幕間 丁旿の旅路

幕間  益州     

 えんからいちど襄陽じょうように戻り、そっから西方に向かう隊商にまぎれさしてもらう。そっから向かったんなァ、漢中かんちゅう長安ちょうあんと、しょくとも呼ばれる益州えきしゅう、その間をつなぐ山あいの地だ。や、あの辺の山々に比べちまや、京口けいこうにあるんなァ、良くて丘だな。もっともそのぶん、沔水べんすい長江ちょうこうに比べちまやせせらぎみてェなもんだけどよ。

 新鮮で、悪かねェ景色じゃ、あった。っが、どっか閉じ込められてるみてェな気持ちにもならざるを得ねェ。

 漢中から関中に出る道ァ、どれもせせこましい。しかもだいぶん険しいんだそうだ。よくもまァ、そんなとこを諸葛孔明しょかつこうめいやら鐘会しょうかいやらァ行き来したもんだ。あの辺に己が兵士で従ってたら、途中であっさり足滑らしてあの世行きしちまわ。

 漢中からァ別の隊商に潜り込んで、益州に向かった。えっちらおっちら剣呑な道のりを越えりゃ、いきなりぼかっと眺めが開ける。つい何日か前に漢中盆地を抜けた身としちゃ、きょとんとしたね。同じ盆地のはずだってェのに、こっちゃまるでふちが見えねェ。そりゃ手前ェらの横にゃそびえてたが、そいつにしたって果てなんざ見えたもんでもねェ。

 全く見慣れねェ土地を巡れるなんて、ちょっとしたご褒美じゃ、ある。行く先々の食いもんやら酒ァ、その地その地ならではって感じもするしな。

 ちなみにだが、寄奴きどが飲み食いしてるもんの味やら口触りァオレにも伝わってくるし、逆もそうだったらしい。龍に食われて、その辺ァまァ、良かったことって言えなくもねェかな。


 益州の都ァ、成都せいと

 北東から入ってきた己がそこに向かうんにゃ、四つのでけェ川を渡る必要がある。全く、山々が天然の城壁、川が天然の堀と来た。どんだけ固てェ守りなんだって感じだ。

 それぞれの川の渡しで、隊商の長ァあれこれ難儀してた。ってェのも、譙縦しょうじゅうが益州で反旗を掲げて以来、これまで通用してた往来のためのやり取りが、ほぼ通じなくなっちまってたらしい。それぞれの渡しが、どんだけ手前ェの懐あっためられるかにばっか勤しみやがるんで、毎度毎度ちょっとした喧嘩沙汰にすらなりかけてた。

「王さまの凄さは、関所に出るもんだ」

 長どのがそう吐き捨ててたのが、ちィと面白かったかな。

 成都に近づきゃ近づくほど、だんだん雰囲気が物々しくなってきやがる。そりゃそうだ、譙縦にしてみりゃ、いつ外から攻め立てられっか気が気じゃねえェはずだ。いちおうヤオ・ホンを主に仰いじゃいるが、この乱世、いつ切られるかも分かったもんじゃねェ。それにヤオとやりあってやがる勢力、テュッファとも接してる。のんべんだらりとしてりゃ、即、食われちまいかねねェ。

 己が潜り込ましてもらったんも、譙縦が辺りから軍備だ兵糧だをかき集めてやがったおかげだったりする。外から手あたり次第にものを取り寄せようなんぞするから、隊商が抱える物資なんかも割と無茶苦茶な量だったりする。そういった荷物の上げ下ろしを手伝うって言ったら、喜んで同行を許してもらえた、ってわけだ。

 上げ下ろしのぶんで、むしろ駄賃までもらえたとこで、己ァ隊商と別れた。そっから成都をぶらぶらする。それなりに人の行き来もあるし、雑踏もある。っが、どうにも息苦しさァ否めねェ。町の奴らも、こっから戦争、戦争になるんなァいやでも感づくんだろう。血気盛んな親玉の下で暮らす奴らァ、つれェもんだ。

 ――っが。

「おい、そこな白髪」

「ンぁ?」

 いきなり後ろから呼び止められたかと思いきや、両脇から押さえつけられる。

「っちょ、何なんだいきなり!?」

「不審な者がいる、との通報があった。一緒に来てもらおうか」

 おいおい、って思ったね。

 ったく、風来坊ァ風来坊でつれェもんらしい。

 

「怪しい白髪の男がウロウロしているとは聞いたが、まさか貴様とはな」

「はァ、こりゃどうも」

 ふん縛られた己の前に突っ立つんなァ、もはや奇縁としか言いようがねェ。

 桓謙かんけん。右目の辺りが矢傷にえぐられちゃいたが、変わらずお元気そうだった。何より何より。

 ふん、と鼻息ひとつ。

「縛めを解かれよ」

「か、桓謙殿、よろしいのですか?」

「構わぬ、旧知にござれば」

「そんな仲良かねェけどな」

 睨まれたんで、あさってのほうを向く。

「相変わらず、人を苛立たせる。それで? どうして貴様が益州くんだりにおるのだ」

「そりゃこっちのセリフだ。しかもまるで将軍様じゃねェか」

「当たり前だ、将軍なのだからな」

「あ?」

 見りゃ、桓謙が身にまとう甲冑ァ、あからさまにしんのモンじゃねェ。やつの周りにいた奴らとも違う。どっちかっていや、西のかた、涼州りょうしゅうの奴らがまとってたやつが近けェか。

「そういや言われてたっけな、譙縦とヤオ・チャンがつながったってよ」

「先帝を軽々しく名で呼ぶな、痴れ者が」

「へいへい」

 言葉ほどに、怒ってるふうでもねェ。

 はっきりしたこたァあった。劉毅りゅうきらが南郡なんぐんを落としたとき、桓謙やら馮該ふうがいの死体ァ出て来なかった。

 じゃあ、どこに消えたか?

 つまるとこ、逃げ込んでたらしい。ヤオ・チャン……いやさ、もうあいつァ死んでんだ、だからその息子、ヤオ・ホンの元に。そっから譙縦を助けるため、益州に遣わされた。

 桓謙ァ、荊州けいしゅうに縁深けェ。そいつァ桓玄のおやじ殿、つまり桓温かんおんの時からこっち、将帥の一門として関わってきたからだ。ともなりゃ、やつが益州に遣わされた目的なんざ、ひとつっかねェ。

 荊州への、お礼参り。

「貴様の無礼に応じたのだ。いい加減に答えろ。何を考え、ここにいる」

「あ?」

 さて、どうしたもんか。

 その頃広陵こうりょうじゃ、穆之ぼくしが寄奴づてに己のこと聞かされて爆笑してやがった。「なんつーか、持ってるよね、兄ぃ」とか言われたが、なんでかね、これっぽっちも嬉しかねェんだが。

 ともあれ己ァ、立ち直った穆之からのセリフを桓謙に伝える。

「破門されちまったんだよ。おかげでどこぞに帰るあてもねェうちに、気付きゃこんなとこだ」

「は?」

 それまでのしかつめらしい顔もなんのその。桓謙の野郎、随分と間の抜けた面になりやがった。

 そっからひと呼吸ののち、爆笑。

 あーくそ、腹立たしいったらねェ。

「――いや、何なのだ貴様! 警戒したぶん、まるまる損ではないか! あまり人を笑わせるな!」

「や、そんなつもりゃねェよ」

「ともかく!」

 そいつァ、手前ェ自身をなんとか堪えさそうってつもりもあったんだろう。なんとかいかちィ顔つきを取り戻そうとして、っが、口もとがひくつくんなァ止めようがねェ。

西府せいふにあり、貴様には苛つかされ通しであった。が、貴様が先生の武を誰よりも体現しておったのも揺るがせに出来ぬこと。三峡さんきょうをいつ東下せんかと計っておる折に貴様と再会したのも、何かの縁やも知れぬ」

 そこまでを言い切ると、もう桓謙のツラから緩んだとこァ消え失せ、代わりに怒り、憎しみ、みてェなんが現れた。

 拱手する。

「あえて、こう呼ばせていただきたい。てい主簿掾しゅぼろくよ。江南こうなんの地は、いまや劉裕りゅうゆうなる徳行にもとる賊徒の手に落ちた。民庶みんしょはかの愚物ぐぶつ籠絡ろうらくされ、真なる義より目を眩まされ、惑っておる有様。我らは武悼ぶとう皇帝の遺志をぎ、蔓延はびこもうひらかねばならぬ。どうか、この壮挙そうきょにご同道願えるまいか」

 それっぽい言葉を連ねちゃいたが、桓謙の野郎が言ってきたんなァ、こいつだけだ。

 桓玄かんげんを陥れた寄奴がムカつく。

 殺してェから、手伝え。

 莫迦莫迦ばかばかしいにもほどがある。そんなん、どこまで通じんだってんだ。寄奴ァ間違いなくちまたの声に乗ってった。いまさら桓玄のどこが正しかったなんてほざけんだ。そいつに乗ってみたとこで、いたずらに世を荒らしてェようにしか思われねェだろう。

 ――だからこそ、拱手を返す。

「やれんだな?」

「何?」

 演技でも、何でもねェだろう。桓謙にしたってそう返されるたァ思ってもみなかったはずだ。

 だから己ァ、なんとか苛立ったフリをする。わざとらしくなんねェようにとか、むつかしいことこの上ねェ。

「とぼけんじゃねェよ。手前ェとつるみゃ、殺せんだろ? 寄奴の野郎も、陶潜とうせんも」


 ――や、先生。

 わかってるだろ、わかってくれてるよな?

 何もかも、桓謙に取り入るための芝居だぜ?

 先生だって、重々ご存知だろ?

 穆之の野郎、そのへんのたばかりがクッソ得意だってこともよ。

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