圧しかかる過去

 中学生にして陰陽師でもある妙義榛名。彼女は元は闇の一族で、現在は父親である白雲と戦って敗れた。その時の名はスセリ。闇の頭領の娘で、右腕でもあった。それほどの強さを誇る闇の者が白雲に敗れたのは、彼を愛してしまったからだった。

「お前の中にほんの微かではあるが、闇に抗う気持ちが見えた。力を貸してくれ」 

 白雲は消される覚悟をしていたスセリに手を差し伸べた。

(例え私がこの方を愛しておらず、油断をしなかったとしても、勝てなかった……)

 白雲の大きな心に心酔したスセリは彼の娘の春菜の肉体に宿り、人間になるための戦いを始める事を決意した。それは自分の父親である闇の頭領との戦いを意味していたが、スセリの決意は固かった。

「その前にお願いがあります」

 スセリは俯いて白雲に言った。白雲は顔を紅潮させているスセリに怪訝そうな表情を見せたが、

「何だ?」

 スセリは俯いたままで、

「これより先は貴方の娘となります。ですから、今宵はスセリのままで……」 

 彼女は白雲に抱きつき、潤んだ目で彼を見上げた。白雲は身じろいだ。スセリは白雲をたぶらかそうとして美しい女性の姿で彼の前に現れた。この期に及んで、また自分を騙そうとしているのかと怪しんだのである。

「もはや貴方に敵意はありませぬ。一度だけ、お情けを頂戴しとう存じます」

 スセリは白雲の胸に顔を埋めて懇願した。白雲はスセリの言葉を信じ、彼女を抱いた。最初で最後だと自分に言い聞かせて。

「ありがたき幸せにございます」

 白雲の腕の中で透き通るような柔肌のスセリが涙を流して礼を言った。

「共に闇と戦おう、スセリ」

 白雲もスセリに情が湧いてしまうのを恐れながら、彼女の身体をもう一度抱きしめてしまった。

「白雲様……」

 スセリは震えながら白雲に身を任せた。

 そして次の日、彼女は春菜の肉体に宿り、榛名と名を変えた。


「は!」

 布団を跳ね除けて、荒い息遣いで榛名は起き上がった。

(このところ、春菜が殺される夢ばかり見ていたが、今日はよりによってこの夢か……)

 身体が熱くなっているのがわかった。白雲に抱かれた時を思い出してしまったのだ。左に視線を向けると、白雲は微かに寝息を立てていた。

(奴に妙な事を言われたせいだ)

 榛名はスセリだった時の記憶を追い出すように首を強く横に振った。

(まだ夜明け前だ)

 彼女は布団を引き戻して白雲に背を向けて横になると目を瞑った。

「榛名」

 すると白雲の声がした。榛名はハッとして目を開き、白雲の方を向いた。

「同じ夢を見たようだな」 

 白雲は苦笑いをして榛名を見ていた。榛名は顔が火照るのを感じた。

「夢の中にまで仕掛けてくるとは、奴も焦っているようだ。この家の結界を強くしないとならないな」

 白雲は榛名を動揺させたくないのか、優しく微笑むと、

「悪かったな、榛名。もう少し眠ろうか」

「はい、父上」

 榛名は自分に言い聞かせるように「父上」を強く意識して声に出した。


 闇の頭領の策略で過去の夢を見たせいか、榛名も白雲も相手の目を見ないようにしていた。今までなら、何も気にしないで寝間着を脱いでいたのだが、白雲の視線を感じてしまい、彼が部屋を出るまで着替えをできなかった。白雲も榛名が自分を意識しているのを感じ取り、居づらくなって部屋を出たのだ。それがお互いにわかるので、尚更気まずくなってしまった。

「行って参ります、父上」

 榛名はその感覚を断ち切るように玄関を出る時に大きな声で告げた。

「気をつけてな、榛名」

 白雲はようやく榛名を見て応じた。榛名も白雲を見て頷き、ドアを閉じた。

(朝食は途中で採ると言って良かった)

 ファミリーレストランに白雲と行くのに躊躇いを感じたので、ファストフードの店ですませると言い、元の教員宿舎を出たのだ。

『榛名はまだお父様の事を好きなのね?』

 突然脳裏の少女が現れて言ったので、

『うるさい!』

 榛名はつい心の中で怒鳴ってしまった。そのせいなのか、少女は悲しそうな顔をして消えてしまった。

(それもこれも奴のせいだ!)

 榛名は闇の頭領に怒りの矛先を向け、路地を歩いた。


 ハンバーガーショップで食事をすませた榛名が外に出ると、

「おっはよ、榛名ちゃん!」

 何故かそこにはクラスメートの高山遼と宮城綺奈がいた。

「おはよう、妙義さん」

 綺奈は手を振っている。

「おはようございます」

 榛名はお辞儀をして挨拶を返した。

「他人行儀だなあ、相変わらず。俺達、もう友達でしょ?」

 高山がまた一気に距離を詰めて来たので、榛名はギョッとした。綺奈の顔が不機嫌になるのも見えた。

「そうなのですか?」

 榛名はわざと高山ではなく綺奈を見て尋ねた。高山は、

「うわん、どうしてそこで宮城に訊くのさ、榛名ちゃん?」

 悲しそうな顔で榛名に更に迫る。榛名は後退あとずさりして、

「高山君とはお友達ではありませんので」

 きつめの皮肉を言ったつもりだったのだが、

「ああ、そうか、俺と榛名ちゃんは友達じゃなくて、恋人同士……」

 とんでもない方向に拡大解釈したところを綺奈にパシンと頭を鞄で叩かれた。

「いでで……」

 かなりの衝撃だったらしく、高山はその場にうずくまってしまった。榛名も綺奈の行動に驚き、目を見開いた。

「バカ!」

 綺奈は我慢の限界に達したようだ。目を潤ませてそのまま舗道を駆け去ってしまった。

「宮城さん」

 榛名も蹲って重傷をアピールしている高山を置き去りにして綺奈を追いかけた。

「何なんだよお、二人共……」

 高山はどちらも自分を気遣ってくれないのを知り、涙目で顔を上げた。周囲をクスクス笑いながら通り過ぎる通行人に苦笑いして、高山は歩き出した。


「宮城さん!」

 榛名はいくら呼びかけても立ち止まってくれない綺奈に業を煮やし、術を使って先回りした。

「待って、宮城さん」

 綺奈はいきなり前に現れた榛名に驚いてようやく立ち止まった。

「え、妙義さん、いつの間に?」

 訳がわからない綺奈が首を傾げて榛名に尋ねるが、榛名はそれには応えず、

「宮城さんは高山君の事が好きなのね?」

 高山に闇の頭領が憑いていたのを知っている榛名は、高山が近くにいないので綺奈に尋ね返した。

「ち、違うよ、妙義さん! あいつなんか、別に……」

 そう言いながら綺奈は俯き、更に目を潤ませる。

(言葉と表情が一致していない。面倒臭い人だ)

 榛名は綺奈の強情な性格に呆れたが、

「本当? じゃあ、私が高山君を好きになっても構わないの?」

 脅かすつもりはなかったのだが、それを聞いた綺奈は明らかに動揺していた。

「そ、それは……」

 綺奈の視線が泳ぐ。彼女は榛名を見ようとしない。

(今朝の私と一緒だ)

 綺奈の気持ちに共感した榛名はそっと彼女の左肩に右手を添えた。

「応援するから。私、貴方を応援するから」

 心の底からの気持ちを綺奈に伝えた。綺奈はゆっくりと顔を上げ、榛名を見た。榛名は頷き、ぎこちなく微笑んだ。

「あいつ、いつだって私を女だって思っていないの。只の幼馴染だって、誰に対してもそう言うの。最初は別に何とも思わなかったんだけど、何度も言われているうちに悲しくなって……」

 綺奈の奇麗な瞳から涙が零れ落ちた。

(高山君には勿体ないくらいいい子だ)

 榛名は綺奈の純粋な気持ちを感じてそう思った。

「何だよ、宮城、やっぱり俺の事が好きなのかよ」

 いつの間に追いついたのか、高山がヘラヘラ笑いながら立っていた。綺奈は顔を赤くして俯いたが、榛名は高山を睨みつけた。

(こいつ、また降りて来たのか!?)

 彼女は高山の身体に頭領が憑依しているのを感じていた。

「俺もお前の事が好きだよ、宮城」

 高山はニヤリとして二人との距離を詰める。榛名は周囲を見渡した。幸い路地裏に入っていたので、他の者の目はない。

「高山君……」

 高山に初めて「好きだ」と言われて嬉しかったのか、綺奈が駆け寄ろうとした。

「ダメ、宮城さん。今の高山君はいつもの彼とは違う」

 榛名が押し留めた。綺奈はびっくりして榛名を見た。

「な、何言ってるのよ、妙義さん? いつもの高山君と違うって、どういう事?」

 綺奈は榛名に食ってかかるような口調で怒鳴った。応援すると言っておいて邪魔するのかと思ったのか、彼女は榛名を睨みつけている。しかし榛名は綺奈の視線を気にせず、

「下がって! 高山君は今闇に取り憑かれているから」

 更に綺奈を押し退け、前に出た。高山は高笑いして、

「おやおや、うるわしき友情って奴か、スセリ? すっかり人間気取りだな?」

「その名で呼ぶな!」

 榛名は右手に五行剣を出した。

(宮城さんを守らなければならない)

