第21話

 日曜日。

 あきらの携帯に目を落としたまま登庁した。

 部屋のなかでは幽人が書類を精査している。

 いまだ有賀俊太郎を発見した報告はない。テレビでも都内で発生した連続殺人の容疑者としてニュースを見るたびに話題にされている。

(……鮎美のやつ、どうしたんだろ)

 合コンに出かけると報告があったきり、なんの返事がなかった。電話も何度かかけてみたが同じだ。これは鮎美にしては珍しいことだ。それにラインは未読のままだ。

 鮎美はマメなほうなだけに気になった。

 しばらくすると電話が鳴った。あきらが出ると、渋谷警察署の警務部からの電話だった。

「おつかれさまです」

 鮎美が出勤していないということで、親しくしているあきらに何か知らないかという旨の連絡だった。無断外泊で、今日になっても寮に帰宅はしておらず、また連絡もとれていないということだった。

「鮎美は合コンに言った連絡がきました」

 二言三言話し、電話を切る。

「どうかしたのか」

「友人が……同期の警官が、昨日から行方が分からないみたいなんです」

 胸騒ぎがした。鮎美はいい加減な子ではない。無断外泊などありえない。

 あきらはに三村礼子に電話をかける。彼女とは鮎美と誘われて何度か食事をしたことがある。

「おはようございます」

「どうしたの?」

「鮎美のことです。彼女、出勤してないらしいんでが、一昨日、先輩と合コンしたんですよね」

「え、本当に」

 その言葉の響きに、

「なにか心当たり、あるんですか」

「心当たり……っていうほどのことじゃないんだけど」

 三村は言いよどんだ。

「教えてください。あの子、ノリが良すぎて勘違いされやすいんですけど、真面目で無断欠勤なんてするはずないんです」

 あきらの焦りが伝わったのか、三村は話してくれる。

「食事をしたあと、クラブへいったのよ。渋谷の、ANGEROUSってところ。男の子たちと盛りあがって、そのノリでね。彼女も積極的にいきましょうっていって……。でも、途中でいなくなっちゃって。連絡をいれたんだけど通じなくて。もしかしたらクラブでナンパされてついてっちゃったのかなって。連絡いれても反応なくて。深刻に考えてなかったんだけど……」

「じゃあ、放っておいたっていうんですかっ」

 あきらの口調は責め立てるものになる。

「……わ、私も、ちょっと酔い過ぎちゃって。鮎美も大人なわけだから……」

 三村は後ろめたそうに言った。

 たしかにそうだ。彼女を責めるのはお門違いだ。あきらは下唇を噛んだ。

「わかりました。ありがとうございます」

 息が止まりそうになる。声が動揺で震える前に、早口に言って電話を切った。

 クラブという言葉に、スマフォを握る手にはひどい汗をかいていた。

 顔をあげると、幽人とが近づいてくる。

「警部……」声がかすれてしまう。

 有賀俊太郎が狙った女性たちは全員、クラブで確保していた。

(ううん、でも鮎美はナンパに引っかかるような子じゃ)

 しかしそれは被害者たちもそうだったはずだ。それでもなぜか彼女たちはついていった。

「熊虎、どうかしたのか」

「あ、はい……。私の同期の子――以前、捜査本部の情報を教えてくれた子が一昨日、クラブへ行ったきり、行方が分からないみたいなんです……」

「名前は」

「ふ、藤岡鮎美巡査……です」

「藤岡巡査はこれまで無断外泊や無断欠勤の前歴はないんだな」

「もちろんです! 軽いところもたしかにありますけど、すごくしっかりした子なんですっ!」

 これまで話しを聞いてきた被害者たちの友人たちの証言を真似しているみたいだと思って軽いたちくらみを覚えた。

「分かった。おい、代々木の捜査本部へいくぞ」

 そう言われると、急に自信がなくなり、言葉から力が失われる。

「で、でも……事件に巻きこまれたかはまだ……」

「わかってる。念のためだ」

「は、はいっ」あきらは立ちあがった。


 身体のそこかしこが鈍く痛んだが、なかでも一番辛いのは頭痛だ。

 鮎美は重たくなっている目蓋を押しあげる。クラブのトイレ、ではない。どこかの部屋のようだった。鮎美はホワイトカラーの絨毯の上にいた。パステルカラーを基調にした家具やカーテン、小物類がめにつく。女性の部屋のようだった。身体を起こそうとして失敗する。何度やっても同じだった。

