第7話1-6 加賀谷家にて
「で、なんでウチに連れてくるワケ? 行くならフツー、病院でしょ?」
加賀谷の足の傷をオキシドールで乱暴に消毒しているのは、十代半ばと見える少女であった。黒い髪はナチュラルにウェーブがかかり、広いおでこを隠すように、前髪をふわりとたらしている。愛嬌のある丸顔で、鼻筋も通り、どこに出ても恥ずかしくない美少女ぶりである。
「お兄ちゃん、聞いてンの!?」
「痛っつ!! だから悪いっつってんだろ。
「まあまあ、そう怒るなよ二人とも」
険悪な雰囲気の兄妹を見ながら、小林はただ一人にやにや笑っている。
目を釣り上げ、口をへの字に曲げてはいても、珠夢の美少女ぶりは鑑賞に値するのだ。
「いやしっかし、相変わらず可愛いよな。お前の妹。例のアイドルユニットのオーディション、受けてみればよかったのに」
「バカ野郎。イヤらしい目でウチの妹を見るな。いいか、コイツにはちゃんと心に決めた恋人がいるんだか……ぎゃ」
言い掛けた加賀谷は、妹の珠夢に思いっきり傷口を引っぱたかれて飛びあがった。
「余計なこと言わないの!! 向こうが迷惑するよ!!」
「へえ。てことは、珠夢ちゃんはイヤじゃないんだ?」
「う゛…………」
「ま、アイツなら、俺も身を引かざるを得ないなぁ」
顔を赤くして言葉に詰まった珠夢を、小林が冗談めかしてからかいながら、にやにや笑って見つめた。
そこへ、奥の部屋から一人の少年が顔を出した。
「加賀谷さん。お兄さん達が助けてきた人、着替えさせて寝かせてきましたよ」
少年、とはいってもその体格は驚くほど大きかった。
顔立ちは幼いが、身長は一八0センチを優に超えている。しかも、急成長した少年にありがちなひょろひょろした印象はなく、がっしりとしていながら、全体のバランスもとれている。
健康的な小麦色の珠夢とは対照的に、色白で髪の色も薄い。顔立ちと声が少年そのままなアンバランスさが不思議に魅力的で、同性でも見惚れるほどであった。
「あ、ああ……ありがと、
少年の名前は広藤というらしい。
先程の会話で彼を意識してしまった珠夢の顔は、真っ赤である。
「す……少し暑くない? 窓、開けよっか?」
そそくさと立ち上がった珠夢を、広藤が制した。
「いや、ダメだよ珠夢ちゃん。ラジオで聞いたんだけど、今回の戦闘でGの組織片が広範囲に散ってしまったらしいんだ。外出も控え、外気はなるべく取り込まないように政府広報が出ている。母さんからも、職場からしばらく帰らないって電話があった。僕たちも、しばらくはここを出ない方がいいみたいだよ」
「広藤君、それ、本当か?」
加賀谷が聞いた。
「TVを点けてみてください。地上波もネットもまだ回復してませんけど、衛星放送だけは見れるんですよ。今後の行動を決める上でも、情報は重要です」
「しかし、広藤はしっかりしてんなあ。この中で最年少だなんて誰も思わねえぜ」
小林がTVのスイッチを入れながら、感心を通り越して、少し呆れたような口調で言った。
「小林さん!! 最年少って言わないで!! あたしとは同学年なの!! 誕生日だって三ヶ月しか違わないんだから」
珠夢は両手を腰に当て、仁王立ちで小林を睨みつけたが、七歳も年下の少女の怒りなどどこ吹く風と、小林は大して堪えた様子もない。
「つっても、中三だろ? あり得ねえって」
「はいはい、関係ない会話はよそでやってくれ。それよりどうやら広藤君の言うのは本当みたいだ。……ってことは、しばらくオレ達ここにカンヅメってことなんだぜ? 仲良くしとこうや」
「ここにカンヅメ? ちょっと……怖いな。避難しなくていいのかよ?」
加賀谷が窓から外をのぞきながら言った。
だが、マンションの五階からは、水元公園も、そこに倒れ伏す巨獣王Gの姿も見えない。
避難区域に指定された半径十キロからは外れているのだ。Gの倒れている現場は自衛隊による警戒態勢が敷かれているらしく、目の前の道路を通っていく車両もほとんど無い。思い出したようにサイレンを鳴らして通り過ぎるのは緊急車両のみである。
そして、上空には相変わらずヘリがうるさく飛び交っていた。
巨大なGの歩行速度なら、十キロなどあっという間だ。避難区域外とはいっても、安心はできなかった。
「そうかな……やっぱアイツ、オレ達を助けてくれたんじゃないのかな……」
