黒保根玲貴の正体

 長い髪をうねらせたまま、妙義榛名は無表情に黒保根玲貴を見つめていた。

「うん?」

 榛名を追いかけて来て彼女の素顔を見て惚れてしまった太田裕宇は、榛名と向かい合って立っているのが玲貴だと気づいた。

(黒保根の奴、妙義さんを呼び出したのか?)

 強敵が現れたと思った裕宇は挫けそうだ。裕宇は玲貴が好きになれないが、クラスの女子の多くは彼に夢中である。しかも、榛名も玲貴の事をクラス委員の桐生美緒茄に尋ねていた。

(結局、女子はイケメンが好きなんだよなあ)

 裕宇は一人で勝手に落ち込んだ。

(黒保根が妙義さんを呼び出したっていう雰囲気じゃないな)

 裕宇は二人の視線がこれから仲良くなろうというものではないのに気づいた。

(何、この二人?)

 裕宇は理由はわからないのだが、絶対に割って入ってはいけないと思い、陰から成り行きを見守る事にした。


「随分と強気な発言だな、まじない師。俺がどんな存在か知らないのか?」

 玲貴は右の口角を吊り上げて目を細めた。すると榛名は髪をうねらせていた気の流れを遮断し、

「闇の使い魔。それも一番の下っ端だ」

 榛名の言葉に反応して、玲貴の目がカッと見開かれた。

「うるせえよ、下衆が……。式神しきがみを操れるくらいで俺に勝てると思っているのかよ?」

 玲貴は目を吊り上げ、右足を前に一歩踏み出すと右の拳を突き出し、榛名を威嚇するように睨んだ。

「思っているからこうしてお前が仕掛けた罠にかかってやったのだ」

 榛名は玲貴とは対照的に冷静なままだ。その言葉に玲貴はギョッとした。

「この空き地全体が俺の張った結界の内だと理解した上でノコノコとやって来たと言うのか?」

 玲貴は眉をひそめて榛名に尋ねる。榛名は玲貴を見つめ、

「そうだ。このような児戯にも等しい結界で私の術を封じるつもりのお前であれば、倒すのに造作もない」

 冷静な口調で挑発を続ける榛名に対して、玲貴はギリギリと歯軋りをしながら彼女を見た。

「そこまでこの俺を侮辱したからには、覚悟はできているんだろうな? 先程まではお前の美形に免じて、命までは取らず、俺のおもちゃにしてやろうと思ったんだが、そんなタマじゃねえようだ」

 玲貴はそこで舌なめずりして、

「たっぷりとでてから、八つ裂きにしてやるよ、クソ呪い師が!」

 言うが早いか、玲貴は姿を消した。しかし、榛名は微動だにしない。


(あれ、黒保根がいなくなったぞ……)

 二人の会話が聞き取れていない裕宇は目を見開いてあちこちを見たが、どこにも玲貴の姿はない。

(マジック?)

 裕宇の理解を超えた戦いが始まろうとしていた。


 その頃、榛名の術で記憶を操られた美緒茄はクラスメートと下校中だった。

「そう言えばさ、美緒茄、大丈夫だったの?」

 その中の一人の女子が尋ねる。美緒茄はキョトンとして、

「大丈夫って、何が?」

「あんた、松井田さんに呼び出されたんじゃないの?」

 尋ねた女子は呆れ顔で言う。美緒茄は榛名に松井田梓との体育館でのいさかいの全ての記憶をその前後を含めて消されているので、全く思い当たる事がない。

「呼び出されてなんかいないけど」

 美緒茄は不思議そうな顔をして、尋ねた女子を見た。その子は美緒茄の天然が始まったと思ったが、

「それならいいんだけど」

 梓達の事を噂していると、どこで聞かれているかわからないので、それ以上尋ねるのをやめた。

「変なの」

 美緒茄は意味がわからず、そう呟いたが、

(変なのはあんたよ!)

 その女子は思っていた。


 玲貴は高速移動をしながら、榛名の隙を窺っていた。

(式神は俺の結界で封じている。強がりを言っていたが、所詮はガキ。俺の敵じゃねえ)

 玲貴はニヤリとして宙を舞い、榛名の頭上を取った。

「砕け散れ、クソ女!」

 玲貴はその見目麗しい顔を醜く歪め、汚い言葉を吐きながら榛名に右手の爪を長く伸ばして突き立てようとした。

「何!?」

 玲貴の右手は虚しくくうを切り、次の瞬間、榛名の右の拳が彼の顔面にり込んでいた。

「ぐばあ……」

 玲貴は鼻血を噴き出しながら、地面に転げ落ちた。

「温いぞ」

 榛名は鼻と口から血をしたたらせている玲貴を無表情に見下ろしている。


(何だ? 何があったの?)

