第3話 Mエリアでの戦い

「いいか。分かりやすく説明するぞ」


 ベルーゼがテーブルに地図を広げた。テーブルを挟んでベルーゼの正面にエルカが、その周りを魔物達が一定の距離を置いて、怖々としながら取り囲んでいる。一旦はエルカの機嫌が直ったとはいえ、またいつ爆発するか分からないからだ。


「見て分かる通り、魔界にはこの巨大な大陸一つしかない。海の向こうには何もないんだ。そしてこの大陸の中で、AエリアからZエリアまで分けられている。エリアの境界線……まあ、国境のようなものだ。その境界線には、それぞれどのエリアにも属さない『蜘蛛の糸』と呼ばれる中立の道が連なっている。エリア間を移動する時は、この蜘蛛の糸を通ることになる。移動のためとはいえ他エリアを跨ごうとすれば、それは縄張りを荒らしたことになるからな。まあ、エリア間の移動など滅多にすることはないんだがな。ちなみに俺達がいるのは、このBエリアだ」


 二十六あるエリアを一つの大陸で歪に区切るその境界線は、その名の通り蜘蛛の巣のようだった。エルカは一つの疑問を口にする。


「移動は滅多にしないって……戦争とかしないの? 他エリアの領土を自分の物にするための侵略とかさ」


「全く無いことはないが、大体の者は自分のエリアの中で大人しくしている。強欲な輩や、お前のような単に暴れたいだけの輩はそういう事をするが」


「ふーん。じゃあ、こんな狭っ苦しいエリア一つで、あんたは満足してるってわけね」


「……し、仕方ないだろう」


 ベルーゼが痛い所を突かれて口ごもる。エルカの言う通りBエリアは、最も面積が狭い。他のエリアは割と均等に分けられているにも関わらず、Bエリアだけが妙に小さいのだ。この点から見ても、Bエリアが落ちこぼれの寄せ集めが押し込められているという事が窺える。


「各エリアには、一人ずつそのエリアを統治するボスが存在する。その手下共はともかく、ボスはいずれも俺よりも力のある奴ばかりだ。それを承知で喧嘩を売りたいなら勝手にやれ」


 Bエリアに面しているのは、MエリアとKエリアだ。攻め入るとしたら、まずは隣にあるこの二つのどちらかということになる。エルカはそこを指差して質問した。


「このMとKは戦力的にはどうなの?」


「この辺りなら、それほど強い方ではないな。強いのは大体人間界の入り口から離れた、魔界の奥の方に固まってる」


 ベルーゼのその言葉に、魔物達がピクリと反応を示す。しかし、何も口に出すことはしなかった。


「なるほど。肩慣らしにはちょうど良さそうね。早速案内しなさい」


「なっ……!? い、い、今から行くのか?」


「当然でしょ。誰かさんが不甲斐ないせいで、私は欲求不満なの。目の前にある物から、片っ端からぶっ壊したい気分」


 そう言いながら、エルカはベルーゼに視線を送った。ベルーゼが恐怖に震え息を飲む。とりあえず、今は黙ってエルカに従うしかない。下手に逆らおうものなら、その瞬間に首が飛んでいてもおかしくはない。


「わ、分かった。ついてくるがいい……」


 ベルーゼが踵を返し、エルカもそれに続いて、二人は部屋を出て行った。残った魔物達が、ヒソヒソと話し始める。


「だ、大丈夫かなベルーゼ様」


「MエリアもKエリアも、結構やばいよな。何であんな嘘ついたんだ?」


「あの姫が一人で行くと思ったんだろうな。そのまま向こうで殺されてくれりゃ、俺達はまた平穏な生活に戻れるわけだし」


「姫はベルーゼ軍とは無関係だしな。報復される心配もないわけだが……誤算だったな」


「結局案内役として連れて行かれたしな……。ベルーゼ軍が戦争を仕掛けたと思われたら、大変なことになるぞ」


「こうなったら、本当にあの姫が敵軍を全滅させてくれるのを祈るしかないぜ」


「いくらなんでも無理だろ……。今のうちに人間界にでも避難した方がいいかもしれん」


「馬鹿。もしベルーゼ様が生還されて、その事がバレたらどっちにしろベルーゼ様に殺されるぞ」


 結局魔物達には祈ることしか出来なかった。敵軍が全滅し、エルカが死に、ベルーゼだけが帰ってくるという、最も都合のいい展開を。



 *



 エルカは、攫われた時のようにベルーゼに脇に抱えられ、Mエリアに向かって飛行していた。旅行気分のエルカと違い、ベルーゼは緊張が増していく。他のエリアに足を踏み入れることなど、今までに数える程度しか無かったからだ。ベルーゼが自分で言っていたように、それは縄張りを荒らすことを意味する。更に言えば、魔界最弱のベルーゼ軍がそれをする事は、死を意味する。しばらく飛んでいると、目の前に山脈が見えてきた。


「……あの山脈がBエリアとMエリアの間を走っている蜘蛛の糸だ。つまりあれを超えればMエリアに入る。ひ、引き返すなら今のうちだぞ。強い方ではないとは言ったが、MエリアはBエリアとはレベルそのものが違うんだ」


「引き返す? 冗談でしょ。さっさと行きなさい」


 駄目元で脅したが、やはり無意味だった。ベルーゼはため息をつき、覚悟を決めて、そのまま山脈を飛び越えた。


「さあ、着いたぞ…………うおっ!?」


 どこかから飛んできた魔法弾が、ベルーゼを直撃した。バランスを崩したベルーゼは、エルカを手放してそのまま地面に落下していく。


「ふん。いきなり歓迎してくれるじゃない」


 空中で体勢を立て直したエルカは、足から着地した。その横にベルーゼが頭から墜落する。頭をさすりながら顔を上げたベルーゼが目にした物は、自分達を取り囲むMエリアの魔物の大群だった。ざっと数千匹はいる。群れのボスと思われる筋骨隆々の魔物、オーガが一歩前に出た。


「ベルーゼ、このMエリアに何の用だ? モーキス様の許可を得てのことか?」


「うっ……いや、その……」


 今のベルーゼに、魔王としての威厳は全く無い。どうにかして言い訳しなくてはと思案するベルーゼをよそに、エルカもオーガに対抗するように前に出た。


「そのモーキスってのが、あんたらのボス? 今すぐ呼んできな」


 オーガは、自分の背丈の半分も無いエルカを見下ろし、ベルーゼに問いかける。


「おいベルーゼ。何だこの生意気な小娘は。何故人間がこんな所にいる?」


「あ、ああ……。魔界に迷い込んだらしい。瘴気のせいで、ちょっとおかしくなってるんだ。俺達はすぐに帰るから、気にしないで……うっ」


 エルカがベルーゼを睨み付けると、ベルーゼの言葉はそこで途切れた。もし逃げようとしたら、まずはお前から殺す。エルカの無言の脅迫は、ベルーゼの心に嫌というほどのしかかった。エルカがベルーゼから視線を外し、オーガに向き直る。


「で、どうなの? モーキスを呼んでくる気はあるの? ないの? どっち?」


「ふざけた女だ。ひねり殺して、酒のつまみにでもしてやろうか」


「ないのね、分かった」


 エルカの蹴りがオーガに炸裂し、オーガの肉体は数百の手下達を薙ぎ倒しながら吹っ飛んだ。蹴られたオーガはもちろん、それに倒された魔物達も即死している。まるで、脱線した機関車が森に突っ込んだような有様だ。ポカンとしていた魔物達が我に返り、一斉に怒号を上げる。


「き、貴様ぁぁ!」

「何てことしやがる!」

「生きて帰れると思うなよコラァ!」


 うるさそうに眉間にしわを寄せるエルカとは対照的に、ベルーゼは青ざめていた。


(や、やりやがった……。もう駄目だ。モーキス軍の報復は免れない……)


「…………やかましい!!!!」


 空気を切り裂くようなエルカの一喝で、怒号はピタリと止んだ。


「ギャーギャーうっさいのよ、このボンクラ共が。騒ぐだけなら、人間のガキでも出来るわ。文句があんならかかってきなさいよ。それが魔界のやり方なんでしょうが」


 その挑発的な言葉と態度が、魔物達の逆鱗に触れた。再び怒号を上げながら、数千の魔物達が一斉にエルカに襲いかかった。


「ハアアア……!」


 エルカの、目にも止まらぬ速さの突きが、確実に魔物の急所を次々と捕らえていき、全てを一撃の元に粉砕していく。周りから見れば、魔物がエルカに触れる前に、勝手に爆散しているようにしか見えない。数千匹いると言っても、一度にかかれるのは精々五~六匹。それを、エルカは自身の間合いに入った者から順番に、そして確実に叩いているのだ。

 そこら中に飛び散る、魔物達の血や内臓の雨。その返り血で青く染まっていく、エルカの純白のドレス。ベルーゼは、自分の置かれている状況も忘れて、その戦い……いや、一方的な殺戮に見入っていた。


(何だ……何なんだあいつは。あんなバケモノが、何で人間界で姫なんかやってたんだ)


 エルカは笑っていた。遊園地ではしゃぐ子供のように。長年、胡桃を潰してストレス解消をしていたエルカにとって、魔物の集団相手の大暴れは、今までの退屈な日々に比べれば最高の一時だった。


「くっ、調子に乗るな!」


 巨大な棘付き棍棒を持った魔物が、後ろからエルカにそれを振り下ろした。エルカはそれを片手で受け止め、ニヤリと嗤う。


「借りるわ」


 エルカが棍棒を奪い取り、思い切り振りかぶって薙ぎ払う。その度に、一度に十匹以上の魔物が宙に舞っていた。重量武器であることなどお構いなしに、棍棒を高速で振り回して敵の数を減らしていく。そしてその勢いは衰えることを知らず、一時間も経たないうちに、あれだけいた敵は全滅していた。


「ふう~~。いい汗かいたわぁ。武器を使うのは慣れてないけど、集団相手だとこっちの方が効率いいわね」


 エルカが汗を拭いながら、棍棒を放り捨てた。ベルーゼは言葉が出て来ない。しかし、確かに思うことはある。この女なら、もしかしたら本当に……と。


「それにしても、随分大所帯でのお出迎えだったわね。私達が近づいてた事を知っていたのかしら?」


「モーキスは鼻がきくからな。俺の魔力を感じ取っていたんだろう。つまり、自分の手下が全滅した事も分かっているだろうな」


「その通りだ……」


 上から何者かが話に割り込んできた。全身に包帯を巻いていて、細長い尻尾の生えたミイラのような細身の男が、宙に浮いて二人を見下ろしていた。二人の前に降り立ち睨み付けると、ベルーゼのこめかみに汗が滴る。


「モ、モーキス……!」


「やってくれるじゃねえか、ベルーゼよ。魔界の落ちこぼれのお前が、まさかこんな大それた真似をしてくれるとは思ってなかったぜ」


「お、俺じゃない! この女が勝手に……!」


 ベルーゼが話し終わる前に、エルカがずかずかと前に出た。


「ねえ、私と勝負してよ」


「……途中から見ていたが、お前ただ者じゃねえな。本当に人間か? 俄には信じられんが」


「あのね、お喋りしに来たわけじゃないの。やるのかやらないのか、五秒以内に答えなさい。やらないって言っても、勝手に攻撃するけどね」


「……身の程知らずが」


 モーキスの右ストレートがエルカの顔面に叩き込まれ、エルカの体が吹っ飛んだ。そして、自らが築き上げた魔物達の死体の山に突っ込み埋もれた。あまりの突然の出来事に、ベルーゼが恐怖で絶句する。


「あ、あぁぁ……!」


「さて、次はお前だベルーゼ。魔界において、他エリアの縄張りを荒らすということが、何を意味するかは分かってんな?」


「ま、待ってくれ! 俺は別にそんな……」


「問答無用。死ね」


 轟音と共に、死体の山が爆発したように舞い上がった。その爆心地に立っていたのは、やはりエルカだった。口元から滴る血を指で拭い、不敵に笑う。


「……やるじゃない。そう来なくちゃ面白くないわ」


 エルカが高く跳び上がり、宙返りをしてからモーキスの目の前に着地した。


「その赤い血を見ると、本当に人間だったようだな。お前のような人間がいるとは、驚きだぜ。どうやってそこまでの力を身に付けた?」


「優れた師の下で十年以上も修行してれば、人間だってこれぐらいの域には辿り着けるのよ」


 エルカが戦闘態勢に入った。先程は油断していたが、もうそれはない。しかし、それはモーキスも同じだ。お互いの本気が、今ぶつかろうとしていた。

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