小林がぽつりと呟く。
TV画面に映るGは、全身に網の目のように特殊ワイヤーを掛けられ、すっかり上った朝日が、不規則な形の背びれに反射している。まるでガリバー旅行記の一シーンの様なその光景を見ながら、小林はGの側を離れるより、むしろ近くにいた方が安全な気がして仕方がなかった。
その時、広藤が出てきた奧の寝室から、大きな声が聞こえた。
「やめてくれ!! やめろおおおおお!!」
今にも殺されるかのようなその叫びは、始まった時と同じように唐突にやんだ。
全員が顔を見合わせた。どうやら、水元公園で拾った青年が目覚めたらしい。
「おい、アイツ、起きたんじゃね?」
小林が加賀谷に目配せをした。行って見て来い、と言っているのだ。
その目は言い出しっぺが責任をとれ、とでも言わんばかりで、迷惑そうな表情は妹の珠夢も変わらない。
「分かったよ。見てくる」
「僕も行きますよ」
しぶしぶ立ち上がった加賀谷につづき、空気を読まない広藤が、気さくに立ち上がる。
「あ、あたしも行く」
広藤に釣られるようにして、珠夢も、そして小林もやれやれといった表情で寝室へ向かった。
寝室に入ると、青年はベッドの上に起き上がっていた。加賀谷は、精一杯優しい声を作って声を掛ける。
「目が……覚めましたか?」
余程恐ろしい夢でも見たのだろうか?
青年は、肩で息をしながら、目の前の虚空を睨みつけている。額には汗で髪が張り付き、目からは涙が滴っていた。
「ここは……俺……まだ生きているのか……?」
呆然とした表情で呟いた青年に、加賀谷は頷きながら言った。
「怖い夢でも見たんですか? まぁ、あんな目に会えば無理はないよなあ」
あの巨獣Gのすぐ鼻先に倒れていたのだ、なんにしたって相当恐ろしい思いをしたのに違いない、そう判断したのだ。
しかし、青年は加賀谷の方を振り向きもしない。まるでその声が耳に届かなかったのかのように、自分の両手を見つめ、握ったり、開いたり、何度か繰り返した後、ぽつりと呟いた。
「俺は…………人間だ」
興味の無さそうな顔で一番後ろに立っていた小林が、思わず吹き出す。
「ぷふっ!! おい加賀谷ぁ。その人、ちょっと精神攻撃受けすぎたんじゃねえの?」
「小林!! 失礼だぞ!? あの、お名前とか、ご住所は分かりますか?」
たしなめられながらも、口を押さえ、声を出さずに笑い続ける小林を無視して、加賀谷は青年に声を掛けた。よく見ると、思ったよりかなり若い。加賀谷と同じくらいか、少し下くらいであろうか。どうやら十代後半から二十代前半のように見えた。
自分の掌をじっと見つめていたその青年は、ふと、顔を上げると、加賀谷を見て目を丸くした。
「あなた……たしか、水元公園にいた?」
それを聞いて、加賀谷も小林も信じられない、といった表情になった。
彼等が助けた時、彼は完全に意識を失っていた。岸辺に俯せで倒れていた時も、背負ってくる間にも、意識があったとは思えなかった。
「君、あんな状態で意識があったのか?」
しかし、加賀谷のその問いに対する青年の答えは、さらに頓珍漢なものだった。
「やっぱり……夢じゃなかったんだ」
「ハァ?」
「すみません。Gは……Gはどうなったんですか? それと、Gと戦った緑色の巨獣は?」
自分の命が助かった以上、巨獣の動向など二の次ではないかと思えたが、何故か青年の目は真剣だった。
「じ……Gは頭に被弾してぶっ倒れたよ。仕留めたのはMCMOのリニアキャノンだってさ。そうそう、緑色のトカゲ型巨獣は、体表の色を変える擬態能力を使って、どこかに消えたらしい。さっきニュースで言ってたぜ」
両肩を掴まれて揺さぶられながら、加賀谷は先ほど見たニュースの情報を思い出しつつ、なんとか状況を説明した。
「やっぱり……死んでいなかったのか」
話を聞いた青年は両拳を握ると、布団の上から自分の足にあたる場所を思い切り叩いた。
悔しげな……いや、怒りにさえ満ちたその表情は、温厚そうな青年には、似つかわしくないものに見えた。呆気にとられて見守っていた加賀谷は、後ろから何者かに強く袖を引っ張られ、思わずよろめいた。
「お兄。お兄。」
振り向くと、珠夢がひそひそと話しかけてきた。
「このひと、どっかおかしいんじゃないの? 早く病院に連れてった方がいいよ」