 身動ぐと、耳に硬い金属の音が響く。

 手首に手錠がかけららている。いや。手だけではない。両足首も同じように拘束されていた。

(なんなの、これ……)

 最後に頭に残っている記憶と現在おかれている場所が噛み合わず、パニックに陥る。

「刑事さん、目がさめたみたいね」

 女性が歩み寄る。鮎美の警察バッジをひらひらさせて口角をもちあげる。

 見覚えのない女性――そう思いかけ、彼女の服装からクラブのトイレで介抱してくれたクラブのスタッフであることに気づく。

「……な、なんで」

 女は質問に答えず、ぞくっとするような不吉な微笑を浮かべて鮎美を見下ろし続けた。


 あきらたちが捜査本部に入ると、ホワイトボードを背にした幹部席に飯塚警視がいた。

 その目がこちらを向く。彼はあきらたちの様子に異変の痕跡を見つけたようだ。

「なにかあったのか」

 飯塚警視に、と言うと、しばらく間をおいて「どうしたっ!」と熱のこもった声が耳をつんざく。

「大したことではないのですが。ここにいる私の部下の同期の藤岡鮎美巡査が一昨日の夜以降、行方がわからないようなのです。寮にも帰宅していないようで、今朝こちらの署の警務部より連絡を受けたようで」

「一人でいなくなったのか」

「一昨日、この署の交通課の先輩に誘われて、その……男性と食事に行って、そのあと、クラブへ行って。それが最後に鮎美……藤岡巡査が確認されたとき、のようです」

 あきらが説明すると、飯塚警視は鼻を鳴らす。

「この大変なときに、か。お気楽なものだな」

「警視。交番勤務の人間にとって月一の連休は大切なものです。それが卒配後、半年ほどの新人にしてみれば特に、です。それに当日は緊配がされていたわけでもない」

 幽人がたしなめるように言う。

「……クラブ、か。これまでの被害者たちもクラブで声をかけられていたんだったな」

「今回がそうであると現状では言い切れません。ただ、藤岡巡査は無断欠勤や無断外泊をするような人間でないことは私の部下は言っています」

「確かです。彼女はそのあたりはきっちりしている子です。男性に対してもだらしなくありません。それに昨日からケータイに連絡をいれているんですがまったく返信もないんです。こんなこと、今まで一度もありませんでした」