 裕宇には、玲貴が仕掛けたのも榛名が玲貴を殴ったのも見えていなかったが、玲貴が鼻血を垂らして地面に這いつくばるのは見えた。

(どうして黒保根が鼻血を垂らしてるんだ?)

 裕宇には理解ができない。ましてや、玲貴が榛名に殴られたなどと想像がつくはずもない。


「式神を封じて私に勝ったつもりとは笑わせてくれるな、使い魔。本気を出せ。そうでなければ、お前はこのまま血塗れで砕けるのみ」

 榛名の挑発は更に続く。しかし、玲貴の対応は先程とは変わっていた。

(呪い師如きがここまで腕力があるとは思えねえ。何者なんだ、このアマ?)

 血気にはやって攻撃を仕掛けてしまった自分自身の愚かさを省みて、玲貴は慎重になった。

「意味が理解できないようだな? いつまでもそんな子供の肉体からだを借りたままでは、お前に勝機は万分の一もないのだぞ」

 動こうとしない玲貴を榛名が睨んだ。その瞳の奥底に自分の存在など消し飛んでしまいそうな深い闇を見た玲貴、いや、玲貴の身体を借りている闇の者は恐怖した。しかし、それでも多少の矜持きょうじはあるのか、

「うるせえよ、呪い師。てめえ如きにこの俺様がられるものかよ」

 まだそんなはったりをかます意地を見せた。

「ならば見せてみろ、お前の真の姿を」

 榛名は目を細めて言った。玲貴に宿った闇の者はサッと飛び退き、

「この俺様がどなた様の配下なのかも知らずにそこまで粋がった愚かさを骨の髄まで思い知るがいい!」

 闇の者は玲貴の首の後ろ辺りからヌウッと姿を現した。それは半透明な黒一色の目も鼻も口も耳もない魔物だった。

「それがお前の正体か。醜いな」

 榛名は容赦なく言ってのけた。闇の者はブルブルと震えて怒りを露にし、

「やかましいよ。人間の計りで喋るな、クソ女め。俺がお前を美形とおだてたのにその言いようは許せねえ」

 その声は玲貴のものではなくなり、聞き取りづらい濁った声になった。やがて闇の者は玲貴から完全に分離した。そのせいで玲貴は地面にゴロンと倒れてしまった。

「では言ってみろ、お前の頭領の名を」

 榛名は漂うようにうごめく闇の者を見据えた。

「俺の話をまるで無視かよ。まあ、いい。俺様のあるじ様の御名おなを聞いて驚くなよ」

 闇の者は得意そうに言ったが、榛名は興味がないらしく、無反応だ。

「俺様の主様は、天津甕星あまつみかぼし様だ!」

 闇の者は顔がないのでその得意そうな声でしか感情を悟れないが、榛名は相変わらず無表情だった。

「随分と大きく出たな。神話の中のまつろわぬ神の名をかたるのか」

 榛名は右側の顔にかかった髪を少しだけ払いながら言った。

「騙ってなんていねえよ、クソ女め! 我が主様を愚弄するな!」

 闇の者は怒りの波動を発しながら榛名に向かって飛翔して来た。

「そいつの事を知っているから騙っていると言ったのだ、使い魔。そいつはまつろわぬ神などではない。只のクズだ」

 榛名の声が怒気を帯びて来た。その目はまさに闇の者を射殺さんばかりに鋭くなっている。

「なるほど、そういう事か。わかったぜ、お前の正体……。裏切り者か……」

 闇の者はそう言いながら、榛名に襲いかかる。

「さっきとは違うぜ、呪い師!」

 闇の者の身体から幾千もの黒い針が飛び出した。

臨兵闘者皆陣列前行りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう!」

 榛名は陰陽道の早九字を切った。最強の九字と呼ばれるものである。彼女の前に楯状の結界が現れ、闇の者が放った黒い針のほとんどを弾き飛ばしていく。しかし、幾本かの針は結界をすり抜け、榛名の顔や腕、脚などの皮膚を切り、火脹ひぶくれを残した。

(やはり奴の結界のせいでうまく術が使えていないのか……)

 榛名は一瞬痛みに顔を歪めた。

「防ぎ切れねえよ、その程度の楯じゃよ。その針は主様からいただきしもの。お前如きにどうにかできるものじゃねえ」

 闇の者は得意そうに言い放った。榛名は左頬にできた火脹れを右手でスウッと撫で、

「これがお前の本気か、使い魔? そろそろ消えるか?」

 榛名が仕掛けようとした時だった。彼女は視界の端に裕宇を見た。闇の者の結界のせいで彼の存在に気づけなかったのだ。闇の者の結界をけなしたのは相手の動揺を誘って効果を削ぐためで、全く効いていない訳ではなかったのである。

(太田君……。どこから見ていたの?)