「んなこと言ったって、今、連れてける病院なんかねえんだよ。別に暴れ出すワケじゃなし、もうしばらく面倒見てやろうぜ?」
兄妹がひそひそと会話していると、青年の前にお盆に載った食事が差し出された。
いつの間にか姿を消した広藤が一人キッチンで用意していたらしい。黒塗りの椀には白い粥が、湯呑みには熱い日本茶が注がれている。
「見た限りお元気そうですから、おかゆじゃ物足りないかも知れませんが……」
「いいえ。こんなことまでしてもらって申し訳ありません。本当にありがとう」
青年は丁寧に頭を下げると、箸を付けた。
少し大きめの椀に盛られた白粥を、青年はあっという間に平らげ、広藤が勧めるままに、三杯もおかわりをした。
「僕は……
青年が食事を終え、一息つくのを待って広藤は話しかけた。
「そう……でしたか。本当にありがとうございました。それと、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。僕はすぐにここを出て行きますので」
そう言ってベッドから降りようとした青年を、広藤が押しとどめた。
「今、外出禁止令が出ているんです。それにあなたは意識を失っていたんですよ? できれば病院に行った方がいい……それと……差し支えなければ、何があったかお話ししてもらえませんか?」
いつの間にか、最年少の広藤が場の主導権を握っている。その、そつのない会話の組み立てに小林も加賀谷も秘かに舌を巻いていた。
「申し訳ありません。何が起こったかは……その……記憶がないんです。気がついたら、水元公園に倒れていて……でも、僕は
「おいおい。それは通用しねえんじゃね?」
それを聞いた小林が、広藤を押しのけるようにして、青年……伏見明の前に進み出た。
「さっきお前は、Gのこととか、緑色の巨獣のこととか、色々聞いてきたじゃんよ? 記憶がないってワケないんじゃねえの? こんな状況なんだ。こっちの情報はもらっといて、そっちの情報を出し惜しみするってのは、無しだぜ」
その挑発的な口調に、明は少しむっとした表情になった。
「不躾に変な質問をしたことは謝ります。しかし、口を突いて出たことなんです。僕にも説明のしようがない。それに…………」
そこまで言い掛けて、明は唇を噛んで押し黙った。
しかし、目を逸らした明を問い詰めるように、小林は挑発的な態度のまま詰め寄っていく。
「それに? なんだよ? 言ってみろよ」
「たしかに記憶はあります……でも、僕のその記憶がすべて正しければ……そしてそれをあなた方に話せば、あなた方を面倒なこと、いえ、とても危険なことに巻き込むことになる。それでも、構いませんか?」
小林の目を見つめる明の真剣な表情に、小林はただならぬものを感じ取っていた。だがそこに生じた内心の怯えを恥じて、気持ちとは裏腹に語調はきつく、声は大きくなっていく。
「なんだ? おお!? そいつぁ脅しのつもりか? お前みたいなヤツの事情ってのはよ、大げさに言ってるだけで、実際聞いてみりゃあ大抵大した事ぁねえんだ。危険だと!? 言ってみろよ。のぞむとこ……む……」
今にも腕まくりをしそうな勢いで言い掛けた小林の口を、広藤と加賀谷が同時に塞いだ。
「もうやめてください。小林さん」
「馬鹿かお前は。言いたくないって人のプライベートにまでクチバシ突っ込んで、どうする気だよ」
口を押さえられてじたばたと暴れる小林を、体の大きな広藤が軽々と持ち上げてキッチンの方へ運んでいく。
「いえ…………僕の方こそ、隠し事をするような言い方をしてすみませんでした。ここにいるとご迷惑を掛けますので、やはりこれで失礼いたします。このご恩は忘れません」
明は、ベッドから立ち上がって一礼すると、すたすたと玄関へ歩き出した。
「へえ……結構、カッコイイじゃん」
歩き出した明の姿を見て、珠夢が思わず呟いた。
明の体は引き締まっていた。身長こそ一七Oセンチそこそこだが、手足が長く、均整のとれた体格をしている。
「お前、結局、広藤のことはどう思ってンだよ?」
「お兄。余計なこと言わないの」
意外に惚れっぽい妹に呆れ顔の兄の足を、珠夢が踏んづけた。
「痛てて。おい珠夢、オレ、怪我してんだぞ? そりゃそうと、ちょっと待ちなよ。……えーと、伏見君だっけ? さっきも言ったろ。今、外出禁止令が出てンだ。たぶん、Gを完全に解体処分するまでは外出できないぜ?」
