空想
摂津守
空想
空想
昨夜から続く、比較的軽くはあるが、しつこい頭痛に、私の執筆は中断された。これはダメだ。私は小さく唸り、その場に寝転んだ。寝転んだところで頭痛は治まらない。
これはいよいよダメだ。西洋医学の力を頼る他ない。私は台所へと向かい、キッチンに置かれてある、常用している頭痛薬を手に取った。茶色い瓶に入っている。私は蓋を開け、中から白い丸薬を取り出した。それを口の中へと放り込んだ。
コップを手に取り、蛇口を捻り、水をコップへと注ぎ、コップの水で口中の丸薬を腹へと流し込んだ。
そうした後、私は部屋へ戻り、横たわった。
目を閉じる。一切の思考も挙動もなく、私はひたすら頭痛の治まるのを待った。それはほどなくしてやってきた。十分後、薬の効果が顕れたのだろう、私の頭痛は跡形もなく消え去った。
私はすっくと起き上がり、ノビをした。身体の各部をほぐすと、私は執筆を再開した。
しかし、進まない。頭痛はとっくに消えたというのに、握った筆の先は空白を刻むだけだ。何かを書こうとしては、筆先は躊躇って空をきる。これは良くない。物語を面白くするための、そして紡いでゆくための確かな一文字目が全く思い浮かばないのだ。頭の中は真っ白だった。
ひょっとしたら頭痛薬の副作用かもしれない。それでは困る。
私は執筆に行き詰まるのがこの世で一番嫌いな性質だ。筆はノリに乗っていなければならない。流暢かつ迅速、円滑かつ堅実。四万十の清流の如く清らかであるのが理想で、一辺の淀みがあってはならないのだ。
世に披露するに恥ずかしくない作品の創造に熟慮はない。苦しみもない。忍耐などはもっての外だ。特に美しき芸術はそうだ。美に陰はない。美はひたすら陽でなければならない。美芸術は、愛する女と阿吽の呼吸でワルツを踊るが如く、滑らかで清らかで情熱的で、そして美しくなければならない。平素の呼吸のようであらねばならない。そこから生まれるものだけが真に芸術といえる。苦労を重ね、悩み抜いて、髪を散らし、寝る間も風呂に入る間も惜しんで生まれるような作品は芸術ではない。ただの不潔だ。苦しみ抜いて生まれるのは人間だけで十分だ。
このままでは私は芸術を生み出すことに失敗するだろう。それではいけない。私のプライドがいたく傷つくこと間違いない。
というわけで、私は『空想』を摂取することにした。たしか『空想』は、冷凍庫にしまっていたはずだ。
私は思い立つと、早速冷凍庫へと足を運んだ。冷凍庫は冷蔵庫の一番下の段にある。私は屈み、冷凍庫を開けた。
冷気が漏れる。そこにあった。冷凍食品と並び、冷凍庫右奥にラップでグルグル巻きになった『空想』があった。
『空想』を手に取った。『空想』は軽い。時と場合によっては重くもなる。それは『空気』に似ている。しかしこの時ばかりは軽かった。
『空想』に決まった厚みはない。今のところは薄い。しかしやがて厚みを増すだろう。いや、そうでなくてはならないのだ。薄いままならば『空想』の価値がないのだ。
私は『空想』のラップをばりばりとはがした。皿に置き、臭いを嗅いだ。『空想』は無臭だった。いつの『空想』だったか私は忘れてしまっていたが、腐ってはいないらしい。腐った空想は一部の人間にしか価値がない。ほとんどの人間には無価値だ。私には無価値どころか害悪だ。『腐った空想』は芸術の真反対に位置する。浅薄で俗悪、強欲で下劣。滑稽にすらならない愚の産物。
私は『空想』に未だ価値のあることに安堵し、早速皿ごと電子レンジの中へと放り込んだ。タイマーを三分に設定し、スタートボタンを押すと、レンジは音を立て、ターンテーブルは回転する。
三分というのは気分上の問題であって、別に一分でも二分でも三十秒でも構わない。今日の私は三分の気分だった。『空想』はどれだけの時間レンジに入れられていても構わない。『空想』は痛みもするし、腐りもするが、レンジによる影響は一切受けない。したがって、本来は『空想』をレンジに入れる意味はない。『空想』は意味を必要としない。それ自体が意味である。無意味も不必要だが、無意味はいくらあっても、過剰であっても問題ない。意味がないだけだ。
三分経過した。私はレンジから皿を取り出した。
