激闘開始

 あらゆるものを自分のために犠牲にして、闇の頭領であるナギは姿を現した。榛名は顔に浴びた青黒いサクヤの返り血を手の甲で拭う間も、ナギを睨んだままである。

「なかなかいい顔つきだ。この私と対峙して泣き出さなかったのは誉めてやろう」

 ナギは黄金色の眼を細めて右の口角を上げた。榛名は五行剣を正眼に構え直し、

「貴様を見て泣くはずがない。理由わけのわからぬ事を言うな!」

 榛名の気が高まり、長い黒髪がフワッと舞い上がった。ナギは榛名の感情の高まりを見て大笑いした。

「何がおかしい!?」

 榛名は眼を吊り上げ、語気を強めて怒鳴った。しかしナギは笑うのをやめない。

「答えろ!」

 榛名は制服のポケットに入っている護符を取り出し、投げつけようとして手を止めた。護符がサクヤの血で染め抜かれ、滲んでしまっていたのだ。榛名は目を見開いた。

「わからぬのか、スセリ? サクヤは最後の最後にお前に一矢報いたのだ。お前の術はサクヤの血で封じられている」

 ナギは笑うのをやめて言った。だがその顔は榛名を嘲るようである。少なくとも、榛名にはそう見えた。

「く……」

 ふと手を見ると、肌にサクヤの血が侵蝕しているのがわかった。それは手だけではなく、顔も身体もサクヤの血の色に染められ始めていた。

「その身体は我らと違ってひ弱だ。もうすぐサクヤの血がその肉体を滅ぼす。さすれば、お前はスセリに戻るしかないのだ」

 ナギはもう一度目を細めてニヤリとした。榛名はなす術もなく、変色していく自分の肉体を見ていた。

『榛名、頑張って! もうすぐお父様がいらっしゃるわ』

 脳裏に現れる春菜が告げる。

(白雲様……)

 榛名は春菜の声にハッとしてナギを睨んだ。

「まだおのれの宿命に抗うつもりか、スセリ? 闇はどこまでいっても闇なのだ。何故わからぬ?」

 ナギは笑みをやめた。榛名は気を高めるのをやめた。

「ようやくわかったようだな、スセリ」

 ナギはそれを降伏と受け止めて言った。しかし、榛名はフッと笑ってナギを見ると、

「何を思い違いをしている、ナギ? 闇はどこまでいっても闇。確かにその通りだ。だが、私はそのような事を超えた思いで動いている!」

 榛名の気が爆発的に高まり、ナギを圧倒する。

「何だと!?」

 ナギはその凄まじさに身じろぎ、後ずさった。

「榛名!」

 その時、彼女の父である白雲が駆けつけた。ナギは白雲の姿を見つけると、

「お前の娘の肉体、もうすぐ滅ぶぞ」

 両の口角を吊り上げて白雲を挑発した。白雲はその言葉に榛名をもう一度見た。

「それは……」

 彼は娘の肉体が青黒く染まっているのに気づき、仰天した。

「案ずる事はありませぬ、白雲様。こうすればすむ事です」

 榛名はそう言うと、スウッと春菜の身体から自分の身体を分離した。

「榛名!」

 白雲は目を見開いた。人間である春菜の身体からナギと同じ黄金色の長い髪と眼を持つ鋼色の肌をした闇の者が出て来た。それこそ、榛名の前身であるスセリだった。小柄な春菜と違って、その身体は白雲と変わらない大きさだ。サクヤと同じく黒い装束を身に纏ったスセリは、倒れかけた春菜の肉体を支えて、呆然としている白雲に預けた。春菜の身体を染め抜いていたサクヤの青黒い血はスセリとなった榛名に移り、元の肌に戻っていた。そして、スセリに移ったサクヤの血の色はやがて色褪せて消えてしまった。

「やはり戻るか、スセリ?」

 ナギが問いかけた。するとスセリとなった榛名は、

「戻らぬ。この姿になったのはお前との決別の証。お前をここで滅ぼす」

 静かに言い、五行剣を構え直す。

(闇の者であれば、あの剣は持てない。という事はあれはスセリではない。榛名なのだ)

 白雲は春菜の身体を庇うように抱きかかえながら、スセリの身体に戻った榛名を見ていた。

「私を滅ぼすだと? 何を自惚れておるのだ?」

 ナギの黄金色の眼が見開かれた。裂けたように広がる口からはどす黒い妖気が噴き出している。

「確かにお前は我が右腕だった。だが、それも闇の力を持っていればこそだ! 今のお前は闇でも人間でもない中途半端な存在。そのような者に私を滅ぼす事などできるものか!」