それを聞いた明は驚いたような顔で立ち止まり、しばらく考え込んだ。
「ご家族、いらっしゃらないなら、どこも行くとこ無いんでしょ? あわてることないじゃないですか。言いたくないなら事情は言わなくてもいいから、もう少し休んでいって下さいな」
明が何か言い出す前に、珠夢はにこやかに微笑んで、明の手をとった。
*** *** *** ***
「よぉし!! これで大貧民脱出ぅ!!」
室内に小林の声が響き渡った。
「くあーっ!! 今度はオレかよ。広藤も強えけど、明、お前、どえらくトランプ強えな」
明が目覚めて半日。時間を持てあました彼等は、カードゲームに打ち興じていた。
最初の険悪な空気がウソのように、自分とまるで十年来の友のようにふるまう加賀谷と小林を、明は珍しいものでも見るように眺めている。
「お? おまえ、何ニヤニヤしてんだよ?」
「いえ。実は、僕は長い間入院していたので、友人が少ないんです。こんな雰囲気、久しぶりだなあ、と思いまして」
「いやいや。明、さっきも言ったろ? オレ達二コしか違わねえんだ。語尾にその、デスマス付けんの、や・め・ろ」
「で……でも……」
「明君、言うこと聞いといた方がいいよ。小林さんってしつっこいんだから」
「なんだと!?」
楽しげに騒ぐ若者達を、明は眩しげに眺めた。こんな時間をもう一度味わえるとは、思ってもいなかった。あの時、海底ラボで自分は、二度も死を覚悟したのだから。
「加賀谷さん、僕、そろそろ一度部屋に帰ります」
しばらく前からそわそわしていた広藤が、不意にトランプを置いて立ち上がった。
「おいおい、勝ち逃げかよ。広藤」
「違いますよ。そろそろ、エサをやらないと幼虫たちが……」
それを聞いた小林も加賀谷も、そして珠夢までも、またか、といった表情になった。
「あれ? 何です皆さん。その表情?」
「ああ、明は知らないよな。こいつ、弥美也はさ、この体格で昆虫マニアなんだよ。狭い部屋にいーっぱいイモムシ飼ってやがんのさ」
「昆虫と体格は関係ありませんよ。それに、今の時期飼育してるのは、一ケースだけです。じゃ、ちょっと行ってきます」
それを聞いた広藤が、あしらい慣れた様子で肩をすくめ、逆にやれやれといった表情で部屋を出て行く。
「仕方ねえ。しばらく休憩だな。ニュースでも見るか」
小林がTVのリモコンを操作した。朝からどの局も延々とGの情報を繰り返している。どこに変えてみても似たり寄ったりの内容に、いい加減飽きたのか、小林は数分と経たずにスイッチを切った。
「ま、これじゃあ何の役にも……」
「待ってくださいっ!!」
小林が何か言おうとしたのを遮って、リモコンを奪い取ったのは明であった。
急いで電源を入れ直すと、食い入るように画面を見つめる。
「なにこれ? あ、例のバシリスクとかって緑の巨獣が落ちた場所?……病院……だったのか」
「何? 行方不明者多数って……知っている人でも出ていたのか?」
「…………はい」
答える明の顔は真っ青だ。
「まさか家族…………は、いないんだったな。誰だ? 友達?」
「そんなようなものです。俺、行きます」
「だけどこれ、遠いぞ。歩いていける距離じゃない。今、一般人は外出禁止だから車、使えないし、知り合いだってくらいなら、やめておいたらどうだ?」
「……いえ。向こうにとってはどうか分かりませんけど……俺にとっては、ただの友達ではないんです。皆さんには、本当にお世話になりましたけど……もう、行きます」
明は立ち上がると、そのまま玄関へ走った。
「お、おい、待てって」
加賀谷が明を追おうとした時、急にドアが開き、広藤が飛び込んできた。
「なんだよ。広藤まで慌てて」
「今、TV見ていましたか?」
いつもは歳の割には落ち着いている広藤が、やはり顔を真っ青にして、涙を浮かべている。
「ああ、見てたよ。行方不明者に明の知り合いがいたんだと。だから、飛び出しそうになってるのを止めてたんだけど……」
「行方不明者の中に……母さんの……母さんの名前が……」
広藤の声は、後半は涙声で聞き取りづらくなっていた。
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