第5話 姫としての責任
「うーん……遅いでやんすねぇ」
ベルーゼ城の渡り廊下で、コック帽を被った魔物が一人。全身が骨だけの、骸骨の魔物スケルトンが、Mエリアの方角の空を眺めながら呟いた。
「他エリアに殴り込みに行ったんだから、修羅場は確実でやんす。いくらベルーゼ様を倒した姫といえど、モーキスと戦って無事で済むとは思えないでやんす。そうなると、当然ベルーゼ様も……」
スケルトンの脳裏に(と言っても脳は無いが)嫌な予感がよぎる。ベルーゼがいなければ、このスケルトンはもちろん、他の手下の魔物達もどうすることも出来ない。何だかんだで、彼らはベルーゼに絶対の信頼を寄せているのだ。
「ん? ややや! あれはもしかして!」
Kエリアの方角から何かが飛んでくるスケルトンはよーく目を(と言っても眼球は無いが)凝らすと、それは確かに待ち侘びていたベルーゼだった。その背には、胡座をかいたエルカが乗っている。スケルトンに気付いたベルーゼが、渡り廊下に着地した。
「ベルーゼ様、お帰りなさいでやんす!」
「うむ……戻ったぞ。早速で済まんが、スケルトンよ。エルカに飯を用意してやってくれ」
「えっ? あ、はい。それは構わないでやんすが、ベルーゼ様は?」
「俺は疲れた。部屋で休ませてもらう」
そう言ってベルーゼは、ようやく解放されたという安堵感を全身から滲み出しながら、城内へと戻っていった。
「何よあいつ。突っ立ってただけのくせに疲れただなんて」
「いや…………多分精神的にだと思うでやんすが」
「まあどうでもいいわ。それより、早く食事の用意をしなさい」
「は、はい。ご案内するでやんす」
スケルトンに前を歩かせながら、エルカは城内を隅々まで見回した。フロッグ城は外観も内装も確かに美しかった。それに比べてこのベルーゼ城は、いかにも廃墟の古城といった感じで、薄暗くて不気味で一言で言えば悪趣味。壁は石が剥き出しでカーペットも所々破れている。
しかしエルカにとっては、この方が新鮮で趣がある。ここで一生暮らすことになっても、刺激のある日々さえ送れれば、全く苦ではない。
「ここが食堂でやんす。すぐにご用意しますので、座って待ってて下さいでやんす」
「ところで、何を作ってくれるの? 人間が食べられるような物?」
「まあ、一応食べられそうな物を作るつもりでやんす。魔界にも牛や豚や野菜はあるでやんすから。もちろん味は多少変わるでやんすが」
「あんた達が普段食べてる物を出しなさい。観光地に来て地元の食べ物を食べるなんて、勿体ないでしょ」
「へ? し、しかし……」
「いいから」
下手に逆らわない方が身のためだ。スケルトンはそう感じ取り、素直に魔界料理を作り始めた。人間界の料理では決して鳴らないような異音を立てながら、スケルトンは手際良く進めていく。そして、二つの料理がエルカの前に出された。
「お待たせしましたでやんす。ガーゴイルの唐揚げと、ラフレシアのサラダでやんす。ただ、正直姫の口に合うとは……」
スケルトンが言い終わらないうちに、エルカはガーゴイルの唐揚げを口に放り込み、ゴリゴリと石を噛み砕くような音を立てて食べ始めた。続いてラフレシアのサラダに手を伸ばす。とてつもない異臭を放つそれを、お構いなしに次々と頬張っていく。エルカはものの数分で完食し、スケルトンに視線を送る。やはり不味かったか……? スケルトンが息を飲んだ。
「美味い! イケるわこれ!」
「ほ、本当でやんすか?」
「肉は歯応えがあって食感がいいし、サラダも最初はちょっと臭いけど、食べてる内に段々癖になってくるわ。人間界でも美味しい物をいろいろ食べてきたけど、それらとは全く違った美味しさよ」
「それは、何よりでやんす」
何か文句を言われるかと思っていたスケルトンは、ホッと胸をなで下ろす。それと同時に、初めてここまで自分の料理を褒められたことに、喜びを覚えた。
「あんた気に入ったわ。名前は?」
「名前は無いでやんす。スケルトンと呼んでくれれば……」
「あっそう。じゃあ私が付けてあげる。スケルトンだからスケ夫ね」
「ス、スケ夫……!?」
あまりにもその世界に似合わないネーミングに、スケルトンは声を裏返りさせながらオウム返しした。
「ところでスケ夫、お風呂とかはあるの? 汗かいたから洗い流したいんだけど」
「温泉なら沸いてるでやんすが……」
「いいわね。案内して」
温泉は一旦城外に出て、少し歩いたところに沸いている。崖の傍にあるので、崖下の森の景色を眺めながら浸かることが出来るとスケ夫から聞き、エルカは期待に胸を膨らませる。再びスケ夫に連れられ、城門の方まで歩いていく。
「あれ? もしかして、エルカ?」