 ナギの妖気が濃くなり、体育館の壁を腐蝕させ始めた。

「くそ!」

 白雲は春菜の身体を抱きかかえ、離れた場所に寝かせると、結界を張った。

(榛名の言うようにここで奴を倒さないとまずい事になる)

 白雲は意を決してスーツの内ポケットに手を忍ばせた。


「あれえ、榛名ちゃんがいないぞ」

 二年三組の教室に戻った高山遼が言った。それを聞いた宮城綺奈は悲しくなりかけたが、榛名の、

「貴女を応援すると言った言葉に嘘はないわ。だから、頑張って、宮城さん」

 その言葉を思い出し、気を取り直した。

「私、探して来るよ。先生が来たら、そう言っておいて」

 綺奈は高山に告げると、一人で教室を飛び出した。彼女は榛名が体育館の裏に行くのを見かけていたのだ。

「おい、宮城ィ……」

 高山は慌てて追いかけようとしたが、クラス担任の新里さくらが来たので諦めた。

「宮城の奴、いつの間に榛名ちゃんと意気投合したんだよ?」

 高山は不満そうに呟き、席に戻った。さくらも教室に入るなり、榛名と綺奈がいない事に気づき、

「妙義さんと宮城さんがいないようですが、どうしたのか知っている人、いますか?」

 クラスを見渡して尋ねた。多くの生徒達が反応しなかったが、高山が、

「宮城は妙義さんがいないので、探しに行きました」

 さくらはそれを聞いてビクッとした。

「そんな……。校長先生のお話を聞いていなかったの?」

 さくらは思案顔になり、

「このまま自習していてください。私は二人を探しに行きます」

 それだけ言うと、教室を出て行ってしまった。

「ああ、先生!」

 高山がすぐさくらを追いかけた。

「心配だから、一緒に行ってもいいですか?」

 彼はさくらの前に回り込んで言った。さくらは困った顔をしたが、自分自身も不安だったので、

「わかりました。但し、男の先生も一人同行してもらいますから」

「はい」

 面倒臭い事になりそうだと思ったが、高山は仕方なく同意した。反対したら、追い返されると思ったのだ。


 ナギは榛名と白雲を交互に見た。

「どこまでも我が道を邪魔するつもりか?」

 ナギは吐き出した妖気を集めると黒い剣を作り出した。その剣を見てスセリの身体に戻った榛名がビクッとした。

(あれは……?)

 彼女はナギと共に戦いに出た事がある。その時、敵軍を一太刀で殲滅したのがナギが妖気で作った剣だったのだ。

(あんなものをこの世界で振るえば、辺り一面破壊されてしまう)

 榛名同様、白雲もナギの剣に脅威を感じていた。

(何だ、あの禍々しさは……。触れただけで消滅してしまいそうだ)

 白雲の額に汗が滲む。ナギはそんな二人の心情を見透かすかのように大笑いした。

「スセリ、見覚えがあるようだな? この剣は何度か人間界に降りて来ている。そう、村正と呼ばれていたか」

 ナギはニヤリとして剣を舐めるように見る。白雲はその名を聞いて更に驚愕した。

「村正だと?」

 妖刀と呼ばれたその刀について白雲はよく知っていた。徳川家康の祖父も父も家臣の謀反で命を落としているが、そのどちらも村正が凶器とされている。もちろん、真偽の程は定かではないというのが多くの歴史家の考えである。

(徳川家の話はともかく、闇の頭領が名指しで挙げるとなれば、実際にそのような事があったのは間違いないのだろう)

 ナギは焦りを募らせている榛名と白雲を愉快そうに目を細めて見ながら、

「人間界を混乱させるのは楽しいものよ。あれで幾多の者が命を落とし、翻弄された事か」

 白雲は焦りを感じながらも、嬉しそうに語るナギに怒りを覚えていた。

(こいつの戯れのせいで、春菜は……)

 白雲はスーツの内ポケットから護符を取り出した。ナギがそれに気づき、

「ほう。まだそんな札を使うつもりか? 私には通用しないぞ」

 ナギの言葉に白雲はフッと笑い、

「以前の戦いでお前が逃走したのを忘れたのか、化け物?」

 白雲の挑発にナギの顔つきが変わった。余裕の笑みを封印し、険しい表情になる。

「黙れ! 逃げたのではないわ! お前の娘の力を手に入れた以上はこの世に留まる必要がないので戻ったまでの事。戯れ言を申すな!」

 ナギは反論したが、先程とは違って感情的な口調になっていた。白雲の言葉が癪に障ったのだ。

(嘘だ。あの時、ナギは追いつめられていた。確かに春菜の身体に宿された力を手に入れたので、人間界に長居は無用だったのは事実だが、逃げて来たのは間違いない)

