第1章 赤い宝石
第2話1-1 上陸
低いエンジン音が響いている。
海上自衛隊のP-3C哨戒機が東京湾上空を飛行しているのだ。
暗い。
月のない夜だ。
真っ暗な海面にところどころ、ぽつん。ぽつん。と、赤い光がわずかに揺れながら点滅している。
船舶航行用のブイだろうか。
それ以外には、遠くに揺らめく都市の明かりと、波間にゆらめく夜光虫の光だけが、かすかに海面と空の境目をふちどっているだけだ。
「まだ、探知できないのか!?」
操縦席へ向かって後席から、上官らしい男が声を荒げ、イライラした様子で叫んだ。
「まだです。しかし、夜間のことですし視認は不可能と思われます。駆動音を出しているわけでもないですから、浅場まで来なくてはソナーでも、他の探知方法でも、見つからない可能性はありますし……」
「何を言っている! 発見できなければ、第一次防衛線も対応のしようがないんだ。国民に危険が迫っている時に、そんな頼りないことでどうするか!!」
「しし……しかし、奴が最後に出現したのは、もう十五年も前のことですから………あっ……感ありました! 赤外線です!!」
不謹慎にもホッとしたような声を発した自衛官の言葉通り、眼下の海面を写した赤外線画像に明らかに周囲の海水温よりも温度が高いエリアが浮かび上がった。
紡錘形をしたそれはまるで、巨大な魚の群れのようにも見えた。が、後方に長く伸びた細い尻尾のようなものをゆっくりと左右に振っていることから、それが単体の生物だとわかる。
それにしても大きい。
巨大なその影がゆっくりと進行するにつれ、画面のほとんどを二十五度~三十度を示すオレンジ色に染めていく。
「まさか、クジラじゃないだろうな!?」
「こんなでかいクジラはいませんよ!! 形状も違います! 第一、クジラはこんなに体表温度が高くはありません! それに海面を見てください、吉田海曹。視認できます!!」
副操縦席の士官が叫んだ。
本来なら漆黒のはずの海面に、赤外線画像と同じような形状の影が青白く浮かび上がって見える。
「夜光虫だ。ヤツの体表面に付着した夜光虫が、刺激を受けて発光しているんだ……。」
言葉に従って眼下の海面を見た吉田海曹は、初めて見る巨大な影にいい知れぬ戦慄を覚えた。すぐに副操縦士が作戦本部へ無線をつなぐ。
「こちらオライオン三号機。Gを発見しました。木更津沖約二km地点です。水中を市川方面に進行中。速度は二十二……いや、二十四ノット!!」
自衛隊習志野方面隊作戦本部の無線機から、同じ音声が流れた。
「ヤツはどうやらこちらに来るぞ。千葉県上陸の可能性アリ。二一:一0《ニイイチヒトマル》習志野方面隊は対G作戦行動に入る。総員、第一種配備!!」
「第一種配備、了解!! 」
司令官の指示を受け、ブリーフィングのために作戦本部に詰めかけていた各部隊長達が、あわただしく、しかし整然と前線へと帰って行く。
千葉県の臨海区域では、事前に配置されていた自衛隊の特殊車輌に火が入り、次々に動き始めた。
上陸予想地点の千葉県市川市沿岸では、強力なサーチライトが海面を照らし、湾内を見渡せる防波堤上に、続々と陸上自衛隊東部方面隊第1師団所属の輸送車両が到着しつつあった。
「おい、やっぱりこっちに来るらしいぜ」
投光車の車内。一人の隊員がサーチライトの光を操りながら、声を潜めて隣の同僚に話しかけた。
「マジか!? ヤバイな。このサーチライトで逃げてくれねえかな?」
「こんなもんで逃げるワケ無いだろ」
「富士演習の時には、クマが逃げて行ったぜ?」
「馬鹿。一緒にすんな」
「へへへ……どっちも似たような……
おいおい……っていうか見ろ。アレじゃねーの!? 千葉県沿岸っつったって広いのに、よりによってここに上陸かよ!!」
軽口を叩きかけた隊員が、急に慌てた様子で海面を指さした。
輸送車両から降りて配置についた隊員たちが固唾を飲んで見守る中、ライトの照らす海面に青黒い塊が浮かび上がったのだ。一見、岩礁のようにも見えるそれは、移動しながら少しずつ大きさを増している。
「おい! 見えたぞ!! 気を引き締めろ!!」
部隊長から声が上がり、訓練された隊員たちからも、思わず、どよめきが上がった。
海底を歩行していることを示すように、青黒い岩礁は一定のリズムで海面上の大きさを増していく。
青く光る夜光虫の混じった水を滴らせているその様は、まるで岩の表面が燃えながら融(と)け落ちていくかのように見えた。
姿を見せ始めてから数十秒。意外にあっさりと完全に上半身を見せた『それ』は、ゆっくりと見渡すように、その場で体を半回転させた。
そして、港内に係留されていた小型船舶を押し分けるようにして岸へ近づくと、防波堤上にその足をかけた。
眠らない都市の明かりを反射して、ピンク色に染まる曇り空に浮かび上がったその黒い影は、青白く煌めく海水を全身からしたたらせながら、非常にゆっくりと動き、地響きを立てて上陸した。
大地を踏みしめ立つその影は、港周辺の巨大なガスタンクや工場群を、さらに見下ろす高さだった。港湾に設置されている、荷役用のガントリークレーンを遙かにしのいでいる。
高さは約一00メートル、体幅は二十数メートル。
それが、影のおおよその大きさであろう。
その高さと同じくらい長い尻尾がはるか後方の水面をたたき、巨大な水しぶきが上がった。
まるで土砂降りの雨のように、下水の臭いのする濁った海水が工場群に降り注ぐ。
その時、後方支援隊のサーチライトが、影の頭部をとらえた。
固まった溶岩のような皮膚。
上下に突き出た牙。
ライトを反射して赤く光る目。
背中には、不規則な形の大小の背びれが、尻尾まで三列に並んでいる。
全身青黒い岩のようでありながら、まるで炎か板状のサンゴのようにも見えるその背びれだけは、海のように透明感のあるブルーグリーンに輝き、夜光虫のそれとは微妙に違う薄緑色の光を放っていた。
額の中央部には、赤く光を反射する、まるで宝石のように半透明でつややかな、楕円形の突起が見受けられる。
微妙な形態の違いは見受けられるが、全体のフォルムは確かに十五年前、地上を蹂躙した巨獣・Gに違いなかった。
Gは、自分の周囲を囲むように展開した自衛隊の特殊車両を見渡すと、大きく胸を反らし、天に向かって吼えた。
まるで大型の弦楽器を、弓で高音から低音へ一気に弾(ひ)き下ろしたような大音量が、一帯に響き渡る。
耳をつんざく高音域はすぐに消え、低音の余韻が長くビリビリと周囲を震わせた。
思わず耳を塞ぎたくなるようなその轟音を、自衛隊員達は微動だにせず、姿勢を低くしたまま耐えている。
その時、咆哮の余波をかき消すかのように上がったのは、鈍い着弾音。
巨大な影の頭部から肩にかけて、連続して激しく火花が散り、海藻が焼け焦げたような異臭があたりに立ちこめる。
「Gめ、やっと、水上に出たわね」
Gの佇む倉庫街から、はるか十数キロも離れた海上。
暗いコクピットの中でつぶやいたのは、銀色のパイロットスーツに身を包んだ女性だった。
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