つらい別れ
舞烏帽子中学校の二年五組に巣食っていた闇を祓うために転校して来た陰陽師の妙義榛名は依頼主である校長のところに向かっている。
『やっぱり寂しいのね?』
榛名の脳裏に現れる彼女と同じ顔をした少女が言う。榛名は敢えてそれには反応せず、廊下を進んだ。
(寂しいなどという思いがあるはずもない。あの子達とは今日会ったばかりだ)
榛名は湧き上がりそうになる感情を抑え、少女の言葉を否定した。
『貴女は私なのよ、榛名? 貴女の考えている事は全部わかる』
少女が更に告げる。しかし榛名は何も応えない。
(私のすべき事は闇を打ち祓う事。彼らと仲良くする事ではない)
榛名は少女の存在を振り払いたいのか、頭を振りながら歩いた。
「妙義、さん?」
それを職員室から歩いて来たクラス担任の月夜野鞠子が見かけて声をかけた。だが、榛名にはその声は届かず、彼女は鞠子を見る事はなかった。鞠子も榛名の様子がおかしいのに気づき、首を傾げながら、二年五組の教室へと歩き出した。
榛名は校長室の前に立つと、ドアをノックした。
「どうぞ」
校長の声が応じた。榛名はドアを右手で開き、中に入った。校長は椅子に座っていたが、入って来たのが榛名だとわかると立ち上がり、彼女に近づいて来た。
「妙義さん、担任の月夜野先生の話では大騒ぎになっているとの事でしたが、もう大丈夫のようですね?」
校長はニコニコしながら榛名にソファを勧め、自らも腰を下ろす。榛名は校長の向かいにゆっくりと座った。
「はい。闇は消え、その根源となっていた霊もあちらに逝きました」
榛名は無表情な顔で応える。校長はキョトンとした顔で、
「根源となった霊とは何でしょうか?」
榛名は一瞬面倒臭いと思ったが、話さない訳にもいかないので、二年五組の教室の真下の地面にまつわる惨事を語った。校長の顔は見る見るうちに引きつり、聞かなければ良かったという感情がありありと浮かんだのがわかった。
「そ、そんな事があったのですか……。なるほど、クラスの男子にその大名の生まれ変わりがいたとは随分と因縁めいたお話ですね」
校長は額に流れる汗をハンカチで拭いながら苦笑いをした。
「恐らく、側室の霊が彼を呼んだのでしょう。だから彼はこの学校に転校して来たのです」
榛名は眉一つ動かさずに話を続けた。
「それで、もうこれからは何も起こらないのですね?」
校長はハンカチを無造作にスーツのポケットに押し込みながら尋ねた。榛名は目を細めて校長を見ると、
「今回の件は完全に片づきましたが、今後何も起こらないという保証はできかねます。この土地に漂う因果はそう
その言葉に校長の顔がまた引きつった。彼は作り笑いをして、
「脅かさないでくださいよ、妙義さん。それで、お祓い料の方なのですが……」
揉み手をしながら榛名の顔を覗き込む。すると榛名は、
「その件に関しましては、父にお話しください。私は仕事をするだけですので、何もわかりません」
と応じた。
怪我をした四組の担任が同僚の教師達に運び出された二年五組の教室には、少しずつ逃げ出した生徒達が戻って来ていた。まず最初に戻ったのは、事件の当事者である厩橋渉の親友である吉岡だ。彼は始めは恐る恐る足を踏み入れたのだが、談笑する渉と片品翠、そして倉渕美琴を見てホッとし、三人に近づいた。
「吉岡、ちょっと外しててくれないか?」
渉が小声で吉岡に言った。吉岡はニヤリとして、
「へいへい。おモテになる旦那は、大変ですな」
嫌味混じりの言葉を吐くと、自分の席に行く。他の生徒達も各々の席に戻り、ぎこちないながらも笑顔を浮かべ始めた。渉は翠と美琴に視線を戻し、
「話を続けようか」
翠と美琴は頷いた。三人の間にあった言いようのない