皿の上で『空想』は湯気を立てていた。少なくとも私にはそう見えた。実際のところ、『空想』が湯気を立てるかどうかは、個人によって解釈が異なるらしい。湯気を立てると言う人もいれば、それはありえないと言う人もいる。それはどちらも正しいし、同時に間違ってもいる。『空想』は解釈を束縛しない。『空想』は自由自在であって、また同時に監獄よりも不自由だ。『空想』は『空想』以外の何物でもない。『空想』をあらわすのに『空想』以外の言葉は不適当だし、また同時に様々な言葉に当てはまるのだ。
私は箸とナイフとフォークとレンゲ、そしてお気に入りの、先がアタッチメントになっている、様々な用途に使える家庭用電動ドリルを取り出した。
箸とナイフとフォークとレンゲは言わずもがな、食事をとるに必要な食器だ。大抵の食事はこれらで必要十分だが、『空想』相手となるとそうもいかない。大いに不足しているというわけでもないが、何といっても『空想』なのだ。並の『空想』ならば並の食器で満足できるだろうが、私はそうではない。
そこで必要なのがドリルだ。日曜大工の必需品は、『空想』相手になるとさらに自由自在になる。『空想』は許容される。許容が『空想』を大きくする。偏狭は『空想』を殺す。『空想』は死なないが、生きているともいえなくなる。そういう意味では、『空想』は人間とよく似ている。
私はドリルの先端で『空想』を突いた。アタッチメントはプラスドライバ用になっている。『空想』を突くという行為は、ありきたりではある。『空想』としては陳腐な感が拭えないかもしれない。しかしながらスタンダードでもある。『空想』はスタンダードであり、また奇をてらう。『空想』は必要に応じる。『空想』は逃げも隠れもしないから、私はまず、スタンダードに事を始める。アブノーマルは極まってからでいい。
『空想』には感触があった。ないときもある。私にとって、感触のない場合はすこぶる不調のときだ。今回は幸いにも感触があった。感触は怪異だ。それでこそ『空想』だった。三回突くと、三回とも違った感触がある。硬かったり、柔らかかったり、じわりと沈んだり、滑ったり、緩急強弱、悲喜交々といった感じだ。これを正確に文字にするのは至難の技だ。いや、不可能なのだ。『空想』は『空想』でしかないのだ。『空想』は例えた時点で『空想』から乖離してしまい、本質を失う。つまり『空想』を他人に伝達する手段は今のところ存在しない。きっと未来にも存在しないだろう。当然『空想』は断定できない。
私はドリルのスイッチを入れた。モーター音とともに先端が回転する。速度は『低』。『空想』を弄り回すにあたって、速度は規定されていない。その都度に応じて自由に速度設定すればいい。今の私は『低』だ。『低』は落ち着きがあるし、騒々しくもない。頭痛の直後には、これくらいが丁度良い。
回転する先端は、ずぶずぶと、時折しこしこと、さらに時々、ますますと『空想』の中へと入りこんでゆく。『空想』と先端は溶けあっている。打ち解けている。かと思えば、よそよそしくもある。初々しい。しかし時には、熟年おしどり夫婦の連携を見せる。熟年おしどり夫婦かと思えば、若い男女のように褥の上でそうするように、互いを貪り合う様を演じる。
『空想』には愛がある。愛とともに憎もある。温もあれば冷もある。生もあれば死もある。『空想』はもう一つの世界だった。ただ物質的に存在していないだけで。
私は突然我慢ならなくなった。『空想』を弄り回すと欲求が生まれる。三大欲求が増幅される。それはやはり、その時々によって異なる。涎が垂れる時もあれば、布団に身を投げすときも、陰部に熱を感じる時もある。今日の私は、それら全てをもよおした。それも並大抵ではない。波濤の如く押し寄せてきた。私は岸だった。『空想』は津波だ。私は女だった。『空想』は男だ。私は犯され、潮の波間に漂った。
快楽と恐怖のまにまに、私は狂乱した。『空想』は力だ。私に異質の力を与えた。私は素手で『空想』にむしゃぶりついた。この時『空想』は女だった。胸は実る豊穣の果実。尻は蠱惑の淑やかなる弾力に。艶めく秘部は無尽の泉。茫々たる大洋。母なる大地。
私は男。侵略者。中世白人の如く野蛮を極め、征服する。腕で倒し、手で弄び、尻に敷き、膝下に屈服させる。快楽、それは力。力であり、力の結晶。
