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 それにしても珍しいものを手に入れた。

青年は上機嫌で鼻歌を歌いながら効果を掌で転がし続ける。両脇に立ち並ぶ屋台はどれも魅力的で、できるものなら制覇したい。香ばしく鼻につく焼き豚の臭いなどは、空気までもが整然と整えられた王都ではなかなか味わえないものだ。

粗野で、豪放で、活気のあるガザの天幕市。

汗と潮の香に満たされたこの地区は、青年の性によく合っている。

これがきな臭い仕事を背負った身でなければどれほど楽しめたことか、想像するだに口惜しい。


 手元のくすんだ金色をした硬貨が今のところの戦利品。

最近は境界ボーダーの小競り合いが相次いで趣味の旅行すらままならないような状況だったが、たまたま面倒な仕事で赴いた地でこんな希少レアモノが手に入ろうとは、僥倖というよりほかにない。


 深閑としたシェーンヴァルツの奥深くにひっそりと暮らしているという狼種ヴォルフ。その性は排他的で保守的、特に彼のような「都人メンシュ」を毛嫌いしている。百年前の花紋狩りでは大きな功績を残したと記録書にも伝わるのに、どうしてか都の王に非友好的だ。近年厄災が多発するようになってからというもの、彼らの姿を見かけた者は少ない。


ゆえに巷では厄災の元凶が狼種だとか、最古の厄災も狼種から出ただとか、さまざまな根拠のない噂話が飛び交っている。正直、この時期になりをひそめたのは狼種の失策だったといえるだろう。


「まあ、無理もないかなあ」


 ぽんと硬貨を投げ上げて青年は小首をかしげる。


先日ひときわ大規模の厄災が狼種領を襲ったと聞く。復興も困難な状況だろうに、よりによって先日、我らが同胞王立騎士団がかの地で面倒ごとを起こしたらしい。


最近の騎士団の雰囲気は最悪だ。


都人至上主義を唱える一派もいれば、他種族との「共存」という高慢な持論を振りかざす一派、果ては他種族殲滅を謳う過激派までが横行し始めている。しかし内部分裂はまだいい、上の強大な権力で押さえつけてしまえば軍人の統率など容易なものだ。問題は、あの得体のしれない、しかも「国父」直々に発せられた、とある命令――「魔女狩り令」。


『肌に花紋を持ち、体格は華奢で、息をのむほど美しい』


 命令文に書かれた「魔女」の特徴はそんなもの。

花紋とやらが一体どんなものかも記されておらず、居住予測地域もきわめて曖昧。

さらに目的がこれっぽっちも明記されていない、誰が見ても不可解な命令文。


 しかし「国父」の出した命令、その影響力たるや絶大なものだった。

すぐさま血気盛んな一隊が遺跡の森へ強襲をかけ、街一つ分ほどの森が燃やされたという。魔女討伐隊はさらなる深奥へと向かったらしいが、今のところ手掛かりは報告されていない。命令に疑問を抱いていた王立騎士団長も、この一隊の先走りによりしぶしぶ魔女狩り作戦を立てることになった。


 一部は情報収集、一部は作戦立案、一部は実働部隊として編制。

青年も先日から情報収集係として王都の城門から放り出されたところである。


(ってか、魔女なんて本当にいるのか?百年前に激減したんじゃなかったのか?そもそも”狩り”って……全滅させろってことかよ!?)


 思わず青年は眉をひそめた。うげ、とでも言いたげな顔で硬貨を額に押し当てる。


(無茶苦茶過ぎんだろ国父さまよ…百十余歳になってそろそろ耄碌したんじゃねぇの?っていうかなんでそんなに長生きなわけ?なんで政治に口出ししてくるわけ?)


