サクヤ散る
逆柿中学校の体育館の裏で、妙義榛名は闇の者であるサクヤと対峙していた。周囲にはサクヤの結界が張られ、他の者には二人の姿は視認できない。
「愛しい人に授かった陰陽道も使えない。その上、頼みの式神もそばにいない。どうする、スセリ?」
サクヤは瞳のない
「その名で呼ぶなと何度言えば覚えるのだ? 相当なバカだな、お前は」
榛名はほとんど役に立ちそうもない五行剣を投げ捨てて言った。
「言ってくれるじゃないか、スセリ? あんたの方がずっとバカだってすぐにわからせてやるよ!」
サクヤは右手に持った剣で榛名を指し示して怒鳴った。
(さて、どうしたものか? 打つ手を考えないとな)
榛名は制服のポケットを探りながらサクヤを睨んだ。
その頃、榛名が差し向けた禍津は彼女の形式上の父親である白雲の元に到着していた。
「わかった。すぐに教育委員会には連絡を取り学校へ向かう。それまで榛名を支えよ、禍津」
白雲はネクタイを締め直して立ち上がった。
『承知致しました、白雲様』
禍津は跪いて応じると、フッと姿を消した。白雲は部屋の隅にあるアタッシュケースを持つと宿舎を出た。
(急がねばならん)
彼は黒塗りのセダンに駆け寄り、運転席のドアを開いた。
「何!?」
その時、白雲は闇の頭領であるナギの悪意に満ちた妖気を感じ取った。一瞬にしてセダンがどす黒い妖気に押し包まれた。
「おのれ!」
白雲は危うくそれに飲み込まれるところだったが、素早く後退し、早九字を切った。
「
迫り来る妖気の渦を切り裂いた。
(車にも結界を張るべきだったな)
白雲は後悔したが、今更何も意味をなさない。
「愛しいスセリを助けに行くのか、色男?」
背後で濁った声が聞こえた。白雲はハッとして振り返った。そこには黒猫が一匹いた。彼を威嚇するように全身の毛を逆立てている。しかし、只の黒猫ではない。
「また姿を見せないのか、ナギ? そんなに私が怖いのか?」
白雲は黒猫を見下ろして尋ねた。すると黒猫はセダンのルーフに飛び乗り、
「随分と見くびってくれるな、色男。私を舐めていると痛い目を見るぞ」
また威嚇のポーズを取った。
「お前の目的は何だ? 私の命か? それとも自分の娘を取り戻したいのか?」
白雲は視線の高さがほぼ同じになった黒猫を見て言った。すると黒猫はルーフに伏せて、
「その両方だよ。お前の命も欲しいし、スセリも取り戻したい」
白雲はフッと笑った。
「何がおかしい?」
黒猫が目を細めた。白雲は黒猫を睨み据えたままで、
「私の命は差し出す覚悟だが、あの子は返さない。何より、あの子が帰りたいとは思っていない」
「笑わせるな。お前はスセリを道具にするつもりだろう? 必要なのはスセリの力。お前はあいつを人間にするつもりなどない」
黒猫は再び威嚇を始めた。白雲はそれには答えず、
「だが、今は誰の命も渡すつもりはない! お前を滅ぼすまではな!」
そう叫ぶと、セダンから離れ、走り出した。
「果たして間に合うかな、色男?」
猫は伏せて目を細めた。
(何故奴は直接仕掛けて来ないのだ? 何を企んでいる?)
白雲は気配を消したナギの思惑が読めず、不安になっていた。
榛名は護符を探りつつ、サクヤとの間合いをとった。
「弱気だね、スセリ? さっきの威勢はどうした? 空威張りって奴か?」
サクヤがニヤリとして挑発して来る。しかし榛名は動かない。
(激情に任せて戦うのがこの女のやり口だが、少しは頭を使うようになったのか? それとも……)
榛名はナギが黒猫の身体を借りて白雲の前に現れたのを禍津から聞いていた。彼女も白雲と同じ疑問を抱いていた。
(何故奴は白雲様を襲わない?)
白雲はナギの奇襲を警戒してその身に護符を仕込んでいる。しかし、ナギがその気になれば護符程度では防ぎ切れないのは白雲も榛名も承知していた。それなのにナギが仕掛けて来ないのは、何か他に理由があるとしか思えないのだ。
(サクヤに何か策を授けたのか?)
ナギの戦い方を誰よりもそばで見て来たので、何かを企んでいると考える方が正しい気がしている。
(例えどちらであろうと、私は戦うのみ。そして、敵を倒すのみだ)
榛名はポケットから護符を取り出した。
『榛名、迷わないで。迷いこそ闇の好物よ』
脳裏に白雲の実の娘である春菜が現れた。その顔は憂いを湛えている。
『わかっている。だから決断した』
榛名は護符を握り締め、サクヤを見た。
(外に放っていた禍津は難なく結界内に入れた。そういう事か)
榛名は戦法を見出した。
「もうそろそろ終わりにしようか、スセリ。あんたの顔を見ていると気分が悪くて仕方がない」
サクヤはそう言い放つと剣を一振りして正眼に構えた。
(どうする気だ?)
榛名はサクヤの動きに眉をひそめた。
(まともな剣術では自分が不利なのはわかっているはず)
サクヤの策が読めず、榛名の決断は揺らぎかけた。
『大丈夫、もうすぐお父様がいらっしゃるわ、榛名。思う存分力を振るって』
脳裏の春菜が告げた。
『いや、力は振るわない。ここで全力を出したら、思う壷だ』
榛名は目を細めて不敵な笑みを浮かべているサクヤを見る。
(外からの力や術は通れるという事は、こちらが圧倒的に不利な状況という事だ。サクヤの余裕はそれか? まともに打ち合っていれば、こちらが消耗するだけだ)
敵はサクヤだけではない。むしろ結界の外のいるナギの方が問題なのだ。
(ならば、サクヤを消耗させるしかない)
榛名は取り出した護符を戻し、別の護符を出した。
「何だい、迷いがあるようだね? そんな事じゃ、私には勝てないよ、スセリ?」
サクヤは眉を吊り上げて笑いながら言った。しかし榛名はそれには応じず、新に取り出した護符を構えた。
「サクヤ、お前如きがこの私に刃向かうとは愚かな事この上ない。返り討ちにしてやるよ」
「ほざけ!」
サクヤは笑みをやめ、怒りを露にして怒鳴った。榛名はその瞬間、一気に間合いを詰め、サクヤの目前まで跳んだ。
「何!?」
サクヤもまさか榛名が接近戦を仕掛けて来るとは思っていなかったらしく、対応が遅れた。
「お前は永遠に私には勝てない」
榛名は持っていた護符をサクヤの鳩尾に貼った。
「くぬ!」
その途端、サクヤの身体が硬直した。榛名が使ったのは金縛りの護符だった。
「こんな子供騙しの札が私を止められると思っているのか!」
サクヤは口から妖気を吐き出し、護符を溶かしてしまった。
「それで終わりではないぞ、サクヤ」
榛名が後退しながら告げた。サクヤは目を見開いて榛名を睨んだ。
「
サクヤは警戒する事なく、榛名に剣で斬りかかった。すると一歩踏み出した右足が地面に飲み込まれていく。
「何だと!?」
サクヤはすぐに退こうとしたが、右足を抜く事はできず、膝まで埋もれてしまった。
(どこまでこの撹乱が通用するか、そしてどれほどサクヤを消耗させられるかだが……)
榛名は真剣な表情で狼狽えているサクヤを観察していた。実は右足が地面に埋もれていくのは幻覚なのだ。サクヤに護符を貼った時、幻覚を起こす粉を彼女に振りかけた。これもサクヤを疲れさせる作戦の一つである。
「ふざけやがって!」
サクヤは渾身の力を込めて右足を地面から引き抜いた。また妖気を消費したらしく、彼女の周囲が更にどす黒く染まった。
「スセリィッ、てめえ、どこまで私を愚弄すれば気がすむんだ!?」
サクヤの怒りは消耗の度合いに比例して増大しているようだった。
(それにしても何故あいつはそこまで私を憎むのだ? 私の母があいつの邪魔をしたのを恨んでいるのだとしても、度が過ぎている)
榛名はサクヤの異常なまでの憎しみと恨みを不審に思った。
(まさか……?)
そして一つの結論に達した。
(それならば全てに合点がゆく。奴が姿を見せない事、白雲様に直接仕掛けない事、サクヤが再び姿を見せた事、結界には自由に入れる事。何と用意周到な奴だ、ナギ!)
