見え隠れする敵
中学二年生にして陰陽師でもある妙義榛名は探している闇の者が確実に存在している事を知り、二年三組の教室に戻った。
「榛名ちゃん、怖い顔してる。どうしたのさ?」
隣の席の高山遼が鬱陶しいほどの馴れ馴れしさで話しかけて来る。
「元々怖い顔なんです。ごめんなさい」
榛名は無表情なままで高山を見て言った。高山はバツが悪そうに頭を掻きながら苦笑いし、
「もう、榛名ちゃんたら、意地悪なんだから。榛名ちゃんが可愛いのはクラスの皆が知ってるよ」
「それはどうも」
更に榛名は冷たい調子で応じ、机の上に出した教科書に視線を向けてしまった。高山は肩を竦めて左隣の席の宮城綺奈を見た。
「今のは高山君が悪いわよ」
綺奈は目を細めて告げた。すると高山は舌打ちをして、
「何だよ、どうせ俺はワルモンですよ」
不貞腐れたように乱暴に教科書を鞄から取り出して机の上に叩きつけるように置いた。
一方、廊下で気を失ってしまった二年三組のクラス担任の新里さくらは、彼女に気がある若い男性教師に背負われ、保健室に着いていた。
「どうしたんですか、新里先生?」
保健室の主と呼ばれている千代田光代が驚いて出迎え、ベッドに寝かせるのを手伝う。彼女はさくらが男性教師に人気があるのを少し妬んでいる。
「後は私が診ますから、先生はどうぞ授業に行ってください」
光代は男性教師がさくらを覗き込んでいるのに気づき、追い立てるようにして保健室から締め出した。
「近頃の若い先生は、身体が弱いわねえ」
逆柿中学校に赴任して十年近くになる。その間、幾人もの職場結婚を見て来たが、自分に言い寄って来る男性教師がいないので、チヤホヤされる女性教師を逆恨みする傾向が出て来ていた。だが、光代には自覚症状はない。
「さてと」
さくらのスーツのボタンを外し、ブラウスの第一ボタンと第二ボタンを外す。ブラが少し見えた。
(何これ? こんな派手なブラジャーを着けて学校に来るなんて、何を考えているのかしら?)
さくらのブラにフリルが着いているのが気に食わないようだ。
(こっちも緩めておこうか)
彼女はさくらのスカートのホックを外し、ファスナーを下ろす。どちらかというとさくらは痩せ過ぎなので、締め付けられている様子はないのだが、ふくよかを通り越してしまっている光代はそれに気づいてまたメラメラと嫉妬の炎を燃やし始めた。
(こんな骨と皮だけの女のどこがいいんだか)
そう思っている限り、光代に言い寄る男性は現れないだろう。
(そのうち目を覚ますでしょ。全く手のかかる子だわ)
光代はフウッと溜息を吐くと、机に向かって歩き出した。その時である。
「これだけか、女?」
背後から全身総毛立つような声が聞こえた。光代はビクッとして立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「もっと脱がせろよ。楽しい事をしようじゃないか?」
そこにはいつの間にか起き上がったさくらが誰かの声で喋っていた。顔は不敵な笑みを浮かべ、ボタンを外されて露になった胸元を両手で大きく開いている。そのせいでブラが丸見えだ。しかも細身の割に谷間ができているのも光代には癪に障ったが、それに関して文句を言う余裕は今の彼女にはない。
「ど、どうしたの、新里先生?」
光代は渇き切ってしまった口をやっとの思いで動かして尋ねた。
「どうしたもこうしたもねえよ、女。楽しい事をしようぜ」
さくらの目が妖しく光ると、光代は生気を失ったような表情になり、フラフラとさくらに近づいていく。
「いい子だ」
さくらはニヤリとし、右手で光代の顎を掴むと、その肉厚の唇に吸い付いた。
「クウウ……」
途端に光代の目が見開かれ、身体がさくらを押し退けようとした。しかしさくらは片手でそれを制し、さらに強く吸い始めた。光代の目が充血し、血の混じった涙が零れ落ちる。鼻孔と耳の穴からも血が滴り落ちた。光代の身体は数回痙攣すると動かなくなった。
「けっ」
さくらはゴミを捨てるように光代を床に投げ下ろした。光代は既に息絶えており、目は見開かれたまま、口は半開きで固まっていた。
「もう少しうまい血かと思ったが、見た目通りでクソ不味かったな。まあ、必要な養分は補給できたからよしとするか」
さくらは光代の顔に血が混じった唾を吐きかけた。
「さて。この挑発、どう受けるかな、
さくらは榛名がいる教室の方角を見て、フッと笑った。その歯は血みどろだった。
二年三組は数学の授業中だった。
(これは……?)