 榛名もその時の様子を思い出していた。

(だからこそ私が遣わされた。白雲様をたぶらかして殺すために)

 そこまで回想して、結局それをなせずに白雲に心惹かれてしまった自分に思い至り、身体が熱くなる榛名である。

(闇の頭領自らが乗り出して手に入れたくなるほどの力を春菜は持っていた。それ故白雲様はナギを倒し、春菜を甦らせたいのだ)

 榛名はスセリの身体に戻ってから、白雲をまともに見ていない。自分の本当の姿を愛しい人に晒しているのが堪えられないのだ。しかし、それ以上に春菜を死なせる事はできなかった。だからこそ、分離したのである。

(来る!)

 榛名はナギが構えに入ったのを感じ取った。

「禍津、全力でいくぞ」

 彼女は剣に宿った式神の禍津に語りかけた。

『承知』

 禍津が応じる。榛名は剣を握りしめ、ナギの動きに集中した。白雲もナギが動こうとしているのを知り、護符を持ち替えた。

(榛名が受けるつもりでいる……。その期を逃さずに奴に叩き込む)

 彼が持ち替えたのは、魔を封じる護符である。ナギを封印し、闇の世界と人間界を行き来できなくするつもりなのだ。

「ぬ!?」

 次の瞬間、いきなりナギが消えた。白雲には全くその姿が追えていなかったが、榛名は反応した。

「でや!」

「はあ!」

 ナギは白雲の右後方から斬りかかっていたが、それを榛名が迎え撃ち、止めた。

「……」

 白雲は自分の動体視力に自信があったのだが、今のナギと榛名の動きを見てそれが自惚れだと悟った。

「衰えていないようだな、スセリ?」

 ナギがフッと笑う。しかし、榛名は表情を変えずに、

「お前は衰えたようだな?」

 挑発した。ナギは素早く飛び退き、今度は榛名に仕掛けた。榛名は襲いかかるナギの動きを見切り、彼の背後を取り、袈裟斬りした。しかし、そこにはすでにナギはおらず、榛名の背後に回り込んでいた。

「衰えたのはお前の方だ、スセリィッ!」

 ナギは唐竹に榛名を斬りかけた。すると榛名の背から光が広がり、ナギを取り込もうとした。

「何だと!?」

 ナギは榛名が仕掛けた護符だと気づき、すぐさま後退あとずさった。

「私を甘く見過ぎだ、ナギ」

 榛名は驚愕の目で彼女を見ているナギに言い放った。ナギは歯軋りし、

「手加減しているのがわからんのか、スセリ! もう容赦はしない。覚悟しろ!」

「それはこちらの台詞だ」

 榛名は剣を正眼に戻して言い返した。ナギは身体から発する妖気を更に強くし、榛名を睨みつけた。

「よくぞ申した! 次で死ぬるぞ、スセリ!」

 ナギは黒剣を上段に構える。白雲には彼らの一連の動きが全く見えていなかった。

(何が起こっているのだ?)

 最早ナギと榛名の戦いは、人間の介入する余地など残されていないように見えた。


 壮絶な戦いが展開している事など知る由もない綺奈は、榛名がいると思われる体育館の裏手に近づいていた。そして彼女は、地面に倒れている春菜の肉体に気づき、

「妙義さん、どうしたの?」

 驚いて駆け寄った。白雲が綺奈に気づいたが、それよりも早くナギが動いていた。

「く!」

 榛名も綺奈に気づき、ナギを追いかけた。

「我が糧となれ、愚かな人間よ!」

 ナギの剣が綺奈に迫った。速過ぎる動きのため、綺奈には認識できていない。

「綺奈さん!」

 榛名がその間に割り込んだ。ナギの剣が榛名の左肩に食い込んで止まった。

「スセリ!」

 ナギは剣を引くと、榛名から離れた。同時に榛名の左肩から青黒い血が噴き出した。

「いやああ!」

 綺奈が二体の魔物に気づき、絶叫して気絶した。榛名は綺奈が無事なのを知り、ホッとし、ナギを睨む。

「人間を巻き込むな。この戦い、お前と私だけでケリをつける」

 ナギは榛名の提案に右の口角を吊り上げ、

「良かろう。それもまた一興」

 白雲はその間に綺奈を抱き上げ、体育館から走り去った。

(この子を巻き込む訳にはいかない)

 彼は綺奈に春菜を重ねていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る