 飯塚警視の眉間に皺が刻まれた。

「おい、ここに藤岡巡査のことを知っている人間はいるか」

「熊虎巡査の言う通りだと、思います……」

 連絡係を務めていた婦警たちがたちあがって言った。

「最後に確認されたクラブは?」

「渋谷にあるANGEROUSです」

「彼女は誰かと一緒だったのか」

「交通課の三村裕子巡査に誘われたそうです」

「誰か、三村巡査を呼び出してくれ。とにかく話しを聞いてみないと判断できん」

「警視、我々はそのクラブへ行ってみます」

「……分かった」

 あきらたちは代々木署をあとにして、渋谷区円山町にあるANGEROUSへ向かう。

 時刻は午前十時で、当たり前だが出入り口にはシャッターが下りている。営業時間は午後六時からだが、待ってなどいられない。

 あきらは張られている求人募集にある連絡先に電話をする。

 スリーコールで、「はい、ANGEROUSです」と男の溌剌とした声が出た。

「私、警視庁特別捜査課のものですが」

「……どんな御用でしょう」

 相手の声がやや固くなる。クラブと警察のくみあわせではどうしても警戒してしまうのだろう。

「今、事務所にいらっしゃるんですよね?一昨日の監視カメラを見せていただきたいんですが」

「なぜでしょうか」

「実は一昨日、私の同僚がプライベートでそちらに立ち寄ったんですが、それを最後に行方を断っているんです。ですから協力していただければと思いまして」

「申し訳ありません。私の一存では」

「では責任者の方に連絡をとっていただけますか」

「……確認してみます」

 男にケータイの番号を教え、電話を切る。それから十分ほどで電話がかかってくる。電話はケータイからだ。

「もしもし?」

「わたくし、ANGEROUSの店長の山下と申します。失礼ですが、警視庁の?」

「はい。熊虎あきらです」

「令状はお持ちなんですか」

「いえ。令状は、ありません」

 相手はさすがに警察馴れしているようで口調も滑らかで、さきほどの男とは違ってどっしりと構えている印象だ。

「それでしたらご希望には添いかねますね。そちらの職員の方が最後に確認されたとのことですが、こちらで何かがあった、というわけではないんですよね?」

「……そうですが」

「でしたら、令状をもっていただかないと。監視カメラの映像の提供はお客様のプライバシーにも関わる問題ですから、こちらとしても協力したい気持ちは山々ですが」

 山下の口調はいかにも慇懃無礼だ。

「そこを押してお願いできませんか。提供しただく必要はなくても、見せていただくだけでも」

「申し訳ありませんが」

 と、あきらの目の前に手が差し出される。幽人が催促するように指先を動かす。

 あきらは幽人へケータイを渡す。

「もしもし。お電話かわりました。わたくし、上司の樋筒幽人警部です。どうでも協力をしていただけないでしょうか」

 おそらくあきらに言ったのと同じことを言われているのか、しばし幽人は聞き役になる。

「……行方を断った警察官は現在、我々がおいかけている殺人事件の犯人と接触した可能性がある」

 幽人は根拠もないことをさらりと言った。

「当然、そちらの申し分は正しい。令状をとってあらためてこさせてもらおう。ただ、そのときには捜一はもちろん、組対部の人間を動員した大規模なものになることは承知していただきたい。あなたも警察組織というものはご存じだろうが、我々は身内が事件に関わった場合、周りが呆れるほど執拗になる。鑑識も入るだろうし、一週間くらいは営業ができなくなるな」

 しばしの間が空く。

「……そう。そちらがわずかでも善意をみせて、映像をみせていただければ、それで終わりだ。ではよろしく」

 通話が終わり、電話を返された。

「……だ、大丈夫なんですか。あんな脅かすこといって」

「脅かす? 事実を言ったまでだ。あれが脅しに聞こえるということは向こうにも後ろ暗いことがあるということだ」

 それから二十分ほどすると、スーツ姿の男が駆け足で、あきらたちのもとへ来る。

「山下さんですか?」

 幽人が言うと、「は、はい」とうなずく。あきらたちは警察バッジを見せる。

「申し訳ありません。営業外にご足労いただいて」

「いえいえ……」

 男に従い店の奥へ向かう。案内されたのは警備室だ。さすがにトイレについてはいないが、受付やトイレ前、ダンスフロアはカバーされている。

 あきらたちはまず受付フロアの映像をチェックする。午後九時頃、たしかに鮎美たちの姿を確認することができた。来店の時間を確認後、分担して画像をチェックする。

 あきらはトイレ前の映像を見た。何人もの人間が絶えずカメラにうつりこんでいる。ただ、店内は照明が絞られているために目を凝らさなければならなかった。カメラのチェックをはじめからおよそ一時間。

「鮎美ですっ!」

 あきらは声を爆発させるように張り上げる。

 鮎美が一人でトイレに入るシーンもしっかりとあった。それから五分ほどたったくらいか、内側から扉があけられる。女性にもたれるようにあきらがでてきた。

「……これは」

 背後で控えていた山下が驚いたように呟く。

「なんですか」

「……うちのスタッフです。松浦といって、最近、採用したばかりで。ホールのバーカウンターを担当させています」

 女性スタッフにリードされ、二人の姿は『STAFF ONLY』の扉のなかへ消えていった。幽人は責任者をかえりみた。

「あの通路の先には」

「……裏口です」

「そこにカメラは?」

「いえ。ありません」

「あの女性スタッフはこれまでああいう行動をとったことはあるんですか」

「彼女は」

「……なにかあったのか」

 幽人は男の目がにうつったかすかな揺れを見逃さない。

「いえ」

「あとで何か分かったら割を食うのはあんただ.。分かるだろ。警察はあんたたちを共犯に問う可能性だってある」

 幽人がドスを聞かせた唸りで詰めよる。

「そんなっ!」

「だったら話せ。今のうちに。それともここじゃ話せないか?」

「わ、我々のほうも困ってるんです。いきなりバーカウンターをあけられて苦情はくる上に、連絡もとれなくなって」

「いつから」

 山下が落ちつきなく唇を舐める。

「山下さん」

 あきらも山下をじっと見つめる。山下は目を伏せる。

「……一昨日から、です」

「それじゃあ、あなたはその事実を承知で令状だのなんだのと言っていたんですか!」

 あきらはこらえきれず、立ち上がり、山下に詰め寄った。山下は百八十センチくらいで長身で肩幅もがっしりしている。しかし今は見上げる恰好のあきらに圧倒されて肩をすぼめる。

「当然あなたはカメラの映像をチェックしたはずですよね。従業員が勝手に持ち場を外れた挙げ句、行方をくらませたんですから」

「で、ですが……彼女が、なにをやったわけじゃあないでしょう……。相手が警察官だとも分からない……。か、介抱してただけじゃないですか」

「ぐったりしてる相手を連れて裏口から店を出て行くのをここでは介抱と言うんですか!

「熊虎。もうよせ」

 あきらは今にもつかみかからんばかりに山下を睨めつける。

「本当にあなたは何も知ら――」

「熊虎、もうよせっ!」

 あきらはびくっとして振り返った。

「……す、すみません」

「山下さん、すぐに松浦の履歴書をもってきてくれ」

 幽人は落ち着いた調子で言うと、難を逃れた山下はカクカクと小刻みに頷くと逃げるように出て行った。幽人が捜査本部に連絡をいれる。

 飯塚警視たち、捜査本部の幕僚たちがかけつけてきたのはおよそ三十分後だ。

 さらにおしかけてきた警視庁の人間を前に、山下はすっかり意気消沈している。なにか余計なことをいえば、あきらたちに逆ねじを食らわされもう言われるがままだった。

 あきらをつれていった店員は松浦和美。二十歳。履歴書にのっていた住所に捜査本部から人員が割かれて向かうが、そのマンション自体は存在したものの、住んでいたのはまったくの別人だった。そう考えると名前そのものも偽名である可能性が高い。

 勤務をはじめてからまだ数日で、とくに親しい同僚はいない。

 勤務態度に問題はなく、こうして職場を放棄したこともない。

「警視、この女性は」

 あきらの言葉に、飯塚警視はうなずく。

「ああ。防犯カメラに北野舞と映っていた女だ」

「警視、クラブの防犯カメラで確認した藤岡巡査の様子はあきらかに変です。彼女はお酒に強くて泥酔したことがないんです。でも映像の彼女は今にも座りこんでしまいそうなほどの千鳥足で……北野舞と同じように、なにか薬を」

 ただ、今のところ、それは憶測にすぎない。

 もちろんバーカウンター周辺のカメラはチェックしていたが、鮎美の飲み物になにかを混入したと確信できるようなものではなかった。

「すぐに全捜査員に通達する。この女……もしかしたら有賀俊太郎も、藤岡巡査と一緒にいるかもしれん」

 飯塚警視は部下を引きつれ、クラブを出て行く。

「警部、私たちは」

「探しに行く。こい、熊虎」

「は、はいっ!」

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