第14話2-5 見えない敵

「ぐ…………っ」


 明は呻いた。

 息が出来ない。見えない何者かが胸の上にのしかかってきているのだ。地面に仰向けにされた明は、虚空をつかむように腕を伸ばした。トゲトゲした感触が掌に食い込む。その表面をなぞっていくと、自分の胸の肉に食い込む鋭い爪の存在に辿り着いた。

 明はその爪を手で掴み、引き剥がそうとした。だが、G細胞を組み込まれた明の腕力をもってしても、その透明な爪を僅かに浮かせるのが精一杯であった。


(そういう……仕組みか……)


 明は素手で掴んでみて、初めてその仕組みを理解した。

 敵は、透明なわけではない。周囲の色彩に合わせて、瞬時に変色しているだけなのだ。保護色、あるいは色彩擬態と呼ばれる、擬態の一種に違いない。が、どれほど優秀な色彩擬態を誇る生物でも、これほど高速で、しかも見事に変色する生物は存在しない。透過光や背景の質感まで再現しているのだ。

 もはや光学擬態と言っていい。

 体に触れているにもかかわらず、そして明の超人的な視覚を持ってしても、敵は背景に溶け込み、ほとんど視認できない。


「ぐ……がっ!!」


 ようやく右胸にのしかかる爪を浮かせたと思った瞬間、今度は左胸に衝撃を食らった。別の足で踏みつけられたに違いない。次に襲ってくるのは見えない牙か、それとも爪か。背に冷たいものが走った。

 明の筋力は常人を遙かに超えている。相手が見えさえすれば、素手であっても活路が開けるかも知れない。だが、こうも相手が見えなくては、対処のしようがなかった。


(く……そ……ここまでか!!)


 ついに覚悟を決めた明が、体の力を抜こうとした瞬間。

突然、周囲の景色が変わった。

 まるで薄暮時のように、薄いオレンジ色の光に包まれ、視界が白黒画像のように変化したのだ。

 あらゆるものに影が生まれ、モノトーンと化したすべての物体が、明瞭な輪郭を持って再現された。明の体を押さえつけていた敵の光学擬態も解け、その古代の恐竜にも似た姿が露わになった。

 明は、自分の目の前で首を左右に傾げ、噛み付くタイミングを無表情に狙っていた敵の目に、右手を突っ込んだ。空手でいう抜き手である。

 そしてそのまま、目玉をえぐり出す。脳に直結する目を抉られ、その生物は大きく仰け反った。そして明から逃げるように数メートル離れ、顔のあたりを手で掻き毟り始めた。

 明は膝をつき、咳き込みながら顔を上げて、ようやく相手の姿を確認することが出来た。

 やはり、バシリスクの幼獣であった。しかし先ほど目の前で孵化したものより数段でかい。先に孵化していた個体の中に、擬態(ステルス)能力を完全に身につけたものがいたのだ。


『よし!! 発射(ファイア)!!』


 突然、電子変換された男の声が響き、苦痛にのたうつバシリスクの頭部が、まるで柘榴ざくろのように吹き飛んだ。よろめきながら立ち上がった明は、先ほど自分が走ってきた道に、見たこともない銀色の巨大な車両が止まっているのを見た。

 小型機銃のような射撃音は、その車両からのものらしかった。


「何をしている!! 早くこっちに来い!! 本格的な攻撃が出来ないだろうが!!」


 ハッチを開けたのか、今度は肉声が響く。機銃の射撃音は続けざまに響き、明に近寄ろうとしていたに小バシリスクを、次々に撃ち倒した。

 建物の周囲には、無数の小バシリスクの死体が転がった。光学擬態で見えなかっただけで、卵から生まれた数の、さらに数倍のバシリスクが周囲に潜んでいたのだ。

 車輌から飛び降り、よろめく明を抱き止めたのは銀色のパイロットスーツに身を包んだ欧米系の顔立ちの男であった。


「あ……ありがとうございます。あなたは?」


「俺はMCMO所属。チーム・ビーストのオットー・ゲーリン少尉だ。お前こそこんなところで何をしている? この小さな巨獣どもは何だ?」


 オットーはたしかに擬態能力のある巨獣をあぶり出し、処分するために出動したのだが、こんなに数がいるとは聞いていなかった。まして素手で巨獣と渡り合う男の存在など。


「こいつらは……シュラインの細胞を受け継いだ巨獣の子供です。僕は……人を探しているんです」


「人だって?」


「はい。あの機動兵器……巨獣の擬態ステルス能力を打ち消せるんですか……?」


「ああ。あのオレンジ色の光はカトブレパスの機能の一つなんだ。周囲に一定波長の偏光を照射することで、擬態能力のある敵を視覚化し、あぶりだせる。しっかしあいつら何匹いるんだ? このまま一気に殲滅してやるぜ!!」


