02-02 広陵主簿・孟昶 

 司馬休之しばきゅうしどのに招かれた翌日、今度ァ王謐おういつのオッサンからの招待を受けた。

 オッサンの屋敷は、門構えこそ司馬休之どののそれより豪華だったが、出された食事だ、酒だはむしろ質素とも言えそうだった。

 後日何無忌かむきから「主人の賓客ひんきゃくを、従者の方が手厚くもてなすわけにも行かないだろう」って話を聞き、なるほど、そんなもんなのかね、って思っりしたもんだ。

「立場が立場ゆえ、我々はあまり大っぴらに動くわけにもゆかん。そこで諸君らに渡りをつけやすくするよう、信用のおける連絡役を設けておきたい」

 そう言って王謐のオッサンから紹介を受けたのが、ちょっと線の細せェ、けど目つきは妙に鋭でェ奴だった。歳のかさはオレらよっかちょっと上。ただ、魏詠之ぎえいし、何無忌はさておき、露骨にボロの寄奴きどに対しても、奴さんァあなどりの様子をおくびにも出さねェでいた。どころか、そいつが真っ先に頭を垂れたのは、寄奴に対してだった。

淝水ひすいでの武功、広陵こうりょうより胸を熱くしながら伺っておりました。私めは広陵府主簿しゅぼ孟昶もうちょうと申します。よろしくお願い致します」

 広陵。

 建康けんこうからは、長江を挟んだその向こうにある町だ。

 その頃ァ淝水の騒ぎもあって、北の方から新たに逃れてきた流民の対応にてんてこ舞いになってたらしい、って聞く。

 そんな町の主簿なんだから、流民とりまとめの手続きだとかでかなり忙しかったろう。にもかかわらず呼び出されたってんだから、そんだけでもオッサンからの信任の度がうかがえようってモンだ。

「おう、よろしく頼まあ」

 ぐい、って寄奴が孟昶に酒杯を押し付ける。しばし固まっちゃいたが、やがて孟昶はそいつを受け取ると、一気に呷り、んで、派手にむせた。

「お、おい昶、お主酒はからきしだろうに」

 心配そうに割り込んできたオッサンに対して、えづきながらも「頂いた杯ですから」って孟昶が返した。寄奴に向き直る。

「り、劉裕りゅうゆうどの。杯、ありがたく頂戴しました。ご返杯を、と参りたいところですが、なにぶん私めはこの通りにございます。なので、質問を一献に替えさせて頂けますまいか」

 寄奴は孟昶のその様子が、とにかく面白くてならねェでいた。咳き込んだあまり猫背になってる孟昶に、敢えて目線の高さを合わせる。

「いいぜ? さかなになるか分かんねえけどな」

 しばらく、その姿勢でにらみ合う。間近で寄奴に目ェつけられるなんざ、そこいらの奴ならそんだけで尻尾丸めようってもんだ。だが、孟昶に退く気配はねェ。虎の眼差しをまともに浴びながら、やがて、深呼吸を一つ。

「ありがとうございます、では遠慮なく。何故、この泥船にお乗りになろうと思われました?」

 後ろでオッサンがヒェッ、って息を飲んだ。

「おう、言うねえ!」

 寄奴は呵々かかと笑いこそしたが、一方じゃ思いっきり値踏みもする。

 固てェ。が、変に取りつくろうような奴じゃなさそうだ。この手のは土壇場ドタンバに強えェ。この先どう話が転がるにしたって、ひとまずこいつが大きく揺らぐこたァねェだろう。

 そんで、同じくオッサンについても値踏みする。驚きゃしたが、止めようたァしねェでいる。少なくとも孟昶の質問をナシたァ思ってねェって事だ。慌てふためく様子がいくぶん芝居がかってんのが、きっとすべてなんだろう。

 悪かねェ取り合わせだ。だから寄奴は、もうちょい揺さぶることにした。

「けどな、あんたのご主人だろ? いいのかよ、そんな風に」

 こう仕掛けられりゃ、だいたいの奴は主人のほうに目を飛ばす。迷いがあるかどうかは、その仕草に出る。

 じゃ、孟昶はどうだったかって言うと、まるで揺るがなかった。

「主人なればこそです。刺客に狙われるような立場でありながらも、満足な護衛もつけられないでいる。この状況に対し、今更何の言い訳が出来ましょう」

 オッサンが申し訳なさそうに頭を掻く。

 そこに魏詠之が「王謐どの、そう韜晦とうかいなさいますな」って呼びかけると、少しきょとんとしたあと、やたら大げさに「いやいやいやいや」って首と手を振った。

「対してお三方の武勇は、今やしん国じゅうに轟かんばかりの勢い。この昶めの腹算用はらざんようでは、そのご決断、正直申し上げて、全く割に合っておりませぬ」

 なるほどね、寄奴が小さく鼻を鳴らす。言葉尻こそこっちを立てる風じゃいたが、顔つき、口調からすりゃ、

 ――下賤げせんの者、何が狙いだ。

 って言ってるようなモンだ。そりゃ目つきも鋭くなる。

 いちいち大げさに過ぎらあ、そう言って寄奴が、バチバチに向かい合ってた視線を先に外した。何無忌らの方に歩み寄る。

「言うまでもねえだろうが、淝水でいちばん秦兵をぶっ殺したのは謝玄しゃげん大将軍だし、劉牢之りゅうろうし将軍だ。己らじゃねえ」

 龍がもたらした王さま達の記憶の中でも、寄奴が好んで頭ン中に引っ張ってきたんなァ、王さま自ら軍勢を率いて敵を散々に打ち負かすような奴だった。

 中でも項羽こううのことを思い返すことが多かった。あと、一緒に劉邦りゅうほうも。とんでもねェ戦上手と、そいつに散々負け続け、にもかかわらず、最後にゃそいつをズタボロにした奴と。

 己らみてェな小僧どもがふだん考える将軍さまってな、颯爽さっそうと馬に乗り、手にしたほこでばったばったと敵をなぎ倒す、一騎当千、天下無双のおさむれぇ。だが、たくさんの戦争を知っちまった今となっちゃ、いやってほど実感しちまうんだ。どんな長げェ矛だって、いっぺんに殺せて二人三人でしかねェ。その点うまく兵どもを操れれば、殺せる敵は兵の数だけ多くなる。

 王さま達が見てきたもんと、手前の耳目じもくで味わったどでけェ戦争とが、寄奴ン中で混じり合い、形をなす。そいつを言い表すのは、そうさな、、ってのが近いか。

「多少名前が通るようになったっつっても、しょせん吹きゃ簡単に飛ぶ木っ端に過ぎねえ。だから今、肩ひじ突っ張って踏み出してく必要がある」

 目配せをすると、魏詠之は苦笑交じりにうなずいた。何無忌は――渋面と、あとはそこはかとなしの怒り、か。

 寄奴はそんな二人の間に割り込んで、後ろから二人の肩を抱えた。

「それとな、孟昶さん。己ら、知っちまったんだよ。デカく勝つことの快感をな。ありゃ病みつきになる。そしたら、こっからのし上がってくのに、誰と組むのが面白そうだと思う?」

 いくらなんでもものの言い方を考えろ、そう何無忌が小耳に刺してきた。

 少し考え込む風だった孟昶だが、やがてその目つきが少し緩んだ気がした。

「なるほど。ではお互い、精々苦い酒をすすり合うとしましょうか」

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