前に出な」


 代わって次の五人の魔物が、恐る恐る前に出た。しかし手を出さないと聞いて、少しは気が楽になったようだ。

 魔物達が各々攻撃を仕掛ける。エルカは宣言通り、まずは回避に徹した。五人の同時攻撃を、必要最小限の動きで、紙一重で避けていく。それを見た周囲からは、感嘆の声が漏れる。まるで全身に目が付いているかのように、攻撃に対する完璧な解答をしていくエルカ。彼女にとって、この程度の攻撃は止まって見えるのだ。止まった攻撃を避けることが、出来ないはずがない。しかし、それが逆にエルカを苛つかせていく。


「…………だあ!!」


 軽く跳んでからの、全方位への回し蹴り。それをもろに食らった五人の魔物達は、同時に吹っ飛び、そのまま気絶してしまった。


「お、おいエルカ! 手は出さないって……」


「出してないわよ。脚は出したけど」


「…………」


 再び抗議をするベルーゼを、エルカは不機嫌そうにあしらう。ただの屁理屈なのは、エルカ自身も百も承知だ。


「遅いのよ。こんな攻撃受け続けたところで、スリルの欠片もないわ。そもそも、あんたがそうやって甘やかすから、こいつらもこんな腑抜けになったんじゃないの?」


「うっ……べ、別に甘やかしてなどいないぞ。そこまで言うなら、もっと人数を増やせばいいんじゃないか?」


「馬鹿。これ以上増やしたって、一度にかかれる人数は変わらないでしょうが。あっ、そうだ!」


 何かを思い付き、手を叩くエルカ。ベルーゼは、何故かとてつもなく嫌な予感がした。


「五人の中に、あんただけ毎回入ればいいのよ。他四人はクソ雑魚でも、そうすれば大分マシになるはずよ」


「な、何だと!?」


 つまりベルーゼだけ、インターバル無しで毎回エルカにぶっ飛ばされるということ。ベルーゼの顔から血の気が引いた。


「落ちこぼれが魔界の支配者になろうとしてるのよ? この程度の苦行は当然でしょ。少なくとも私はこの力を得るまで、血の滲むような鍛練を積んできたわ」


「むっ……ぐ……。分かった、いいだろう」


 自分の十分の一も生きていない小娘にそこまで言われて、引くわけにはいかない。ベルーゼは覚悟を決めた。次の四人と共に、ベルーゼもエルカの前に立つ。しかし、手下達に比べればベルーゼの実力は段違いなのだが、エルカは桁違いだった。あっさりと総攻撃をいなされ、四人の手下と共に仲良くぶっ飛ばされる。


「はい、次の四人。ベルーゼはさっさと立ちな」


「い、言われるまでもない……」


 そんな一方的な組み手が延々と続いた。手下達の中には、エルカの目に止まる者は結局一人もいなかった。しかしエルカは、最後までリタイヤする事無く立ち上がり、自分に向かってきたベルーゼにだけは、僅かながら手応えを感じた。案外伸び代があるのかもしれない、と。



 *



「お待たせしましたでやんす。ドラゴンエッグのオムライスと、スライムゼリーでやんす」


 テーブルの上に置かれたのは、これまた人間にはとても食べられそうに見えない、ゲテモノ料理だった。しかしエルカは、何の躊躇もなくオムライスを口に運び、舌の上でそれを転がす。


「…………美味い! やっぱあんた料理の才能あるわ」


「……恐縮でやんす」


 スケ夫は料理を出す度に不安になるが、幸いにも今まで怒られた事は無い。もちろん普通の人間が食べたりしたら、食中毒では済まされない物ばかりなのだが、エルカの鋼鉄の胃袋は問題なく消化し、血肉に変える。


