執念と因縁
X県R市にある逆柿中学校二年三組の担任である新里さくらは、何故自分が路地に一人で立っていたのか不思議に思いながら、学校へと走った。
(最近、そんな事が多いのはどうして?)
彼女は不意に昨日の転校生の妙義榛名との事を思い出した。
(保健の千代田光代先生がいなくなったのは本当だった。妙義さんは何か知っているのかしら?)
彼女は考え事をしながら歩いていたが、始業のチャイムを聞き、我に返った。
「もうそんな時間?」
さくらは腕時計で時刻を確かめ、走り出した。
その妙義榛名はクラスメートの高山遼と宮城綺奈と共に校舎に駆け込んだ。同じ場所にいたさくらを置き去りにしたのは、まだ闇の頭領であるナギの支配が及んでいる可能性があったからだ。
(新里先生にも護符を貼らないと)
榛名は息が上がったふりをして高山と綺奈の背に護符を貼ったのだ。これで闇に取り憑かれる心配はなくなったが、さくらはまだナギとの繋がりが完全に切れた訳ではないので、護符だけでは足らない。
(相手は奴だ。下手をすると新里先生が命を落としかねない。慎重に進めないと……)
榛名は上履きに履き替えると、廊下を歩いた。
「もう、相変わらず素っ気ないんだから、榛名ちゃんは!」
高山がヘラヘラ笑いながら榛名を追いかけるのを綺奈はムッとした顔で睨んでいる。榛名には綺奈の気持ちがわかるので、高山の行動が疎ましかった。
(宮城さんはあの時、どこまで自分の意志で話していたのだろうか?)
綺奈は榛名に高山に対する思いを話してくれたのだが、途中で彼女を乗っ取った闇の者であるサクヤのせいで、綺奈の思いが断絶してしまったのだ。
(でも、宮城さんが高山君の事を好きなのは間違いない)
榛名は二人のすれ違いを解消しようと思った。
『今はそれどころではないよ、榛名』
榛名の脳裏に現れる同じ顔の少女。彼女こそ、妙義白雲の娘の春菜である。白雲と協力して彼女を甦らせ、彼女と一つになる。それが闇の者であったスセリが白雲と交わした約定であった。
『ナギを倒さなければ、あの二人も無事ではすまないし、先生も死ぬかも知れない。わかっている。奴を倒すのが最優先だというのはな』
『榛名……』
榛名の決意に春菜は表情を曇らせた。
『お父様が動揺しているわ。ナギがお父様の心を揺さぶっている。貴女との事を持ち出して、お父様を追い詰めようとしているわ』
春菜は悲しそうな顔で告げた。榛名はそれを聞き、また身体が火照るのを感じた。
(私は何を考えているのだ? それこそ奴の思う壺ではないか?)
白雲の娘ではなく、彼の愛しい人になりたい。闇の者であるスセリの時の感情が榛名の心を支配しかけていた。榛名はそれに気づき、スセリの時の感情を追い払おうとした。
「高山君、先に行っていてください。私は宮城さんと話がありますから」
榛名は目を細めて高山に告げた。すると高山は口を尖らせて、
「ええ、俺、仲間はずれェ? やだよ……」
不満を言い始めたのであるが、榛名の目が射るように自分を見ているのに気づき、
「へいへい、女子同士のお話ね。わっかりました」
肩を竦めると廊下を歩いて行く。榛名は綺奈に視線を移した。その途端、綺奈がギクッとした。
「私は誰も好きになれないの、宮城さん。だから心配しないで。高山君はまだ貴女の気持ちに気づいていないから」
榛名は無理に微笑もうとしたが、顔が引きつってしまった。
『今の貴女には笑顔は難しいみたいね』
春菜が心の中で囁く。榛名はその言葉が癪に障ったが、
「貴女を応援すると言った言葉に嘘はないわ。だから、頑張って、宮城さん」
無視して綺奈に語りかけた。綺奈は自嘲気味に笑い、
「ダメよ。あいつは今、貴女に夢中。あいつには私の言葉は届かない。無理なのよ」
「そんな事ない」
榛名が更に話を続けようとした時、綺奈が走り出した。彼女は榛名を掠めるように通り過ぎ、その先にある階段を駆け上がって行った。
「宮城さん……」
榛名は唖然として綺奈が消えた階段を見つめていた。
その頃、元の教員用の宿舎に戻った白雲は、護法をかけた
(私とあの子がかつての感情を甦らせてしまえば、ここまでの苦労は水泡に帰する。何としてもそれは阻止しなければならない)