 榛名は最初から全力で行くつもりでいる。

「禍津!」

 彼女は制服のポケットの中の人型を放り、式神の禍津を呼び出した。

「何をそんなに焦っているんだ、スセリ? 私は逃げも隠れもしないぞ?」

 高山に取り憑いた頭領が榛名を挑発する。榛名は剣を正眼に構え、

「黙れ! 今すぐ決着をつけてやる!」

 次に禍津を見上げ、

「禍津、全力で行け!」

 首にかけられた鉄の鎖を消した。禍津の腕と脚が筋骨隆々となった。

『承知』

 禍津が一足飛びに高山に迫った。

ぬる過ぎて話にならん」

 闇の頭領はフッと笑い、右手を開いて前に突き出した。

「式神如きが私に何ができるか!」

 その叫び声と共にてのひらから黒い妖気が噴き出して来た。それはやがて人型となり、白雲に瓜二つの姿になった。榛名は思わず目を見開いた。禍津も戸惑ったように榛名に振り返った。

『主……』

 式神とは使い手の心を投影する。榛名の動揺が禍津に伝わり、禍津は攻撃できずに止まってしまった。

「まだその男に惚れているのか、スセリ?」 

 闇の頭領は目を細めて哀れむような声で言った。榛名はハッとして気を取り直し、

「禍津、貫け!」

 すぐに攻撃命令を出したが、遅かった。

『ぬぐう!』

 禍津は白雲の姿をした妖気の塊に取り込まれ、元の人型に戻されてしまった。

「禍津!」

 榛名の動揺が広がる。

(ここは何としても宮城さんを……)

 綺奈だけは逃がそうと思ったその時だった。

「何?」

 榛名は背中に激痛を感じた。ふと胸元を見ると、血に塗れた剣が身体を貫いているのが目に入った。

「ぐふ……」

 榛名の口から大量の血が吐き出され、制服が赤く染まっていく。

「何故……?」

 榛名は剣を突き立てている綺奈を見た。先程までの愁いを帯びた顔とは打って変わり、綺奈は凶悪な表情になっていた。しかも榛名を蔑むような目で見ている。

「何故だって? まだ私が誰かわからないのかい、スセリ?」 

 綺奈の声が変わった。その声に榛名は聞き覚えがあった。

「サクヤか?」

 榛名は更に喉の奥から上がって来る血の塊にせ返りながら言う。すると綺奈はニヤリとして、

「そうだよ。お前をずっと殺してやろうと思っていたサクヤだよ!」

 突き立てた剣を更に押し込み、ひねりを加えた。榛名は激痛で意識が飛びそうになったが、

「貴様、奴の妖気に隠れて宮城さんに潜んでいたのか……?」

 気力を振り絞って綺奈を睨みつけた。綺奈はけたたましい笑い声を上げ、

「千載一遇の好機を待っていたのさ。あんたが油断して私に注意を向けなくなる時をね」

「相変わらず、そんなやり方でしか私に仕掛けられないとは情けない」

 榛名は苦しそうに呼吸をしながらサクヤを挑発した。

「うるさいよ! どんな方法だって勝てばいいんだ! それが私の流儀さ!」

 サクヤが乗り移った綺奈は彼女の面影が全くないくらいに表情を険しくして反論した。

「恨み言を言っている暇があったら、さっさと止めを刺せ、サクヤ」

 そのやり取りを見ていた闇の頭領が高山の口を借りて言った。サクヤは頭領の声にビクッとして、

「承知致しました、ナギ様」

 頭領の名を呼び、榛名に突き立てた剣をもう一度強く押し込めた。

「ぐう!」

 榛名は痛みを堪えきれず、叫び声を上げた。

「そうやって好いた男を呼ぶがいい、スセリ。そいつ共々、地獄に送ってやる!」

 サクヤは榛名の耳を舐めながら囁いた。その声は榛名に聞こえていなかった。

『榛名、しっかりして! もうすぐお父様がいらっしゃるわ。気をしっかり持って!』

 脳裏の少女が現れ、榛名を励ました。だが、出血も酷い上に痛みも凄まじい。元闇の種族である彼女でも肉体は人間の春菜のものである。限界に近かった。

「ぐ……」

 榛名はもう一度血を吐き、遂に右膝を地面に着いた。

(白雲様……)

 榛名は遠のく意識の中、愛しい人の名を呼んだ。

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