「まだ……攻撃しては……ダメです。中に人が……松尾さんがいる」


 明は、小バシリスクの死体を憎々しげに眺めて言い放つオットーを、両手で押しとどめるようにすると、ふらつく足どりで建物の入り口へと歩き出した。


「バッカ野郎!! そこはたぶん巨獣の巣だぞ!! 死にたいのか!!」


 明はその声には応えず、ふらふらと建物の中に入っていく。


「……ひどい」


 建物の中は、血臭で満ちていた。

 孵化したバシリスクは、卵を温めていた人間を食べるのだ。この中に紀久子がいたとしたら、無事とはとても思えない。


「だけど……気のせいか? 松尾さんの匂いが感じられない」


 いや、感じるには感じるのだが、たった今までここにいたとすれば、もっと強烈にその匂いを感じているはずだ。明は、少しだけ希望を見出したような気持ちになった。


「おい!! お前、大丈夫か?」


 オットーが自動小銃を構え、腰を低くして建物に入ってきた。


「よくこんなとこへ一人で……って、そういやお前いったい何者なんだ?」


 オットーは明に詰め寄った。小型とはいえ、巨獣と素手で渡り合っていたのだ。

 当然の疑問と言える。

 しかし、振り向いた明はオットーの疑問に答えず、驚いた表情で叫んだ。


「いけない!! どうして来たんです? 早くあの戦車に戻って下さい。奴等はさっきの機銃掃射くらいでは全滅していない!!」


「なんだと? 何をバカな。見ろ、生き残っている人もいるんじゃないのか」


 たしかに、血臭に満ちた室内のそこここに、呆然と立ちつくしている人影がいくつかあった。

 その中に紀久子の姿がないことを、明はすでに感じていたが、たしかに放っておくわけにはいかない。

 生体電磁波の中継器としてのバシリスクが減ったせいか、生き残った人々は一時的に正気を取り戻していた。


「た……たすけて……くれ」


 か細い声が響く。


「大丈夫か? こっちに来るんだ」


 伸ばしたオットーの手を、明が横からつかんで制した。


「待って下さい。生き残っている人達は、おそらくシュライン細胞の感染者です。絶対に体液に触れないように、気をつけて保護しなくては……」


 オットーは目を丸くした。

 『シュライン細胞』は知っている。昨日の作戦会議で八幡博士の言っていた、生物を操る恐ろしい細胞だ。だが、何故この青年がそれを知っているのか?


「おまえ……なんでそんな事まで知ってるんだ?」


「……話せば長くなります。それよりも、今は早くここから離脱することを考えなくては!!」


 オットーは周囲を見渡した。

 バシリスク達の喉から出る空気を切るような擦過音が、先ほどよりも大きくなりつつある。たしかに急がなくてはならないようだ。


「……分かった。とにかく、いったんカトブレパスに戻ろう。君も来い」


 オットーと明は、二十人ほどの生き残りを連れて、敷地を出た。

 明の言った通り、地面に転がったバシリスク達はひくひくと蠢きながら、再生しようとしている。ほとんどの個体は宙を蹴るような仕草をしているだけだが、中には既に立ち上がりかけているものまでいるようだ。再び動いて襲いかかってくるのも時間の問題と言えた。


「くそ。なんて再生力だ。このままじゃあ、またこの人達が操られてしまう」


 明が顔に恐怖の色を浮かべて言った。


「オレのカトブレパスには、触媒用の水タンクがある。あそこは今、空だから、二十人くらいなら入れておける。通気も確保できるしな。まあ、乗り心地は保証できないし、戦闘になれば車酔いくらいはするだろうがな」


「それはいい。じゃあ、お願いします」


「おう……って、お前は乗らねえのかよ?」


「さっきも言ったでしょう? 探している人がいるんです。見つけるまでは逃げません」


「馬鹿かお前!? そうやって燃えてるとこみると、相手は女なんだろうが、お前が死んじまっちゃ何にもならんぜ!?」


「彼女を死なせて、オレが生きている意味なんか無いです」


 言い終わるか終わらないかのうちに、明は走り出した。

 建物にいないなら、鶏舎だ。

 先ほどの戦闘で負った傷は深い。体のあちこちが痛む。

 死体と血糊にまみれた室内を見たせいで、絶望にとらわれそうになっている心も重い。

 だがとにかく、紀久子を探し出すまで、一瞬たりとも休むつもりはなかった。


「ちぇっ……カッコつけやがって。カッコいいじゃねえか……って、そういやあいつなんでドイツ語しゃべってやがったんだ?」


 オットーは、明といつの間にかドイツ語で会話していたことに気づいて、目をむいた。こっちに来てから、ああも流暢にドイツ語をしゃべれる日本人になど会ったことがない。

 最初は確かに日本語で話しかけたはずだ。

 しかし、後半はたしかに相手も自然にドイツ語をしゃべっていた。


「一体何者なんだアイツ……って、ああっ!! 名前聞くの忘れたよ!!」


 すっかりノリつっこみが口癖になってしまったオットーは、コクピットで頭を抱えた。


『オットー!! どうしたの!? 応答して!!』


 カトブレパスに乗り込み、通信機付きのヘルメットを被った途端、耳元でマイカの声が騒ぎ立てた。


「聞こえてるぜ。そんなにがなり立てなくてもよ」


『馬鹿! なんでコクピットから降りてンのよ!! 私達、とっくに出撃してんだからね!!』


「何!? 巨獣どもは今から、とどめ刺すところだぜ?」


 言いながらも、オットーは高周波レーザーのレンジを広範囲に指定し、もがいている小バシリスク達を焼き殺し始めた。高出力の電子レンジに入れたように、小バシリスクは動きを止め、体表面がグツグツと蒸気を発し始めた。これで生きていられる生物はいないはずだ。

 しかし、マイカの怒りの声は収まらなかった。


『あーもう!! だから馬鹿だって言ってンの!! バシリスクが五体!! あんたの機体から五キロ東に現れてるわ!! すぐに来て!!』


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