意味わかんねえと思わず口に出して呟いたときだ、前方から息せき切って駆け込んでくるやけに厚着をした男の姿を認めて、青年は目を瞠った。


「あれっ、お前もう追いついたのかよリュー!」


道の中腹でぜえぜえと肩で息を切らしていた男が、青年の声を聞いてはじかれたように顔を上げた。その顔を見て、青年は思わずうなった。

汗だくだ。汚い。

顔をゆがめる青年に気づき、いかにも心外だといわんばかりにリューは目を見開いた。


「あのですね!あなたが自分で行くの面倒くさがったから、俺は今こんなことになってるんですよ!?」


わかったから身振り手振りをつけんでいい、汗が往来に飛ぶではないか。

さすがの珍しいものぞろいのガザ地区でも、彼の姿は悪目立ちしている。

仕方がないので――本当は触れたくもないが――青年は彼の襟首をひっつかんで路地裏へと連れ込んだ。本当に、こういうことはさっき会ったみたいな綺麗な女の子にしかしたくない。


 数個路地を渡ったところでぐえぐえと首を押さえて青ざめるリューを解放した。


「で?そんなに焦ってどうしたんだ」


しばし深呼吸して空気を肺に取り入れていた彼だったが、ついに身に着けていた圧手のコートを脱ぎ捨ててどっかと床に座り込んだ。ベストも脱いで腕まくりをし、恨みがましそうな目で青年を見上げる。


「涼しそうな格好ですね」

「さっき買ったから」


「暇そうでしたね」

「だって実際暇だったから」


「俺に仕事押し付けていい御身分です」

「俺は上司、お前は部下、よってお前は俺にこき使われる。これ階層社会の鉄則な」


「ただの横暴じゃないですか!いや、最近じゃどこでもそうですけど!」

「それが嫌なら俺の階級を超えていきたまえリュー=アーベル君。……しかし実にありきたりな名前だ」

「うるせえ!長ったらしい名前より言いやすくていいでしょう!?国父さまの名前十回言えますか、絶対途中で噛みますよ!ヴォルデシュタイン=ケイ=レーゲン!!やってられっか!」

「言えてるじゃないか。ついでに俺の名前も十回言ってみたまえよ、足も名前も短いリュー=アーベル君」

「足が短いは余計だ!あしながディーデレベ=バウルジュディヒ大尉!」


 青年はこめかみを引きつらせて後輩の額をぶん殴った。


「嚙むにもほどがあるだろうが、ディーデリヒ=ファウルシュティヒ!!本気で十回唱えてろ!」

「そしたら報告できません!急いできた意味がなくなります!」

「報告があるならさっさと言わんか、なにが『涼しそうですね』だ!」


ぴゃっと耳をふさいで飛び上がる後輩のすねを蹴っ飛ばす。おかしい。大尉になって、部下を選出できるようになって、優秀な人材ばかりを集めたはずなのに、どうしてこんなとんちきが紛れ込んでいたんだ。


しぶしぶといった体で顔を上げたリューは、規律通りに直立、敬礼しようとして、再びディーデリヒに頭頂部を打ち据えられた。

馬鹿としか言いようがない、仮にも身をひそめながらの情報収集であるのに、自ら騎士団員だと明かすような真似をするとは。


それでもなんとか立ち直って彼は報告を始めた。


「遺跡の森の様子を見てきました。討伐隊の営所に行って情報を聞いてきたんですが、なんだかやっと目撃情報が入ったそうです」

「目撃情報、魔女が出たのか!?」

「はい……発見されるのは百年ぶりですね。遺跡の森の浅い部分にザフという人間の集落があるんですが―――」

「待て、何でそんなところに同胞がいる?役人なら他種族領土に散らばってもいるが、民間人だろう?」

「ああそれなんですけど、王都移住が推奨されているとはいえ、土地を動きたがらない人っているじゃないですか、あの一部だそうで。一応村落として認可は下りていたようですよ。ただ安全は保障されないのでたびたび犲被害にあっていたようですが」


 なるほどとディーデリヒは背を建物の壁に預けた。

他種族との小競り合いが目立つようになり始めた二十年前から、メンシュの同胞には王都移住が推奨されている。堅固な城壁が高くそびえる王都ネーヴには、たとえ健脚自慢の「獅子」や「鹿」であっても違法に立ち入ることは難しい。

