スセリとサクヤ

 倒すべき相手である闇の頭領のナギと遂に出会った妙義榛名。彼女もかつて闇の一族で、スセリと名乗っていた。

「早くくたばっちまいな!」

 スセリを目のかたきにしていた闇の者サクヤは、逆柿中学校二年三組のクラス委員である宮城綺奈に取り憑き、榛名を殺す機会を窺っていたが、とうとう動いた。彼女は榛名に突き立てた剣を憎しみの籠もった目で更に奥へと押し込む。

「……」

 榛名は激痛で意識を失いそうになるのを堪えていたが、サクヤに押されたせいで、着いていた右膝に続いて左膝を崩し、四つん這いになってしまった。

「もう一度啼け、スセリ。早くあの男を呼べ」

 彼女の前に立つクラスメートの高山遼には闇の頭領のナギが取り憑いていた。

「く……」

 榛名は血にせ返りながら高山を見上げる。

(私はともかく、このままでは春菜の肉体が保(も)たない……)

 榛名はかつて戦って敗れた白雲の娘である春菜の肉体に宿り、人間となる戦いを始めた。榛名は元は闇の者であるから、人間に比べて生存能力は高い。しかし、今彼女が宿っているのはごく普通の少女の肉体である。これ以上サクヤに傷を広げられると、復活どころかこのまま死に至ってしまう恐れがあった。

(どうすればいいのだ?)

 榛名は地面に広がっていく血の海を見つめ、迷った。

『榛名、私は大丈夫。お父様の護法で守られているからそんな簡単には死なないわ。だから、自分の思うように戦って』

 榛名の脳裏に現れた彼女と同じ顔の少女が祈るように告げた。

『わかった』

 榛名はその言葉で奮起し、立ち上がろうとした。

「まだ動けるのか、スセリ? 悪足掻きはやめて、とっとと死んじまいな!」

 サクヤが榛名を足蹴にしようとした時だった。

「その名で呼ぶな、サクヤ!」

 榛名が剣を抜け出しながら叫び、右手に持っていた五行剣の柄でサクヤが取り憑いている綺奈の足を払った。

「くう!」

 思わぬ反撃を受け、サクヤはその場に尻餅を突いた。そのせいで綺奈が履いているスカートの下のピンクの縞模様のパンティが丸見えになった。

「無様だぞ、サクヤ。後はお前が何とかしろ」

 高山に取り憑いていた頭領は捨て台詞のようにそう言うと、高山から離れて消えてしまった。

「逃げたか……」

 榛名は次の一撃で高山を気絶させ、護符で頭領を縛るつもりだったので、歯軋りした。

(血を止めるか)

 榛名は別の護符を取り出し、背中と腹に貼り付けた。護符は輝きながら彼女の身体に溶け込んだ。

「わわ、榛名ちゃん、どうしたの、それ!?」

 意識を取り戻した高山は血塗れの榛名を見て仰天していた。彼は綺奈のあられもない姿には気づいていない。

(面倒だ)

 榛名は何も応えずに高山の鳩尾みぞおちを正拳で突いて気絶させた。高山はそのまま前のめりに地面に倒れ伏した。

「くそ!」

 その時、サクヤが綺奈から抜け出して立ち上がった。綺奈は意識を取り戻す事なく、そのまま後ろに倒れた。漆黒の長い髪。そして肌は鋼色はがねいろでヌメヌメとしていて、瞳のないだいだい色の目の女。それがサクヤである。袖のない鎖帷子のような黒い着物を着て、足首まで覆われた伸縮性のある黒い袴を履いている。履物はなく、爪がそれぞれ鋭くまるで小刀のように伸びている。

「やるじゃないか、スセリ。足を払いながら、緊縛の札をこの女に貼るなんてさ」

 喋るたびにその大きく裂けた口からどす黒い妖気が噴き出した。

「臭い息を撒き散らしてつまらん事を言うな」

 榛名は無表情に戻っていた。傷口も護符の力で塞がりつつあり、体力はほぼ回復している。

「うるせえよ、スセリ。偉そうに命令するな。お前が強かったのはナギ様のお力添えがあったからなんだ。勘違いするなよ」

 サクヤは唾を吐いた。その唾は強酸性である。地面に落ちた途端、シューシューと音を立てた。

「たまには正面切って戦ったらどうだ、サクヤ?」

 榛名は五行剣を正眼に構えて言った。サクヤは気を失った綺奈の手から剣を取って振り回すと、

「ほざけ、人間の男に尻尾を振った雌犬が!」

 榛名を罵り、挑発したが、榛名は動じなかった。するとサクヤは、

「雌犬で不足なら、淫売でどうだい、スセリ?」

 舌舐めずりして更に榛名を挑発する。

「言いたい事は全部言っておけ、サクヤ。そのうち口が回らなくなる」

 榛名は目を細め、剣の先を下げ、下段に構えた。

「その手には乗らないっていう事かい? 大人になったもんだね、あんたも」

 サクヤの毒舌は留まるところを知らない。

「淫売は誰彼構わずに尻を突き出すそうだからね。私はそうはなりたくないね」

 サクヤがそう言った時、榛名が跳んだ。

「何!?」

 挑発していながら、榛名の素早さにサクヤは対応できなかった。

「ぬぐう!」

 五行剣がサクヤの左腕を肘から斬り飛ばした。青黒い血飛沫を撒き散らしながら、サクヤの左腕が宙を舞い、地面に落ちた。

「やりやがったな!」

 サクヤは飛び退いて榛名との間合いを取り、左腕の切断面を擦った。

「闇の者であるお前には痛みはほとんどないのだったな。そうやって擦っているうちにまた生えてくるのだろう。蜥蜴とかげの尻尾のように?」

 榛名が挑発し返した。

「私をバカにするんじゃねえよ、スセリ! 本当はどっちが強いのか、この場でわからせてやる!」

 サクヤは剣を八の字に振るってから中段に構えた。その瞬間、彼女の左腕が再生した。

「む?」

 榛名は周囲の空間が歪んでいるのに気づいた。倒れている高山と綺奈の姿が捻れて見えるのだ。

「今頃わかったかい、スセリ? でも手遅れだよ。ここは私の結界の中。それがどういう意味か、頭の悪いあんたでもわかるだろ?」

 サクヤは目を細めてほくそ笑んだ。

(サクヤの結界の中だとすると、護符は一切使えない。そして、禍津も呼び込めない、か)

 榛名の眉間に皺が寄った。

「どうやら事態の深刻さが理解できたようだね? まあ、どちらにしても、あんたは死ぬしかないんだから、関係ないけどね」

 サクヤは愉快そうに笑った。そして無造作に剣を振り回した。

(更に結界を強化したのか? 周囲の景色が見えなくなった)

 榛名は先程まで歪みながらも目視できていた高山と綺奈の姿が完全に消えてしまったのを確認した。

「私の事を随分と罵ってくれたが、そういうお前こそ、ナギに気に入られたくて、何度も尻を振ったのではないのか?」

 榛名は間合いを詰めながらまたしてもサクヤを挑発した。サクヤは図星を突かれたのか、一瞬身じろいだが、

「やかましいよ! 下等な人間風情に尻を突き出したてめえ如きにあれこれ言われる筋合いはないよ!」

 口から妖気を激しく吐き出しながら反論した。そして、

「それに頭領を呼び捨てにするんじゃねえよ、裏切り者が!」

 しかし榛名は負けていなかった。

「裏切ったから呼び捨てにするんだよ。バカなのか、お前は?」

 その言葉はサクヤの神経を逆撫でしたようだ。いや、闇の者に神経などないのであろうが。

「うるさい!」

 サクヤは言うや否や、先程の仕返しとばかりに一気に間合いを詰め、榛名に斬りかかった。しかしサクヤの動きを読んでいた榛名はそれより一瞬早く後退し、空振りしたサクヤに逆襲に出た。

「まずはこの忌忌しい結界を解いてもらおうか」

 榛名はサクヤの剣を右薙ぎに払い、へし折ってしまった。

「おのれ!」

 サクヤは折れた剣をすぐに見限って投げ捨て、次に繰り出された榛名の突きを飛び上がってかわし、後退した。

「もう一ついい事を教えてやるよ。この結界の中では、あんたは一切の術が使えないが、私の術は使えるだけではなく、威力が増すんだよ」

 榛名はサクヤが何を得意としていたのか思い出した。

「燃え尽きろ、淫売!」

 サクヤは口から紅蓮の炎を吐き出した。しかも只の炎ではない。強酸を含んだものである。掠めただけで皮膚がただれてしまうのだ。

「く!」

 榛名は剣をスカートに差し、跳躍して炎をかわした。

「どこまでも逃げられないよ、スセリ。私の結界はそれほど広くはないんだ」

 サクヤは獲物を追いつめる肉食獣のような鋭い目で榛名を見た。

「その名で呼ぶな、捨てた名だ!」

 榛名はキッとして剣を構えた。サクヤはニヤリとして、

「今は愛しい男が付けてくれた妙義榛名だっていう事かい?」

 再び挑発を始めた。

「うるさい!」

 榛名は白雲の事をいちいち持ち出すサクヤにとうとう激高してしまった。堪えていたのであるが、限界に達してしまったのだ。

「そんなに良かったのか、人間の男が? 気持ち良かったのか?」

 サクヤは榛名の動揺を誘うため、更に言った。榛名はサクヤの言葉に白雲に抱かれた日の事を思い出してしまった。身体が火照り、強張った。

(何故こいつはそこまで私を憎むのだ?)