私は男。冒険家。秘図を携え、ミチを往く。密林を切り拓き、喜びのスコールに身を濡らす。果てにあるのは燦々と輝く栄光か、それとも暗夜の死か。浪漫か夢か絶望か。いずれにせよ、それは欲望の成れの果て。全ては『空想』の生み出す、自由という名の罪だ。
いや、『空想』は罪ではない。『空想』は裁けない。『空想』は絶対不可侵にして神聖。危険で罪深く愚かなのは人間だ。人間の性なのだ。人は汚れる。汚れなければ生きてゆけない。汚れを自覚しなければ、生きてゆく価値がない。
私はピサロを超える。『空想』を気の赴くままに蹂躙する。しかし『空想』は原住民ではない。『空想』は真に被害者たりえない。『空想』は泣き叫ばない。私はピサロになりえない。『空想』は私の思うがままだった。そして、『空想』は一つの傷も負うことがないのだ。『空想』は真に自由だった。私は哀れだった。
無我夢中の間に、私は『空想』を全て食してしまっていた。
『空想』は食すべきものではない。そう言う人もいる。しかしながら、『空想』は自由だ。『空想』は、『空想』というものはこうであるべきと決めつけてかかる人間をも許す。だから彼らの言うことも間違っているわけではない。『空想』は常に正しく、また同時に間違っているのだ。つまり『空想』に本気になってはいけないのだ。
私は食後に、水を一杯飲み干すと、すごすごと自室へ戻った。『空想』で、身体のどの部分も一杯だった。頭から股間を通り爪先まで、『空想』でぎっしりだった。もはや私自身が『空想』だった。
私は自室に寝転んだ。『空想』で一杯になると眠くなる。そういう時もある。今がその時だ。私はひと眠りすることにした。
『空想』は起きていようが眠っていようが問答無用だ。つまりは私は寝ながらにして『空想』することができるのだ。それは夢にも似ている。しかし夢とは異なる。『空想』は自由で、夢は不自由だ。勿論、『空想』は自由なのだから、『空想』を不自由と言ってしまっても構わないのだ。しかし、私の『空想』は自由だ。
私の『空想』が広がり始めた。原始宇宙の如く膨張を始めた。私の頭から手足の指先から、穴という穴から、『空想』は発散される。
私は『空想』に酔いしれた。『空想』に酔うと、肉体はアルコールを求め始めた。
私はワインセラーへ向かうことにした。物質的な話をすれば、私の家にワインセラーはない。物質的に私の住むアパートは、築四十年六畳一間だ。物質的にワインセラーなどあるはずがない。しかし私には『空想』があり、『空想』は即ちワインセラーでもある。つまり私はワインセラーの所有者ということになる。さらにいえば、『空想』は自由なのだから、ワインセラーが私を所持しているといっても一向に差し支えないのだ。人間が『空想』を使うのか、『空想』が人間を使うのは、それは物質的な問題を抜きにすれば、大した問題ではない。
私はワインセラーへと上がっていった。物質的な見地から導き出されるワインセラーのしかるべき場所というのは大抵低い場所だが、『空想』は物質を無視する。物質のみならず、全てを無視したって構わないのだ。『空想』は『空想』自体を否定することも出来る。しかし、それは同時に許すことにもなる。そして、それらは結局意味を持たない。
私は滑り台とエレベーターのメイクラブの果てに生まれた歪な合いの子を使用してワインセラーへと上がった。両親の名を取って名前は『スベレーター』だ。物質的な見地かつ俗世間的視点においては、滑り台は下るもの、と思いがちだが、滑り台それ自体にはちゃんと階段が付いていて、滑り台それ自体の頂上に登れるようになっている。つまり、滑り台は滑るだけでなく上ることもできるのだ。むしろできなければ滑れないのだ。しかしそれはあくまでもレトリックにすぎない。俗世間というのは言ってしまえば下らないのだ。滑り台は滑るものではなく、上ってから滑るものだと定義したところで何にもならない。つまりここまで書いた数行の文章は全くもって無意味なのだ。いや、厳密には意味はある。無意味という意味がある。しかし下らない事には変わりがない。『スベレーター』だけ覚えておいてくれればそれでいい。それさえも覚えてなくてもなんら支障はない。これはそういうお話だ。
『スベレーター』の乗り心地はさほど悪くない。童心に帰ったような心持ちになり、楽しくもある。しかもシンドラー製。