白雲は榛名となる以前の彼女を気の迷いで抱いた訳ではなかった。スセリの時の彼女は紛れもなく女であり、白雲は心惹かれたのも事実だ。しかし、娘の春菜を甦らせるためには、その感情は捨てなければならない。
(だからこそ、あの子は全ての感情を封印し、不自由な状態で戦ってくれている。春菜のためだけではない。あの子のためにも、このままで終わる訳にはいかないのだ)
しかしまた、それが
(ナギはそれを見抜いていた……)
白雲の額に汗が流れ落ちた。ナギは次に会う時もそこを突いて来るのは目に見えている。防ぐ手立ては只一つ。強靭な精神で対抗するしかないのだ。
「はるな、許せ」
それは「春菜」なのか、「榛名」なのか? 白雲は一心不乱に墨を磨り、護符を作った。
榛名が教室に入ると、こちらを見ていた綺奈が目を背けた。彼女は榛名の言葉を信じていないようだ。
「榛名ちゃん、何してたの? 遅かったね?」
能天気な高山がニコニコしながら声をかけて来る。
「おしっこを我慢できなかったのでトイレに寄っていました」
榛名は無表情にそう言い、仰天して口をポカンと開いたままの高山を無視し、席に着いた。
「ごめんなさい、遅くなってしまって……」
そこへ息を切らせてさくらが入って来た。頬が上気し、髪が乱れている。彼女は手櫛で髪を整え、教壇に上がると一同を見渡した。
「今日はこの後、臨時の全校集会です。各自、筆記用具を持ち、体育館に行ってください」
クラス中がざわめいた。口々に隣同士で憶測を飛ばす。さくらは困った顔でオロオロしていたが、
「と、とにかく、お願いね!」
それだけ言うと、サッサと教室を出て行ってしまった。榛名はさくらの慌てようが気になった。
『
榛名が使役する式神の禍津が報告した。
『そうか。あの先生の遺体は無事か?』
『はい。闇は気にも留めておらぬ様子です』
禍津が告げると、榛名は光代を哀れんだ。
(雑魚の餌にされて命を落とすとは、あまりにも悲しいな)
だからこそ光代を丁重に弔おうと思った。しかし、それは叶わぬ事となる。
(あの先生が行方不明なのが問題になってしまったか。どうしたものか……)
今回の依頼は教育委員会が直接して来ているので、学校内部には事情を知る者がいない。できるだけ内密に事をすませようという役人の発想だ。だから、校長にも真相は話せないのだ。
(父上に連絡して、教育委員会に伝えてもらうか)
榛名はそれしか方法がないと判断した。
只でさえ蒸し暑い体育館は、全校生徒がドヤドヤと入って来たせいで更に湿度と温度を上げ、さながらサウナ風呂のような状態になりつつあった。生徒達は下敷きやノートを団扇代わりにして顔を扇いでいるが、そもそも館内の空気が暑くなっているので、顔に当たる風は生暖かく、全く体温を下げる役目を果たさなかった。
「たくよお、何だってえのさ?」
高山もブツブツ言いながら中に入り、教師達の指示で並ばされ、床に腰を下ろした。演壇の上を行き来している校長や教頭も、扇子や団扇で汗が流れ落ちる顔や首を扇いでいた。
「暑いなあ」
綺奈はチラチラと高山の方に視線を送りながら、ゆっくりと腰を下ろした。R市は真夏でも比較的涼しい気候であるが、その日に限って異常な蒸し暑さになっていた。まるで亡くなった千代田光代の無念がそうさせているようだ。
「授業を延期して集まってもらったのは、この学校開校以来の事件が起こったからです」
校長は演壇の上からハンドマイクを通して生徒達に語りかけた。ざわついていた生徒達も、「事件」と聞いて口を噤み、一斉に校長に視線を向ける。
「何があったんだ?」
高山が隣の男子に尋ねるが、彼が知っているはずもない。
(新里先生には記憶を失ってもらうべきだったか)
榛名はあまりに騒々しくなってしまったので後悔していた。
「妙義さんは暑くないの?」
後ろの女子が辛そうな顔で榛名に声をかけた。榛名は無表情のまま彼女を見て、
「南国育ちなので、暑くないです」
それだけ言うと、また前を向いた。その女子は顔を引きつらせていた。周囲の生徒達が汗を拭き、下敷きなどで風を起こしている中で、榛名一人が全く発汗せずにいるのは確かに妙な光景である。
(私も汗は掻くが、暑いくらいでは掻かないのはおかしいのか?)
