第13話2-4 増殖する悪魔

「おい! 今、時速何キロ出ている?」


「……時速……え? 四十キロ!?」


「前、走っているの、明……だよな?」


「ああ……あいつ、いったい……」


 避難完了して、完全に人気の絶えた町並みである。

 明を追って走る軽自動車を運転しているのは小林だ。同乗する加賀谷兄妹と広藤も、真剣な表情で周囲を見渡し、人影がないか探している。

 明の目の前には、紀久子の匂いが作る残像が延々と続いていた。どこかに向かおうとしているようでもあったが、それに抗うように所々で立ち止まり、しゃがみ込み、振り返っているのが分かる。

 それはまるで、明に助けを求めているように思えた。


「どういうことだ? もう病院から十キロ以上は離れたぞ?」


「おおい! 明!! 一度止まれ!! いくらなんでも怪我人がこんなに歩けるものか?」


「それはそうですが……確かに匂いは続いています」


 明は振り返ると、たった今まで常人ではあり得ない速度で走っていたとは思えないほど涼しい表情で答えた。息一つ切らしているようには見えない。


「っていうかさ!! お前、今、何キロで走っていたと思う!?」


「さあ? 人間の速さなんて、出ても二十キロ程度じゃないんですか?」


「やっぱ気づいてねえのか……お前今……」


「よせ!!」


 速度を告げようとする加賀谷を、小林が制した。


「何でもねえ!! 先に進もうぜ」


 明は、安心したように再び走り出した。次第に速度を上げ、今度は時速六十キロ近くになった。踏み出す一歩一歩、いや一跳び一跳びが十m近い。まるで連続して走り幅跳びをしているようである。


「頑張れ……明さん」


 珠夢が呟いた。明らかに普通ではない能力。しかし愛する人を求め必死で走る明を、誰も気味悪がろうとはしなかった。


「あいつはたぶん……自分が普通じゃないことを分かっている。分かっていて、女のために命を懸けようとしているんだ」


 小林が運転席から走る明の背中を見つめて言った。

 その目は優しく、そして深い哀しみを湛えている。隣に座る加賀谷も、小林のこれほど優しく、そして哀しい表情を見たことはなかった。


「でも……なんでお前にそれが分かんだよ?」


「あいつの言葉を思い出せよ。事情を正直に言えば、オレ達を危険に巻き込む……そう言ったんだぜ? しかも、あいつの探している女は巨獣がらみで行方不明。……出来すぎだろ」