「厩橋君は妙義さんに言われて、私にあんな事を言ったんだよね。本当は美琴の事が好きなんでしょ?」
翠はクスッと笑ってそう言う。渉はまた二人の
「私ね、昔からそうなの。美琴が持っているものとか、欲しいものとかがすぐに欲しくなって……。あ、ごめん、厩橋君をものと一緒にしちゃダメだよね」
翠はそう言って
「美琴に厩橋君を譲ってあげる。感謝してよね」
翠の精一杯の強がりだと、親友に戻れた美琴は理解していた。しかし、今それを指摘するのはまさに親友の気持ちを踏みにじると思った。
「だって、敵わないよ。美琴が七年前にあげた鉛筆をまだ持ってるんだもん、厩橋君」
翠は涙を堪えて笑ってみせた。渉は翠の指摘にギクッとした。そして、制服のポケットに入っている短くなった鉛筆を握りしめた。美琴も翠の話に驚き、目を見開いて渉を見た。
「ホントなの、渉?」
渉は恥ずかしくなって俯き、黙って頷いた。美琴の目が涙で潤んだ。渉は意を決して、ポケットから鉛筆を取り出して美琴に見せた。
「それ……」
美琴は言葉にならず、右手で口を塞ぎ、涙を流した。翠も美琴の涙を見て我慢し切れなくなり、泣いた。
「僕はずっと美琴の事が好きだ。離れている間も、ずっと美琴の事を思っていた」
渉も潤んだ目で美琴を見た。翠は涙を拭いながら、
「さあて、邪魔者は消えますか」
無理に笑顔になって自分の席に戻った。彼女の取り巻きだった男子達は困った顔で互いを見ていたが、肩を竦めて席に着いた。
「みんな、大丈夫?」
そこへ鞠子が入って来たので、
「じゃあ、また後でね」
渉は小声で美琴にいうと、自分の席に行った。美琴も倒れた椅子を起こして座った。
「よ、色男!」
吉岡に茶化され、渉はムッとした顔で彼を見てから席に着いた。
「妙義さん以外は全員いるようね。では自習していてください。次の授業は通常通り行いますので」
鞠子は点呼を終えると職員室に戻って行ってしまった。
(そうか……。妙義さんにお礼を言わないと……)
翠と美琴の思いは一緒だったが、渉は少し違っていた。
(妙義さんて、人間じゃないのかな? 一瞬だけど、妙な姿になったし……)
彼だけが榛名の変異を見ていたため、彼女に感謝するという気持ちが二人に比べて薄かった。
職員室に戻った鞠子は、教頭に呼ばれて一緒に校長室に行った。何故校長室に行くのかと不安だったが、入って行くと榛名がいたので合点がいった。
「月夜野先生、急な話なのですが、妙義さんは今日で転校する事になりました」
校長が立ち上がって言ったので、鞠子は仰天した。
「ええ?」
転校って、今日来たんじゃないの、妙義さんは? 鞠子には理解不能である。
「貴女は多少関わりがあったのでご存知かと思いますが、妙義さんは陰陽師で、我が校に巣食っていた闇を祓ってくれたのです」
校長は至って真面目な顔で説明している。鞠子は榛名が妙な生徒だとは思ったが、陰陽師だと聞かされて唖然としていた。
「役目が終わったので、次の仕事に向かいます。お世話になりました」
榛名が立ち上がって頭を下げたので、鞠子はハッと我に返り、
「ああ、いえ、そんな……」
あたふたしながらも、お辞儀をし返した。
「もう大丈夫ですから。二年五組は以前と同じです」
不安そうな鞠子を見て、榛名は言い添えた。鞠子は榛名が微かに笑った気がした。
「では、クラスの皆にお別れを言ってください、妙義さん。それくらいの時間はあるでしょ?」
鞠子が提案したが、榛名はゆっくりと首を横に振り、
「その必要はないと思います。ある人達の記憶から、私の存在を消さなければなりません。このまま立ち去った方がいいのです」
無表情に語る榛名を見て、鞠子は言葉を失った。
(この子は一体……?)
