01-03 大晋軍     

 軍の本営にゃ、ひときわ立派な旗が二本立ってた。ひとつには謝の字が、そんでもう一つには、劉の字が踊ってた。

 旗の主は、今回の戦の大将を務める謝玄しゃげん大将軍と、その副官、劉牢之りゅうろうし将軍。

 もちろん穆之ぼくしだって、そんなやんごとねェおかたふん捕まえて長民ちょうみんを煽ったわけじゃねェ。

「劉将軍、ご帰還!」

 掛け声とともに、けたたましく銅鑼が鳴る。ガヤガヤしてた陣内は途端に慌ただしくなり、本営の前を大きく開けた。そこに飛び込んできたのが鎧武者、それと劉の旗。立派な鎧に身を固めたおさむれえ達がそれに連なる。

建武けんぶ将軍・劉毅りゅうき洛澗らくかんにて梁成りょうせい王顕おうけん軍を撃破!」

 陣内がおお、って沸き立った。

 梁成と王顕って言や、苻堅ふけんが放った一の矢だ。オレらが出張ったような小競り合いも、もとはって言や、アイツらがこっちの脇をチクチク攻めてきてたことにあった。

 言ってみりゃ、己らが泥臭くとってきた戦功の元締めを、劉毅将軍が盛大にぶっこ抜いてきた、ってこったな。

 本営からふたり、ひときわ立派な鎧に身を包んだ方々が現れた。ひとりは白面の美丈夫、謝玄大将軍。一人は鈎ッ鼻の偉丈夫、劉牢之将軍。何ともまァあべこべな連れ合いじゃあったが、あん時の己らにしちゃ、どっちもえれェ遠い、雲の上のお方って感じだったな。

 劉将軍は馬から降り、兜を脱いだ。歳のかさは、己らと同じくれェ。その若さでもう将軍だってんだから恐れ入る。

 まァそりゃそうだ、劉毅将軍は、劉牢之将軍のご子息。己らが街でドヤドヤしてた頃にゃもう戦働きしてたってんだから、年季が違う。

 劉毅将軍が拱手きょうしゅする。

「大功、大儀!」

 応じて拱手した劉牢之将軍の声が、とことんなまでにでけェ。本営から百歩くれェ離れてた己らのとこまで、その声の張りだけで空気が震えてきた感じさえあった。

 拱手を解くと、劉牢之将軍がぐるりを見渡した。

 や、ありゃ見渡す、じゃねェな、め回した、のほうが正しいか。

「露払いは済んだ! いよいよこの先、淝水ひすいにて我々は百万の敵と対峙する!」

 前線のおさむれぇたちが威勢よくときの声を上げた。

 一方で、己ら辺りになると盛り上がる奴、うへぇって顔になる奴、まちまちだった。

 そりゃそうだ、普通に考えて死にに行くようなもんだしな。

「諸君」

 そこに、やかましい、って訳でもねェが、けど、よく通る声が響く。

 謝玄大将軍が前に出てきてた。あれだけ波打ってたおさむれぇたちが一気に静まる。不思議なもんで、そうなってくると己らも変に声出しちゃいけねェような気持になってきた。

「敢えて、申し伝えよう。ここから先は、死地である。だが、我々がてき軍を討たねば、江南こうなんはともがらの血で溢れかえる。それだけは、断固として食い止めねばならぬ」

 周りを見る奴、うつむく奴、目をつむる奴。様々だった。

 そんな特別なことを仰ってるわけじゃねェ。ただの事実だ。

 事実なだけに、重い。

「幾世代もの争乱を、わずか一代で統べた苻堅の軍である。当然、弱い、などということはない。だが、急激に膨れ上がった軍の統制は、得てして脆いものだ。対して我々には、同じくする志がある。志をかすがいとし、強く結び合おう。そうなれば、いかなる相手とて、突き崩せぬものはない。」