「言われてみれば……」


「それに、松尾さんのメガネを抱きしめた時のあいつの表情(カオ)を見てれば分かるさ。何者であれ、悪いヤツのハズがない」


「おい!! 止まるぞ」


 明がたどり着いたのは、どうやら養鶏場のようであった。

 かなり大規模な養鶏場らしく、大きな飼育棟が二十棟以上は立ち並んでいる。

 走っているうちに、かなり郊外まで出てしまったらしい。ところどころ錆びた白いトタンの外壁には、黒いゴシック文字で『南下養鶏』とペンキで書かれていた。

 小林達は軽自動車を止めると、じっと建物を見つめる明の周囲に集まった。


「この中に……入っていったみたいです」


「こんな中? しかし臭いな。こんなんで匂い追えるのか?」


「大丈夫です」


 明の迷いのない目は、真っ直ぐに事務所の入り口を見ている。


「行くぞ!!」


 小林のかけ声で踏み込もうと歩き出した時。


「あら? 弥美也じゃない。こんなとこまで何しに来たの?」


 急に背後から声を掛けられた。聞き覚えのある声に、心臓が飛び出るほど驚いて振り向いた広藤は、そこに懐かしい顔を見つけて声を上げた。


「か……母さん!?」


 そこにいたのは、看護服を着た四十代前半と見える女性であった。


「なに驚いてンのよ。当たり前じゃない」


「どうして……行方不明になったんじゃ……」


「あはは。行方不明って……そりゃあ連絡は取らなかったけどさ。私達は、怪我人の面倒を見ていただけなのよ。非公式の一時避難所になってる、この養鶏場でね」


「そうだったのか…………じゃあ、行方不明になった医師や看護師さんも全員無事……」


 広藤がほっとした様子で体の力を抜いた。安心して涙ぐんでいるのか、鼻をすすり上げている。

 珠夢が、その肩をそっと叩いて声を掛けた。


「よかったねえ。広藤君」


「ありがとう。加賀谷さん」


「ま、みんな、入って行きなよ。何にもないけど、卵はいくらでも食べさせてあげられるから……あ!? 痛!!」


 鋭い音が響き、広藤の母が悲鳴を上げて飛び退った。

 彼女が息子の肩に置こうとした手を、何者かが払いのけたのだ。

 相当強くはじいたのだろうか? 広藤の母は、右手を押さえてうずくまっている。


「か……母さん!? 明さん? 何するんです!!」


 うずくまる広藤の母を睨みつけていたのは、明だった。

 その目は鋭く、射貫くような光を放っている。詰め寄ろうとした広藤を、押しのけるようにして背後へ庇った明は、両手を広げて立ちはだかった。


「この人から離れて!! 感染させられます!!」


「か……感染!?」


「そうです!! オレには分かる。その人は人間を操るシュラインの細胞に感染させられているんです!! 考えてもみてください。どうして松尾さんを追ってきたら、広藤君のお母さんがいるんです? どうやってここまで来たんです? 病院にいて、どうしてここが一時避難所だと分かったんですか? 普通、避難所って言ったら学校か公民館じゃないんですか!? 冷静に聞けば、おかしな事ばかりだ!!」


「だ……だけど、何で分かる? それに人間を操るシュライン細胞って何だよ!? 聞いたこと無いぜ?」


 あまりにも突拍子もない話に、加賀谷がおどおどと聞く。


「詳しくは話せません。でもオレを信じて下さい!! それに、オレの感覚が正しければ……」


 明は、すぐ脇の飼育場の壁を強く蹴った。そこにあった支柱を蹴り折ったらしく、簡単なトタンの外壁は、その一撃で崩れ去り、飼育場の中が丸見えになった。


「うわ!? なんだこれ? 血??」


 小林が叫ぶ。他の皆も中の光景を見て言葉を失った。

 そこは血の海だった。血飛沫が、壁と言わず柱と言わず内部全体にこびりついている。そして、凄まじい量の真っ白な羽毛が床に散らばり、そこに無数にいるべきはずのニワトリの姿は一羽もない。


「もう少しだったのに……僕としたことが、君を見くびりすぎたみたいだね」


 しゃがみ込んでいた広藤の母の口調が、がらりと変わった。


「か……母さん?」


「弥美也。あなたも、シュライン様とひとつになれるはずだったのに……」


 広藤の母の顔に、悲しみの表情が浮かぶ。


「失敗したからには――」


 少年のような甲高い声色。


「――はい。わかっております。息子も、この者達も、シュライン様の養分として摂取なさって下さい」


 母の声色。


 同じ口から、まったく違う声色、口調が続けて発せられるのは、あまりに奇怪な光景であった。


「見ろ!!」


 その時、小林が社屋の入り口らしき場所を指さした。

 そこには、白いものを大事そうに抱えた人間が十数人、ふらふらと歩いてくるところであった。服装から見て、どうやら、行方不明になっていた医師や看護師たちのようだ。中には養鶏場の人間もいるのか、作業服姿の男も数人混じっている。


「なんだあれ? た……卵?」


 その白いものは、形状で言えば確かに卵のように見えた。


「いくらなんでも、でかすぎンだろ……養鶏場に巨獣の卵ってのは、笑えねえジョークだぜ」


「広藤君!! 今のうちにお母さんを保護するんだ。噛まれたり引っかかれたりしないように気をつけるんだぞ!!」


「分かりました」


 広藤は、母親を羽交い締めにすると、着ていた自分のシャツを使って、あっという間に後ろ手に縛り上げてしまった。


「よし!! これで……」


「そろそろ……孵化する時間だったからね。ちょうどいい。君達には、幼獣のエサになってもらおうかな」


 ぐったりと頭を俯かせた広藤の母親の口から、シュラインの声色が響き渡ると同時に、卵を抱えたうちの数人が地面に座り込んだ。

 すると突然、卵の上部の殻が剥がれ落ち、そこから黒っぽい尖った物が飛び出した。次いで、細長い指が殻の縁にかけられ、まるで服でも脱ぎ捨てるように、するん、とトカゲ状の生物が現れた。

 一瞬で孵化したのだ。


「う……でかい」


 第一印象はそれしかなかった。卵自体は1メートルそこそことしか見えないのに、殻から脱けだした、その幼巨獣は、尻尾まで入れると明らかに三メートル以上はある。


「卵の中で丸まっていたんです。たぶん……空気に触れるともう一回り大きくなります」


 広藤が額に吹き出してきた冷たい汗を、手で拭いながら言う。

 不気味に濡れた皮膚をした、黒っぽい幼巨獣数体は、広藤の言う通り、呼吸をしながら、次第に体を膨らませていく。まるで風船に空気でも入れているかのようだ。

 そして体が膨らむに従い、黒っぽかった体色は、あのバシリスクそっくりの鮮やかな緑色へとあっという間に変化していった。


「な……なんでそんなこと知ってンだよ?」


 こちらを無表情に見つめながら体を乾かしている、小バシリスクを睨みつけながら加賀谷が言う。


「……爬虫類ってのは、そういうモンなんですよ」


「エサにする……とか言ってたな」


「ええ、僕たちを食わせる気でしょうね。」


「たしか爬虫類って……動く物を優先的に襲ってくるんじゃなかったでしたっけ?」


「聞いたか珠夢、動くな」


 五人は小バシリスクを睨みながら、逃げ出すタイミングを見計らっていた。

 小バシリスクは、首を左右に傾げたり上下に動かしたりしながら周囲の様子を観察しているようだ。卵の中に折りたたまれていただけあって細長いが、その動きは相当に素早そうだ。

 走って逃げても、追いつかれるだけかも知れない。しかし、車まで戻れれば、もしかすると逃げ切れるのではないか。

 そう判断して、小林が、全員に声を掛けようとした時だった。


「――――ッ!!」


 珠夢の声にならない悲鳴が響いた。

 突然、小バシリスクの一匹が、割れた卵の殻を抱えた男性を頭から咥えたのだ。

 そして、そのまま上を向いて数回咥え直したかと思うと、もうその男性は見えなくなっていた。喉のあたりが大きく膨らみ、そこに獲物が入っているのが分かる。


「シュライン!! 貴様!! 自分の細胞に感染した人は、仲間なんじゃなかったのか!?」


 激昂した明が、思わず叫んだ。


「キシャアアッ!!」


 周囲の幼巨獣が、明の声に反応して威嚇音を発した。

 そしてそのまま、一番近くにいた一頭が加賀谷の方へ真っ直ぐに駆け寄ってきた。


「うわ!!」


 急に距離を詰められた加賀谷は、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 だが噛み付かれる、と思った瞬間、目の前から小バシリスクの姿は消えていた。小バシリスクの頭部へ、明が強烈な回し蹴りを食らわせたのだ。

 時速六十キロで走る脚力だ。その威力をまともに食らった幼巨獣は、養鶏場の壁を突き破って動きを止めた。

 だがそれをきっかけに、孵化した小バシリスクたちは、次々と襲いかかってきた。息をつくヒマもなく、明は身構える。

 目にもとまらないスピードで襲いかかってくる、小バシリスクの攻撃を躱しながら、パンチを次々と撃ち込んでいく。

 明たちを囲む群れは、次第に遠巻きになっていった。

 エサを目の前にして食べられない小バシリスクどもは、焦れた様子でこちらを睨みながら、ゆっくりと逃げ道をふさいでいく。完全に逃げ道をふさがれた途端、中の一匹が、尻尾を鞭のようにしならせ、叩きつけてきた。

 明は身を屈めてすっと避けると、振り切ってスピードの落ちたその尾を素手で掴んだ。


「キシャアアァァッ!!」


 尾を掴まれた個体は、空気を切り裂くような声を発した。そして、明の手に噛み付こうと体を捻る。だが、そのあぎとは明の手まで届かなかった。体がふわりと浮いたのだ。

 明は尻尾を掴んだまま、体全体を使ってグルグル回し始めていた。ジャイアントスイングの要領だ。そして小バシリスクの体そのものを武器にして、周囲を取り囲む、幼巨獣どもを叩きのめしていく。

 孵化していなかった卵のいくつかも、それを持つ人間の手からはたき落とされて割れた。中からは、黒っぽいままの幼巨獣が現れ、もがきながら絶命していく。


「つ……強ええ!!」


 小林が感嘆の声を漏らす。幼巨獣は孵化したばかりで、見た目ほど体重がないことを差し引いても、体長数メートルもの小バシリスクを振り回す明のパワーとスピードは、常人を遙かに凌駕しているといえた。

 大半の小バシリスクを薙ぎ倒し、武器にしていた個体を壁に投げつけた明は、小林に向かって叫んだ。


「小林さん!! 広藤君のお母さんを連れて、みんなで車まで戻ってください!! そうしたら、構わないからすぐ発進して!!」


「で……でも! お前はよ!?」


「対策本部にこの事態を伝えて、応援要請するんです!! コイツらが成長したら大変なことになる!! 僕は大丈夫。時間稼ぎしたら逃げます!!」


「わ……分かった!!」


 たしかに、常人の彼等がこのままここにいても、明の足手まといになるだけだろう。

 それにあのスピードで走ったことから考えても、今の戦いぶりを見ても、明の強さは本物だ。勝てないまでも、応援が来るまで明が殺されない可能性は高い。

 小林は全員を促して車へ向かった。


「きゃあっ!!」


 いつの間にか回り込んできていた小バシリスクに、珠夢が悲鳴を上げる。移動する姿はまだしも、止まっているとほとんど肉眼では見えない。完全ではないが擬態ステルス能力を身につけ始めているのだ。


「ふっっ!!」


 明が素早く走り寄り、鋭い息を吐きながらその小バシリスクの腹を蹴り上げる。

 小バシリスクはもんどり打って転がり、じたばたと地面でもがき始めた。内臓が破裂したのか、口から赤い血と白っぽいものがはみ出ている。


「はやく逃げて!!」


 明の叫びを背に受けて、小林のオンボロ軽自動車は、タイヤを軋ませながら発進した。

 小林達を守る必要が無くなった明は、小バシリスクの群れの中へ走り込んだ。

 誰もいなくなると同時に、つかえが取れたように、明の口から愛しい人の名が迸り出た。


「ま……松尾さん!! 松尾さーーーーーーんん!!」


 容赦なく人を食う、この小巨獣の群れの中に紀久子がいるのではないか。そう想像しただけで、体が震える。紀久子の助けを求める姿が目に浮かぶ。

 心配で、心配で、胸が張り裂けそうだ。


「松尾さん!! 返事してください!! 松尾さん!!」


 しかし声は空しく響き、代わりに建物の中からはわらわらと、小バシリスクの群れが現れた。既に繁殖していたのだろうか? その数は、見えるだけで数十匹にも上っていた。


「ダメなのか? もう食われてしまったのか?」


 不安が頂点に達し、涙があふれ出した。

 泣きながら戦い続ける明の体を鋭い爪がかすめ、体中に浅い切り傷を刻んでいく。

 紙一重の位置で緑色の顎が閉じられ、ノコギリのような牙同士がぶつかり合う金属的な音が響く。

 正拳で頭部を打ち抜く。

 抜き手で喉を突き破る。

 前蹴りで肋骨を蹴り折る。

 普通の人間では捉えられない速さで奔りながら、明は次々と小バシリスクを倒していった。


「おかしい……数が……」


 ふと、冷静になった明は周囲を見渡した。小バシリスクの数が減っていない。

 倒したはずの個体が復活しているのだ。

 何度、致命的な打撃を加えても、驚異的な再生力で復活してくる。

 気づけば、卵を抱えていた人々の数が減っている。どうやら、復活の養分補給のために食われてしまったようだ。


「ぐ……あっっ!!」


 明は強烈な足払いを食って倒れ込んだ。尻尾による攻撃だ。しかし見渡しても、相手が見あたらない。

 立ち上がろうとした明の上に、見えない敵がのしかかってきた。

 生臭い息が、明の顔に吹き付けられた。


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