幕間 五柳先生亭にて

幕間  重心、荊州  

桓玄かんげんどのの動き、確かにあんときゃずいぶん慌ただしかったね。で、またぞろ厄介事かと思いきや、それどころじゃない。戦争ときた。よくよく飽きもしないもんだよ」

 先生が、ぐび、とまた一杯を飲み乾す。まったく、そんなんでひとの話まともに聞けんのかよ。

 なんて思やしても、思いがけず深く聞いてたりすっからな。まったく、油断も隙もあったもんじゃねェ。

「ただよ、先生。あん時、ちらっと気になったんだよな。広陵こうりょう京口けいこうから北府ほくふ軍が出払ったから、五斗米道ごとべいどう共が建康けんこうに突っ込んできた。ならよ、あそこで桓玄が建康に向かや、南郡なんぐんだってヤバかったんじゃねェのか?」

「もっともだね。だが、そうはならねえ。だから桓玄どのが動いた。だよね?」

「う、ま、まぁ、そうなんだけどよ」

 あっさりと言い返されちまや、あとの己にゃァ嫌な予感しかねェ。

 予想通りって言うべきか、先生ァにんまり笑って、己のほうを見てくる。

「よし、なら今度あ西府のある南郡、いやさ、もっと話を広げて、荊州けいしゅうって場所について話しとこうか」

 あー、だよな、そうなるよな。

 まァいいさ、もとよりこちとら逃げらんねェ。おとなしく聞いてやることにするさ。


 さっきの話の確認だ。荊州。この地は漢水かんすいっていう、長江に注ぐ川がある。だからこの地を手に入れれば、水陸を使って兵だ軍資だを建康に向け、注ぎ込める。ここまではいいね?

 じゃあ、長江を遡ると何があるのか? まずは、切り立った山々。その間を縫うように流れる長江は、下流の穏やかな顔が信じられないくらい荒れ狂ってる。だが陸路を行こうにも、連なるのは断崖絶壁。よっぽどの達人でもない限り、踏破できたもんじゃない。そんな進むも地獄、戻るも地獄な道を抜けた先には――かの劉備りゅうびが拠点を構えた地、しょく。いまふうに言うなら、益州えきしゅうが広がってる。

 四方を切り立った山々に囲まれた広大な盆地には、肥沃な土と、そいつに育まれた良質な木材が育ってる。少しでもおっきな船を作ろうってんなら、蜀の木材は欠かせないよね。

 一方で、ひとだ。

 閉じた地とはいえ、そこだけでゆうに百万からの人は抱え込める。言ってみりゃ、それだけの大兵力を抱えられる、ってことでもある。更にいや、益州から見て荊州は下流だ。とにかく守りやすく、また、それほどじゃねえにしても、攻めやすい。荊州としても、建康に向いたときにゃ、どうしても益州にケツを狙われんのを気にしなきゃならない。

 桓玄どのが西府を仕切ってたころの益州刺史は、毛璩もうきょどのだ。中央での文武の手腕を買われて、この西の果ての要地を任された。桓玄どのぁ、むしろかれとの関係構築に腐心していたところがあるね。だから、ひとまず西からの攻め手についちゃ、気にしなくても良かった。

 そしたら、南北はどうなんだ、って話になるよね。先に北の話をしようか。ここも安泰。なぜなら南郡の北にある街、襄陽じょうよう。ここも歴代の兵家必争の地だもんだから、要将を配してる。魯宗之ろそうし、ってんだがね。で、こいつぁ基本的に動けない。何せそのすぐ北にゃあきょう族の王、ヤオ・チャンがいる。奴が牙を剥いてたんなぁ、だいたいがトゥバ・ギに向けてだ。だが、いつこっちに向くとも限らない。なんで魯宗之にゃ南のいざこざに首突っ込んでられる余裕なんざないのさ。そっち見ようとしたら、いきなりヤオ・チャンに首はねられてもおかしかないからね。

 で、残るは、南だ。

 ここについちゃ、別の意味で気にする必要もない。

 ってえのも、南にたむろする奴らぁ、山と山とに分断されちまってる。

 平原にたむろする奴らなら、ぱっと見で把握できるし、そいつらをいくらでも操れる。っが、山々に囲まれた地に住まう奴らについちゃ、そうやすやすと尻尾を掴ましちゃくんない。そしてそいつは、やつら同士にだって言えることだ。

 西府にゃ、南のやつらをどうにかする専門のお役所がある。南蛮校尉なんばんこうい府ってんだが。ここさえうまく働いてりゃ、ひとまず南は抑えられる。で、こん時にゃ優秀な南蛮校尉が西府にいた。そいつの名は、羊欣ようきん

 南蛮校尉府の長官そのものは、西府軍の長が兼任する。っが、山あいの奴らとの戦いは、平原の奴らとの戦いたぁわけが違う。だから副官って名目で、山あいの戦いに熟知したやつが選ばれるんだ。つまり、そいつが実質の長官だ。

 ちなみに羊欣は、あの羊祜ようこ、晋の天下統一に大いに貢献した名将の同族だ。まあ同族なら才能も似通う、なんてこたあそうそうないわけだがね。ただ、奴に軍才があったのは間違いない。おかげで桓玄どのは、まるで南のこた気に掛けず、大挙して建康に迫れたんだ。

 の。お前さんが言う崔宏さいこううんぬんについちゃ、アタシャ判断できる材料は持ち合わせちゃいねえ。けど、ろくろく実戦経験もない中央の軍と、さんざ五斗米道に引っ掻き回された劉牢之りゅうろうしどのの軍。こいつらと西府軍がぶつかりゃどうなるかなんぞ、いちいちそろばん弾くまでもねえ。

 孫子だって言ってるよ。勝つべき条件を揃え切ったやつが勝つ、ってね。ならあんときの桓玄どのの動きゃ、どこまでも非の打ようもなく、勝つべき動きを取り切った、って言えるんだろうね。

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