 大将軍が言葉を切ると、沈黙が落ちる。

 いったい何事か、誰も彼もが周りを見回し始めた時、

「わが精鋭、万騎将ばんきしょう!」

 大将軍が、天も裂けよとばかりに叫ばれた。

「は!」

 それに応じた将軍が、七人。

謝琰しゃえん! 謝石しゃせき! 袁山松えんさんしょう! 孫無終そんぶしゅう! 高雅之こうがし! 徐道覆じょどうふく! そして劉毅よ! 貴公らの従える精兵は一騎百当である!」

 そして今度は隣、劉牢之将軍のほうに向く。

「増して、この軍を劉将軍が統べられる! 勝てぬ道理などあろうか!」

 この辺りの流れはお手のモンなのか、劉牢之将軍が剣を抜くと、盛大に、吠えた。

 瞬く間に、大声が広がっていく。

 まァ、己らはちょっと冷めた目で見てたけどな。

 や、盛り上がってくださるのは勝手だし、不安誤ごまかすためにとりあえず叫びてェ、ってのもわかる。だが、いくらなんでも芝居がかりすぎじゃねェの、って。

「あーうっさい、ほんとこういうノリ勘弁してほしいんだけど」

 露骨な呆れ顔で、穆之。

「けどほら、先生。実際、あっちで呼ばれた二人の劉備のほうがきらびやかだし、大活躍じゃん? どうせ組むんなら、ああいった人たちのほうが、物語の主役として輝けるんじゃないかな?」

「な、なに言ってんだお前、俺はのし上がりてえんだよ! もうのし上がってる奴なんかと組んだって仕方ねえだろ!」

 まったくお話にならねぇ、吐き捨てるように長民が踵を返す。そこに付き従う檀道済だんどうさいが、去りしなに藪睨みを置き土産にしてきやがった。

「いやぁ、忠犬だねぇ」

 そいつを手を振りながら見送った穆之だったが、その脇の下がじんわり濡れていた。まァ当然だ、穆之と長民がやり取りしてた間、ずっと檀道済がこっちに殺気向けて来てやがってたからな。

 見れば寄奴の奴も、何かありやすぐ抜けるような体勢でいた。

 二人がすっかり離れちまったのを見て取り、ふう、と息を漏らす。

「おい穆之、あんまあぁ言ったのの前で遊んでくれるなよ」

「はは、ごめんよ兄貴。けど、ああでもしないと、兄貴があいつ斬ってたろ?」

「う」

「で、その後はあの凶犬と大ゲンカ。正直さすがの兄貴だって、あれとはキツいんじゃない?」

莫迦バカ言うんじゃねぇ、余裕だ余裕」

「ならいいけどさ。巻き込まれるこっちはたまんないの」

 軽妙に、あっという間に寄奴をやり込める。まったくもって顔立ち以外は正反対な二人だが、だからこそ気持ちいいくれェに噛み合ってもいたんだろうな。

 何も返せなくなった寄奴は、バツが悪そうに頭を掻いた。

「あ、けどよ。穆之、アレ本当なのか?」

「あれって?」

「己らの先祖が匈奴きょうどだ、って話」

「あァ、もちろん嘘」

「は?」

 へ?

 つい、己と寄奴とで見合っちまった。

「っていうかさ、分かるわけないじゃん。こちとら立派な流民さまだっての。もしかしたらどっかに匈奴やら鮮卑せんぴやらの血だって混じってるかもしれない。けど、そいつだってどうせ木っ端だよ」

 あっけらかんと言い放ってくれる。すっかり毒ッけを抜かれちまった己らにしてみりゃ、もう穆之の舌先と、ついでに言や、そのクソ度胸に苦笑を浮かべるしかねェ。

 と、穆之が己を睨みつけてきた。

「つうかさ、旿兄ィ。結局のとこ、兄貴あってこその僕らなんだ。兄ィにも、もうちょっとしっかりしてもらわないと。きっとこの先、もっといろいろ面倒ごとに巻き込まれるよ?」

 もうまァ、あっはい、すんません、としか返しようがねェよな、ってなモンだ。

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