鞠子は榛名の瞳の奥にある言いようのない深い闇を見た気がした。
「では、失礼します」
榛名は校長と教頭にも頭を下げると、部屋を出て行く。鞠子は何も言えないまま、出て行く榛名を見ていた。
「妙義さん、どこに行ったんだろう?」
翠が美琴のそばに行って囁く。美琴は翠を見て、
「何かあったのかしら?」
二人は不安そうな顔になる。榛名が陰陽師で闇を祓うために来たのを知っている二人は、彼女がまた何かと戦っているのではないかと思ったのだ。するとその時、廊下に榛名が現れた。
「あ、妙義さん」
翠が駆け出す。美琴も榛名に気づき、翠を追いかけた。
「どうしたんだ?」
それを見た渉が二人を追いかけた。彼も廊下を歩く榛名を見かけた。
「どうしたんだ、あいつら?」
吉岡が不思議そうに見送った。彼には榛名が見えていない。榛名は三人にだけ姿を見せたのだ。
「妙義さん、待ってよ」
バスケ部の美琴が一番早く榛名に追いついた。後から翠と渉が追いついた。榛名は廊下の途中で振り返り、三人を見た。
「お別れを言いに来ました」
榛名が言った。三人は目を見開き、互いの顔を見てから榛名を見た。
「お別れって、今日転校して来たんでしょ? そんな事って……」
翠が榛名の右手を取って言った。
「そうだよ。どういう事なの?」
美琴も榛名に詰め寄った。渉だけがそれ以上近づかない。
『彼は心の中で貴女を恐れているわ、榛名』
脳裏の少女が榛名に語りかける。
『それで構わない。恐れられて当たり前の存在だから』
榛名はそう応じた。
「あなた達と会えた良かったです。いつまでも仲良くしてください」
榛名は無表情に言うと、制服のポケットから護符を取り出す。それは三枚あった。
「あ、ありがとう……」
美琴と翠は戸惑いながらも礼を言った。渉は何も言わずに榛名を見たままだ。
「さようなら」
榛名は護符を投げた。それはまるで生き物のように宙を舞い、三人に向かった。
「何?」
翠と美琴がギョッとした。護符は二人の額に張り付き、溶け込んだ。
「な、何をするつもりだ、妙義さん!?」
渉は警戒して飛び退いたが、護符は彼の額に張り付き、溶け込んだ。
「私の事は忘れて。それがあなた達のため」
榛名がそう言うと、三人の身体に術が通った。
「きゃっ!」
「いやっ!」
翠と美琴が悲鳴をあげる。
「くう!」
渉は苦悶の表情を浮かべた。榛名はそれを見届けると、スッと身を翻し、そのまま廊下を去って行った。
「え?」
三人が同時に我に返った。
「あれ、どうして廊下にいるの?」
翠が美琴に問いかける。美琴は首を傾げて、
「誰かを追いかけた気がするんだけど……」
「戻ろうか」
渉が言った。翠と美琴は頷き、教室へと歩き出した。
榛名は校舎を出て校門のそばに停車している黒塗りのセダンに向かう。運転席のドアが開き、彼女の父親である白雲が現れた。
「思ったより早かったな」
彼は微笑んで言った。榛名は無表情のままで、
「はい。協力してくれた男子がいたので」
「そうか。彼に似ていたようだな?」
白雲が目を細める。榛名は微かに頷き、
「はい。そのようです」
それだけ応えると、助手席のドアを開き、セダンに乗り込んだ。白雲は運転席に戻り、
「次は北に行く。ちょうどいい気候だな」
「そうですか」
榛名は前を向いたままで応じた。
「そう言えばさ、転校生、どうしちまったんだろうな?」
吉岡が席に戻った渉に尋ねた。すると渉は、
「転校生? 誰か転校して来るのか?」
その言葉に吉岡は呆れ顔になり、
「何言ってるんだよ、全く。今日転校して来ただろう、チンチクリンの女子がさ。なあ、倉渕?」
榛名の隣の席だった美琴に同意を求める。しかし、美琴も、
「吉岡君こそ何言ってるのよ? 転校生なんて来ていないわよ。ねえ、翠?」
そう言われた翠も頷き、
「ええ。誰も転校して来ていないわよ。吉岡君、
吉岡は訳がわからなくなりそうである。
「畜生、みんなして俺をからかいやがって」
吉岡は歯軋りして悔しがった。
榛名の乗るセダンは高速道路を北上していた。
「今度こそケリがつけられるといいな、榛名」
白雲がハンドルを切りながら言った。
「はい、父上」
榛名は白雲を見上げて応じた。
『寂しいのね、榛名』
再び少女が現れ、語りかけて来る。
『そうなのかも知れない』
榛名は窓の外に見える景色をボンヤリと眺めながら応えた。
『貴女は私。私は貴女なのよ、榛名。忘れないでね』
少女は微笑んでスウッと消えてしまった。
『私は貴女がいてくれるだけでいいよ、
榛名は消えた少女に告げた。
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