第4話 野獣の戦い

 先に仕掛けたのはモーキスだった。エルカの顔面目掛けての右ストレート。しかし同じ手はくわない。エルカはそれを左手で弾き、お返しとばかりに右ストレートを放ち、モーキスは左腕でガード……したはずだった。骨が砕ける音と共に、モーキスの体が回転しながら宙に舞う。モーキスは空中で体勢を立て直し、砕けた左腕を押さえた。


(くっ、なんだ…………今のパワーは。一撃で俺の腕を粉砕しやがったぞ)


「コラー、さっさと下りてきなさいよ。いつまで休んでるつもり? まさか今のでギブアップなんて事ないわよねー」


 思わぬ一撃で戸惑うモーキスを、エルカが地上から見上げながら挑発した。


「ちっ、図に乗りやがって」


 モーキスが滑空するように、エルカに向かって急降下を始めた。迎撃態勢を取るエルカだったが、モーキスはそれを嘲笑うかのように、エルカの横を低空飛行ですり抜けた。


「つっ……!」


 エルカの肩に鋭い痛みが走る。見るとそこには小さな穴が空いていて、そこから少量の血が滴っていた。


(刺された……? いや、それだけじゃないわね)


 再びモーキスが空中から襲いかかる。変則的な動きに翻弄され、エルカの拳は空を切った。すれ違い様、今度は太股に同じ痛みが走る。しかし今のは見えた。尻尾だ。モーキスはその細長い尻尾を使って、エルカに攻撃をしている。


「へへへ。どうした? さっきまでの勢いは」


 モーキスが余裕の笑みを浮かべる。


「何得意気になってんのよ。そんなチマチマした攻撃で、私を倒せると思ってんの?」


「倒せるさ。あと数回刺せばな」


 モーキスが見せ付けるように、左腕を翳した。先程エルカに砕かれたはずの左腕が治っている。


「どうせ俺の攻撃は見切れねえんだ。種明かしをしてやろう。俺がただチクチク刺してるだけだと思ったら大間違いだ。刺した瞬間に、数百ccの血を一瞬で吸い取っているんだよ。それを俺のエネルギーに変換すれば、折れた骨すら元通りになるのさ」


「ふーん。で、腕が治れば私を倒せるの?」


「人間の出血の致死量を知ってるか? 約二千ccだ。もう二~三回吸血すれば、あっと言う間に致死量だ。まあ、お前は普通じゃないから、それで死にはしないかもしれねえがな。それでもタダじゃ済まねえぜ」


 エルカは納得した。確かに、少し気分に違和感があるかもしれない。だが、焦りは全くなかった。何故なら…………もう二度と食らうつもりはないからだ。


「さあ、終わりにしてやるぜ!」


 モーキスが、この戦いでの最大の速度でエルカに仕掛けた。それでいて、その動きは更に読みづらい。エルカは静かに深呼吸をし、意識を集中させた。





 ────来る!


 掴んだ……! エルカは、ほんの一瞬の攻撃を完璧に見切り、モーキスの尻尾を鷲掴みにした。予想だにしない急ブレーキに、モーキスは完全にバランスを崩す。


「うおっ!? な、何だとぉ!?」


「ふふ、つーかまーえた」


 エルカの無邪気な笑顔の奥底に確実に潜む、底知れぬ殺気。それを敏感に感じ取ったモーキスの全身を、鳥肌が覆い尽くす。エルカは尻尾を掴んだまま、モーキスの体を振り下ろし、地面に思い切り叩きつけた。


「ぶはっ! ちくしょう、離しやがれ!」


「うっふふふ。ほら、もいっちょー」


「う、うおおああ!」


 エルカは戯けた態度で、逆方向に同じように振り下ろし、叩きつけた。それを何度も何度も繰り返す。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、叩きつける、叩きつける、叩きつける、叩きつける、叩きつける、つける、つける、つける、つける、つける! その度に、凄まじい衝突音が辺りにこだました。モーキスは、次第に呻き声すら上げなくなった。


