第18話

車内は静かだった。エアコンを最初かけていたが、その音がわずらわしくて切ったのだ。

 今は窓を全開して暑さをしのいでいた。

 幽人はグローブボックスをあけようともせず、前をまっすぐ見て、ハンドルを動かしている。

 あきらは何度も唇を舐める。誰かに死を告げることの気の重さに、手を握り、開いたりをくりかえす。

 住宅街のなかを車の灯が切り取っていく。

「このあたりのはずです……」

 彼女は部屋着と思われる半袖ティーシャツにショートパンツという出でたちで、マンション前でじっとたたずんでいて、あきらたちの姿を認めると、かけよってきた。

 彼女を車の後部座席に招き入れた。

「中で待っていてよかったのに」

「……落ち着かなくて」

 ルームミラーでちらりと見た、彼女の目は少し赤かった。

「辛いとは思うけど」

「見せて、ください……」

 あきらは鑑識から受けとったデータをスマフォから呼びだして、慶子へ見せる。画像は微調整をして、顔の部分だけにしている。あの姿をみせるわけにはいかない。

 慶子はなにかをこらえるように、目尻にきつくしわをつくった。

「間違い、ありません……。舞です」

「ありがとう。これでいいわ。ごめんなさい。このためにわざわざ」

 いいんです、とかぶりを振った慶子はおそるおそる、「……聞いてもいい、ですか……」と尋ねてくる。

「まだ詳しいことはわからないし、言えないこともあるけど」

「変なことされて、ませでしたか?」

 そう尋ねる慶子の目は、永田朋香の友人、白川梓と同じだった。

「ごめんなさい。今はそこまでわかってはいないの。ただ、着衣に乱れはなかったから……」

「……解剖、されちゃうんですよね。刑事ドラマでも、そういうの、しますもんね……」

 胸がずきりと痛んだ。

「――解剖するのはプロだ。不必要に引き裂くわけじゃない。ものを言えない人の声を聞くためには必要で、追われば傷口はできるかぎり縫われる。分かって欲しい」

 幽人なりの励ましととらたのか、「はい」と慶子は目尻をゆるめてうなずく。

「慶子さん。もし、なにか放したいことがあったら連絡して。事件のことだけじゃなくても、友だち同士では話せないこともあるでしょ。……ね?」

「……ありがとうございます」

 車を降りようとする慶子を呼び止める。

「部屋の前まで送るわ」

「いえ、大丈夫です……ほんとうに、ありがとうございました」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 あきらたちは彼女がマンションの中に消えていくのを見届け、車を出した。

「送る」

「私も警視庁に戻ります」

「だめだ。今日は帰って休め。ようやく捜査本部のほうがあゆみよってくれたんだ。なにかあったらすぐに連絡をいれる。いいな。これは命令だ」

「……了解しました」

 あきらはしぶしぶうなずいた。


 寮の部屋のベッドに倒れこむともう立ち上がれないんじゃないかというくらい身体が重たくなっているのを自覚した。

 スマフォを見る。新着のラインが入っていた。鮎美からだ。

『刑事さん、お疲れ様! これから三村先輩に誘われて合コンでーす。お仕事に燃えるあきらが好きそうな人、見つけてくるから楽しみにしててね!』

 あきらは苦笑する。鮎美は盛り上がれる場所が好きで、その気もないのに合コンには積極的に参加するのだ。三村先輩は渋谷警察署の交通課の先輩だ。なんだか波長がよくあうとかで親しくしているとのことだった。

『楽しんできて』

 返信をして、眠りに落ちた。

 

 翌朝、登庁すると幽人は大量の資料を前にしていた。傍らにはコーラのペットボトルの空き容器がいくつも転がっている。どうやら徹夜で書類と格闘していたようだ。

「おはようございます」

「ああ」

 今幽人が呼んでいる書類にはさまざまな物品の画像とその説明が載っている。

 そのなかにマンションのクローゼットが映し出され、何着か服がなくなっていると思しい不自然な隙間があいていた。

 北野舞の所持品に目を転じた。彼女のバッグはクローゼットに押しこまれていたらしい。

 室内からは北野舞のバッグも発見されていた。それが北野舞の持ち物であるとわかったのはサイフから大学生証が見つかったからだ。

 バッグには携帯、スケジュール帳、失踪当日のクラブのイベントチケットの半券、携帯音楽プレイヤー、シュガーレスのガム、250ミリリットルのペットボトルのミネラルウォーターが入っている。