榛名はさくらが放った挑発の気を感じ、目を見開いた。
(一度離れた奴がまた新里先生に取り憑いたのか? それとも……)
榛名は顎に手を当てて考え込んだ。それに気づいた高山が、
「榛名ちゃん、先生が見てるよ。まずいよ」
小声で教えたのだが、榛名はそれどころではなかったので、高山の声が聞こえていなかった。
「みょうぎ、はるなと読むのかな? 昨日転校して来たばかりで物珍しいのはわからなくもないが、今は授業中だ。集中しなさい」
教壇の上から榛名を叱責したのはベテランの男性教師。彼はそれでも自分を見ない榛名にイラッとした。
「妙義さん、そこまで私の授業を
男性教師は青筋を立てて怒り、黒板に計算式を書いた。それはまだ授業では習っていないものだったので、クラス全体がざわついた。
「あの先生、プライドがやたらと高いからなあ」
高山が綺奈に囁く。綺奈は小さく頷き、
「あのやり方は陰険よ。だから嫌いなんだ、あいつ」
二人共好印象ではないのだ。
「わかりました」
ところが、榛名は全く怖気づく事なく席を立ち、スタスタと黒板に歩み寄るとチョークを持ち、スラスラと解答を書き始める。
「え?」
腕組みをしてニヤついていたベテラン教師の顔が引きつる。
(バカな……。その式は二学期に教えるものだぞ……。何故解ける?)
彼の広い額に汗が噴き出した。榛名は解答を書き終わると、手に付いたチョークの粉を叩いて落とし、
「これで合っていると思います」
それだけ告げ、教壇を降りて自分の席に戻ってしまった。
(こんなバカげた事に付き合っている時ではないのに)
榛名はゆっくりと椅子に腰を下ろしながら、保健室で起こった事を感じ取ろうとしていた。
『禍津、様子を見て来い』
榛名は制服のポケットに忍ばせた人型を取り出し、誰にも見えないように九字を切った。
『承知』
彼女が使役する式神の禍津が姿を現し、床に溶け込むように消えた。
(奴め、どういうつもりだ? 何故挑発する?)
榛名がそう思った時、教室全体を圧迫感のある気が覆い尽くした。
(どういう事だ?)
榛名を挑発する気は保健室から漂って来ているのに、同質の気が教室を覆い尽くしている。
(私をからかっているのか?)
榛名は歯軋りした。
「どうしたの、榛名ちゃん?」
高山がまだ唖然として榛名の解答を見ているベテラン教師を気にしながら尋ねた。すると榛名はまた無表情になり、
「何でもないです。心配してくれてありがとうございます」
榛名に礼を言われ、高山は照れたようだった。
「いやあ……」
頭を掻いて顔を赤らめているのを綺奈が呆れ気味に横目で見ている。
(宮城さんは高山君の事が好きなのだろうか?)
榛名は綺奈の感情を計りかねていた。
『
禍津が心の中に語りかけて来た。
『わかった』
榛名はスッと立ち上がり、
「先生、気持ちが悪いので、保健室に行ってもいいですか?」
まだ呆然としているベテラン教師に尋ねる。ベテラン教師は呆然としたままで榛名を見て、黙って頷いた。
「失礼します」
榛名は会釈して教室を出て行く。
「榛名ちゃん」
高山が追おうとするが、
「ついて来ないで」
榛名に釘を刺されてしまった。綺奈が、
「妙義さんは女子なんだよ、高山君。保健室について行こうとするなんて何考えてるの?」
と
「わかったよ……」
口を尖らせ、不満そうに応じた。
榛名は禍津から保健室の惨状も知らされていた。
(犠牲者が出てしまったか)
榛名は自分達がこの学校に来たせいで人が死んだとは思いたくなかったが、急がなければならないと感じていた。保健室に近づくに従って、闇の者の気が強くなっていく。
(紛れもなく奴の気だ。しかし、教室内を圧迫している気も奴の気……。どういう事だ?)