「よいしょ~。どっこいしょ~。…………あれ? 静かになったわね」


 ようやく尻尾を離し、様子を窺った。いつからだったかは、もはや誰にも分からないが、モーキスは既に死んでいた。顔は潰れたトマトのように、原形を留めていない。


「…………や、やったのか?」


 離れた場所で見ていたベルーゼが、近付きながら恐る恐るエルカに声をかける。


「見れば分かるでしょ。はあ……案外大したことなかったわね。速さだけなら、あんたの方が上だったし」


 エルカはまだ少し不満そうだ。しかし、それほどの落胆は無かった。ベルーゼから、Mエリアはそれほど強くないと聞いていたからだ。


「まあいいわ。次のKエリアに行きましょ」


「えっ。今すぐにか?」


「当然。何か不満でも?」


 エルカは表情も口調も穏やかだったが、有無を言わせぬ何かを、ベルーゼは確かに感じ取っていた。


「…………案内しよう」


「ありがとう。親切なガイドさんで助かるわ」


 ベルーゼはエルカを脇に抱え、Kエリアに向かって飛び出した。ベルーゼの心中に宿るのは、エルカやKエリアへの恐怖と、エルカを攫ってきてしまったことへの後悔。しかし、本人も気付いていない、微かな期待もあった。そして、とうの昔に捨て去っていた野望も…………。



 *



 二人はKエリアに入ると同時に、地上に降り立った。空を飛んでいると、敵の目に付きやすいからだ。さすがのエルカも、空中では身動きが取れないので、そこはベルーゼの意見に従った。Mエリアの時のようにいきなり不意打ちを食らうようなことはなく、むしろ不気味なぐらい静かだ。この辺りの景色もこれまでと大差なく、魔界というところはどこまで行っても荒れ果てた大地だった。


「さて、Kエリアの親玉はどこにいるのかしら?」


「俺も他のエリアなんてまず来ないから、居場所までは分からん。だが、大抵は中心部に拠点を設けている者が多いと聞く。Kエリアのボス、カムデもそうかもしれん」


「あっそう。じゃ、行きましょうか」


 自然とエルカの歩調が速くなる。先程あれだけ大暴れしたにも関わらず、全く疲れを感じさせない。むしろ今まで生きてきて、今ほど元気な自分をエルカは覚えがないだろう。

 数時間歩き続けたが、未だに誰とも出くわさない。最初はビクビクしていたベルーゼだったが、だいぶ気を緩ませている。しかし、エルカは先程から、確かに敵の気配を感じていた。だが周りを見渡しても何も見えない。空を見上げても同じだ。ならば…………。エルカが立ち止まった。


「ん? どうした?」


「跳べ」


 エルカが地面を蹴って高く跳び上がる。ベルーゼもハッとなり、それに続いた瞬間、地中から一斉に魔物達が飛び出してきた。全身毛むくじゃらで、長い鼻と鋭い牙を持った、モグラのような魔物だ。エルカとベルーゼは、そこから離れた場所に着地した。


「また団体さんのお出ましね」


 エルカは、待ってましたと言わんばかりに、魔物の群れに向かって走りだした。魔物達が爪を立ててエルカに襲いかかるが、エルカはその鋭い爪を避けようともせず、逆にその全てを拳で叩き割っていく。魔物達が反撃に戸惑う間もなく、エルカの拳がその肉体を貫き、その圧倒的な数を瞬く間に減らしていく。

 しかしやはり数が多い。Mエリアの時のように、リーチの長い武器を持った敵はいないから、それを奪い取ってまとめて倒すことは出来ない。何か使えそうな物はないか…………エルカは攻防を繰り広げながら、周りを見回した。


