第6話 蘇る野心

 ベルーゼ城内はパニックに陥っていた。今まで人間界に攻め入ったことは何度もあったが、魔界の他エリアから攻め込まれることなど無かったのだ。弱肉強食の魔界で、最弱のBエリアが今までこういった侵略を受けてこなかったのは、目を付けられないように大人しくしていたからだ。それが今回、エルカによって破られてしまった。

 一大事の報告のため、魔物の一人が大慌てでベルーゼの部屋をノックした。しかし応答はない。今度は乱暴に打ち鳴らし、大声で名を呼んだ。


「ベルーゼ様! ベルーゼ様ぁ!」


 数秒後、ベルーゼが眠そうな顔でドアを開けた。


「………何だ、うるさいぞ。せっかく気持ちよく寝ていたのに」


「それどころじゃないですよ! MエリアとKエリアから同時に敵襲です!」


「な、なにいい!?」


 眠気が吹っ飛んだベルーゼは、手下を押し退けて最上階のバルコニーへと駆け出した。耳を澄ますと、既に怒号のような音が、城外から微かに聞こえてくる。


(最も恐れていたことが、まさかこんなに早く現実になるとは………)


 ベルーゼがバルコニーから顔を出し、外の状況を窺うと、既に戦いは始まっていた。エルカがたった一人で、無数の敵を相手にしている。最早それ自体に驚くことはないが、問題はその数だ。ある程度は倒してきたとはいえ、二つのエリアの残党が同時に来たとなると、その数は膨大だ。それでもエルカがやられるはずはないが、進撃を完全に食い止めるのも不可能。現に、全体の何割かはエルカを無視して、まっすぐ城に向かってきている。


「くそっ……やるしかないか。幸い向こうにはもう、モーキスもカムデもいないんだ。それなら俺でも何とか……」


 下を見ると、手下達が渡り廊下に集まって、その様を震えながら見ていた。ベルーゼは、バルコニーから飛びおり、渡り廊下に着地した。魔物達が驚き、声を上げる。


「あ、ベルーゼ様!」


「み、見てください。大変なことになってます!」


「俺達殺されちまうんですかい!?」


 縋るようにベルーゼに詰め寄る魔物達。ベルーゼが大きく息を吸い込んだ。


「シャラーーーーップ!! 少しは落ち着け凡愚共! 俺が打って出るから、貴様らは後方援護するんだ!」


 ベルーゼが飛び立ち、津波のように押し寄せる敵の大軍の前に降り立った。手下達がお互いの顔を見合わせる。


「え、援護ったって……」


「なあ? 俺達落ちこぼれだぜ?」


「とにかく行くしかねえだろ。ベルーゼ様が殺されちまうぞ」


 手下達も渋々ながら覚悟を決め、武器を手に取り迎え撃つ準備を始めた。手下達が駆けつける頃には、既にベルーゼの目の前に敵が迫っていた。仮にもエリアボスが目の前にいるというのに、敵は躊躇せずに向かってくる。


「くそっ、ナメやがって……。雑魚に押し潰される程、落ちぶれてはおらんわ!」


 両手に魔力を溜め、前方の広範囲に射出した。放たれた魔力の波動が、敵の大軍を逆に押し流していく。しかし、圧倒的な数の暴力の前では一瞬の時間稼ぎにしかならず、結局は敵の接近を許してしまう。ベルーゼの手下達も合流し、両軍が激しくぶつかり合った。



 *



「うりゃああーー!!」


 エルカは最前線で敵軍相手に立ち回っていた。四方八方から、魔物の拳が、爪が、牙が、魔法が飛んでくる。その全ての攻撃に完璧に対応することは、流石のエルカも不可能だった。顔を殴られ、背中を斬られ、足を焼かれ、確実に体にダメージは蓄積されていく。それでもエルカは倒れない。むしろ、その勢いを更に増していく。

 同じ魔物に二度も三度も攻撃する暇はない。エルカは、出来る限り一撃で仕留める事を意識し始める。そのために、瞬時に敵の急所を判断して突く必要がある。しかし、例えばスライム型の魔物のように、頭や心臓部がはっきりしない魔物も多い。そういう魔物は、とにかく力任せに破壊した。いちいち考える暇はない。持ち前の闘争本能と、天才的な戦闘技術で切り抜けていった。思わぬ反撃に攻撃を緩める魔物に、エルカは地を踏み鳴らして一喝する。


「ほら、どうしたの? ビビってないで、どんどんかかってきなさいよ! そんだけ頭数揃えておいて、女一人殺せないの!?」


 エルカの気迫に、魔物達がたじろぐ。強いのは知っていたが、ここまでとは思っていなかったのだ。しかし、魔物達は思う。奴はもうボロボロだ。あと少しで確実に力尽きる。あんなのは虚勢だ。魔物達が、再び一斉にエルカに襲いかかる。


