ss-09 嫡流      

 盛楽せいらくに戻りたる我らに、望外ぼうがいの報が届いた。曰く、ヤオ・チャンの死。嫡子のヤオ・ホンがその家督を継いだ、とのことであったが、彼の者が人主として柔弱に甚だしいとは聞いている。

 我らにとりては嘉すべきことである。なれど主の面持ちは、やや、重い。

「人主滅びて、国はどうなるのかな」

 ムロン・チュイが主に突き立てたる牙は、大きな傷を残したようである。

 トゥバ・シ様への求めは一層高きものとなり、また、その弟君らへの目もより厳しきものとなる。調練や遠征で不甲斐なき動きを見せる皇子らに向け鞭打つはおろか、白刃を抜きかけることすらままあった。

 いつしか諸王子の眼差しより、主への尊崇は消え、怯えと疑念ばかりが支配するようになった。

「陛下のお考えは、それでも理解しているつもりなのだ」

 お世継ぎたるトゥバ・シ様が、人払いの上、我に漏らされたことがある。

「年々、寒さは厳しくなっている。去年できたことが、今年できなくなるなどもザラだ。トゥバを生き延びさせるために、ムロンを悪しき反例とする。そのお考えに異存はない。だが、あそこまでなされる必要があったのか?」

 トゥバ・シ様の目に、涙が浮かぶ。

 リウ部の処断は、トゥバ・シ様にとりては母親の一族を殺されたことになる。情でのみ言えば、他ならぬ父親が、仇。

「リウ部は精強。我らと彼らを隔つは、ただ武具の差にありました。なれど、その差なぞ、すぐに埋まる。その取り易きを取る、こそが戦の鉄則なれば、脅威となる前に除かねばなりませぬ。世子もご指摘くださりました通り、近日は歳を重ねるごとに寒きが厳しきを増しております。虎狼とて、極度の飢えにあっては、己が兄弟を食い合いましょう」

 淡々と述べつつ、思う。

 ――トゥバ・シ様は、いささか、甘くおられる。

 リウ部の殲滅は、確かに主のお立てになった謀議。なれど手立てを整え、殲滅せんめつまでに差配したは、この崔宏さいこうである。この口にてトゥバ・シ様の疑念が主に伝わらぬと、ごうにでも思っておられたのであろうか。

 しかしながら。

「建前はいい、崔宏殿。最も父を近くで見ておられるそなただ。その戦棍の鈍りつつあるに、気付いておられぬはずもあるまい」

 我が胸中を射抜かんとばかりの眼差し。

 主が如き猛々しさとは異質な、なれど逃れようもないと感ぜられる点については、まるで同じ。

「父は強き戦士であらねばならなかった。いや、それは今なお変わっておらん。しかし、盤戯ばんぎのできるお方ではない。なさるにしても、少しでも不利ともなれば盤ごとひっくり返されよう」

 仰りながら、そのお姿がありありと浮かばれたか。トゥバ・シ様がほのかに顔をほころばされた。

 らしいたとえだ、と思う。

 早くより戦場に立たねばならなんだ父上とは違い、トゥバ・シ様は盛楽でヤ・フェ様よりの薫陶くんとうをお受けになることが多かった。

 外との折衝を多くこなしてこられたヤ・フェ様は、各地の盤戯にもまた通じておられた。トゥバ・シ様は、いわば愛弟子である。その業前わざまえも、並み居る群臣では相手にもならぬと聞く。

 その面持ちは、しかしすぐさま重くなる。

「しかし、だ。その盤戯、飽いたからとなげうつことが、あるいは憂さ晴らしの気ままな遠乗りが、相撲が、狩りが許されるものなのか?」

 ここでトゥバ・シ様が、改めて我を射抜いてこられた。

 あぁ、と、内心で嘆じる。

 このお方も、やはり、王にあらせられたのだ。

 我が、主の暴にどうしようもなく惹かれておりながら、それでいて、暴をトゥバに行き渡らせるために、主そのものについては型にはめ込んでしまっている、そのことを見抜いておられた。

 覚えず、手が震えていた。

 我はそれを隠そうともせず、なんとか胸に当て、頭を垂れる。

 更には、膝をつく。

「偉大なる狼は、草原を疾駆するが相応しきお姿にございましょう」


 勢力を盛り返したロランとの戦いにて、我は盛楽での留守居役を命ぜられた。

 平原を翔ぶように駆ける騎兵を御す術は、もとより我には持ち得ぬものである。なればこそ追従し、未知の戦いを味わいたくもあったのだが、平原の戦いは、それこそただ一人の働きすらもが趨勢すうせいを占う。いかに鍛錬を積んでみたところで、到底我が追いつけるものでもない。

 加えて、リウ部の抜けた、盛楽。

 皇后の家門が抜け落ちれば、それを取り巻く家門にも大きく影響がある。トゥバを取り巻く連合体の、新たな貴種として、いかにのし上がるか。その座を虎視眈々と狙うものも多い。野心に燃える各家門を振り分け、トゥバをより強めねばならぬ。

「どけっ、南の猿!」

 我が肩を、粗暴なる一団が突き飛ばす。

 画然かくぜんたる膂力りょりょくの差は、いかんともし難い。たたらを踏めど、踏みとどまりきれず、あえなく我は膝をつく。

「何だ、ちょっと小突いただけだぞ! 小猿はひ弱でいかんな!」

 嘲弄ちょうろうの句に、下卑た笑いが続く。

 狼の毛皮と、けばだたしき羽飾り。身につける武具は、明らかに殺傷力を見栄えへと引き換えている。無論、かの者らの膂力をもってすれば、この素っ首なぞ、敢え無くねじり切れようが。

 我は立ち上がると、かの者らに向き直る。その内の幾人かがわずかに後ろずさるのがわかった。ならば、始めからちょっかいなぞ掛けねばよかろうにとも思ったのだが、それは、まあ良い。

 我は右手を胸に当て、頭を垂れる。

「これは、トゥバ・シャオ様にあらせられましたか。我が不如意ふにょいにて行く手を煩わせたること、まこと申し開きのしようもございませぬ」

 満面の笑みを形作りたる後、面を上げる。

 正面の韋丈夫いじょうぶ、主の側室のお子のひとりたる、トゥバ・シャオ様は露骨に不快をその顔に表された。

 おそれ多くも主よりの寵をたまわる我と、主のお子の対峙である。周囲の耳目じもくは、すぐさま我らのもとに集う。先頭に立たれるトゥバ・シャオ様のたたずまいこそ堂に入ったものであったが、取り巻きは明らかに浮足立ち始めている。

「貴様は――」

「恐れながら、申し上げます。トゥバの皇子には、次代の帝を扶翼ふよくする務めがございます。なれば、そのともがらにもまた、手腕と胆力が求められましょう。愚臣程度の耳目にうろたえるお歴々には、いささかの鍛錬が求められはせぬでしょうか?」

 あえてトゥバ・シャオ様のお言葉を妨げ、言い切る。取り巻きの誰もが我より目を外し、周囲と、トゥバ・シャオ様とを代わる代わるに、見る。

 ちっ、と、大いなる舌打ち。

 次いで、トゥバ・シャオ様のお持ちになる馬鞭ばべんが、したたかに斜め後ろの者を打ち据えた。

「この程度で、見苦しい! 確かに、鍛え直しが必要なようだな!」

 打ち据えられた者は、勢いを受けきれず、倒れる。その袖口そでぐちが、どころか、肩口の肉までもが、そのひと打ちにてえぐられていた。取り巻きらが、慌てて介抱かいほうに当たる。

 トゥバ・シャオ様は憎々しげにその様子を眺めたあと、改めて向き直り、我を指差してくる。

小狡こずるき猿よ。精々父の威を借り、吹き上がっているがことだ」

 そう吐き捨てると、トゥバ・シャオ様は取り巻きを叱咤し、我が元より立ち去られた。

 それを見送りたる後、我は一人、思案する。

 主のお子らも、決して一枚岩ではない。どうにかして、それを取りまとめねばならぬ。その上で、初めてトゥバ・シ様の御世は輝くのであろう。

 ――では、そのためには?

 我はトゥバ・シャオ様の瞳に宿られていた、昏き炎をしばし思い返していた。

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