07-03 ふたりの富貴  

 先生のシゴキから解放された、昼下がり。オレ武昌ぶしょうの川っぺりにある酒舗で、ひとりぐだを巻いてた。久々に飲む酒ァ、やっぱり染みた。つーか当たり前じゃあったが、回りが速えェ。まァ、安上がりでいいたァ言えんのかもしれねェ。

 そこに下流から、船団が姿を表す。

 建康けんこうから、南郡なんぐんに戻ってく奴らだ。寄奴きどの我慢のかいあって、ようやく「北府ほくふに脅威なし」、そう桓玄かんげんが判断した。だが油断はなんねェ、ことァきっちり西府せいふの奴らが南郡まで引っ込んでからだ。でなきゃ折り返されて、またたく間にこっちを踏み潰してくるだろう。

 船団の真ん中、ひときわでけェ船が通り掛かる。見りゃ、舳先にゃ馮該ふうがいがいた。将軍さまなんだし、室内でのんびりされてりゃ良さそうなもんなのにな。ご苦労なこった。

 のほほんと己が思ってりゃ、いきなり馮該がこっちを睨み付けてきやがった。

 気のせいかと思ったが、たぶん間違いねェだろう。なにせ寄奴が己に言いやがったからな。

 ――あの野郎、どんだけ鋭でえんだよ。

 己を通じて、寄奴の野郎、よっぽど剣呑な目つきで馮該を見てやがったらしい。そしたら馮該にしたってご愁傷様だよな、寄奴の殺気を浴びせられたってのに、出所が己みてェなぼんくらなんだからよ。

 しばらく、己と馮該ァ目線を合わせてた。たァ言え、己だって真正面から苻堅ふけんの覇気を浴びせられたりもしてる。いまさら百数十歩も離れた野郎に睨みつけられたって慌てるもんか。手元の酒をくいっと傾け、ようとして、うっかり服にこぼしちまった。

 いや、わざと、わざとだぜ? 己が寄奴に関わりあるやつだなんて、万一にも思われちゃいけねェからな。馮該の野郎に、気のせいだって思わせなきゃなんねェ。

 狙ったとおり、奴ァアワアワした己の様子に、ようやく視線を外した。まったく、演技すんのもひと手間だ。

 ――ったく、情けねえなお前。

 寄奴が呆れ半分で言う。どうだい己の演技ァ、文字通り己の何もかもを知ってる寄奴にだって――まァ、もうそこァいいやな。

 ともあれこの目で、確かに、見た。

 奴らァ、ヤオ・チャンに専念しようとしてる。武昌から南郡までァ二十日、ってとこか。ならこっから先、一月くれェの桓玄ァ、ほぼ丸裸ってことになる。

 決起の日ァ、いよいよ、すぐそこだ。


 己が武昌で馮該どもを見送ったころ、寄奴ァ京口の町を何無忌かむき魏詠之ぎえいしと一緒にぶらついてた。敢えてこそこそァしねェ。反桓玄の軍を起こしうるって見られてる奴らが、堂々とひとの前でつるむんだ。そこかしこで桓玄の手の奴らっぽい目も光っちゃいたが、正真正銘、つるんでだべってるだけ。しょっ引きようもねェ。

 だいいち、この頃にゃ仕込みのほとんだァもう済んでた。事態ァほぼ、三人の手を離れてる。

 建康と、その周りにある三つの要地。つまり歴陽れきよう京口けいこう広陵こうりょう。桓玄ァ旧北府の奴らを、それぞれに分けて飛ばした。言い換えりゃ、それぞれの場所で仕込めるようにもなった、ってことじゃァある。

 歴陽にゃ諸葛長民しょかつちょうみん。あたァ劉毅りゅうき系の武将たち。奴らにゃまっ先に川港を抑えてもらう。そこでの動きが逃げる桓玄のケツをふんづかまえるか、押し寄せる西府軍本隊を前に潰され役になるか、は、建康次第だ。