こんな所で聞こえるはずのない、自分を呼ぶ若い女の声。驚いたエルカが後ろを振り返ると、そこには確かに見覚えのある人間の少女が立っていた。エルカ以上に小柄で、髪型は黒髪ショートで、一見大人しそうな少女だ。エルカはその少女の名前を思い出した。
「……確か、あなたはジャクシー国のタオ姫?」
「やっぱりエルカだ! 随分久しぶりだね!」
「ええ、そうですわね。ところで、どうしてあなたがこんな所にいるんですの?」
つい反射的に、人間界で姫として振る舞っていた時の口調になってしまった。スケ夫があまりの違和感に、思わずエルカの方に振り返る。ここでは猫を被る必要など全くない。エルカは咳払いをして、気持ちを切り替えてから話を続けた。
「あ~、思い出したわ。私の前に今まで攫われた三人の姫の中に、あんたの名前も入ってたんだっけね」
「え? あ………うん、そうなの」
突然人が変わったエルカに、タオは面食らった。エルカとタオは、過去に何度か王族と重臣が集まる国際交流パーティーで、顔を合わせたことがある。その時の気品漂うエルカからは、とてもじゃないが今のエルカは想像出来ない。タオが驚くのも無理はないのだ。
「それにしてもエルカ………凄い格好だね。ドレスは血まみれだし破れてるし、体も傷だらけだけど、大丈夫なの?」
「ああ、ちょっと魔界の連中と遊んでたのよ。ちょうどいいわ、あんたも一緒に温泉に行くわよ。お互い話すこともあるでしょうし」
「あ、でも………まだ仕事が」
エルカは、タオが手にしている箒に気付いた。タオの言っている意味は分かったが、状況がよく分からない。それも含めて、いろいろ聞きたいことがある。
「大丈夫でやんす。姫がそう言ってるんだから、どうせ誰も文句言えないでやんす」
スケ夫が口を挟むが、タオもエルカの立場や状況が全く分からない。
「え、ええ??」
「そういうこと。いいから早く行くわよ」
*
到着するなり、エルカは青い血に染まったボロボロのドレスと下着を脱ぎ捨てた。MエリアとKエリアでの戦いによって、全身につけられた無数の傷や痣が露わになる。あまりの痛々しさに、タオは思わず目を背けた。スケ夫は、それとは別の所に気を向けた。
脱いでもやはり普通の人間の女と同じ……いや、むしろ小柄で華奢な方だ。一体この小さな体のどこにあんなパワーが潜んでいるのか、スケ夫は全く理解できない。
エルカは不気味に赤黒く染まる温泉に、躊躇なく飛び込んだ。タオもそれに続き、足からゆっくりと浸かる。
「うん、なかなかいい湯加減ね」
「それは良かったでやんす。その温泉には傷を癒す効能もあるから、ゆっくりしていくといいでやんす」
「あ、そうだスケ夫。そのドレス洗濯して、破れた所は直しといてね」
「えっ、また着るんでやんすか?」
「当たり前よ。ドレスは私の戦闘服なの」
スケ夫は、もはやどこからツッコんでいいのか分からなくなった。エルカという人間を、あまり常識的に考えない方がいいと痛感する。
エルカはこれまでの経緯を、簡潔にタオに話した。エルカの一言一言に、タオは驚きを隠せなかったが、一応納得はしたようだ。
「正直俄には信じがたいけど、それならさっきのスケルトンさんの言ってたことの辻褄が合うね。エルカがベルーゼ様より強いなんて、驚きだよ本当に」
「あんたこそ、仕事だのベルーゼ様だの、一体どういう状況なのよ。妙に魔界に馴染んでるように見えるし」
タオがベルーゼに攫われ、魔界に来たのはおよそ一年前のことだ。その一年間を思い出すかのように、タオは稲光が走り続ける空を見上げた。
「私がベルーゼ様って呼ぶのは、単に城の人達が皆そう呼んでいるから、私もそれに合わせてるだけだよ。深い意味はないからね。一年前、ベルーゼ様が突然ジャクシー国を襲ってきたの。目的は最初から私の誘拐だったみたい」
「私の時と同じね」
「最初は怖くて仕方が無かったよ。このまま一生ジャクシーには帰れないんだと思って、毎晩のように枕を濡らした。でも、徐々に考え方が変わっていったの。それもアリかなって」
「へえ。それはまたどうして」
「正直言うとさ、姫としての生活に飽き飽きしてたんだよね 。何もしなくても、周りの人達が何でもやってくれて、自分が何かをする時だって、一から十まで誰かが決めたことをこなすだけの毎日。今はベルーゼ城でメイドさんみたいな事やってるけど、割と充実してるよ。皆私に良くしてくれてるし、かといって過保護なわけでもないしね。お父様とお母様は心配してるだろうし、申し訳ないとは思ってるけどね。でも、私はこっちの生活の方が好き」
姫の悩みというのは、世界共通なのだろうか? エルカはタオの話を聞いてそう思った。タオが、エルカの顔を覗き込む。
「エルカ、向こうで会った時と随分雰囲気違うよね。今のエルカが、本当のエルカなんでしょ?」
