03-07 窮余      

淝水ひすいの恩賞が、穴だらけなんだ」

 とびっきりの内緒話をバラしてくるみてェな、そんな面で、穆之ぼくしが言った。

「特に、驍勇へのやつ。いや、ずば抜けた武勲にずば抜けた恩賞は当たり前だと思うよ。けど、兄ぃの上げた武勲だって、結構とんでもなかった。それに旿兄ぃなしで兄貴、どこまで武功上げられたと思う?」


 ちィと話ァ、寄奴きど広陵こうりょうに出向く前にまで戻る。

 寄奴ン家で、龍に己らが喰われた、じゃあこっからどうすんか、って話をしてたときのことだ。

 穆之のヤツが言い出したな、己と寄奴が喧嘩別れした方がいい、それも分かりやすい理由で、って事だった。で、アイツが目星をつけたんが、淝水の恩賞。

 寄奴ァひとしきり考えたあと、胸を張る。

「ま、同じくらいは行けたな」

「そう。だから、本来なら旿兄ぃが怒り狂ってもおかしくない。そう言う差なんだ」

「おい穆之お前、聞けよ人の話」

 もらった恩賞のことなんざ、正直全然頭にゃ無かった。なにせ寄奴のもらった分が、そのまま俺のもん、みてェな気でいたしな。

「あー、そういやそうか」

「うわっ……ごうつくばりの旿兄ぃにそれ言わせるんだ。恐いな、龍」

 オレにゃ寄奴みてェな図抜けた武も、穆之みてェな図抜けたおつむもねェ。だが、己にゃ目がある。いったん敵さんとこに潜り込めりゃ、どんな早馬だって、それこそ鷹だって敵わねェ速さで、しかも全くの間違い無しで、寄奴に見たままを伝えられちまる、この目が。

 だから、喧嘩する。そしたら「寄奴をぶっ殺してェ」奴が西府に来る。そんだけ悪目立ちした奴が、まさか間諜働きしでかそうなんざ、そうそうは考えつかねェだろう。

 その上で、どっちにとっても「アイツ最悪だな」って思ってもらえるように、話をいじる。口裏合わせなんざ簡単だ。そもそも口が裏で繋がっちまってるしな。

 論功行賞の場に参列して、穆之がいっちゃんヤベェって思ったんが、西府軍の統領、桓玄かんげんだった。だからそこに己を潜り込ませりゃ、奴を見張らせられる。そう考えて、アイツァ己を西府に向かわせようとした。

 だが、

「てなわけでさ、殴り合ってよ」

「「は?」」

 いきなり満面の笑みで言う、穆之。

 あっけに取られる己らに、けどアイツァ追い立てるように言い継ぐ。

「いやいや、ほら。喧嘩別れじゃん? そしたら、殴り合うじゃん? 嫌でもみんな信じるよね? いやーこんな提案、心苦しくて仕方ないんだけどさー」

 絶ッ対ェ楽しんでんだろコイツ、己と寄奴とで全く同じことを思う。だが、言ってることつっぱねられるだけの材料もねェ。

 勘違いされちまうとアレだから一応言っとくと、寄奴ァ別に、それほど拳ぶん回すのァ好きじゃねェ。いざ戦いがはじまっちまや、そりゃなんかが乗り移っても来るが。

 まァ、別に相手にムカついてる訳でもねェのに殴る蹴るが好きなヤツなんざ、そうそう居るわけでもねェやな。いるとしたら、そいつァ弱え奴をいたぶって楽しみてェだけのクソだろう。

 しばらく見合ってから、寄奴がため息をつく。

「しゃあねえ、旿。お前から殴れ。そうだな、四、五発は要るか」

 そいつを聞いて、うっかりしめた、って思っちまったのがいけねェやな。しかもそいつァ、すぐさま誤魔化しなんぞ無しで伝わっちまうんだ。

 あん時に見た、寄奴のほくそ笑みの怖さったら無かったぜ。


 で、己ァ西府に潜り込もうとした。にも拘わらず、いきなり先生づてで援軍の兵に取り立てられるわ、しかも向かった先じゃ、お別れしたはずの寄奴とご対面しなきゃいけねェ、ときた。

 そしたら、寄奴の野郎が言いやがんだ。

「よし旿、あとで殴り合うぞ」

「はァ? 何言ってやがる、ろくすっぽ動けもしねェクセに」

「だからいいんだろ。傷だらけで落ち延びて、で、何故かいるお前に莫迦にされる。これでキレねえ奴はいねえよ」

「なんだそれ、己の貧乏くじじゃねェか」

「こんな事になっちまってんのが、もう貧乏くじだろ」

「そらま、そうだがよ……」

「それにな、お前との喧嘩、言ってみりゃ己自身との喧嘩でもある。分かるか? 試せるんだぜ、身をもって。己の強さが、どんくれえなのかをよ」

 信じられるかよ、先生? こんなトチ狂ったこと、心底嬉しそうに言うんだぜ、アイツ。ここまで振り切られちまえば、こっちももう、大人しく乗っかるっかねェ。

 んで、ご存知。淮北わいほくの大立ち回り、だ。

 やり合えたなァ、たったの二、三合だった。が、そうなるこたァもちろん分かっちゃいた。

 だからそれまでに、寄奴のおツムァおっとろしい勢いで巡りまくってた。

 手前ェで手前ェを欺くためにどうするかを、まさにその手前ェがどうひっくり返すかって考える。ビビったぜ、アイツの腕っ節ァ今までも分かっちゃいたが、オツムの方までああもモノが違うたァな。

 すぐそばでアイツの組み立てを見届けときながら、己ァアイツの考えを全く追い切れなかった。


 ――とまァ、そんなのを経て、己ァ陣外に転がされたわけだ。

 しかしあん時ゃ、南郡なんぐんで覚えたのたァ較べモンになんねェ位ゾッとしたっけな。だから、思わず顔を背けちまった。

 莫迦にも程があるって話だ。とんでもねェ秘密を隠してるって、手前ェから教えてるようなモンだしな。そりゃ、先生も苦笑するっかねェ。

「おいおい、ちょいと分かり易すぎだろ、お前さん」

「うっせェな、何のことだよ」

 言いながら、やっちまった、って思ったぜ。一方であん時の寄奴ァろくすっぽものも言わず、「お前ェ……」って、やたら圧をふくらかしてきやがった。

 正面の先生、内側からの寄奴。あん時、己がどんな気分だったと思う? 穴ン中に埋まりたかったぜ。そりゃもう泣きたかった。

 そこで、先生がふ、と息を洩らした。

「安心しなよ、旿の。これでもアタシゃ、アンタのこと気に入ってんだ。アンタが言いたくないってんなら、そこは変に掘り下げるつもりもない。だがね、言わせてもらうよ。演技を覚えな。そんなんじゃ、アンタの隠したいことも、簡単に洩れっちまう」

「……め、面目ねェ」

「ほら、それだ。こっちゃ、ちょっとカマ掛けただけだよ?」

「う」

 まァもう、どうしようもねェやな。

 やらかしちまった相手が先生だったのも、きっと巡り合わせってモンだったんだろう。これで先生が桓玄派だったら、己らァとっくに魚のエサだ。

 カラカラ笑う先生。「九回殺しだな」って、寄奴。ぐんぐん縮こまっちまう己。まったく、なんて夜だ、って思ったぜ。

 それもこれも、全部龍のせいだ。そう八つ当たりしなきゃ、やってらんなかった。

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