敵が何故そのような事をするのか、榛名には理解できない。
(やはり私を試しているのか?)
榛名は右拳を握りしめ、保健室の前に立った。その隣に床から現れた禍津が立つ。
『主、あの
「わかっている」
榛名はチラッと自分より遥かに背が高い禍津を見てからドアに手をかけ、開いた。
「待っていたよ、スセリ。遅かったな」
さくらはベッドに腰かけ、脚を組んでいた。榛名は禍津と共に中に入ると後ろ手にドアを閉じ、
「授業中だ。それもわからんのか、お前は?」
挑発し返した。さくらは右の口角を吊り上げて笑い、
「そうだったな。お前は今は中学生だったな、スセリ」
榛名は目を細めた。
「その名で呼ぶな。捨てた名だ」
榛名の嫌悪の表情を見てさくらはほくそ笑んだ。
「それは悪かったな。だが私はその名の方がお前には似合っていると思っているのだよ」
さくらはベッドから立ち上がり、榛名に歩み寄る。
『主』
禍津が庇うように身を乗り出すが、
「お前では相手にならんよ、式神。引っ込んでろ」
さくらは鋭い目つきで禍津を睨みつけた。榛名は禍津を見上げ、
「お前は教室を見張れ、禍津」
禍津は表情が変わらない顔だが、さくらに下に見られ、榛名に移動を命じられたのを不満に思ったのか、
『しかれど……』
異を唱えようとした。すると榛名は、
「ならば下がれ」
禍津を人型に戻してしまった。それを見ていたさくらが手を叩いて笑う。
「そうだな。式神如きがこの私に敵うはずもない」
しかし榛名は、
「自惚れるな。お前は断じて奴ではない。只の影だ」
その言葉にさくらの顔が険しくなった。
「うるせえよ、裏切り者。お
さくらの目は血走り、口からは泡が噴き出している。榛名はそれを見て、
「あまり興奮すると、折角啜った人間の生き血が出てしまうぞ、外道」
挑発をする。するとさくらに取り憑いた闇の者はゆっくりと彼女の身体から離れた。顔中口のようなおぞましい姿である。そして身体は栄養失調のように細く、腹だけが大きくせり出していた。
「お前など、奴の姿すら拝めない下っ端だろうが? 人間の生き血を啜ってそんな醜い姿を維持しているのだからな」
闇の者は榛名の挑発にあっさりと乗ってしまった。さくらから完全に分離すると、ドサッと床に倒れるさくらを見下ろして、
「ついでにこいつには俺の子種を仕込んでおいた。明日には生き血を糧に腹を割いて無数の我が子達が誕生するぜ」
下卑た笑みで言う。榛名はそれでも無表情だ。
「言いたい事はそれだけか、化け物?」
榛名はポケットから護符を取り出した。闇の者はキッとして榛名を睨み、
「てめえも化け物だろうがよ!」
怒鳴り声を上げてはるなに掴みかかった。
「相手にならん」
榛名は魔物に護符を投げつけた。護符は魔物の顔に貼り付いた。
「ぐお!」
まるでそこに吸引機でも付いているかのように魔物は護符の中に封じられてしまった。榛名はさくらに駆け寄ると、今度こそ何も取り憑いていない事を確認し、カーテンの向こうのもう一つのベッドの下に隠されている光代の遺体を
「こっちはもう無理か」
光代は体重が半分になるくらい血を吸われており、元の顔がわからなくなっていた。学校の誰が見ても、光代だと気づかないだろう。榛名は再びさくらに近づくと別の護符を取り出して彼女の腹部に貼り、
「
早九字を切り、彼女の身体に残された魔物の子種を消した。
「ぐふ……」
それと同時にさくらが嘔吐した。身体の中で活動を始めていた魔物の子種が死に、吐瀉物に混じって出て来たのだ。
「先生、しっかりしてください」
榛名はさくらが吐瀉物に塗れるのを防ぐために彼女を抱き起こした。
(保健の先生の遺体はどうしたものか)
ケリがつくまで行方不明がいいと榛名は思ったが、いい隠し場所に思い当たらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます