第12話2-3 邪眼獣(カトブレパス) 出撃


 千葉県沖に停泊中の米海軍ニミッツ級空母。

 そのフライトデッキ上には、戦闘機ではない奇妙な形状をした銀色の機体が発進許可を待っていた。

 つるんとした曲面形状のあちこちから、奇妙な形状のアンテナ状の金属棒を突出させたその機体表面の何カ所かには機銃や高射砲の砲門らしき穴が見える。

 左右で十二の硬質ゴムタイヤを装備し、それらにはタイヤハウスもマッドフラップもカバーも無い。どうやら前後左右どの方向へもフレキシブルに回転するように取り付けられているようだった。

 フォルムは一見して装甲車に似ているが、かなり大きい。一般的な装甲車と比較しても数倍のサイズである。


『カトブレパス、聞こえるか?』


「聞こえてますよ樋潟司令。出撃許可はまだですか?」


 奇妙な装甲車、カトブレパスのコクピットに座って出撃許可を待っているのは、MCMOドイツ支部の対巨獣部隊、チーム・ビーストのオットー=ゲーリン少尉であった。

 百七十センチそこそこと、欧米人にしては小柄な体躯を、チームカラーであるブルーのパイロットスーツに包み、金色の短髪を同じ色のヘルメットに押し込めている。


『遅くなってすまない。今、海上にホバーパックの準備が出来たようだ。透明な巨獣、コードネーム・バシリスクはそこから北北東の、千葉県浦安市近辺に潜んでいる可能性が高い。衛生からの探査情報は随時送る』


「では、出撃OKですね? 行っきますよおお!!」


 オットーは、アイドリング状態であったカトブレパスの出力を、一気に限界まで上げた。

 そして、バーニアの下部噴射口からの噴射で数メートル浮かび上がると、そのまま何かに放り投げられたように、海面へ向けてダイブしていった。

 海面には、合成ゴム製のドーナツ状フロートが浮かんでいる。

 カトブレパスは、その中心へ寸分狂わず着水した。

 周囲に大きな水飛沫が上がり、数秒間海面上は白い泡以外何も見えなくなった。そのまま沈没したかと周囲が心配し始めた頃、ようやくホバーパックの補助エンジンが始動し、海中に没していたゴム製のスカートが膨らんだ。

 海面上に浮かんだカトブレパスは、各部に溜まった海水を振り払うかのように二、三度大きくエンジンを噴かす。 

 中心からわずかでもズレていれば、フロートごと海中に没していたかも知れない、危うい離れ業だ。それを姿勢制御ノズルだけでやってのけたのだ。


『おい!! オットー!! 無茶するんじゃない!! 今回の任務は巨獣の探索だからお前を先行させるんだ。必要があればすぐオレ達も出撃するんだからな』


 通信機から発する野太い声は、チームリーダーのミヴィーノ=ライヒ大尉だ。


「そいつは巨獣どもに言って下さいよ。奴等が暴れると、オレが無茶しなくちゃいけなくなるんですから!! じゃあ行きます」


 海面上にホバー効果で浮き上がったカトブレパスは、後部メインノズルからのジェット噴射で、海面を高速で移動し始めた。

 陽光煌めく海面を、銀色の機体が滑るように走って行く。 風も波もない海面はまるで地上の平原のようになだらかだ。


「こりゃあクルージングにしても気分がいいね。マイカの奴も誘えば良かったぜ。まず、最後に確認されたっていう病院周辺から足取りを追ってみますかね」


 オットーはGPSに病院の座標を入力すると速度を上げた。



「あれがカトブレパス……出撃しましたか……しかし本当に、あれ一機であの敏捷なバシリスクを倒せるのですか?」


 臨時対策本部の司令室である。

 カトブレパス出撃の模様を、モニター画面で眺めていた八幡が振り向いた。


「Gとの戦闘記録から、バシリスクの個体戦闘力は、さほど高くはないと判断されています。カトブレパスの武装で充分に戦えるはずです。問題は視覚を欺く、擬態ステルス能力が観測されている点です。しかしカトブレパスの情報収集システムは可視光線を含む全波長の電磁波、電波、音波、超音波、高周波、放射線、磁力線のすべてを捉えます。また、逆にこちらからそれらを発信して攻撃することも出来る。この作戦にはうってつけです」


