08-09 契機      

 見晴らし台の上に立つ王仲徳おうちゅうとくの合図で、兵らがうねうねと動く。合図から動きに移るまでの遅れも、ほんのふた呼吸程度。見事なもんだ。

劉鎮軍りゅうちんぐん、仕上がって参ったな」

 広陵こうりょう太守府、調練場を一望のもとに収められる城楼じょうろう。いつぞやにも登ったとこだ。その隣りにいたんも、あん時と同じかた、徐道覆じょどうふく将軍。

 寄奴が広陵で騒ぎを起こして、もう二十年近くが経ってた。

 広陵ァ北地からの人の流れが集まる町。ともなりゃ、いきおいこっから北に進むにあたっても、この街が拠点になる。そういう場所に、二十年だ。見りゃ、以前にゃ青々とされてた髪の毛にも、だいぶん白いのが混じってきてた。

「徐将軍にそう呼ばれちまうと、なんかケツが落ち着きませんわ」

「慣れ給えよ。それだけのものがそなたのもとに収まっておるのだ。そなたとて、得るべくして得たのであろう?」

「ま、そうなんすがね」

 どうにも奥歯に挟まった言い方になっちまう。 

 ガキができたからって、のんびりと喜びに浸ってもらんねェ。寄奴の肩にゃムロン、五斗米道ごとべいどうの撃滅がのしかかってる。

 穆之ぼくし蔡廓さいかくとで準備を進め、装備だ何だも徐羨之じょせんしが泣きながら手配して回ってる。仕込みゃそこそこ、っが、寄奴の心に高揚ァねェ。

「将軍、つくづく己ぁ総督そうとくの器じゃねえな、って思うんすよ。血と泥にまみれて、傷の痛みも酒で流して。そいつが許されねえのが、こうも虚しいなんて」

「聞かなかったことにしたほうがいいかね?」

「や、こいつを最後にしますわ。ここに置いてきます。己の立場なんざ、どう勝つか、以外にねえ」

 と、目の前に、いきなりの酒壺。

「では鎮軍、いや、あえてこう呼ぼうか。項裕こうゆう殿よ。率いる者は多くの栄華とともに、多くの怨嗟をも引き受ける。老兵からの差し出口はひとつだ、な」

 言いながら、ぐい、ぐいと酒壺を押し付けられる。はねのけるわけにゃいかねェ。受け取ると、一気に飲み干す。

 ところが、こいつがまたどえらく、きちィ。まじィ訳じゃねェ、ただ酒精が強すぎた。

 寄奴ァたまらず、思いっきりむせ返った。徐道覆将軍ァそいつを見て、ド派手に笑う。

「南方から取り寄せた酒だ。あちらは日差しだけでなく、酒精も強くなるらしい」

「ちょっ、し、将軍、そう言うんなぁ、は、はじめに……!」

「敵はそなたに、わざわざ襲いかかると告げてくれるのかね?」

「!」

 いきなり、喉元に刃を突きつけられるみてェな心地。

 寄奴ァもっとむせ込みてェ気持ちをこらえ、徐将軍の隣から一歩引き、正面切って向き合った。つっても酒精が消えたわけじゃねェ。そいつらァ二度、三度と呼吸をならしてき、なんとか抑え込む。

「それでいい」

 寄奴だってそんじょそこいらの奴よかでけェってェのに、将軍ときたら、そっから更に頭ふたつぶんァ高けェ。ひとの器なんぞ上背やら体躯たァまるで関わりゃしねェが、でけェ奴がデカさに甘えずその身をしごいてきてんなら、話ァ別だ。

「改めて、聞かせてくれ。そなたは今や、この江南こうなんの地にて並ぶことなき大名籍だいめいせき。その力があれば、多くのことを成し遂げられよう。ならば、その力で何をしたいと思う?」

 まっすぐな目。べつだん寄奴を試してェ、とかでもねェんだろう。っが、妙に重めェ。

 いっかい息を呑んでから、寄奴ァ言う。

「正直、力とやらを持てりゃ持てるほど、もっとデケえ力に押し潰さちまいそうな気がしまさ。ぜんぜん何かができるようになった、たぁ思えねえ。だから、潰されねえようにしなきゃならねえ。ただそいつぁ、今となっちゃ己を頼ってくる奴らを含めて、になってる」

 調練に精を出す王仲徳らを見る。

劉牢之りゅうろうし将軍が殺されたとき、孫無終そんむしゅう将軍をはじめ、多くの将軍がたが殺されました。ともなりゃ、将軍がたが抱えてた家族や封土の奴らだって、ひでぇ目にもあったんじゃねえかって思うんです。まだまだいろんなもんが見えちゃねえですが、一つだけ言えます。己が負けりゃ、多くの奴らがひでえ目に遭うんでしょう。なら、負けるわけにゃいかねえ」

「驚いたな、随分と殊勝ではないか」

 からかうような口ぶりの徐道覆将軍に、寄奴ァ、ややぶすっと返す。

「元からでけえこた考えちゃねえですよ」

 弱えェ奴らを食いもんにしてる奴らを、叩く。寄奴がやりてェんなァ、どこまでも、そいつだ。

 っが、なら今の寄奴に、どうやりゃ王氏おうしを、謝氏しゃしをどうにかできる? すでに奴らァ、桓玄かんげんを倒そうって寄奴に深く食い込んできやがった。どう動こうにも、寄奴の後ろにゃ王謝がつく。こっから、どこまでの高みに登りゃ、奴らから自由に動けるようになる?

 木っ端から登ってみりゃ、そのぶんだけ絡んでくるしがらみも、多い。

 昔の王様らん中にゃ、独断で無茶なことやらかしてたって言われてたやつも多い。たとえば苻堅ふけんなんざ、淝水ひすいに出んのに大半のやつから反対を食らって、それでも強行したわけだしな。

 っが、そいつにしたって、軍を淝水に動かすことで旨味にありつけるやつが多く絡んでた。本当の意味で手前ェひとりの暴挙なんてもんァ、ほぼありえねェんだ。

「不思議なものだな」

 徐道覆将軍が、苦笑する。

わしには、そなたが重荷にあえいでいるようにしか見えん。望んで手に入れた地位ではなかったのか?」

「望みましたがね。己みてえな莫迦バカにゃ、背負うもんの重さも見極めきれなかったみてえで」

「なるほどな」

 徐将軍が、改めて一杯を突きつけてくる。寄奴ァおっかなびっくりで受け取ったが、今度のやつも強えェは強えェにせよ、かなり旨味が前に出てきたやつだった。

「重荷をなげうち、ただ戦に興じるのも楽しからざることとは言い切れぬのやもしれぬが、な」

「――確かに、悪かねぇですね」


 話があべこべになんだが、ちょうどこの頃、トゥバ・ギがトゥバ・シャオに「殺された」。

 しんにとっちゃ最悪としか言いようのねェ奴が、いきなり、死ぬ。

 トゥバどもにすりゃとんでもねェ凶事だろうが、そいつァ晋側にしたって同じことだった。なにせ「どうトゥバ・ギを防ぐか」なんざ、真っ先に考えなきゃいけねェことだ。そいつが、いきなしぶっこ抜かれちまう。

 確かに、晋にとっちゃ良い知らせ。だが、「良すぎた」。こういう手合のできごたァ、想定外に想定外を招く。下手に乗っかりゃ、その行き先なんざ全く見極めきれねェ。

 だからこそ、寄奴ァ、乗った。

 この頃、穆之らに描かせてたムロンと五斗米道とを討ち果たす絵図の出来ァ、よくて六割ほどだったろう。そいつらも割とご破産になって、一からやり直さなきゃいけねェ、くれェのてんやわんやになってた。

 視察のため広陵に出向いてた筈の寄奴が、そのまま出征しよう、とか言い出す。そんなん、建康けんこうの奴らが賛成するわきゃねェ。

 っが、そいつらをねじ伏せたやつがいた。

 孟昶もうちょうだ。

 聞きゃ、寄奴の動きに対して弾劾だんがいだのどうのとか言い出した奴らもかなりいたらしい。っが、孟昶ァその厳めしいツラで「巧遅こうち拙速せっそくに如かざることも理解しておられぬか!」って一喝したんだそうだ。

 だから、寄奴がムロン討伐を動かせたんなァ、孟昶のおかげだった、って言っていい。


 ――言って、良かったんだ。

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