第20話
あきらは警視庁に戻ると、デスクでメモ帳をみかえしていた。
もういい。その女のことはもう心配する必要はない――有賀俊太郎は、春日聡子の死に関わっている、いや、彼が手を下したのだろうか。
(春日千鶴と一緒に?)
そこまでは分からない。しかしあの場にあったパソコンから察するに、そのときには千鶴はすでに亡くなっていた可能性は高い。
しかし分からないのは俊太郎の企ては半ば成功していたにもかかわらず、どうして彼が自分の手でそれをわざわざ打ち砕いたのか、だ。
春日千鶴は、俊太郎の描いた春日千鶴すべて受け容れたはずだ。そして俊太郎もそれを喜んでいた。彼女の表情からもそれはわかった。歪んだ生活ながら、そこにはたしかに愛情が通っていたのだ。たとえそれが二人の間でしか成立しえないものであったとしても。
自分から彼女を追い出し、そして時系列で考えれば永田朋香(特殊などドラッグがつかわれたなど状況証拠しかないが)、北野舞と犯行がつづくことになっている。
そして事件はエスカレートしている。永田朋香は監禁の末、大量のドラッグを服用したことによるショック死であり、北野舞には直接的な危害を加えなぶり殺しにした。
(目的が変化している? でも、どうして……?)
犯罪に手を染めてまで実現させようとしていた春日千鶴への執着がそう簡単になくなるとは思えない。
そのとき携帯が鳴り出した。碓井慶子からだ。同じようにデスクで資料をよみこんでいた幽人が顔をあげる。
「碓井慶子さんからです」
あきらは携帯をスピーカーにした。
「もしもし?」
「刑事さんですか。碓井慶子です。……今、大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ。どうかした?」
「大学の友だちから有賀俊太郎のことを聞いたので」
「無理はしなくてもよかったのに。頼んでおいたのはこっちだからあれだけどあんなことがあった直後なのに」
「いいんです。なにかをしてるほうが気が紛れますから」
「……そう」
ほんとうにちょっとしたことなんですけど――と、前置きをしてから慶子は言葉をつづける。
「その子は有賀くんと同じクラスだったんです。彼はつき合いはそれほど悪くはないみたいで、クラスの飲み会にも参加していたそうです。つきあいはほどほど。そういう意味では目立たない子だったみたいです。二年にあがったくらいから、クラスの数人に彼女ができたって言ってたみたいで。でも、それからしばらくして……たぶん、夏休み明けくらいから様子が変だったみたいです。彼女と別れたんだろうって。そのころから、就活の情報交換も兼ねた飲み会を休むようになって……。その子が彼を最後にキャンパスで見かけたときが去年の十月くらいで。そのときの有賀くんはまるで別人みたいにやつれて、怖くて声をかけられなかったそうです。……それから」
慶子は言いよどんだ。
「どうかした?」
「彼女が言うには様子がおかしくなってからの話なんですけど、なんだか……別人と話してるみたいだったって」
「別人?」
「仕草とか口調、視線とか。それに、人の気に障ることをわざといって喜ぶような、いやな子になったって……。――すみません。こんなことしかわからなくって
「ううん、そんなことない。ありがとう。参考になるわ」
「……捜査、がんばってください」
電話をきる。幽人を見る。彼は腕を組み、イスの背にもたれる。
「警部。パソコンに有賀俊太郎が書いていた連中って誰の、ことなんでしょうか」
「連中が歪みの原因だろう」
「歪みの、原因……」
「そうだ。有賀俊太郎は春日千鶴の魂を求めた。結果、なんの関係もない浮遊霊どもを集めてしまったんだ。あんな眉唾な儀式で特定の魂を招くことができるはずがない。だが、さまよう霊にしてみれば有賀周太郎の想いを通り越した妄執は魅力的にうつるだろう。さまよう霊は欲望の塊だ。灯に招かれる虫のように集まってくる。有賀俊太郎がどれだけの回数、あんな無茶苦茶なことをしたのかはわからないが、肉体を失った浮遊霊に目をつけられてもおかしくない」
「……目を、つけられる?」
「月並みな言葉でいうと、取り憑かれる、ということだ」
これまで幽人と共に捜査をしていなければとても信じられないようなことだが、今のあきらは自然と受け容れられた。
「それじゃあ彼が人が変わったようになったのは」
「憑かれた結果、かもしれん。そしてそいつは犠牲者を求めている。あのパソコンの文章が示す通り、殺したくて殺したくてウズウズしているんだろう。だから、せっかくうまくいきかけていた春日千鶴を殺そうとした。そして今回の北野舞の事件にいく仮定で、彼の意識が霊に蝕まれていった可能性は大きい」
「それじゃあ、今、逃走中の彼はもう……有賀俊太郎じゃないということですか?」
「確証はない――が、あのパソコンの文章をみるかぎり、素面でいることを期待するのは難しいかもしれん」
「でも彼はどこにいるんでしょう。公開手配された以上、なにかしら有力な情報が入ってもいいのに。それとももう東京にはいないんでしょうか」
「わからん。しかし口座から金が引き出された痕跡はない。北野舞のサイフに入っていた分をあわせたところで高飛びしてもじり貧になる。――それに、有賀俊太郎の意識を圧迫している連中が逃げようなんて、まともな思考をするとは思えん」
北野舞の遺体の様子が脳裏を過ぎり、ぞわりと肌が粟立った。
「……まだまだ殺し続ける、ということですか」
「そうだ」
(今日のメンツは失敗だったかも)
鮎美は中座したトイレの個室のなかで「あーあ」とため息を漏らす。
親しくしている先輩から誘われた合コンだったが、相手の男がやけにしつこい。先輩は良い人なのだが正直、男の趣味は良くない。その男が呼ぶ連中だからいいわけもない。
たしかどこぞのイベント会社の社員とか言っていた。ノリは悪くはないし、盛りあげ上手だが、お持ち帰りしようという気が透けてみえるようでうんざりしてしまう。
警察官というお堅い仕事についていると、ああいう軽い感じの男に惹かれるのだろうか。
それにくわえて、
(さすがに合コンはとばしすぎたかも)
ちょうど、月一の連休がとれるからと安易に参加したことを後悔しはじめていた。
酒は控えグレープフルーツジュースですましていたが、眠気がよせてはかえしてきてなかなか去ってはくれない。
(これはもう帰ったほうがいいかも)
先輩には申し訳ないが、帰らせてもらおう。明後日からはまた三連勤だ。せめて明日は一日、寝てすごさなければ体力的にまずい。
個室から出る。が、よろめいてしまう。
「――お客様、大丈夫ですか」
誰かに支えられる。顔をあげると、髪を後ろ手に縛っている女性と目があう。クラブのスタッフらしい。
「すみません……」
「顔色がだいぶ悪いですよ」
「大丈夫です。ただ眠いだけですから」
「それでしたら」
差し出してくれたのはいわゆるカプサイシンを配合した眠気覚ましのドリンクだ。
交番勤務中にもかなりお世話になっている。
「それじゃあ、いただきます」
断るのも億劫で受けとり、その場で飲む。
直後、全身から力が抜けていく。膝を折ったとおもうと、抱きかかえられる。
「あの……」
身体から力が抜ける。気づくと、その場に両膝をついていた。
(あ、れ……?)
見下ろしてくる女性の姿がじんわりとにじんでいった。
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