そういえばつい最近シンドラーは日本の昇降機事業から撤退したそうだ。これも別に覚えておく必要はない。知識というのは、文字からして、その発音からしていかにも高尚ぶってはいるが、知識に属するそのほとんどがその実無駄であり、場合によっては邪魔ですらある。役に立つ知識というのはその中で少数派で、かつ、知能がなければ得ることすら叶わない。だから大抵の人間は無知だ。しかし悲観することはない。無知は多数派だ。
ほどなくして、私はワインセラーへと辿り着いた。ワインセラーは、古く乾いた木の匂いが立ち込めていた。オレンジの小さな電灯がついているが、暗い。ワインセラー内を探索し、ワインのラベルを確認するに必要最低限の灯りだ。
私は『スベレーター』にチップを渡し、そこで大人しく待っておくように命じた。『スベレーター』はこの時から私の愛馬だ。見方によっては妻でもある。馬も妻も似たり寄ったりだ。漢字一字だし、どちらも『ま』がつく。どちらも毛並みが良いにこしたことはないし、すらりと足が長いほど、キュートに見えるのも共通している。
物質的な世界において、妻と馬は隔絶されてはいるが、『空想』は物質に追従せず、またスポイルされることもないから、『空想』にあって妻も馬も同意になり、同義になる。
妻も馬も、愛でて良し、食べて良し、なのだ。
私はワインセラーを散策した。それは子供の頃、山の洞窟の中を探検した、あの時の記憶を思い出させた。このワインセラーは私のものであるが、ここに来たのは初めてだった。同じ『空想』は二度とない。常に最新で一期一会だ。
ワインセラーの奥で、意外な人物に出くわした。かの独裁者だ。私は意外な先客に、愛想をもって応じた。右手を挙げ、掌を彼に向け、親愛を示す大型犬の尻尾のように手を振り声をかけた。
彼は私の声に気が付き、振り向いた。酷く青白い顔をしていた。オレンジの灯りの元、あそこまで顔が白く見えるのは尋常ではない。スターリングラードから撤退でもしたのだろうか。
彼は私に一瞥をくれると、挨拶代わりにはっきりと聴こえるほどの大きな舌打ちをくれ、早歩きに私の側を通り抜け去っていった。どうやら私は嫌われてしまったらしい。彼ら式の挨拶でなかったのがいけなかったのだろうか。
私は去ってゆく彼を振り返らなかった。きっと地獄へ帰るのだろう独裁者の背を見送るつもりは毛頭ない。私のことを嫌っている人を、私は見送るつもりはない。
酒を嗜まない彼が、何故私のワインセラーにいたのか、その謎は解明できないだろうが、急ぎの命題でもないので、もはや彼のことは忘れることにした。『空想』は刹那的であるべきだ。
しかしながらその刹那の間に、私はかの独裁者のことを思わずにはいられなかった。彼に悪いことをしてしまった。私は思った。現実的な意味でのかの悪人は、きっと悪人揃いの地獄でも肩身の狭い思いをしているに違いない。きっと広き地獄とはいえ、あれほどの巨悪はそうはいないに違いない。息のつまりそうな地獄から、少しの間抜け出て、一息ついたところに私がやってきてしまったのなら、少しばかり申し訳なく思う。
『空想』に善悪はない。『空想』である限り善人でも、民族の抹消者でも、等しく許容されるべきなのだ。
刹那の思考が終わりを迎えた時、私はいつの間にか野原に立っていた。太陽は燦々と輝き、白く眩しい。オレンジの電灯にはない厳しさだ。時々産毛を揺らす程度の弱い風が吹く。それは熱くも冷たくもなく、かといって程良いというわけでもなく、なんとも奇怪な感触だった。辺りには名前の知らない、小さく白い花が無数に咲き乱れているというのに、野に匂いはない。全くの無臭だ。
私は背後を振り返った。独裁者の寂し気な背もなければ、ワインセラーも完全に消失していた。愛馬兼愛妻である『スベレーター』もいない。
しかしこれは『空想』であるから、私はちっとも困らなかった。恐怖もない。少しばかり心をときめかせただけだ。『空想』は楽しまねば損だ。
私は童心に帰った。無限に見える野原の景色が私にそうさせた。私はアルプスの少女のような気持ちで野原を駆けまわった。しかしどちらかといえば、今の私はクララ寄りだった。今現在の私の脚部は無限軌道だった。長年親しんだ私の二本の毛深い脚は、元からそんなもの存在しないといった体で消滅し、代わりにきゅらきゅらと音を立てる無限軌道となっていた。
