ss-10 烽火
トゥバ・シ様のお言葉が、我が胸中に言いようのなき
――その戦棍の、鈍りつつあること。
――楽な戦だな。
そこに、主のお言葉がのしかかる。
主は、生まれながらにしての戦士にあらせられた。故にこそ凶、故にこそ暴。その眼差しの赴くまま、殺し、壊し、
身震いをしたものである。
過日、我は
その中にあり、主ただお一方が仰った。
「おれを船に載せろ。
その言葉に虚勢じみたものはなく、自らに機さえあれば、たちどころに叶えてみせよう、と言わんばかりであった。
誰しもが、その言葉を笑った。我とて例外ではない。
我が冷笑は、ただの一戦にて凍りつく。
西のかた、
主の参上に対し、かのムロン・チュイが深く頷くのを訝った我であったが、その理由は、すぐに戦場にて明らかとなった。
「そなたがうろたえるとは、珍しいものを見た」
そう、ムロンチュイに笑われた。
「二度はございませぬ」
我もむきになり、そう返す。
涼州はむしろ、我と主との戦場であった。
ムロン・チュイの引合せのもと、我らは盃を交わした。主が語られたは、トゥバの再興。我もまた、
苻堅による中原統一がなされて後、
いかに苻堅とは言え、統一、すなわち安寧、とはならぬ。各地には否応なしに火種が
我は天意なぞ、信じずにあった。いま、敢えてその言葉を持ち出すならば、こう言えるのであろう。我がこの千々に乱れる中原に生まれ落ちたは、主の
両名が顔を合わせ、固まり。
何故か、隣にあった
天意は、確かに、ある。
人の身で、天意を弄するは能わぬ。かの苻堅ですら手中に収めかけながらも逃したが、天下。加えて、逃したそばより、苻堅は滅んでいる。
天は、劉裕を選んだ。
その劉裕が、苻堅の
その深遠なるを、人の身にて察しうるは能わぬのであろう。故にこそ、人事を尽くす。そうして育ったトゥバの国は、間違いなく、あらゆるものを飲み尽くす強さを宿した、と言ってよい。
――なれど、要たる主が、そこにおらぬ。
容易き戦い、鈍りたる戦棍。
賜った言葉を
これ以上の題目をくどくどしく並べ立てたとて、詮無きことであろう。疾駆する主の雄大なるに
そこへ差し伸べられたが、トゥバ・シ様よりの、手。
かしゃり、と甲冑の音が響く。
「
「おさすがです。余裕を持ってことに当たれますな」
「余裕、か」
やや遠きより盛楽の城を眺める、その隣に、トゥバ・シ様が並ばれた。その幼きみぎりより共にあった身として、改めて、今や仰ぎ見るほどに逞しくなられておられたのだ、と実感する。
「この期に及んで、私はいまだシャオの謀反に確信が持てずにいる。そなたのほうが、あれをよく知っているということなのかな」
「近しき故にこそ見い出せぬことも、また少なくはございませぬ」
知らずにおれば良いことも、ある。
今宵、トゥバ・シャオ様が、主を襲う。
主は折しも深く酒を召され、いつものごとく周囲への苛烈なる
――と、わが手足を通じ、トゥバ・シャオ様には漏らしてある。
これまでにも、トゥバ・シャオ様のお心は削ってきた。「今宵討たねば、おれが殺される」とつぶやかれたとも、我が耳には届いておる。
今宵、トゥバ・シャオ様を動くように仕向け、一方ではその動きを、トゥバ・シ様へお伝えする。自らで起こした火を、自らで消すような真似である。ことが公にでもならば、この身、腰より両断されたとて
「父上のご寝所には、誰がいる?」
「変事に備え仕立てた、身代わりが。動かず、ただ横にさえなっておれば、トゥバ・シャオ様でさえ見分けは付きますまい。増して、いざ殺されてしまいさえすれば」
「――父上は?」
「ほど近くにある小屋にて、お休みになっております。伴にはへ・ウィンと、ユ・リディ殿を。また、我が息の
「そうか」
トゥバ・シャオ様が、動き出されたのであろう。
「何から何まで、面倒を掛けた。そなたがなしたは、すべて私の罪だ」
抜刀し、伴の者らを率い、トゥバ・シ様が動かれる。
見送る我の手は、知らず、拱手を形作っていた。
――この夜の
逆徒トゥバ・シャオは真夜中に伴を連れ、宮廷内に
このとき外部にいたトゥバ・シ様は、すぐさま宮中に呼びかけ決起、速やかにトゥバ・シャオを捕縛。トゥバ・シャオ、及びその母を処刑し、トゥバ・シャオに付き従った数十名は、生きたままその身を切り刻み、群臣らと共に食された。
トゥバを大いに隆盛させた主は、その偉業を讃え、
ここにトゥバは、新しき時代を迎えるのである。
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