しかし中には、昔ながらの己の土地に愛着を持つものがいて、一向にその場所を離れようとしない。それが、各種族の領土設定の時に支障をきたすことがあり、一つの厄介の種になっているとは、彼らはわかっているのだろうか。それとも他種族の意思など知ったことではないと思っているのだろうか。


(まあ、こんなふうに考えるのも俺含め少数派だけどな)


無意識に王立騎士の印章を探っている間に、リューの報告は続いていた。


「びっくりする話なんですが、ザフ村にはどうやら魔女を判別する手段があったそうなんです。それにこの間ひっかかって、花紋を現した娘がいたと」

「手段?」

「『聖判』とか。百年前にあの村で殺された魔女がいたそうで、その骨に魔女が触れたら花紋が出るらしくて。誰もそんな話信じてなかったそうなんですけど、一応儀式として残ってたみたいです」

「それで、その娘が触れたら花紋が出たと」

「そうです。今までそんなことなかったそうなので、慌てて騎士団に連絡を入れたそうです。ちょうど中央協会から司祭が清めのために来てました」


 人相書きを渡されたが、前衛的すぎて輪郭以外わからなかった。問題の娘を引き取っていた家の娘が書いたらしいが、わざとかと思いたくなるくらいめちゃくちゃだ。念のため年齢を聞いてみたが、幼児という年齢ではなかった。


ただ、申し訳程度に特徴が書き添えられていた。

白い髪、青い目、整った顔立ち、華奢な体格。

ディーデリヒは空を仰ぐ。

整った顔立ちと言われても、この絵ではわからない。


人相書きをリューに押し返して、ディーデリヒは首をぐるりと回した。


「で?その魔女の骨とやらがあれば魔女を見いだせるんなら俺たちのやくめもここ

までってことでいいのか?」


すると、リューの表情が微妙に翳った。

それが、と続けられた言葉にディーデリヒはまたしても空を仰ぐことになる。


「その娘が持ち逃げしてしまったそうで……俺たちの任務に、その白い髪の魔女探しが追加された模様です」

「その魔女もう今さら出てこなくてもよかったのに!」


 命令よりプライベート、やりがいのある仕事より楽な仕事、そんなディーデリヒにはなかなかに耐えがたい追加任務の報告だった。

正直、魔女狩りなんて興味がない。むしろ嫌悪する。

彼とて魔女に関する悪評は知っていた。厄災の創造主、国父に牙をむいた裏切り者、得体のしれない魔術の使い手、人呼んで「冒涜の娘」。国敵の一族。

だからといって、この百年何も行動を起こさなかった一族を全滅させろなどというう命令は筋が通らない。何かが間違っている。


(気乗りがしねえなあ)


 リューの汗が引いてきたのを見計らって、しぶしぶディーデリヒも身を起こした。遺跡の森と言えばこのガザから近い。ここに逃げ込んできた可能性はあるだろう。


 北方の遺跡の森から来たのなら、このリューのごとくに厚着をして倒れこんでいるだろう。当たるとしたら、治療所と、呉服屋。

やだやだと声に出して呟きながら、ふとディーデリヒは手元の硬貨に視線を落とした。


『何かお困りかな、お嬢さん』


ふいに先ほどの自分の声が脳裏によみがえった。

驚いたように振り返った若い少女の澄んだ瞳。―――フードの下から自分を見上げた双眸は何色だった?

容姿を隠すような外套、それらしい色をした目、整った顔立ち。

(やだやだ、ほんとやだ)

もし彼女がなら追いかけなくてはならなくなる。


(いやいや、でも世間知らずっぽかったし?狼種だし?青い目の綺麗な女の子なんてごまんといるじゃ―――)


「あ、忘れてたんですけど、その魔女の娘記憶がないそうです。あと、犲にさらわれたとか―――」


問答無用でリューを地に叩き伏せた。


『換金って、どこでできますか?』

『あー…これは、兄の分です』


 頭の良さを見込まれてここまで出世した自分だが、こんなときにはその回転のいい頭を恨めしく思った。

そして探さねばならない少女の衣服の特徴を知ってしまっているという事実が痛い。


―――ナンパなんてするんじゃなかったと、心から後悔した。


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