逆柿中学校編

怪異が起こる学校

 闇の者を倒すために転校を繰り返している妙義榛名。彼女は中学二年生でありながら、陰陽師でもある。

「次はX県のR市だ」

 黒塗りのセダンで高速を走りながら、父の白雲が告げる。榛名はその小柄な身体に合わないシートベルトを気にしながら、

「はい」

 一言応じて前を見据えた。広く真っ直ぐな三車線の道路が遥か先まで見通せる。

「お前が転校する中学校は校長も教頭も事務長も何も事情を知らない。知っているのは、市の教育委員会だけだ」

 白雲は榛名をチラッと横目で見て続けた。榛名は黙って頷く。

「私の式神を飛ばしてみたが、戻って来ない。今までとは格が違う闇の者がいるのかも知れん」

 白雲は前の車を追い越しながら言った。榛名は追い越されて視界から消えていく車を目だけで追い、

「はい、父上」

 言葉少なに応じた。


 X県R市。本州の北部に位置するその県は日本有数の豪雪地帯であるが、夏は夏でフェーン現象が引き起こす猛暑もある実に生活するのに苦痛な土地である。主な産業は農林水産業で、X県R産の銘柄が付くだけでその値が他の地域の倍になる米どころであり、Xひのきと呼ばれる有名な木材の産出でも有名だ。そして、海で獲れる魚介類も名産品が多い。

 榛名達が向かっているR市は県の南部に位置し、県全体の人口の三分の一の住民が生活している都市である。二年後には指定要件が法定人口三十万人以上の中核市になる事が決まっている。そのあおりで、県北部や西部などの過疎化に拍車がかかってしまっている。過疎化に歯止めをかけたい町や村がこぞってR市と合併したのはそういった理由があった。皮肉な事に合併によって、県内の格差は更に広がってしまっている。

「もうすぐだな」

 白雲が高速道路の終点のインターチェンジを降りた時、そう呟いた。榛名はゆるゆるだったシートベルトを調節していたが、県境に建てられた「X県」と書かれた標識を見て手を止めた。

(これは……?)

 彼女は闇の者の気配を感じた。無表情な顔の眉間に皺が寄った。

(まさか……)

 彼女はシートベルトから手を放し、身を乗り出して道路の先を見つめた。

「どうした、榛名?」

 白雲が赤信号で停止しながら榛名を見る。

「確証はありませんが、この感じ、奴が近くに来ているのかも知れません」

 榛名は眉根を寄せたままの顔で白雲を見た。白雲は目を見開き、

「奴が、か?」

「はい」

 白雲が更に問い質そうとした時、後ろの車がクラクションを鳴らした。信号が青に変わっていたのだ。白雲はアクセルを踏み込み、セダンをスタートさせた。

「もしそうだとしたら、心してかからないといかんな。場合によっては私も同行しよう」

 白雲はハンドルを切った。ところが榛名は首を横に振り、

「父上はいらっしゃらない方が良いでしょう。奴を刺激してしまいますので」

「そうか」

 白雲は一時停止をして左右を見てから応じた。

「奴の狙いは父上のお命。父上の願いは奴の消滅。互いの気が干渉し合うと危険です」

 榛名はシートに身体をもたれかけた。

「そう、かも知れないな」

 白雲は前を見たままで言った。


 榛名達が最初に訪れたのは、R市役所である。地上十一階、地下一階のその建物はすでに耐用年数を遥かに経過しており、壁のあちこちにヒビが入っている。白雲はセダンを来客用の駐車場に停めると、榛名を伴って建物の中に入った。季節は夏。冷房の効いた車内から一歩外に出ると、焼け付くような暑さが上と下から押し寄せて来るようである。訪問先である教育委員会は五階にある。二人はエレベーターホールに向かい、他の人に交じってエレベーターが降りて来るのを待った。

「父上」

 榛名が白雲のスーツの袖を引いた。

「どうした?」

「階段にしましょう」

 榛名はそれだけ言うと、サッサと歩き出す。白雲は榛名の行動に異を唱える事なく、彼女を追う。

「私達が乗ると、他の方々に迷惑をかけます」

 はるなは階段を上がりながら言った。白雲はフッと笑い、

「そうだな。お前は賢いな」

「これは春菜の考えです、父上」

 榛名は眉一つ動かす事なく、白雲の言葉を否定した。白雲は苦笑いした。

(まだ二人は一つにはなれないのか)


 五階にある教育委員会のフロアでは、常駐の教育長が忙しなく部屋の中を動き回っていた。

「教育長、落ち着いてください。今からいらっしゃるのは妖怪ではなくて、陰陽師の方なのですから」

 事務の女性が教育長に言った。しかし教育長は、

「それはわかっているのだがね。伝え聞いたところによると、舞烏帽子中学校は化け物が出て来て、大騒ぎになったそうじゃないか。逆柿さかさかき中学校もそうならないか心配なんだよ」

「そうですね……」

 事務の女性は教育長の机にお茶を出しながら頷いた。その時、ドアがノックされた。

「来た……」

 教育長の顔が引きつった。

「どうぞ」

 事務の女性がドアに近づいて白雲と榛名を招き入れた。彼女は切れ長の目で長身の白雲にはちょっと顔を赤らめたが、続けて入って来た榛名にはギョッとしてしまった。顔の半分が長い黒髪で隠れていたからだ。当然、ソワソワしていた教育長も白雲には愛想笑いをしたが、榛名を見て顔を強張らせた。

「陰陽師の妙義白雲です」

 白雲は榛名を見たままの教育長に名刺を差し出した。教育長はハッと我に返って受け取り、

「あ、申し訳ありません。R市教育委員会の教育長の薮塚やぶつかです」

 慌てて事務の女性に渡された名刺を差し出した。白雲はそれを受け取りながら、

「この子は私の娘の榛名です。小柄で大人しい子ですが、陰陽師としての腕は確かです」

 榛名の背中を押して前に出し、紹介した。薮塚はひっと小さく声を上げた。白雲にも榛名にもそれは聞こえたが、二人とも全く反応しない。

「妙義榛名です。よろしくお願いします」

 榛名は深々と頭を下げた。薮塚は顔を引きつらせたまま、

「よ、よろしくお願いします。取り敢えず、おかけください」

 そう言うと、自分の方が先にソファに座ってしまった。事務の女性は呆れてしまったが、白雲と榛名にお茶を出すため、流し台に向かった。

「失礼致します」

 白雲と榛名は並んでソファに腰を下ろした。

「早速ですが、榛名を転校させる中学校の事をお訊きしたいのですが」

 白雲は身を乗り出して薮塚の顔を覗き見る。薮塚はビクッとして、

「ああ、はい。ええと、どこから話せばよろしいですかね……」

 額を流れ落ちる汗をシワクチャのハンカチで拭いながら尋ね返した。白雲は目を細めて、

「中学校に異変が起こるようになった時期から教えていただけますか?」

 薮塚は白雲の目が鋭くなったような気がした。彼は小刻みに震えながら、

「昨年の夏ですね。その頃から、部活で帰りが遅くなった生徒達に怪奇現象とでも言いましょうか、説明のつかない事が起こるようになりました」

 榛名はそんな薮塚の動揺を見ても無表情のままだ。

(この人からは奴を感じない。あまり学校に行っていないからか)

 榛名は白雲を見上げた。白雲はその視線に気づき、

「娘が尋ねたい事があるようです」

 そう言われ、薮塚は怖いものでも見たかのような顔で榛名に目を向けた。

「な、何でしょうか?」

 薮塚はハンカチで汗を拭く。榛名は薮塚を目を細めて見ると、

「具体的にどんな事が起こったのかはわかりました。男女比では、どちらからの報告が多いですか?」

 榛名の質問に薮塚はキョトンとしてしまった。

(具体的に起こった事がわかったって、どういう事なんだ?)

 薮塚がなかなか答えないので、

「おわかりにならないのでしょうか?」

 榛名が促した。するとお茶を持って来た事務の女性が苦笑いしながら、

「学校側から資料が提出されておりませんので、わかりかねます」

 薮塚に助け舟を出し、一礼して下がった。

「では、そういった現象が起こっているのは、市内では逆柿中学校のみですか?」

 榛名はテーブルの上に無造作に置かれた「R市立逆柿中学校」と印字されたA4サイズの封筒に目を落として尋ねた。

「はい。他の学校からは一件も報告は上がっていません」

 薮塚は更にハンカチで額を拭いながら言った。

(学校任せで自分達から何かを調べるという事はしないのか?)

 白雲は薮塚のあまりにも受動的でお役所仕事的な態度に呆れていた。

「父上?」

 榛名はもう訊く事はないという顔で白雲を見上げる。白雲も、

(これ以上ここにいても、何もわからないだろうな)

 薮塚を見限っていた。二人は彼に礼を言って現場に向かう事にした。

「何かありましたら、すぐにこちらに知らせてくださいね。場合によっては記者会見をしなければなりませんので」

 薮塚の妙に真剣な表情を見て、白雲は苦笑いするしかなかった。

「わかりました。肝に銘じておきます」

 二人は教育委員会のフロアを出て、廊下を歩いた。

「起こった怪奇現象は、自転車が勝手に走り出す、池の鯉が全て地面に跳ね上がる、誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえる等の昔からある学校の怪談程度の事だな。本当に奴が関わっているのか?」

 白雲が榛名に尋ねる。榛名は前を向いたままで、

「はい。教育長からは何も感じませんでしたが、テーブルの上に置いてあった封筒からは奴の臭いを感じました」

 白雲はそれには驚いたようだった。

(さすがだ。私にはわからなかった。やはり……)

 そこまで思い、考えるのをやめる。

(いや、もうこの子は榛名だ。『あれ』とは違う)

 白雲は頭を振った。それに気づいた榛名が、

「どうされましたか、父上?」

 怪訝そうな顔で見上げた。白雲は作り笑いをして、

「いや、何でもない。気にするな」

 そう言うと歩を速めた。榛名は首を傾げて白雲を追いかけた。


 その逆柿中学校は市役所から車で十五分程走った場所にある。市役所が市の中心部にあるのに対して、中学校は山沿いにある。合併で広がった学区に対応するため、移転して広げたのだ。四階建ての校舎はまだ塗装の臭いがきつい真新しい壁である。男子は黒の詰め襟、女子は濃紺のブレザーとベストとプリーツスカートの制服である。

「転校生? もうすぐ夏休みだよ?」

 榛名が転校する予定の二年三組では、時期的に奇異な転校生の事が話題に上がっていた。

「どうして今なのかしら?」

 女子生徒が首を傾げる。男子生徒が、

「それよりかさ、男かな、女かな?」

「俺、女希望。それも可愛い子!」

 別の男子がはしゃぐ。

「バッカみたい……」

 それを離れた席から見ている女子が呟いた。長い黒髪をお下げにしたやや垂れ目の女子である。

「まあ、言わせとけよ、宮城みやぎ

 そう言ったのは、彼女の隣の席の男子。坊主頭で吊り目の精悍な顔つきだ。彼は机に腰かけた。

「悠長ね、高山君は」

 宮城と呼ばれた女子は高山を見上げて言った。

「でも、確かに今の時期に転校するって、どんな事情なんだろうな?」

 高山が宮城に顔を近づけて囁く。宮城はチラッと高山を見て、

「さあね。親の仕事の都合か、それとも何かを追っているか、追われているか……」

 高山は目を見開いて、

「追われているって、何にさ?」

「借金取りとか?」

 宮城は噴き出しそうになるのを堪えて高山を見た。

「そんなの、現実にあるのかよ」

 高山は腹を抱えて笑い出した。宮城も遂に堪え切れずに笑い出し、

「じゃあ、追っているのかしらね。お父さんが取り立て屋だったりして……」

「そっちもあり得ねえよ!」

 高山が更に大声で笑い出した時、チャイムが鳴った。

「はい、席に着いてね」

 ドアを開いて入って来たのは、まだ大学生気分が抜けていないような顔をした若い女性教師。栗色のストレートの髪を肩まで伸ばし、チャコールグレーのスカートスーツを着ている。

新里にいさと先生、転校生、まだですか?」

 先程の男子がニヤついて尋ねた。新里と呼ばれた教師は教壇の上からクラスの一同を見渡し、

「今話が出たように、今日は転校生が来ています。今から紹介しますので、仲良くしてあげてね」

 それぞれが「はあい」とか「可愛いの?」とか口々に勝手な事を言い出すが、新里は何も言えないでいる。

「みんな、静かにして! 先生が困っているでしょ!」

 宮城が立ち上がって代わりに一喝した。途端に教室が静かになる。

「さっすが、クラス委員!」

 高山がからかうように宮城に言う。宮城はクスッと笑って、

「まあね」

 動じた風もなく応じてみせた。


(奴がいる……)

 廊下で呼ばれるのを待っていた榛名は探している闇の者を近くに感じ、目を見開いて右手を強く握りしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る