榛名は張り巡らされた策謀に気づき、怒りで身体が熱くなるのを感じた。
(戦いが長引けば長引くほど、奴に有利になってしまう)
榛名は悔しさで歯軋りした。それを見たサクヤが思い違いをしたのか、
「どうした、スセリ? そこまでか? もう打つ手がないのか?」
嬉しそうに言った。榛名はキッとしてサクヤを見たが、何も返さない。
『禍津、力を分けてくれ。後で返す』
榛名は禍津に呼びかけた。
『承知』
禍津が応じた。榛名はもう一度五行剣を出し、正眼に構えた。
「宿れ、禍津」
榛名が命じると、禍津が剣に憑依した。結界の作用で力を失っていた剣が強く輝き始めた。
「何をした、スセリ?」
サクヤは五行剣の変化に驚き、榛名に怒鳴った。しかし榛名は無表情のままで、
「行くぞ、サクヤ。すぐに決めるから、安心して地獄に行け」
スススッと剣先を下げていき、下段に構えた。サクヤは榛名の挑発に激怒し、
「やかましい! 地獄に行くのはてめえだよ、スセリ! いや、てめえは地獄にすら行かせねえ! 無だ。無の世界に飛ばしてやるぜ!」
剣を振り回し、けたたましく笑い出した。
『一刻の猶予もない。行くぞ、禍津』
榛名は心の中で禍津に語りかけた。
『承知致しました、
禍津が静かに応じる。剣の輝きが増した。
『榛名、気をつけて』
不意に春菜が言った。しかし榛名にはその声は届かなかった。
「はあ!」
下段に構えたまま、榛名はサクヤに突進した。まさしく風のような速さだった。
「おりゃあ!」
サクヤもそれに呼応して剣を上段に構え、榛名を迎え撃つ態勢を整えた。榛名が間合いに踏み込み、剣を右斬り上げに振った。サクヤはそれに反応して、袈裟斬りした。剣身が途中でぶつかり合い、火花が散った。そして、サクヤの剣が真ん中からへし折れ、五行剣の切っ先がサクヤの上半身に深く斬り込んだ。
「ぎいいい!」
サクヤは悲鳴なのか泣き声なのか判別不能な声を上げた。斬り裂かれた
「ぐはああ!」
更に剣は深くサクヤの皮膚を抉り、肋骨を断ち、その奥にある臓腑を斬り裂いた。人間で言う肺臓と心臓である。
「スゥセェリィッ!」
サクヤが目を見開き、榛名に掴み掛かろうと手を伸ばした。しかし、それが榛名に届く事はなかった。サクヤはそのまま前のめりに倒れ伏した。榛名は飛び退いて避け、目を細めて彼女を見下ろした。
(奴の思惑通りにはいかなかったはずだ。これで……)
榛名は五行剣に付いた血を振り払おうとした。その時だった。
「スセリィッ! てめえだけは絶対に許さねえ! 死んでも憎み続け、恨み続けてやるゥッ!」
突然サクヤが顔を上げ、断末魔のように叫んだ。榛名はその執念に驚愕し、声を失った。それと同時に何故サクヤが最後にそんな事を言い放ったのかわかった。
「しまった!」
榛名の全身に汗が噴き出した。先手を取って封じたつもりが、敵は更にその上をいっていた事に気づいたのだ。
「ナギ様、お役に立てて、サクヤは嬉しゅうございます……」
サクヤは橙色の目から涙を零しながら嬉しそうに笑った。榛名は身体が震えてしまうのを止められなかった。サクヤはそのまま絶命して細かく砕け、霧のようになって消失してしまった。そして彼女の結界も解けていく。
「大義であった、サクヤよ。お前のお陰で私は現世に来る事ができた」
背後で、聞き慣れた声が聞こえた。榛名はゆっくりと振り返った。そこにはまさにスセリであった時の父であるナギがいた。鋼色の皮膚に黄金色の腰まで伸びた髪。見るもの全てを射殺してしまいそうな鋭い黄金色の眼、高く尖った鼻、耳元まで大きく裂けた口。
「なかなか出て来なかったのはそういう事か? お前ほどの闇が現世に現れるには相応の妖気と力がいるという事だな」
榛名は冷静さを保ち、ナギを睨みつけて言った。ナギはフッと笑い、
「さすが我が右腕だ、スセリ。私がこの世に姿を晒すには時が必要なのだ。地ならしを下っ端にさせたが、ほとんど捗らなかったよ。最初からサクヤを使えば良かったかな」
榛名はその言葉に怒りを感じ、五行剣を持つ手に力が入った。
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