 樋潟は機動兵器の専門家ではないが、司令官である。そのくらいのことは、ライヒ隊長から聞いて把握していた。


「しかし、もし万が一敵わなかったら?」


「万が一ピンチに陥るようなら、すぐに同チームのグリフォンとケルベロスを出撃させます。実質攻撃力はこの二機の方が高い。バシリスク問題はこれで解決するでしょう」


「それは何よりです」


 とりあえず、不安要素はないように思える。

 不安があるとすれば、シュラインの意思がバシリスクにどれだけ受け継がれているか、そして行方不明者の安否だが、これは心配しても始まらない。

 ようやく少し表情を弛めた八幡は、しかしもう一度口を引き締めると言葉を継いだ。


「…………時に樋潟司令、少し話を聞いていただきたい人物がいるのですが……」


「ほう……どちら様ですか?」


「勝手とは思いましたが、今ここにお呼びしています。T大学理学部の名誉教授で、生化学分野専門の鍵倉かぎくらげん博士です」


 八幡の招きで司令室に現れたのは、五十がらみと見える白衣の男だった。

 研究者ではあるのだろう。白衣をおざなりに羽織ってはいるものの、その下にはよれよれのスーツを着込み、足元は履き古したサンダル履きだ。蓬髪の白髪頭は、赤いゴム紐でポニーテールの出来損ないのように縛られている。その出で立ちは一種異様であり、どこかのロボットアニメの博士役でそのまま通じそうに見えた。

 樋潟は驚いた。その姿に、ではない。よく知った顔であったからだ。その男は、日本政府登録の科学アドバイザーだったのだ。

 テレビなどにもよく出演し、自ら合成した奇妙な生化学物質を使って、イヌやネコ、ネズミなどに特異な行動を取らせる実験が有名だ。ノーベル生理学・医学賞候補にあがったこともある。専門的論文以外に一般向けの著書もいくつか出している有名人であった。


「鍵倉です。よろしく」


「樋潟です。初めまして。そうですか、あなたが……著名な鍵倉博士に、お会いできて光栄です」


「なに、面白がって馬鹿な実験をやっているうちに名前ばかり売れてしまっただけでね。……さっそくだが樋潟司令殿は、首都圏上陸前にGがミクロネシア群島に現れたことはご存じかな?」


「もちろん。たしか人口数百人の島が全滅したとか。甲殻類型の巨獣と戦い、その遺体を放射熱線で残さず焼き尽くしたとも聞いています」


「その理由について司令殿は、どのように理解しておられるかね?」


 鍵倉は鷹揚な態度で話し始めた。


「理由? 偶然ではないのですか? 今のところ海洋学の専門家によれば、日本近海を流れる低層寒流に押し流されたのではないか、ということになっていますが……」


「それにしては場所がおかしい、とは思わないかね? まあ、少しは自力で泳いだとしても……だ。で、もしGがなんらかの目的を持ってこの島を襲った……と仮定したらどうかね?」


「目的?」


「そう。樋潟司令、私の研究テーマの一つに生物間親和力……というものを促進する化学物質についてのものがある」


「生物間親和力の促進? 一体、何の話ですかそれは?」


 樋潟は長い話になりそうだと判断したのか、八幡教授と鍵倉教授に椅子を勧めた。

 三人の座る席の横は壁面全体が液晶画面となっていて、眠るGの姿をLIVEで流し続けている。小さな窓は、出撃したカトブレパスに搭載したカメラの映像を常時映し出し、オペレータの女性とパイロットのオットーのやりとりが小さく聞こえてきていた。

 