 その建康にゃ、北府に配属されたばっかの王元徳おうげんとく。それと孫季高そんきこう。いざ事が起こったときにゃ、ここで騒ぎをデカくして撹乱し、奴らを混乱のドツボに陥れる。上手くいきゃ、こっちが支払う犠牲もだいぶ少なくて済むだろう。

 広陵にゃ孟昶もうちょう孟龍符もうりゅうふがいる。亡命中の司馬休之しばきゅうしどのと劉毅りゅうきにゃこちらに戻ってきていただき、己らの旗印となっていただく。

 で、京口だ。ここにゃ寄奴、何無忌、魏詠之が揃ってる。民草の英雄、もと北府頭目のおいっ子、そんで二人と淝水で背をともにした暁勇だ。こいつらが揃って声を上げりゃ、巻き込めるやつだって決して少なかァねェ。

 っが、それもこれも、何もかもがうまく行ったときのこと。どっかがとちりゃ、そんなことも言っちゃらんねェ。だめになっちまいました、すんません、てなわけにゃいかねェしな。そしたら、動く。強引にでもやるっかねェ。

 決起は三月の頭、もしくはどいつかがコケたら。こいつばっかァ、なるようになるっかねェ。

「見ろ劉裕、辻占いだ」

 何無忌が行く先を指差す。

 そこにゃ、ゴザの上であぐら組んだばーさまが町娘の手をとり、何ごとかを話してた。その一言のごとに、娘たちゃころころと表情を変える。恋占いかなんかでもしてもらってたんかね。

「ありがとね、おばーちゃん! また見てね!」

 そう言って駆け去る娘っ子をばーさまァ見送り、それから、寄奴らに目を転じた。

「これはこれは、ご立派な士大夫様がたじゃ」

 よぼよぼと頭を垂れると、寄奴らを順番に見てく。

「ご精がでますな、ご婦人」

 言って、何無忌ァばーさまの前に屈み込んだ。しかも、膝を地面につけてまでだ。寄奴と魏詠之ァ互いに見合い、苦笑する。

「せっかくだ、見てもらわんか? 我らの行く先を」

「勝手にしろよ」

 言いながら、寄奴も魏詠之も銭ァ出してやる。相場よかだいぶ高かったらしい、ばーさまァひととき目をまんまるにして、けどそいつをホクホク顔でしまうと、「しからば……」って目をつむった。

「――見えまするは、功成り名を遂げる、おふたかたの姿ですじゃ。その富は、お考えになるより遥かに大なるものとなりましょうぞ」

「二人?」

 何無忌の声が、やや沈む。

「ご婦人、どういうことだ。ここに三人いて、二人だと? どうしてそんなことがあり得る」

 よっぽどこえェ顔つきになってたらしい、ばーさまァたじろぎ、及び腰になる。何無忌ァそいつに気付き、「――失礼した」って下がる。

 見りゃ、ばーさまァ震えてる。ダテや酔狂で言ってるわけじゃねェらしい。

「わ、分かりませぬ。わしに見えたのは、ただ輝かんばかりのおふたかたの影でありましたゆえ」

「そうか」

 嘆息のあと、何無忌ァ立ち上がる。

「ご婦人。怯えさせてしまったな、申し訳無い」

 銭をもう一枚渡し、振り返る。その眉間に刻まれる谷間にゃ、底が見えねェ。

 そんな何無忌の肩を、魏詠之が軽く叩く。

「考え過ぎるな。景気づけだ」

「うむ……」

 煮え切らねェ何無忌の肩を、寄奴も叩く。

「おんなじ船に乗っちまってんだ、沈むんなら、己ら全員だろうさ」

 寄奴ァ占いなんざ信じるクチじゃねェ。っが、こん時に限っちゃ、何か胸騒ぎじみたもんを覚えてた。


 それから、間もなく。

 東南の村に、二本の黒い煙が立ち上った。

 そいつが意味すんなァ――建康の、失敗。

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