「おらあ!」


 エルカの拳が頭蓋骨を砕く。突き出した脚が心臓をぶち抜く。尻尾を掴み、ジャイアントスイングで敵を薙ぎ倒し、敵の固まりに向けてぶん投げる。防御という概念を忘れてしまったかのように、エルカは攻めて攻めて攻め続けた。

 そして遂に残り一匹。恐怖に顔を歪めるその魔物が最後に見た物は、自分に跳びかかりながら回転するエルカ。その回し蹴りによって、魔物の首がはねられた。

 全滅…………結局あれだけの数を持ってしても、手負いのエルカ一人倒すことは出来なかった。敵は認識を誤った。あと一歩だったかのように見えたが、実際には全くそんなことはない。エルカは確かに傷つき消耗していったが、それ以上に成長していったのだ。自主トレーニングと、師との組み手でしか己を鍛える術がなかったエルカにとって、この半日間の戦いの連続は、何物にも代え難い経験となった。


「ふう……さて、残りは……」


 エルカは城の方へ目を向ける。そこでは、ベルーゼ軍とMエリア、Kエリアの残党の戦いが未だに続いていた。数はほぼ互角。敵軍はボスが不在。そうなると、ベルーゼ軍の方が有利に思えるが、実際は逆の展開になっている。兵力に差がありすぎるのだ。ベルーゼの手下達では、まるで敵に歯が立たない。


「ちっ……何チンタラやってんだか」


 その不甲斐ない戦いぶりに、感じたことのない苛つきを覚える。自分が加勢すれば、一気に片が付く。しかし、エルカは何となくそれをする気にはならず、傍観を続ける。


「ん? あの馬鹿……あんな所で何を」


 渡り廊下から、心配そうに戦いを見守っているタオが視界に入った。あんな所から顔を出していて、もし敵に見つかったら面倒なことに……。と思った矢先、その嫌な予感が的中した。剣を持った一匹の魔物がタオに目を付け、翼を広げて渡り廊下に向かって舞い上がった。


「うわ、やば……」


 エルカが走りだした。この状況の原因が自分にある以上、無関係のタオに死なれては目覚めが悪い。戦場を突っ切り猛ダッシュする。しかし、タオがいるのは遙か上の渡り廊下だ。


「きゃあああ!」


 タオの悲鳴。魔物が剣を振り上げた。やはりどう考えても間に合わない。エルカが諦めかけたその時、何かがタオと魔物の間に割り込み、タオの代わりに斬擊を受けた。


「うぐっ!」


「ベルーゼ様!」


 斬られたベルーゼの胸から血が噴き出した。エルカが拳大の石を拾い、再び剣で襲いかかる魔物のこめかみ目掛けて投げつける。まるでライフルで狙撃したかのように、その剛速球は魔物の頭部を貫通させ、即死させた。エルカが城の外壁を素早くよじ登り、渡り廊下に足を付けると、そこではベルーゼが痛みに顔を歪ませながら、タオに怒りの目を向けていた。


「くっ……この、馬鹿者が! 戦えもしないくせに、外に出てくるな!」


「ご、ごめんなさい。どうしても皆が心配で……」


「貴様に心配される覚えなど……ぐあっ!」


 ベルーゼが胸を押さえてうずくまる。ノーガードで剣で斬りつけられたのだ。致命傷ではないにしても、傷は深い。


(……ふーん、意外と根性あるじゃない。まさか人間のタオを庇うなんてね)


 エルカは不覚にも、ベルーゼを少しだけ見直した。エルカはタオとベルーゼに背を向け、柵から身を乗り出して戦場を見下ろす。相変わらずの劣勢。ベルーゼも深手を負った今、もはやエルカの加勢なくては勝算はないだろう。


「…………しょうがないわね。さっさと終わらせるとしますか」


 エルカが渡り廊下から飛び降り、戦場に降り立った。この時点で、ベルーゼ軍の勝利が確定した。



 *



 一同は、ベルーゼ城の玉座の間に集まっていた。もちろん玉座に座っているのはベルーゼではなくエルカだ。本当の主のベルーゼは、壁により掛かり腕組みをしている。傍らには、傷を心配そうにしているタオが寄り添っている。

 エルカは、あからさまに不機嫌な表情で、魔物達を見回す。魔物達は、目を合わせないように必死に顔を背けた。


「……このヘタレ共が」


 ただならぬ緊張感が漂い、魔物達が冷や汗を流す。先日、エルカがベルーゼに圧勝したあの時ほどではないにせよ、魔物達は相変わらず生きた心地がしない。


「あんたらが落ちこぼれなのは知ってる。ええ知ってますとも。ていうか見ればよーく分かる。でもさ、物には限度って物があるんじゃないの? 何で揃いも揃ってそんなクソ弱いの? 力が全ての魔界で、よくあんたらみたいなゴミが、今日まで生きてこれたものね」