「今回、Gが上陸したミクロネシア群島の島に伝わっていた民間薬から、そうした効果が見出されているんだ」


「どうして今、そんな話を?」


「どうして最初にその島を襲ったのか、その答えらしきものがそこに見えるからだよ。六十年前……昆虫型の巨獣が、首都圏へ現れたことがあったのはご存じかね?」


 鍵倉の言葉に樋潟は肯いた。


「巨獣関係の事件はすべて把握しています。その巨獣はGとは全く違う発生の仕方、という報告を読みましたが……正直、詳細は門外漢の私にはちんぷんかんぷんでした」


「あの昆虫型巨獣の発生地が、その島なのだよ」


「え!?」


 樋潟は驚きの声を上げた。意外な接点で話が繋がったものだ。


「昆虫型巨獣の発生メカニズムなのだが……当初は周囲における核実験の影響とされていた。しかしその後の調査で、巨獣は核実験前から存在していたことが分かっている。まあ、そもそも放射能で普通の生き物が巨獣化するなどというのは、タチの悪い与太話に過ぎんがね……。真相は島民が代々受け継いできた、生物間親和力の強化剤の影響で巨獣化したのではないか……と私は推測したのだ」


「どういう事です?」


「まず、東京に現れた昆虫型巨獣は、どの組織のDNA構造を調べてみても、普通の鱗翅目の特徴しか見つけられなかった。わずかに生殖機構に関わる部分に改変が認められただけでね……。つまり異常に巨大化はしていたものの、生物種としては単なる蛾……ヤママユガの一種らしいが……でしかなかったのだ。そこがGを始めとする他の巨獣と大きく違う点だ」


 樋潟はうなずいた。かなり分かり易く端折ってくれているのだろう。専門でない樋潟にも、鍵倉の話は理解できる。

 たしかに、G細胞の影響を受けて出現した巨獣の共通点は、そのDNA構造が、大きく元の生物とは変わってしまっていることだ。巨大化していても、元の生物と同じDNA構造などという例は、聞いたことがない。


「ところで彼等に伝わる神事として、畑の野菜にその民間薬を掛けて、数日放置すると、巨大な神の使いが現れ、これを育てて守り神とする。というものがある。巨大とはいっても、最初は一メートルそこそこの昆虫らしいがね。とはいえ、昆虫としてはまさに怪物クラスだ。この神の使いが成長すると、昆虫型巨獣になるのだという……」


「馬鹿な。その薬、人間も日常的に飲んでいるものではないのですか?」


 鼻白んだ様子の樋潟を、鍵倉教授が手で制した。


「まあ、話を最後まで聞いてくれ。確かにこの薬、彼等の間では元々単なる強壮剤として利用されている。しかも人間だけじゃない、ヤギやブタ、イヌなどの家畜にも与えていたらしい。それに記念日、祭り、どんな場合にもこの民間薬を飲んでいたようだが、巨獣化は起こっていない」


「では、違う原因なのでは?」


「生物間親和力を同一個体内で高めると各臓器の働きがスムーズになり、また古い傷を癒し、侵入してきた異物を排出する。つまりは、非常に健康にいい訳だ。ところが昆虫……いや、昆虫だけではないんだが、多くの無脊椎動物にはボルバキア属の細胞内共生生物がいる。これらは細胞内にいるため異物とは見なされない。そこに更に宿主との親和力が異常に促進されることで、これまでにない働きを生むのではないか、と私はそう考えているのだよ」


「そんなことで、たかが虫が数十メートルの怪物に変化するものでしょうか?」


「ボルバキアは宿主に様々な影響を与えているが、中でも有名なのが、個体数を増やすための生殖戦略までも操る力なのだよ」


「個体数を? 宿主の……ですか?」


「うむ。そうすれば、自分達の数も同時に増やせるだろう? ある種では、リスクのある交尾を必要とせず、メスだけで生殖できるように性質を改変したり、顕著な例ではオスをメスに変えて卵を産ませたり……感染したオスを殺してしまう場合さえもある。そうすることで、間接的に自分達の繁栄を図るのだと考えられている」