 榛名の顔に焦りの色が浮き出す。

(力を使っているところを見られたのならば、私の存在を彼の記憶から消去しなければならない)

 榛名はそれをつらいと感じていた。

(私の中の別の私が太田君に惹かれている。だからなのか?)

 榛名は戦いの最中であるにも関わらず、裕宇を見てしまった。

「よそ見してるんじゃねえよ!」

 闇の者がその機を逃さず榛名の結界を打ち破った。

「く!」

 榛名は闇の者の放った黒い針をかわしきれず、右肘と右すねに突き刺さる。針は火脹れを負わせて彼女の肉を焦がし、内部に減り込んでいった。


「妙義さん……」

 裕宇は呆然としていた。玲貴がばったりと倒れ伏し、その後榛名が突然火傷を負い始めたので、何がどうなっているのか理解不能に陥っていた。彼には闇の者の姿は見えていない。

(何? マジックショー? それとも映画の撮影?)

 そうとでも考えないと頭がおかしくなってしまいそうな裕宇である。


「おのれ……」

 榛名は自分の不覚を恥じ、闇の者から間合いをとった。その間も右肘と右脛に刺さった針は肉を焦がし続けた。

「その針はお前の肉体全てを焦がし尽くすまで消えない。もう終わりだ、呪い師」

 闇の者が告げる。左膝を着き、榛名は苦痛にえながら闇の者を見た。

「思い出したよ。確かにこれは奴の臭いがする。腐った死肉の臭いだ」

 榛名はセーラー服のポケットから白い紙を取り出しながら言い返した。闇の者はまた激怒したようだ。

「ふざけるな! 神である主様が死肉の臭いと同じだと!? 愚弄が過ぎるぞ、クソ女が!」

 榛名は白い紙にフッと息を吹きかけて、右肘と右脛に食い込む針を包んだ。

「無駄だ。そんな紙切れで何ができる」

 闇の者は榛名を嘲笑った。

「それはどうかな?」

 榛名がフッと笑った。闇の者は無表情な榛名の笑みに何かを感じたのか、

「どういう意味だ?」

 榛名から後ずさって尋ねる。

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 榛名は再び早九字を唱えた。すると針をおおっていた紙がボウッと燃え上がり、針と共に消えてしまった。

「何!?」

 闇の者は仰天していた。

「そんなバカな……。主様からいただきし針がお前如き呪い師の護符で消えてしまうなどと……」

 闇の者は動揺していた。榛名は少し残った燃えカスを払い除けると、

「奴自身が使う針ならば、私は死んでいたろう。お前が扱えるものとは格が違うからな」

 榛名は闇の者の主を間接的に誉めているのだが、闇の者はその誉めように納得がいかない。遠回しに自分がおとしめられているからだ。

「俺様を愚弄しているのか、呪い師!」

 闇の者は再び榛名に向かって飛翔した。榛名は、

「結界、破るぞ」

と宣言すると、

「臨兵闘者皆陣列前行!」

 早九字を唱え、右の拳で地面を殴った。その瞬間、何かが弾けるような音がして、空き地に張られていた闇の者の結界が消失した。

「敵の力を弱め、自分の力を強める結界だったようだが、相手が悪かった」

 榛名は身体に圧し掛かっていた重石おもしが取れたように立ち上がると、闇の者を睨んだ。

「おのれ!」

 不利と悟ったのか、闇の者は身を翻して逃亡を図った。

「逃げられない」

 右手の人差し指と中指に挟まれた人型の紙にフウッと息を吹きかけ、榛名は呟いた。人型は宙を舞い、式神である禍津になった。

「滅せ」

 榛名が命じると、禍津を縛る鎖が消え、細い身体が筋骨隆々になった。

『承知』

 禍津は風を巻いて飛翔し、闇の者を捕らえると二つに切り裂いた。

「グゲガ!」

 言葉にならない叫び声を上げ、闇の者は消滅した。

「戻れ」

 榛名は禍津を人型に戻すと、呆然としている裕宇を見る。

「妙義さん、どういう事なの?」

 裕宇はそれだけ口から搾り出した。

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