 榛名は怒りの形相でサクヤを睨みつけた。

「愛しい男の事を言われて頭に来たのかい? 色に狂った女は哀れだねえ」

 サクヤは大声で笑い出した。榛名は歯軋りして、

「何故そこまで私を憎むのだ、サクヤ?」

 するとサクヤは笑いのをやめ、榛名を睨み返した。

「決まってるさ。あんたが今でもナギ様のご信頼が一番だからさ」

 意外な返答に榛名は眉をひそめた。

「何だと?」

 サクヤは口から大量の妖気を吐き出しながら、

「あんたはナギ様の娘。私は只の手下。この違いを埋める方法はなかった。だから、あんたがナギ様を裏切った時は喜んださ」

 榛名は更に眉をひそめた。サクヤは再び榛名を睨み、

「ところが、ナギ様はそれでもあんたを信頼ていると一族の前で言い切った。あんたの力を誰よりも買っていらっしゃるんだ。だから癪に障った」

 榛名には頭領の考えが理解できなかった。

(裏切り者の私をまだ信頼しているだと?)

 サクヤは自嘲気味に笑い、

「何だかんだ言っても、父と娘であるから、そこまで信頼しているのかと思ったが、そうじゃなかった。ナギ様はあんたを今でもご自分の右腕だとお思いなんだ!」

 口から僅かに炎を吐き出しながら、榛名を見た。榛名は目を細めた。

「ナギ様はお怒りをあんたじゃなくて、あんたをたぶらかした人間の男に向けていらっしゃる。奴さえ始末すれば、あんたを取り戻せるとお考えなんだよ!」

 榛名はサクヤが嫉妬に狂っていると感じた。

(この女は、昔からそうだった。奴に気に入られるためには何でもした)

 榛名はサクヤを哀れと思った。

(奴に自分だけを見てもらいたいがために私を殺そうとしているのか)

 だが、例え自分が死んだとしても、サクヤはナギの寵愛を独り占めにはできないだろうと榛名は推測した。ナギとはそういう性格なのだ。榛名がナギの娘スセリとして誕生した時にも、ナギには側室が百以上いた。スセリはナギの娘の一人に過ぎなかったのだ。

(奴が本当に好きなのは強い者だ。サクヤは野心ばかりが先行し、強さが伴っていない)

 それに気づかない限り、サクヤがナギを独占する事はできないとも思った。

「あんたを殺せば、私があんたを超えた事になる。だからナギ様についてここまで来たのさ」

 サクヤの言葉に榛名は考えを変えた。

(こいつ、少しは頭を使うようになったのか? それとも……?)

 ナギに利用されている? その可能性の方が高い。榛名はやはりサクヤを哀れんだ。

(まさか……!?)

 その時、ナギの企みの全てが見えた気がした。

(サクヤはおとり? 奴自身は逃げたふりをして今は……)

 榛名は冷たい汗が額から流れ落ちるのを感じた。

(白雲様が危ないというのか!?)

 榛名は歯軋りした。

『榛名、急いで! お父様に危険が迫っているわ』

 脳裏の少女が急き立てるように心の中で叫んだ。


 その頃、白雲は榛名の気が突然感じられなくなったので宿舎を出て通学路を歩いていた。

(何があったのだ、榛名?)

 彼女が死んでしまったにしては気の消え方がおかしかった。

(まるで何かに遮られるかのように感じられなくなった。あの子が死んでしまった訳ではない)

 白雲は歩みを速め、やがて走り出していた。路地を曲がった時である。

「ようやく会えたな、妙義白雲」

 どこからともなく濁った水の中から聞こえるような声がした。白雲はハッとして周囲を見回した。

「貴様か?」

 路地には誰もいなかったが、彼は確実に敵を感じていた。

「ああ、そうだよ。憎みても余りある娘の仇だよ」

 また、声がした。その声は不意に現れた小学校低学年の男の子の口から発せられていた。

「無関係な子供を巻き込むな。姿を見せろ」

 白雲は怒りを露にして叫んだ。

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