07-03 ふたりの富貴
先生のシゴキから解放された、昼下がり。
そこに下流から、船団が姿を表す。
船団の真ん中、ひときわでけェ船が通り掛かる。見りゃ、舳先にゃ
のほほんと己が思ってりゃ、いきなり馮該がこっちを睨み付けてきやがった。
気のせいかと思ったが、たぶん間違いねェだろう。なにせ寄奴が己に言いやがったからな。
――あの野郎、どんだけ鋭でえんだよ。
己を通じて、寄奴の野郎、よっぽど剣呑な目つきで馮該を見てやがったらしい。そしたら馮該にしたってご愁傷様だよな、寄奴の殺気を浴びせられたってのに、出所が己みてェなぼんくらなんだからよ。
しばらく、己と馮該ァ目線を合わせてた。たァ言え、己だって真正面から
いや、わざと、わざとだぜ? 己が寄奴に関わりあるやつだなんて、万一にも思われちゃいけねェからな。馮該の野郎に、気のせいだって思わせなきゃなんねェ。
狙ったとおり、奴ァアワアワした己の様子に、ようやく視線を外した。まったく、演技すんのもひと手間だ。
――ったく、情けねえなお前。
寄奴が呆れ半分で言う。どうだい己の演技ァ、文字通り己の何もかもを知ってる寄奴にだって――まァ、もうそこァいいやな。
ともあれこの目で、確かに、見た。
奴らァ、ヤオ・チャンに専念しようとしてる。武昌から南郡までァ二十日、ってとこか。ならこっから先、一月くれェの桓玄ァ、ほぼ丸裸ってことになる。
決起の日ァ、いよいよ、すぐそこだ。
己が武昌で馮該どもを見送ったころ、寄奴ァ京口の町を
だいいち、この頃にゃ仕込みのほとんだァもう済んでた。事態ァほぼ、三人の手を離れてる。
建康と、その周りにある三つの要地。つまり
歴陽にゃ
その建康にゃ、北府に配属されたばっかの
広陵にゃ
で、京口だ。ここにゃ寄奴、何無忌、魏詠之が揃ってる。民草の英雄、もと北府頭目のおいっ子、そんで二人と淝水で背をともにした暁勇だ。こいつらが揃って声を上げりゃ、巻き込めるやつだって決して少なかァねェ。
っが、それもこれも、何もかもがうまく行ったときのこと。どっかがとちりゃ、そんなことも言っちゃらんねェ。だめになっちまいました、すんません、てなわけにゃいかねェしな。そしたら、動く。強引にでもやるっかねェ。
決起は三月の頭、もしくはどいつかがコケたら。こいつばっかァ、なるようになるっかねェ。
「見ろ劉裕、辻占いだ」
何無忌が行く先を指差す。
そこにゃ、ゴザの上であぐら組んだばーさまが町娘の手をとり、何ごとかを話してた。その一言のごとに、娘たちゃころころと表情を変える。恋占いかなんかでもしてもらってたんかね。
「ありがとね、おばーちゃん! また見てね!」
そう言って駆け去る娘っ子をばーさまァ見送り、それから、寄奴らに目を転じた。
「これはこれは、ご立派な士大夫様がたじゃ」
よぼよぼと頭を垂れると、寄奴らを順番に見てく。
「ご精がでますな、ご婦人」
言って、何無忌ァばーさまの前に屈み込んだ。しかも、膝を地面につけてまでだ。寄奴と魏詠之ァ互いに見合い、苦笑する。
「せっかくだ、見てもらわんか? 我らの行く先を」
「勝手にしろよ」
言いながら、寄奴も魏詠之も銭ァ出してやる。相場よかだいぶ高かったらしい、ばーさまァひととき目をまんまるにして、けどそいつをホクホク顔でしまうと、「しからば……」って目をつむった。
「――見えまするは、功成り名を遂げる、おふたかたの姿ですじゃ。その富は、お考えになるより遥かに大なるものとなりましょうぞ」
「二人?」
何無忌の声が、やや沈む。
「ご婦人、どういうことだ。ここに三人いて、二人だと? どうしてそんなことがあり得る」
よっぽどこえェ顔つきになってたらしい、ばーさまァたじろぎ、及び腰になる。何無忌ァそいつに気付き、「――失礼した」って下がる。
見りゃ、ばーさまァ震えてる。ダテや酔狂で言ってるわけじゃねェらしい。
「わ、分かりませぬ。わしに見えたのは、ただ輝かんばかりのおふたかたの影でありましたゆえ」
「そうか」
嘆息のあと、何無忌ァ立ち上がる。
「ご婦人。怯えさせてしまったな、申し訳無い」
銭をもう一枚渡し、振り返る。その眉間に刻まれる谷間にゃ、底が見えねェ。
そんな何無忌の肩を、魏詠之が軽く叩く。
「考え過ぎるな。景気づけだ」
「うむ……」
煮え切らねェ何無忌の肩を、寄奴も叩く。
「おんなじ船に乗っちまってんだ、沈むんなら、己ら全員だろうさ」
寄奴ァ占いなんざ信じるクチじゃねェ。っが、こん時に限っちゃ、何か胸騒ぎじみたもんを覚えてた。
それから、間もなく。
東南の村に、二本の黒い煙が立ち上った。
そいつが意味すんなァ――建康の、失敗。
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