03-08 陶氏法     

 西府からのお叱りも、別にものの数じゃねェ。己にとっちゃ、なんでか付き添ってくれてる先生のすまし面のほうがよっぽど怖かった。

 つーかよ、

「ままま、皇甫こうほ長史。その辺りで。この手のはね、長史。いっくら口で言ったところで仕方ないのですわ」

 とか、お叱りの途中にいきなり口出されたんにゃよ、えれェ驚かされたぜ。

 机の向こう、いまいち手応えのねェ己に苛ついてたんだろうな。桓脩かんしゅうの長史、皇甫敷こうほふが、八つ当たりの先をみっけた、みてェな目で先生を見た。

「ほう? ならば先生にはどうにかできる、と?」

「そうさね。ま、アンタよりは」

「――なるほど?」

 ぴくぴく、って皇甫敷の口元がひくついた。

 にしたって、西府の幹部さまが、こう言っちゃ悪りィが、たかだか郡主簿なんぞに強く出らんねェでいたのは、何とも不思議だったな。

 がたん、と皇甫敷が椅子を蹴り、立つ。

淮北わいほくに設えた陣中で、この者に下すべき罰は、既に下してあります。ならばこの者の矯正は、先生に一任しましょう。お手並みを拝見させて頂きましょうか」

 剣呑な皇甫敷の目つきに、けど先生の腹ァちっとも凹みそうにねェ。

 あん時思ったね、寄奴きどと先生、絶対ェウマ合うだろうな、って。そりゃもう、オレにとっちゃ、この上なく悪りィ意味で。


 長江で繋がる、建康けんこう南郡なんぐんの間にあるまち、武昌ぶしょう。長江を滑る船どもにとっちゃ喰いモンだなんだを補給する町だし、こっから南のかたに抜ける、あるいは南のかたから川べりの町まちに向かう奴らにとっちゃ、水陸の足を切り替えるところでもある。さすがに南郡並みに栄える、なんてこたァなかったが、同じ港町の京口けいこうと較べても、色取りはあきらかに華やいでたように思う。

 まァ、京口なんざ殆ど軍港だったしな。比べるだけ野暮ってもんか。

「さて、の。ちょいと付き合ってもらうよ」

 よたよたした足取りの先生と向かった町外れ。途中から聞こえてきた、えらくどでけェ叫び声にヤな予感を覚える。

 わざわざ聞くまでもなく、先生が向かってたのも、声のした先だったな。西府軍幹部向けの、調練施設。淝水ひすいの前に己らも訓練だなんだにゃ駆り出されたが、まァ、ひとりひとりの声の張り上げっぷりとか、ぶつかり合う棍、あるいは拳と拳とか。そう言ったの見てりゃ、己らのやってたんがおままごとだったって、いやでも気付かされた。

 その武人武人した奴らが、よりにもよって。

とう先生、ご光臨!」

 門衛のこの一言で、訓練の手を止めた。

 ああ言うのを、一糸乱れぬ、って言うのかね。わーぎゃーやってた奴らが、あっちゅう間に並び、先生に向けて、一斉に拱手した。

「西府、安寧也!」

 これまたぴっちり揃ったご挨拶。いやはや、その声だけで吹っ飛ばされちまうかって思ったぜ。

「うん、元気で何より。けどね、けんの。甫之ほし齢石れいせきがちょっと具合悪いみたいだよ。ちゃんと見てやんな」

 先生がにこやかに、ひょいひょいと二人を指差した。居並ぶ奴らのど真ん中に立ってた桓謙かんけんァ、そいつのお陰でずいぶん泡喰ったツラになっちまってたな。

「……っな、こ、これはしたり! 愚謙の不徳の致すところにて!」

「徳とか仁とかどうでもいいよ。休むべき時にゃ休まさせろ、そう言ったはずだけどね?」

 のほほんとした声音のまんま、あの桓謙をあっちゅう間に詰めっちまうんだもんな。己にしろ寄奴にしろ、アレのせいで桓謙の見積もり、思いっ切り間違えちまった。ほんと、勘弁して欲しかったぜ。

 見りゃ、確かに二人ァちょっと熱っぽい感じだった。ただ、言われてみれば、だ。足取りは割としっかりしてたし、ふらついたりがあったわけでもねェ。あん時に己や寄奴にもうちょい心得があったら、わかったんかもしれねェが。

「さて、旿の。アンタはこっちだ」

 何やら慌ただしい桓謙どもを置き去りにして、連れられた離れ。中に入りゃ、ちょっとした板の間に、でかでかと「陶氏法とうしほう」の三文字。

「先に、改めてアタシのことを話しとこうか。いまはこの武昌郡つきの主簿として取り立てられてるが、まぁそっちはお飾りだ。本業はこっち。ひいじいさまの陶侃とうかん様から代々伝わる術理、陶氏法の継承者にして、西府軍の武技顧問、ってとこかね」

「陶氏法?」

「陶侃様はね、優れた将軍であり、かつ、武芸家でもあった。武にまつわる書を様々に蒐集精読の上、実地で検証なさり、ご自身の中で消化された。そいつが今、アンタが見てる三文字の意味だ。元々は門外不出なんだがね、いろんなヤツに教えてみたら、面白いくらい強くなる。以来、見繕ってきたヤツを鍛え上げんのが楽しくなっちまった。こんなん門外不出にするなんて勿体ねえ、って遊んでたら、ご覧の通りさ」

「いや、ご覧の通りって言われてもよ」

「ん? そりゃそうか」

 かっか、と先生が笑った。

「あたしゃね、好きに生きたいんだよ。けど遊んでたら、こんな固っ苦しい立場につけられちまった。しかも育てていいんな西府の連中だけ、ときた。判るかい? この面倒臭さ」

「いや、分かんねェよ」

「つれないねえ。まあいいさ、それくらいでなきゃ、こっちも面白くない。いいかい、旿の。アンタ、アタシのオモチャになったんだ。その立ち振る舞い、目つき。妙に鋭くなったと思ったら、いきなり腑抜ける。器もデカいんだかこまいんだか、判ったもんじゃない。けど、二つ解ってることがある。アンタが全く西府に義理立てするつもりがなさそうなとこ、それと、磨きゃこの上なく面白そうだ、って事だ」

 信じらんねェよな。まるで駆け引きになってねェ。断りゃ白髪が一匹、長江に浮かぶ。そんで京口で、いきなり捕り物が始まる。理由なんざ、まだまだ木っ端な寄奴になら、なんとでもつけられたろう。もっとも、あん時の桓謙が己らをそこまで高く見繕ってたら、だが。

「陶老、御免仕る!」

 ばん、と戸を開け、飛び込んできた桓謙。平服に着替え、乱れまくってた髪もそれなりに整え。門従たちの制止も振り切り、ずかずかと己、そして先生の方に突っ込んで来る。

「出し抜けのご帰還と思えば、連れ込まれたのは、どこの馬の骨にございましょうや! 気ままも大概にしては頂けませぬか!」

 己の胸を突き飛ばし、桓謙が先生に食ってかかった。己ァこの手の扱いに割と慣れっこだったからいいが、寄奴ァキレてたな。なんだコイツ、偉そうに、ってよ。

 まァ、ともなりゃ己も狂犬っぽく振る舞うべきだろう。

「ァあん? なんだ手前ェ、いきなり偉そうに――」

 そう言いながら、桓謙の胸ぐらを掴もうとして。

 投げ飛ばされた。

 受け身もクソもねェ。思いっ切り背中から落とされて、はが、って息が詰まっちまった。


 こっから先のやり取り、己自身はあんまり覚えてねェ。ただ寄奴ァちゃんと聞こえてたらしく、その後の先生と桓謙のやりとりァ、アイツづてで聞かしてもらった。

 全く、どうなってんだ。西府に潜り込もうとしたら、先生の弟子、っつーかパシりにさせられちまうなんてよ。

 お陰で強くはなれたが、にしたってどの口で「休むときにゃ休ませろ」なんてほざきやがったんだ、アンタ。

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