09-07 蕭何      

 張綱ちょうこうがかました口上に、場が凍りつく。

 そいつァ、やつの後ろにいた使節団にしても同じことだった。使節団のお仕事ァ敵将に斬られることだ、ってな、誰が言ってたんだっけな。皆々さまがたァ、そこんとこよーくわきまえてらっしゃってたらしい――ただひとり、張綱を除いて。

 寄奴きどァ色を消し、張綱ひとりをじっと見る。

 やっぱ、まるきり揺らぎゃしねェ。

 と、寄奴ァ、やおら笑い出す。

 いきなりのことに、どいつもがすくみ上がる。ダン・フォン辺りゃさすがに顔にこそ出さねェが、寄奴に向けるまなざしが、やっぱり戸惑っちまってんのがわかる。

「張鋼に縄を打て。で、副使を前に出せ」

 それぞれが何考えてようが、寄奴が命じたんなら、そいつが最優先。兵どもが動くと、張綱ァまるで抵抗する素振りもなしに縄につき、代わって張綱の後ろで震えてたやつが、寄奴の前に引っ張り出される。

 次いで寄奴ァ、書記官を側に呼び、木簡を広げさせる。

「ヤオ・ホンに伝えろ。重装騎兵をこっちに寄越してくれるんなら、喜んで相手してやる。広固こうこを落としたら、今度ぁ手前の首の番だ、楽しみにしてろ、ってな」

 そう言い切る寄奴に、副使どのァあからさまに肝潰してやがった。しょんべんちびらずに済んでたんが、せめて面目保った、ってとこだな。

 寄奴の言葉ァ、衆人が見守る中で結ばれ、封をされ、副使どのに渡される。

 そのまま始まるんが、歓待の宴だ。

 当たり前ェだが、副使どのがまともに飲み食いできるはずもねェ。

「おいおい、広固から長安ちょうあんは長旅だろうに。ろくに食えねえでいたら、道中どうなるか知らねえぞ?」

 そう言って、寄奴ァ副使どのの肩に手を回す。露骨にビクッてなんのを、あの野郎、楽しんでやがった。

 と、そこに。

「兄貴!」

 息せき切って駆け込んで来たんなァ、穆之ぼくし

 場に飛び込みしな、あたりの様子を見て、おおかたのとこを察したんだろう。

 一度息を整え、副使どのらに一通りのあいさつをした後、寄奴を睨みつけながら、拱手する。

「将軍に、内々にて報告したき議がございます。送別の宴の中、心苦しくございますが、いささかのお時間をいただけましょうか?」

「ああ」

 寄奴が立ち上がりゃ、隣にいた副使どのァホッとしてた。たァ言え、副使どのにとって一番の難関ァ、ヤオ・ホンのもとに戻ってからだ。あんな、あからさまにケンカ売ってる書状渡さにゃなんねェんだ。下手すりゃそいつで首が飛んじまうことだってあるだろう。

 穆之と一緒に会場の外に出りゃ、振り返った穆之ァ、さらに剣呑な顔つきになってた。

「あらましは聞いた。どうしてヤオを焚きつけるような真似をしたわけさ。いまの僕たちに、奴らの鉄騎なんかまともに受け止められる余力なんてあると思う?」

「ねぇな」

「! じゃ、なんで――」

「来ねえからさ」

 言い切る寄奴に、穆之ァ、止まる。

 一度、二度。穆之の口が開閉したが、そんだけだ。うつむき、眉間に指をやり、首を振る。

 で、顔を上げた。

「理由、教えてもらってもいいかな」

「要は丁半なんだよ。だいたい考えてもみろ、どうしてわざわざこっちに宣言する必要がある? 備えてください、ってか? ねえよ。どうせハッタリかけんなら、もう少し安い数出してくりゃよかったのにな」

「っ!」

 穆之ァ、手前ェの館に十数人かそこらをいっぺんに招いて、そいつらとの雑談をことごとく施策に反映したりもする。この兄にしてあの弟、ようはアイツも十分に化け物のたぐいだ。