榛名は目だけで周りを見ながら思った。
「その事件とは、昨日、保健の千代田先生が姿を消してしまったというものです」
校長の言葉にさくらが泣き出した。彼女が最後に光代と関わった人間だからだ。そしてもう一人、下心からさくらを保健室まで運んだ若い男性教師も蒼ざめていた。彼こそ、光代と最後に言葉を交わした人間なのだ。但し、亡くなった光代自身は、闇に取り憑かれたさくらと言葉を交わしたのが最後なのだが。
「千代田先生が?」
高山が目を見開く。彼は時々授業をサボりたくなると保健室に行っていた。そのため、他の生徒と比較して、光代と話す機会が多かったのだ。
「千代田先生は保健室から姿を消してしまったのですが、先生の車も靴もそのままです。所持品も保健室のロッカーや机の引き出しに残されたままでした。もうすぐ警察が来ます。皆さんの中で、千代田先生の事を見かけたり、何か知っているという人がいましたら、すぐに担任の先生に話してください。私からは以上です」
校長は教頭にマイクを手渡した。教頭は生徒達を見渡しながら、
「千代田先生は何かの事件に巻き込まれた可能性もあります。皆さんも校内、あるいは校庭で不審人物や不審なものを見かけたら、すぐに報告してください」
教頭の言葉が終わらないうちに生徒達のざわつきが酷くなった。皆動揺していた。
(まずいな。父上に急いで話をしないと)
榛名は集会が解散になると、素早く体育館を出て裏手に走った。そして周囲に誰もいないのを確認してから、禍津を呼び出した。
「すぐに父上に詳細を伝えてくれ」
榛名は辺りを気にしながら禍津に命じた。
『承知』
禍津はフッと姿を消した。
「随分慌てているねえ、スセリ?」
背後で声がした。榛名は右手に五行剣を出し、振り向きざまに迫っていた剣を受けた。
「ナギの命令を聞かなかったのか、サクヤ?」
そこには闇の頭領に言われて闇の世界に戻ったはずのサクヤがいた。
「あんたを殺すまでは帰れないさ。それにナギ様のお許しもいただいている!」
サクヤは後ろに飛び、ニヤリとした。途端に周囲の空間が歪んだのを見て、榛名はまた彼女の結界の中に封じられたのを悟った。
「執念深いな、お前は?」
榛名は剣を正眼に構え、目を細めた。サクヤは剣を中段に構え、
「当たり前だよ。あんたには積年の恨みがある。あんたの母親も含めてね」
榛名、いや、スセリの母親はすでにいない。ナギの数多くいる側室達に殺されたのだ。その母親を殺した側室達は、スセリだった榛名が始末している。闇の世界は完全なる弱肉強食の世界なのだ。油断をするとすぐに寝首を掻かれる。
「本当なら、私があんたの母親の代わりにナギ様のお子を産むはずだったんだ。それをあんたの母親が横からしゃしゃり出て来て!」
サクヤは口からどす黒い妖気を拭き出しながら恨み言を並べた。しかし、闇の世界ではそれはごく当たり前の事で、恨む筋合いではない。まさしくサクヤの逆恨みなのだ。
「お前がぼんやりしていただけの事だろう? やはりバカだな」
榛名は無表情のままで挑発する。サクヤはギリギリと歯を軋ませて、
「うるせえよ、スセリ! そんな事はどうでもいいんだ! 私はあんたを殺す。それだけさ!」
目を見開くと、結界が強まったのか、五行剣から力が失われていくのを榛名は感じた。
(またか……)
彼女は舌打ちし、得意顔のサクヤを見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます