二年五組のリーダー

 P県L市にある舞烏帽子中学校には闇に取り込まれかけている女子生徒がいた。


 その女子生徒がいる二年五組では転校生が来るという噂が流れていた。

「女子なんだってさ」

 男子生徒の一人が囁く。もう一人が興味津々の顔で、

「可愛いのか?」

「さあ。父親と校長室に入って行くのを見た奴がいるんだけど、後ろ姿だったから、顔は見てないんだってさ」

「何だよ、中途半端な情報だな」

 男子達の他愛無い話を耳にしながら、教室の窓側の一番後ろの席に座っている女子生徒がニヤリとした。途端に近くの席の女子達がビクッとし、男子達がハッとする。

(来たか、まじない師)

 彼女の名は片品翠。以前はクラスのまとめ役だったが、今では大半の生徒が恐れる存在になっていた。腰まで届きそうな髪を茶髪に染め、スカート丈を詰めて超ミニにしている。切れ長のつり目と鼻筋の通った美形なので、男子達のうち五人が彼女の手下のように付き従っている。

(翠……)

 そんな彼女を悲しそうな目で見るショートカットで長身の女子生徒がいた。

「あんまり片品さんを見ていない方がいいよ。絡まれるよ」

 もう一人の女子が耳打ちした。

「うん……」

 翠から視線を外し、力なく廊下に一番近い列の一番後ろの自分の席に着いたのはかつては彼女と親友だった倉渕くらぶち美琴みことである。翠は美人で男子にも人気があったが、そういう女子に反発する腕力系の男子もいた。その腕力系を黙らせていたのが、美琴である。バスケ部のエースで、身長が百七十センチを超えているため、男子とも互角以上に渡り合え、翠の良きパートナーとなっていたのだ。彼女も翠に引けを取らない美人であるが、自分より身長が高い女子には異性としての魅力を感じない男子達が多いので、どちらかと言うと、女子に人気がある。姉御肌というのが一番端的な表現かも知れない。

(何がどうなったのか、未だにわからない……)

 美琴は変わり果ててしまった翠を視界の端で捉えていた。

「席に着いてください……」

 クラス担任の月夜野鞠子が到底生徒全員には聞こえるとは思えないような小さな声で言いながら入って来た。当然、翠とその取り巻き達は席に着かず、お喋りを続けている。

「む?」

 翠は鞠子に続いて教室に入って来た小柄なセーラー服の女子生徒に視線を向けた。

(あれが呪い師、だと?)

 あまりにも貧相な姿を見て、ガッカリしかけたのだが、

(何!?)

 その女子生徒の身体から暴風のような気の流れが巻き起こったのを見て息を呑んだ。

(何だ、今のは……?)

 もう一度女子生徒をよく見ると、その気は幻だったかのように消失していた。

「ええっと、今日からこのクラスでみんなと一緒に勉強する事になった妙義榛名さんです」

 鞠子の声は一番前の生徒にも聞こえているかどうか怪しいくらいだった。

「妙義榛名です。よろしくお願いします」

 長い黒髪で顔の半分を隠している陰気そうな女子。クラスの大半の生徒がそう感じた。榛名の声も決して大きくはなかったが、何故か一番後ろの席の翠にもはっきりと聞こえた。

(早速挑発しているのか、呪い師?)

 翠はそれを榛名の宣戦布告だと考えた。

(何だろう、あの子?)

 美琴は榛名の視線が翠に向けられているのに驚いていた。

「妙義さんの席は、倉渕さんの隣ね」

 鞠子は引きつった顔で言い、榛名を見る。榛名は鞠子に小さく頷いてから、両手で抱えていた鞄を持ち直し、美琴の左隣の席へと歩き出した。女子達は榛名の長い髪に嫌悪の表情を見せ、男子達は榛名が「可愛い」とは言えないので、興味を失っていた。

「そ、それでは今日のホームルームはこれまでです」

 鞠子はまさしく逃げるように教室から飛び出して行った。翠と取り巻きはそれを見てニヤリとした。

「翠さん、転校生に挨拶させましょうか?」

 取り巻きの一人の男子が席に座る榛名をチラッと見て告げた。しかし翠は鬱陶しそう後れ毛を撫で上げ、

「必要ねえよ。どうせすぐいなくなるさ」

 興味ないという顔で、窓の外に視線を移しながらも、ガラスに写る榛名と美琴の様子は観察していた。

「私、倉渕美琴。よろしくね」

 美琴は笑顔で榛名に話しかけたが、榛名は無表情なままの顔を彼女に向け、

「よろしく」

 会釈すると、鞄の中から教科書を取り出す。一瞬呆気に取られた美琴だったが、

(もしかして、緊張してるのかな?)

 好意的に解釈した。

「わからない事があれば、何でも訊いてね」

 美琴は一切自分を見なくなった榛名の態度に心が折れそうになったが、何とかそう言った。すると、

「倉渕さんがクラス委員なのですか?」

 不意に榛名が視線を向けて尋ねた。美琴だけでなく、周囲の生徒達もビクッとした。そして恐る恐る翠の様子をうかがう。

「クラス委員は私だよ、転校生。何か用なのかい?」

 翠が目を細めて言い放った。教室内に緊張した空気が張り詰めた。しかし、言われた榛名は微塵も狼狽えた様子はない。

(闇に取り込まれかけている女子生徒はこの子で間違いないようだ)

 そして鋭い視線をぶつけて来る翠を見る。

「はい。クラス委員の人が一番学校に詳しいだろうと思ったので」

 榛名は立ち上がって翠に向き直った。クラスのほとんどの生徒が彼女の無謀とも言える態度に仰天した。

(知らないって怖い……)

 美琴ですら、これから何が起こるのかを思い、震えそうだ。

「口の利き方に気をつけろよ、チビ」

 取り巻きの中で一番身長も体重もある男子が榛名の前に進み出た。二人の身長差は二十センチ以上あるだろう。

「やめろよ」

 二人の間に割って入った黒縁眼鏡をかけた男子がいた。どう見ても喧嘩が強そうではない容貌だ。身長も榛名より数センチ高い程度で、男子としては小柄である。

「邪魔するなよ、厩橋うまやばし!」

 取り巻きの男子が睨みを利かせた時、

「勝手な事してるんじゃねえよ!」

 翠が怒鳴ったかと思うと、取り巻きの男子が誰かに蹴飛ばされたように仰向けに倒れた。そのせいで教室の一同が更に凍りついた。

式神しきがみ使いなのか?)

 翠の背後から何かが動き、男子を引き倒すのをその目で捉えた榛名は彼女を見た。

「す、すみません、翠さん」

 倒された男子は顔面蒼白で立ち上がり、翠の前に行って土下座した。榛名の前に出た男子はホッとした顔で彼女を見た。

「大丈夫、妙義さん?」

 榛名に優しく微笑みかける男子を見て、翠は歯軋りした。

わたる、何故……)

 その翠の表情を不安そうに美琴が見ている。

「ありがとうございました」

 榛名は無表情な顔で男子を見て礼を言った。男子は苦笑いをして、

「僕は厩橋渉。君と同じ転校生なんだ」

 榛名は意外な自己紹介に目を見開いた。そして同時に翠の渉に対する感情が読めた。

(片品さんは厩橋君に思いを寄せている。闇に取り込まれているのにそれだけは支配されていない。強い感情だ)

 それが一縷いちるの望みになるかも知れないと榛名は思った。


 やがて、一時間目の数学の担任が来て授業が始まった。その担任はベテランの男性教師だったが、彼は翠を一切見ないで板書した。他の生徒達もそれを奇異に感じる様子もなく、ノートをとっている。

(片品さんはこの学校全体に闇を侵蝕させている。先生達も彼女が恐ろしくて、何も言えないしできないのか)

 榛名はノートをとる事もなく、男性教師を押し包むように広がる翠が放った闇を見ていた。

(何もできないのか、呪い師?)

 榛名が行動を起こさないので、翠はさげすむような笑みを浮かべた。

(さっきのあの強烈な気の渦は、只の虚仮こけおどしか。つまんねえな)

 翠は大きな欠伸をあからさまにし、机に突っ伏して寝てしまった。教師は注意するどころかホッとした表情になり、授業を進めた。榛名は翠が眠ると同時に潮が引くように闇が消えたので、彼女を見た。

(片品さんに闇が取り憑いた切っ掛けは何?)

 榛名は次に右隣の美琴を見た。美琴は視線を感じて榛名を見た。

『授業が終わったら、訊きたい事があります』

 榛名はノートの切れ端に伝言を書き、美琴に渡した。美琴はそれを読んでから榛名をもう一度見て頷いた。


 そして、チャイムが鳴り、男性教師は担任の鞠子と同じように逃げるように教室を出て行ってしまった。皆が立ち上がって礼をした時も、翠は眠ったままで、男性教師は何も言わないままだった。

(学級崩壊ではなく、学校が崩壊しそうだな)

 榛名は翠を見た。

「ねえ、妙義さん、訊きたい事って何?」

 美琴が席を立って榛名に近づいた。榛名は大柄な彼女の顔を見上げて、

「ここではちょっと……」

と告げると、廊下へ出て行った。美琴はチラッと翠を見てから、榛名を追いかけて廊下に出た。

「あの転校生、不思議な子だな」

 渉が眼鏡をくいと右手の人差し指で押し上げながら言うと、

「お前、あんなチンチクリンに興味あるのか?」

 そう返したのは、坊主頭が似合っている浅黒い肌の男子。

「そういう事じゃなくてさ。それにチンチクリンなんて言うなよ。失礼だぞ、吉岡」

 渉は坊主頭の男子に言った。吉岡と呼ばれた彼は肩を竦めて、

「へいへい」

とだけ返した。


 榛名は美琴を廊下の端まで連れて行くと、彼女に気づかれないように護符で結界を張った。翠が聞き耳を立てているのを察知したのだ。そして、自分の頭の上に見える美琴の顔を見上げる。

「片品さんはいつからあんな風になったの?」

 榛名の声は決して大きくはなかったが、美琴の顔色が変わった。

「その話はしないで、妙義さん。翠は地獄耳なのよ。ここで話している事もあの子には聞こえるの」

 大きな身体を震わせて、美琴は榛名に懇願した。しかし榛名は眉一つ動かさずに、

「平気。片品さんには聞こえていない。だから話して」

 美琴は唖然としてしまった。

(何言ってるのよ、この子? どうかしてるんじゃないの?)

 転校生だから事情を飲み込めていないにしても、クラス担任の鞠子の怯えようと数学教師の無関心な態度を見て何も感じていないとしたら、相当鈍感か、頭がおかしいかのどちらかだとまで思ってしまった。

「人の命が懸かっている事なの。私が狂っているかどうかはこの際関係ない」

 榛名は美琴の心の声を読み、彼女を見据えた。美琴はその視線の強さにギョッとし、後ずさった。

「お願い、教えて。貴女の心を無理矢理見る事はしたくないから」

 榛名は美琴の手を握って言った。美琴は翠より榛名が怖くなっていたが、

「わかった。話すわ」

 そう言って溜息を吐く。彼女の心情を感じ取り、榛名は美琴の手を放した。

(自分のせいだと思っているのか)

 話す決心をした美琴の心の中から、渉への思いが漏れて来た。そして、翠が渉に思いを寄せている事を知り、葛藤していたのもわかった。

「翠と私は幼稚園の頃から一緒に遊んでいた親友なの。でも、厩橋君が転校して来てから,私達の関係は少しずつ壊れていったの……」

 美琴の目が潤んでいる。榛名は美琴の顔を覗き込み、

「それで?」

 美琴は榛名を見て苦笑いし、

「私、厩橋君に『久しぶりだね』って言われて、すぐには思い出せなかったんだけど、小学一年の時に彼と同じクラスだったみたいなの」

 渉の話をする美琴は嬉しそうに見えたが、また表情が曇る。

「だから、転校初日から、私は厩橋君とたくさん話をしたわ。男子にからかわれたりしたけど、気にならなかった。私、厩橋君の事が好きなんだって思ったから」

 そう言いながら美琴は俯いてしまった。榛名は廊下の天井に据え付けられた時計を見て、

「授業が始まる。教室に戻ろう、倉渕さん」

「あ、うん」

 突然話を打ち切った榛名に驚きつつ、美琴は教室へと歩き始めた。


 榛名が話を終わりにしたのは、授業が始まるからではなかった。話を続けたければ次の授業の英語の担任を押し留める事もできた。彼女が話を終わりにしたのは、翠が動いたからだった。聞き耳を立てたのに二人の会話が聞こえないので、実力行使に出ようとしたのだ。

(遅かったか)

 席を立とうとした翠は、榛名と美琴が戻って来たのを見て、ドスンと椅子に座り直した。

(呪い師め、美琴と何を話したんだ?)

 翠はギリギリと歯軋りをし、榛名を睨んだ。そのせいで、チャイムと共に入って来た英語の担任の女性教師が顔を引きつらせて立ち止まってしまった。

(厩橋渉……。彼が解決の道を決める)

 榛名は教科書を開く渉をジッと見つめた。美琴は不安そうに榛名を横目で見ていた。

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