「……見つけた!」


 エルカは、乱戦の場から抜け出すため、それに向かって大ジャンプした。着地してすぐにそれに腕を回し、力を込める。


「ふんっ!」


 それは枯木だった。五メートル近くある枯木を、力任せに引っこ抜いた。仰天した魔物達は、その信じがたい光景に、エルカを追う足を止めた。エルカは枯木を肩に担ぎ、魔物達に向かって突進する。魔物達はエルカに背を向けて逃げ出すが、エルカの足には敵わない。エルカが振りかぶった枯木が、大きな半円を描き、その範囲内にいた魔物が全て遙か彼方へ吹っ飛んだ。


(…………やはりバケモノだな)


 ベルーゼはもはや驚くことすら止め、その信じがたい光景にただただ苦笑いするばかりだ。エルカが魔物の最後のひとかたまりを薙ぎ払うと、先程までの喧騒が噓のように静かになった。枯木を放り捨て、辺りをきょろきょろと見回す。


「……あの辺かな?」


 エルカは数歩歩いた後に、その場に膝を突き、狙いを定めるように腕を振り上げた。


「ハッ!」


 自らの拳を地面に思い切り叩きつけた。爆発したような振動と衝撃音と共に、殴った地点を中心に四方八方に亀裂が走る。


「な、何だ!? 何をしてるんだエルカ!」


 エルカはベルーゼの問いに答えることなく、視線を右にやる。その直後、何者かがその方向の地中から、勢いよく飛び出してきた。先程全滅させた魔物に似ているが、サイズが明らかに大きく、腕が八本もあった。Kエリアのボス、カムデだ。


「勘のいい奴だな。鼓膜が破れるかと思ったぜ……」


「そうでもないわ。ちょっと場所ズレてたみたいだし。まあ、一撃で終わっても面白くないからいいんだけど」


 カムデが、耳をさすりながらエルカに近付いてくる。エルカの頭から足の先まで、物珍しそうに観察しながら。


「さっき遠くからチラッと見ただけでは信じられなかったが、本当に人間のようだな。人間が何故魔界で、しかも俺のKエリアで暴れてやがるんだ?」


「ベルーゼに攫われてきたのよ。魔界で腕試しをするためにね。さっき隣のMエリアもぶっ潰してきたばかりよ。次はあんたの番ね」


 自分の十倍以上の重量がありそうなカムデに対しても、エルカは全く臆することはなかった。それどころか、早く戦いたくてうずうずしている。


「さっきまでの戦いを見れば、それが嘘じゃないことは分かる。だが、その程度で俺も倒せると思ってるのか?」


「思ってるし、やれば分かる事よ。ご託はいいから、とっととかかってきなさい」


 エルカは、人差し指でクイクイと挑発するポーズを取った。カムデの八本の腕がゆらりと動く。その動きが止まった瞬間、一斉にエルカに襲いかかった。エルカは二本の腕でその猛攻撃を受ける。目にも止まらぬ速さのラッシュの応酬。お互いに息をつく暇も無い。


(この女、とんでもない奴だ。たった二本の腕で、俺の攻撃についてきてやがる。だが……!)


 徐々にカムデが押し始める。腕の数が四倍の差があるから、単純にエルカにかかる負担も四倍になる。それに加えて、Mエリアからの連戦続きで、エルカの疲労の蓄積も決してゼロではない。


(流石に真正面の殴り合いは分が悪いわね。それなら……)


 エルカが跳び上がり、遠心力いっぱいの蹴りをカムデの頭部に繰り出した。しかし、まるで読んでいたかのように、あらかじめ顔の横に添えられていた、カムデの手に掴まれてしまった。


「わっ」


「見え見えなんだよ! そういう苦し紛れな行動はな!」


 カムデは残りの腕で、エルカの両腕両足を掴み、大の字にして頭上に持ち上げる。そしてカムデの五本目の腕が、エルカの腹部にめり込み、エルカの息が一瞬止まった。


「ぐふっ……!」


「これで終わりだと思うなよ! うりゃりゃりゃりゃあ!」


 エルカは宙で固定されたまま、カムデの容赦ないラッシュを、ガードすら出来ずに全身に受ける。手も足も出ず耐えるしかない、完全なサンドバッグ状態だ。


(くっ、まずい……まずいぞ! あれでは、いくらエルカでもどうすることも出来ん!)


 ベルーゼは焦った。エルカがやられたら、間違いなく次は自分が殺される。かといって、今助太刀したところで、ベルーゼではカムデには到底及ばない。


 カムデがラッシュを一旦止めた。エルカの美しい顔には、痛々しい傷や痣が出来ていた。しかし、その瞳から闘志は消えていない。この絶望的な状況でなお、気丈にカムデを睨み付けている。


「気に入らんな、その目」


 カムデが手下達同様の、鋭い爪を立てた。


「今からこの爪で貴様の顔面を突き破ってやる。いくら貴様がタフでも、頭部を貫かれて生きてはいられないだろ。精々恐怖しろ」


 カムデがより強く、エルカの両腕両足を握りしめた。土壇場で脱出されないようにだ。もはや絶体絶命。カムデの爪が、エルカの顔面に照準を定めた。


「じゃあな!」





 その時、カムデもベルーゼも信じられない物を目にした。刺される瞬間…………エルカは口を大きく開け、爪が口内に進入した瞬間に歯を噛みしめ、爪を止めた。カムデは焦った。押しても引いても、エルカの歯は爪を離さない。エルカは更に力を込め、爪を噛み砕いた。


「な、何ぃ!?」


「プッ!!」


「うぐあっ!?」


 エルカが口に含んだ爪を弾丸のように吹きだすと、カムデの眉間に突き刺さった。怯んだカムデが手の力を緩めると、エルカの体が自由になる。エルカは着地と同時にすぐさま攻撃に移った。カムデの八本の腕の内の六本の間接を狙い、一撃の下に砕いていく。


「うぎゃあ!」


 カムデが悲鳴を上げて倒れ込んだ。エルカがゆっくりと歩み寄り、傷だらけの顔で笑みを浮かべ、カムデを見下ろした。


「二本だけ残してやったわ。同じ条件で殴り合ったらどうなるか、試してみない?」


「……ふ、ふざけるなああー!!」


 勢いよく起き上がり、腕を振り上げた。しかし、もはや勝負は決していた。さっきのお返しと言わんばかりに、エルカは拳の猛ラッシュをカムデの全身に叩き込む。骨が砕ける音すら聞こえなくなったところで、エルカは攻撃を止めた。その場に崩れ落ちたカムデは、既に事切れていた。


「なかなか楽しかったわ」


 エルカは、血の混じった唾を吐き出し、踵を返した。体もドレスもズタボロだが、本人は全く気にしていない。ベルーゼは、野獣のようなエルカの戦いぶりを観て、改めてエルカの強さを再認識する。

 エルカの強さとは、その人間にあるまじき超人的な身体能力だけでなく、型に捕らわれずにとにかく相手を仕留めようとする闘志や殺意にある。敵から奪った武器だろうが、その辺に生えている枯木だろうが、噛み砕いた爪だろうが、使える物は何だって使うのだ。そこがまた恐ろしい。


「ベルーゼ、一旦帰るわよ。流石にちょっとだけ疲れたし、お腹空いたわ」


「…………ちょっとだけ、か」


 何にせよ、ベルーゼはひとまず安心した。このまま更に進撃するのは、いくら何でも無謀過ぎる。来た時と同じように、ベルーゼがエルカを脇に抱えようとすると、エルカがそれを拒んだ。


「ちょっと待った。ぶっちゃけ抱えられてると、あまり居心地良くないんだけど。それに何か荷物扱いされてるみたいで不愉快だわ」


「むっ……ではどうしろと?」


「決まってるじゃない。あんたの背中に乗せなさいよ」


「なっ……」


「ほら、早くしゃがんで。それとも、力ずくで膝を突かせてほしい?」


 ……もはや、プライドなんかは捨て去った方がいいかもしれない。ベルーゼは本気でそう思いながら、黙って自ら膝を突いた。

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