 ネチネチとしたエルカの一言一言が、魔物達の心に突き刺さる。しかし、そんなこと言われてもどうしようもない。そもそも、奴らに喧嘩を売ったのはお前じゃないか。それが魔物達の総意だったが、当然口に出す者はいない。


「別に私の邪魔をしたわけじゃないから、そこまで咎めるわけじゃないのよ。ただあまりのヘタレっぷりにムカついただけ。こんな事で苛つくなんて、私も知らなかったんだけどね。私は十八年間ずっとイライラしてきたの。だから、こっちに来てまでそんな思いはしたくないわけ。でもこのままじゃ、あんたらの顔を見るだけで、今日の事を思い出してしまうじゃない? そこで考えたんだけどさ……」


(…………ここから出て行ってくれるのか?)


 魔物達の心に、希望の光が差し込む。


「私があんたらを鍛えてあげる。私の修行にもなってちょうどいいしね」


「……え、ええええええ!?」


 希望の光は一瞬で闇に溶けて、一斉にどよめきが起こる。全く予想だにしなかった、エルカの発言。流石にこれには多くの者が、悲鳴のような異を唱える。


「ひ、姫、ちょっと待ってください!」


「いくら何でもそれは無理ですって!」


「俺達に姫の相手が務まるわけありませんよ!」


 魔物達の必死の抗議に、エルカは笑顔で応える。


「大丈夫よ。最初は思いっきり手加減してあげるから。修行で殺しちゃったら意味ないしね。千分の一ぐらいの力でいいわよね? それに、あんたらだって強くなれば、落ちこぼれのベルーゼ軍だなんて馬鹿にされることもないし、一石二鳥じゃない」


「………………ベ、ベルーゼ様~……」


 黙ってないで何とか言ってくれというような目で、魔物達がベルーゼに懇願する。今まで俯いて黙っていたベルーゼが口を開いた。


「いや、エルカの言うことにも一理ある」


「えっ!」


 またしても予想外の発言に、魔物達が困惑する。当のエルカさえも、意外そうな表情を浮かべていた。


「まあ聞け。俺達は長年魔界の落ちこぼれとして、他エリアに虐げられ、Bエリアという小さなエリアに押し込められ、苦汁を飲まされてきた。この件についてどう思う?」


「そりゃまあ……ムカつきますけど。でもしょうがないのでは? 弱いのが悪いんですし」


「その通りだ。こんな肩身の狭い思いをしているのは、俺達が弱いせいだ。そして、魔界では底辺だから、人間界を侵略して優越感に浸ってきた。今更だが、情けないと思わないか? 俺達がもっと強ければ、今とは違った状況になっていたはずだ」


「は、はあ……」


 誰もが何度も思ったことだが、誰も口にしなかった事だ。野望や向上心など、彼らはとうの昔に捨て去った。あるのは、いかに面白おかしく、無難な日々を送るかということだけだ。雑魚は雑魚なりの楽しみ方をすればいい。自分より弱い人間達を虐げていればいい。しかし、ベルーゼだけは本当は違ったのだ。


「俺はエルカの戦いを間近で見て、エルカがいればかつて思い描いていた魔界征服も、夢ではないと思った。身の程をわきまえて封印していた野望に火が付いたんだ。エルカという最強の助っ人を味方に付けた今こそ、魔界の支配者になるべく立ち上がる時が来たのだ!」


 ベルーゼがこのような事を熱く語る姿を見るのは、彼らにとって何年ぶりだろうか。始めは困惑していた者達も、一人また一人と、目の色を変えてゆく。ベルーゼがエルカの元へ歩み寄り、その目を真っ直ぐに見据えた。


「エルカ。お前は俺達を利用して、魔界で思う存分暴れ回ろうとしているんだ。ならば俺も、お前を利用させてもらうぞ」


「……ふっ、面白いじゃない。ただ暴れるだけじゃあ、どうせそのうち飽きるわ。やっぱ人生ってのは何か目標がないとね。魔界征服…………いい響き。その話乗ったわ。私の力で、あんたを大魔王にでも何でもしてやるわよ」


 エルカは、こんなにワクワクするのは生まれて初めてだった。敷かれたレールを脱線し、道無き荒野を暴走する快感。エルカにとって、それは何事にも代え難かった。魔界の二十六エリア全てを手中に治める、魔界征服計画。たった今、本当の意味でエルカの第二の人生が始まった。

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