「はは。女系主義の寄生生物ですか……我々、男には少々剣呑な性質ですね」


 樋潟は苦笑いしながら、冗談めかして言った。それではまるでSF小説ではないか、そう思ったからだ。

 それほどに鍵倉の話は突拍子もなく感じた。まさか、それが実際にハチやダンゴムシなどの身近な生物で、普通に起こっている事だとは思ってもいない様子だ。

 鍵倉は、にこりともせず話を続けた。


「しかし、生物間親和性を高めるこの生化学物質を、細胞内に共生しているボルバキアが感知すると、個体数ではなく個体バイオマスの拡大に戦略をシフトする。……室内実験でも宿主の成長率は最大限になり、個体の顕著な長寿命化がみられたのだ。さすがに巨獣化にまでは至らなかったから、今はまだ仮説に過ぎんがね」


「顕著な長寿命化……ですか?」


「うむ。ショウジョウバエの幼虫期間は三日程度だが、この物質を混入した培地で育てると一ヶ月以上蛹化しない。脱皮回数は実に三倍になり、長くて二ヶ月程度の成虫期間は一年以上に伸びた」


 樋潟は息を呑んだ。単純計算だが、人間に該当させれば、数百年も生きることになる。

 ショウジョウバエにそれほどの効果を発揮するのであれば、人間への応用も可能なのではないか、と思える。まさに夢の薬だ。


「つまり、その生物間……親和力というものを高める効果を持つ薬を奪うためにGはその村を襲ったのだと?」


「それも推測でしかない。しかし……個体として急激な変化を起こしたシュラインは、安定した状態になかったはずだ。まず考えるのは生物としての安定だろうと思うのだ。ヤツも生物学者だ。その島についてはいくつか論文も出ているし、あらかじめ知っていてもおかしくはない。Gの細胞内共生生物、メタボルバキアに対しても同様の効果があると考えれば、その薬の摂取がもっとも手っ取り早い手段と考えるのが普通だ」


 鍵倉博士の予想が当たっているとするならば、たしかに日本に先駆けてGがミクロネシア群島に現れた理由も納得できる。

 だが問題は、今のGがその薬の影響を受けているかどうかだ。十五年前に見られなかった額の宝石状の器官についても、それを砕かれて意識を失ったことについても、結論の出ていない謎が今のGには多すぎる。


「G……シュラインは、薬を手に入れたのでしょうか?」


「島が全滅した今となっては、確認のしようがないだろうな。ただ、薬を手に入れる方法はまだある。その民間薬の製法は代々巫女の家に伝わるものなのだが、六十年前の昆虫型巨獣事件をきっかけに、島民の多くが先進文化を求めてこの日本へ移住した。その中に……巫女の一族もいたという記録がある」


「では……Gは薬が見つからず、今度はその民間薬を探しに日本へ?」


 G上陸時に戦ったのが甲殻類型の巨獣だったことを考えると、昆虫を巨獣化させる神事は絶えていたのかも知れない。だとすれば、その民間薬が日本に渡っていた可能性も確かに否定できない。

 いや、そもそもその甲殻類型の巨獣というのはいったい何なのか? 今もたまに現れる、十五年前の巨獣大戦の生き残りに過ぎないのか?


「それはどうだろう? だったらバシリスクを蘇らせる必要はないと思うがね? それに多くの日本国民の中から、闇雲に巫女の子孫を探し出すのは難しいだろう。ただ、このことが分かった以上はMCMOとしても調査を始めるべきなのではないかね?」


 聞いてしまった以上は手を打つ必要がある。それにもしかすると、シュライン対策の切り札にもなりうるかも知れない。だがその一方で樋潟は、鍵倉教授にうまく乗せられてしまったような気もしていた。


「……分かりました。すぐに六十年前に日本に移住した、島民の子孫を洗い出させましょう。これで何らかの謎が解けるかも知れません。ありがとうございます。鍵倉教授」


 そう口にしながらも、樋潟は難しい表情を弛めることはなかった。

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