これは便利だ。二本足で歩くより疲労が少なく、速度もある。きゅらきゅらという機械音も重厚で格好いい。何より、名称不明の小さな白い花を無限軌道で踏みつぶしながら疾走するのは、愉快千万だ。
どれだけ疾走したかわからない。かなり長い時間だと思う。しかし『空想』は時間の概念を大きくゆがめてしまうので、正確なことは何一つ分からない。
その時、私の目の前に二人の少女が姿を現した。あまりにも突然だった。私は脚部に急ブレーキをかけ停止した。私は一人の女の子の背中、鼻先三センチのところで止まった。
よく見れば、二人の少女に私は見覚えがあった。まるで絵の具で塗ったような質感の二人の少女たちは、まさにあのアルプスの少女たちだった。私は辺りを見回した。犬と爺さんと間抜けな顔の少年の姿は見当たらない。どうやらこの二人だけのようだ。
いかにも負けん気の強そうな少女が、もう一人の車いすに乗った、いかにも病弱で深窓の令嬢といった感じの少女を激しく罵倒していた。嘲り、嗤い、叱咤し、恫喝している。私の思い出よりいささか激しすぎる。いくらなんでも一人で立つのを怖がっているくらいでそこまで言う必要はどこにもないと思うのだが。
私は二人の仲裁に入ろうかと迷った。
しかしその時、車いすの少女が反撃に打って出た。車いすの少女は腕の力だけで車いすから跳び上がると、その跳躍を活かし、目の前の少女へと飛びかかった。
巻き込まれてはたまらないと、私は超信地旋回し反転すると、砂埃とずたずたに引き裂かれた白い花を巻き上げ、二人から距離を取った。
あえてダイナミックにその場から離れたというのに、二人は私のことなど意に介さず、喧嘩を始めた。拳が交わされ、血飛沫が起こる。キャットファイトというには凄惨だ。
私はどうしようか悩んだ。二人の喧嘩を止めるべきか。いや、そもそも止められるのだろうか。二人は完全に私のことなど眼中になかった。あの二人に介入できるのだろうか。
そう思っていると、どこかからギターの音色が聴こえてきた。ヒーローの登場曲にしてはあまりにも物悲しく、古臭いメロディだ。私は音色に誘われ、喧嘩から視線を移した。
タクローだ。タクローがいた。奇怪な感触の風に挑発をなびかせ、悲しいメロディを弾きながら、彼は段々と喧嘩する二人の元へ向かう。タクローは口をパクパクと動かしている。しかし、そこから一切の音は出ていない。歌ってはいないのだ。
タクローが喧嘩の中へと入っていった。しかし二人の少女は、タクローに一切気が付いていないようだった。二人の拳が、間に入ったタクローを襲う。タクローの両頬に、拳がめりこんだ。しかしタクローのギターは止まらない。メロディに一寸の破綻もない。タクローはプロだった。しこたま殴られるタクロー。しかしタクローはひるまない。何発殴られてもギターもその歩みも止まらない。
タクローはそのままどこかへと去ってしまった。気が付けば、二人の少女たちも消えていた。おかしい、私はずっと二人の少女とタクローを視界に入れていたはずなのに、二人は忽然と姿を消してしまった。タクローの背中だけが小さくなってゆく。二人のいたところには、血の跡が点在している。
私は意味が分からなかった。しかしそれは今更だった。『空想』は意味があるわけでもないわけでもない。往々にして意味が分からないだけだ。それこそが『空想』なのだ。
私は満足して頷いた。満足しようがしまいが、『空想』は続く。『空想』は自由だ。他者のことなど気にかけない。私の『空想』は私すら部外者だった。
私の身体が歪み始めた。変身だ。変身は『空想』の基本形だ。私はため息をついた。私はもはや飽きていた。『変身』に期待はなかった。ただ面倒くさいだけだった。
私は『スベレーター』になった。『スベレーター』はあまりなり心地がよくない。私に乗り込む人間がいた。私はそいつの顔を拝んでやった。そいつは私だった。私が期待に満ちた笑顔で私を見つめていた。
私はワインセラーを求めた。『空想』はまだ終わらない。
空想 摂津守 @settsunokami
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