「そういえばスケ夫、あんただけさっきの組み手に来なかったわね」


「ギクッ! い、いや、あっしは戦闘員じゃなくて、単なるコックでやんすから……」


「ふーん。まあ、いいけどさ。あんたを戦力に数えてもしょうがないし。お、このゼリーも甘酸っぱくて美味しいわ」


 グニョグニョと不気味に蠢くゼリーを一気に掻き込み、エルカは満足げに器を置いた。その時、食堂のドアが開いた。入ってきたのはタオだ。


「お疲れ様です、遅れてごめんなさい」


「ああ、こっちはもう済んだから、大丈夫でやんすよ。それより、ベルーゼ様の身の回りの世話をしてあげてほしいでやんす。歩くのも辛そうだったでやんすから」


「そ、そうですね。じゃあエルカ、また後でね」


「ああ、うん」


 そう言ってタオは慌てて出て行った。その様子を見て、エルカは一つ気になっていた事があったのを思い出した。


「ねえ、スケ夫。ベルーゼとタオってお互い好き合ってるの?」


「えっ? どうしてそう思うでやんすか?」


「ベルーゼは自分が大怪我をしてまでタオを助けたし、タオもベルーゼのことを気にかけてるみたいだし」


「うーん、まあ……ベルーゼ様がタオに対して情が移ったのは、間違いないみたいでやんすね。死んだ妹に似てるとか呟いてたのを聞いたことがあるでやんす」


「なに、あいつ妹いたの?」


「まあ、詳しいことは知らないでやんすが。最初は妃にするつもりでタオを攫ってきたんでやんすが、そういう事もあって止めたようでやんす」


「で、その代わりの妃候補に選ばれたのが私ってわけね。まあ、理由や過程なんかどうでもいいけどね。おかげで魔界に来れたわけだし」


 納得すると同時に、エルカはもう一つ思い出した。


「……ていうかさ、あとの二人は?」


「あとの二人?」


「私とタオの他に、二人いるでしょ? 人間界から攫ってきた姫が。そいつらはどこにいるの?」


「……はて? ベルーゼ様が攫ってきたのは、エルカ姫とタオだけのはずでやんすが」


 ────そんなはずはない。エルカはもう一度思い返した。一年ほど前から、世界各地で魔物による姫の誘拐事件が起き始めた。最初に攫われたのがジャクシー国のタオで、その後にメッカ国のタルト、ガラパ国のイアーナ、そして四人目が自分。これは間違いない。ならば、タルトとイアーナは誰が攫ったのか?


「…………気にしてもしょうがないか。何でもないわ」


 エルカは、細かいことを気にするのは止めた。自分には関係ないことだ。エルカは立ち上がり、食堂を後にした。

 自室に向かって歩き出しながら、エルカは思う。今日の組み手を見た限りでは、手下達がマシな戦力になるのは、まだまだ当分先の話になりそうだ。しばらくは自分一人でやるしかない。

 MエリアとKエリアでの戦いを思い出す。あの程度なら、今後も一人だけで制圧するのは容易い。だが、もっと強いエリアはきっとあるだろう。そうなると、雑魚の集団相手に、あまり体力を消耗していられない。せっかくエリアのボスとのタイマンに持ち込んだとしても、その時に自分が全力を出せず、その結果敗北するような事になったら、悔やんでも悔やみきれない。集団相手の戦いも悪くはないが、やはり燃えるのは、自分と同等かそれ以上の相手とのタイマン勝負だ。


「そのためには、奴等をしっかりと鍛えないとね」


 エルカは、明日以降の特訓メニューの内容に、思考を巡らせた。



 *



 エルカが魔界に来てからちょうど一ヶ月が経ち、エルカは十八歳の誕生日を迎えた。今頃フロッグ国は間違いなく悲しみに暮れているはずだが、当の本人はそんなことは全く気にせず、地図を片手にベルーゼの部屋へ急ぎ足で向かっている。ノックもせずにベルーゼの部屋のドアを開け放った。突然の来訪に、着替え中だったベルーゼは慌てて振り返った。


「な、なんだいきなり?」


 エルカはその問いを無視して、ずかずかと部屋に入り、テーブルの上に地図を広げた。


「そろそろ次のエリアに攻め込みたいんだけど。雑魚相手の組み手はもう飽きたわ」


「むっ……まあ、そう言い出す頃だとは思っていたがな。だがとてもじゃないが、あいつらはまだ戦力にならんぞ。無駄死にするだけだ」


「んなこたあ、私が一番分かってるわよ。だから今回も私達二人で行く。どこから攻めるのがいいと思う?」


 ベルーゼは地図を見て悩んだ。ベルーゼだって、全てのエリアのことを把握しているわけではないのだ。近場のエリアと、明らかにやばいエリアぐらいしか大まかな戦力が分からない。大丈夫だと高をくくって行ったら、実はとんでもないのが待っていたなんて事もあり得るのだ。


「うーむ……」


「あーもう、まどろっこしいわね。じゃあこのTエリアでいいわよ。Mエリアの一つ先だし」


 エルカが、Tと書かれた区画を指差した。それに対し、ベルーゼが眉をひそめる。


「Tエリアか……ここはやめておいた方がいいと思うぞ」


「何でよ。私より強い奴でもいるっての? だとしても、別に私は格上上等なんだけど」


「いや、どっちが強いかは分からんが、恐らく相性が最悪だ」


「相性?」


「徒手空拳で戦うお前の戦闘スタイルと比較して、ということだ。ボスの名はティスマンという奴なんだが、そいつは……」


「ちょっと待った」


 エルカは割り込むように話を制止した。


「それは聞かないでおくわ。見てからのお楽しみって事で」


「お、おい。どうなっても知らんぞ!」


「魔界にはいろんな奴がいる。それなら当然、中には苦手な相手もいるでしょ。そういうのにいちいち背を向けたり、予習してから挑んでたら面白くないし、魔界征服なんて出来ないわよ」


 エルカは、話はもう終わりだと言わんばかりに、バルコニーに出た。ベルーゼは、何を言っても無駄だと悟った。エルカに続いてバルコニーに出て膝を突き、エルカを背に乗せて、Tエリア目指して飛び立った。

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