「ん………まあ、そうね」
エルカは湯を手ですくい上げ、顔を洗って溜め息を一つついた。思い出したくない事も多いが、ここまでタオに本音を話させたのだ。自分も話さなければフェアじゃない。
「私はあんた以上に城の生活が大嫌いだった。生まれつき体を動かすのが大好きだったから。もっと言えば、戦うのが好きだった。でも姫という立場上、そんな事が自由に出来るはずもなく、毎日がストレスだったわ。それを発散させる方法と言ったら、胡桃を握り潰したり、部屋の中で腕立て伏せや腹筋をして体を鍛えたり、その程度よ。時々、私に武術を教えてくれた師と組手をする事もあったけど、城の者達に見られるわけにはいかないから、それが出来るタイミングは限られていたわ」
「……明らかに、生まれてくる場所を間違えてるよね」
まったくだ。と、スケ夫は密かに思った。
「挙句の果てに、トードー国の王子との結婚まで勝手に決めさせられて、私のストレスもピークに達していたわ。何で私があんな弱っちい男と結婚させられなきゃならないんだっつーの。まあ強かろうが弱かろうが、男そのものに興味なんかないけどさ。私が興味があるのは、戦うことだけ。あと少しベルーゼが私を攫うのが遅かったら、本当に爆発するところだった。そういう意味では、あいつには感謝してるわ」
エルカが吐き捨てるように言った。二つのエリアで大暴れしてきたとはいえ、十八年分のストレスがそう簡単に綺麗さっぱり無くなることはない。
「でも、何でそんな我慢してたの? その気になれば、わざわざベルーゼ様に攫われるのを待つこともなく、城を飛び出すことなんてエルカなら簡単だったんじゃない?」
タオが尤もな疑問を口にした。ベルーゼをも遥かに上回るエルカの力なら、それこそ全人類に喧嘩を売って、それに勝つことが出来てもおかしくないと思ったのだ。
「まあ、理由はいくつかあるわ。第一に、私はベルーゼと戦うまで、自分がどれぐらい強いのか知らなかった。自分の強さを計る物差しが、師しかいなかったんだから当然よね。第二に、師は私より強いから。もし私が世界中に戦争でも仕掛けようものなら、師は全力で私を止めるでしょうね。私に武術を教えてしまった責任を取って、私と心中してもおかしくないわ」
「う、上には上がいるんだね………」
「そして一番の理由は、何だかんだで結局私がフロッグの姫だからよ」
「えっ?」
「いくら自分の運命が気に入らなくても、私には責任がある。私が欲望に任せて勝手なことをすれば、父や母、そして全ての国民を裏切る事になる。フロッグ史上………いえ、世界史上最悪の姫として、歴史に名を残すことになるわ。それだけは我慢ならないの」
「あ、一応そういうのは気にするんだ………」
「でもさ………」
急にエルカが俯いて黙った。しばらくすると、肩を小刻みに揺らし始めた。笑いを堪えているのだ。そしてそれはすぐに弾けた。
「攫われちまえばこっちのもんよ! だって仕方ないじゃない!? 私、魔王に攫われちゃったんだもん! 姫の責任もクソもないわよ! あっはははハハハははははハハ!! ざまあみろクソッタレ共!! もう二度と人間界になんて帰らねえからな!!」
高笑いして、バシャバシャと水面を叩くエルカを、スケ夫とタオは呆気に取られて見ている。邪悪という言葉の意味を知りたがっている者がいたら、今のエルカの表情を見せれば、瞬時に理解してくれるはずだ。明らかに狂気の沙汰だが、タオは不思議とエルカが恐ろしくはなかった。それは、初めて自分と同じ悩みを抱えた者に出会えたからなのかもしれない。ようやく落ち着いたエルカが、話を続ける。
「人間界には人間界の、魔界には魔界のルールがある。私はそれに従うまで。魔界では力こそが全てというのなら、私は私の欲望のままに、これからも魔界の強者達に喧嘩をふっかけていくわ」
エルカはそう言って不敵に笑った。そう、ここには誰もエルカを咎める者はいないし、誰にも邪魔はさせない。フロッグの姫、エルカはもういない。ここにいるのは、魔界の狂戦士エルカだ。
「まあ、止めはしないけど………あまり無茶して死んだりしないでね。…… ん? あれ何かな」
タオが何かを指差し、エルカとスケ夫がその方角に目を向ける。Mエリアから何かが近付いてくる。いや、Kエリアからもだ。スケ夫が、恐怖で歯をカタカタと鳴らした。
「あ、あ、あ、あれは………ま、まさか………」
「モーキスとカムデの残党ね。いずれ報復に来るとは思ってたけど、早かったわねぇ。結構結構」
寝る前に、もう一汗かくことになりそうだ。エルカは温泉から上がり、スケ夫が用意した着替えに袖を通した。
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