 たァ言え、そいつらも結局ン所、日々積み重ねた読書から紐解いてったに過ぎねェ。

 寄奴が血溜まり、糞溜まりン中で暴れまわってたような時間を、あいつァ学びに充ててきた。なら寄奴と穆之とがそれぞれで見えるモンァ、まるで違う。

 穆之だってきっと、寄奴の判断が、これまで手前ェが培って来たようなとこの外の理屈で成り立ってるこたァ分かってたはずだ。

 ただ、だからってすぐ、はいそうですか、なんて腹落ちもしねェだろう。

 穆之ァ寄奴を見る。

 その面ァ、やや迷うような。

「なら――」

 そう、穆之が言いかけしな。

 隣に、すっと人影が現れた。

 まるで見覚えのねェツラだ、だからこそ・・・・・寄奴ァ、すぐにそいつの素性に行き当たる。

 吉翰きつかん

 穆之が諜報のために抱えたやつだ。

「お話のところ、急報につき失礼致します。謀主、こちらを」

 吉翰ァ、一枚の紙切れを穆之に渡す。

 そいつを見て、いちど穆之ァ目を見開く。

 が、すぐに気を取り直すと、吉翰に拱手した。

 吉翰も穆之、それから寄奴にそれぞれ拱手すると、すっと姿を消す。見えてるはずなのに見えなくなる、ってんだから、尋常じゃねェ。

「相変わらず、怖え奴だな」

 寄奴ァそう漏らすが、穆之ァこれと言って反応らしい反応もねェ。

 その代わり、紙を差し出してくる。

「兄貴、悪かった。もう、この話は終いにさせてくれ」

「あん?」

 紙を受け取り、内容を読む。

 そこに書いてあったんなァ、ヤオ・ホンのいる長安に、大規模の内乱あり、だった。しかもその征討にあたり、洛陽の軍備まで駆り出された、って言う。

「合点が行ったよ。これなら確かに、ヤオ・ホンも言葉だけでどうにかするしかない。なるほど、随分強気な威嚇してくるわけだ」

 力なく笑うと、穆之ァ紙を回収し、ふう、と嘆息する。

「にしても、よくこんなのを言葉だけで見抜けるもんだ」

「言ったろ、丁半だってよ。何なら穆之、建康けんこうに戻ったら、お前も一口噛んでみるか?」

「心底ごめんだ」

 そいつを聞き、はっ、て笑う。

「ならお互い、やれる事やろうぜ。城周りの調略はどうだ?」

「やばいところはあらかた潰せた、と思う。けど、いくつか怪しいところは残ってる。もうちょっと潰すのに時間がかかりそうだ。ただ問題は、結局広固城なんだよね」

「硬てぇか」

「正直、洒落にならない。このままちんたらしてたら、簡単に年さえ跨ぎかねない――どうにも、杜恬とてん殿は蕭何の才をお持ちのようだ。配されて二、三年程度しか経ってない地に居着いたムロンが、あと千年は戦える、って豪語したくらいだしね」

「すげえな」

 思わず、寄奴ァ笑う。

蕭何しょうかを前線に出してたんか、うちのお国ゃよ。ずいぶんと博打好きでいらっしゃる」

 かんを打ち立てた劉邦りゅうほうにゃ、三傑、って呼ばれる配下がいた。軍師の張良ちょうりょう、将軍の韓信かんしん、それと、蕭何だ。

 前のふたりが項羽こううとの戦いに、でけェ功績を挙げたんなァ、どいつもが知ってるとこだ。

 っが、そいつらの力で項羽を打倒したはずの劉邦ァ、その筆頭功臣に簫何を挙げた。ろくろく戦功なんざ挙げず、後方で物資だ何だの取り揃えに携わってた、蕭何を。

 そいつァ輜重しちょう、つまるとこ戦うだけの備えが、戦いそのものよか重要だ、ってのを訴えてる。

 ついでに言や、そいつァ実際に戦に出向いてあれこれ指図すんのたァ、とことんに相性が悪りィ。

 そしたら、こいつァ考えなきゃいけねェよな。寄奴にとっての蕭何、そいつが誰なのか。

「なら、そいつが敵の手に落ちてないのを、せめて喜ぶべきなのかもね」

 そう言う穆之ァ、もう次の算段を立てようってツラでいやがった。

 ――頼むぜ、蕭何。

 寄奴ァそう言いかけたが、踏みとどまる。

 そんで、言う。

「任せるぜ、張良・・

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