 サイフの中身も小銭に至るまで一つ一つ漏れなく、資料に添付されている。

 元々がどれほどあったかはわからないが、万札が一枚あることを考えると、中身に関してはノータッチかもしれない。

「代々木の捜査本部にいくぞ」

「わかりました」

 幽人の運転でふたりは代々木警察署へ出向く。

 会議室としてもつかわれる部屋に捜査本部は設置されている。

 何人かの知り合いとすれ違うたびにあきらは会釈しつつ、なかにはいる。

 会議室にはファックスやコピー機、電話の回線がいくつかおかれている。

 何人かの署員が常時詰めていて、捜査本部の直通でかかっている情報をまとめている。

 本部内は捜査員たちが出払ったこともあって閑散としていた。

 昨日のこともあって後藤警部補と顔をあわせたくないと思っていただけにほっと胸をなでおろす。

「きたか」

 飯塚警視が出迎えてくれる。表情は暗いが、徹夜したせいだろうか、顔には脂がういて、妙にてかてかしていた。

「遺体についてですが、友人に確認をとりました。行方不明である北野舞であるとのことです。ただ」

「ん?」

「本人は友人が亡くなったことを完全に受けとめ切れていないようで、話しを聞くのは当分ひかえていただけませんでしょうか」

 意を決したあきらの申し出に、飯塚警視は幽人をちらりと見やった。幽人はあきらに同意するようにうなずきを返す。

「……まあいいだろう。なにかあったらおまえらが聞いてくれ。こっちのほうも昨日、有賀俊太郎の両親から話しを聞けた。ふたりとも、息子の居所はしらんということだ」

「都内に他に住まいは?」

「ないそうだ。まあ、話している様子からもうそをついているようには見えなかったな。一応だが、現在、ふたりには人をつけている。両親のどちらかに動き、もしくは息子が自宅近辺にあらわれればすぐに報せが入るだろう」

「春日千鶴についてなにか言っていましたか」

「おい、そう急くなよ」

 前のめりなあきらの姿勢に飯塚警視は苦笑いする。

「母親が、マンションを訪ねた際、ふたりでいたところを見たそうだ。気持ちの悪い目……それが春日千鶴への印象だったらしい。温度がない、ガラス玉みたいな目といっていたな。片桐との関係を考えれば薬物にどっぷりつかっていたことは想像に難くない。――しかし母親によるとなにもせずに帰ってきたらしい。、しかし後日、息子をよびだして問いただした。息子はつきあっているとは言わなかったらしいが、交際をやめろ、やめないで悶着があった」

「父親は」

「だめだな。俺も人のことは言えんが、典型的な家庭は妻にまかせきりのタイプだな。一応、妻は相談したようだが、変わった子を好きになった程度にしかとらえていなかったらしいし、千鶴におぼえた印象に関しても妻が息子にべったりだったことを勘案すれば、それほど深刻に受けとめなかったと」

 俊太郎の様子がおかしいと感じたときも母親だけがマンションまで様子を見に行っていたことを考えると、父親は家庭のことにはてんで関心がなかったのだろう。一度、訪ねたときに警察に苦情を入れてきたのは勝手なことをされたことへの怒りからだったに違いない。

 飯塚警視は鼻から息を漏らした。

「昨日は、どっちがわるいとなんのと夫婦喧嘩をはじめられてね。うんざりしたよ」

「ご苦労様です。で、北野舞の死因については」

 幽人の不躾な聞き方にも飯塚警視はかすかにむっとしたが、怒鳴りはしなかった。

「全身につけられた傷は見た目のインパクトはあったが、どれでも浅手だ。やはり直接的なものは喉を裂かれたことによるものらしい。保冷剤の状態から殺害された三日以上は経っていないらしい」

「性的な暴行はどうですか」

「レイプの痕跡はなかった」

 あきらの質問に、飯塚警視は答えた。しかしとても良かった、とは思えない。

 なぶり殺し。そうしか思えない。

「パソコンからはなにか見つかりましたか」

「今、科捜研に回して調べている。しかしあの文章なんなんだ」

「自白のように私には見えましたが」

 幽人の言葉飯塚警視は驚いたように幽人をみた。

「あれは妄想だ。大方、精神的な疾患だと言い訳をするつもりで残したんだ。あんなものよりもずっといいものが手に入った」

 飯塚警視は誇らしそうに別のA4版の封筒をとりだすと、そこからプリントアウトされたと思しき写真をとりだす。粒子は粗いが、そこには二人の女性が映っていた。

「あのマンションの玄関の防犯ビデオの映像だ」

 あきらは目を見開いた。

 一方は北野舞で、もう一人は髪の長い女性だ。上背があって舞の頭がおよそ胸当たりだから、百七十センチ前後。すらりとして、綺麗なシルエットをしている。 北野舞はぐったりして、介抱されているように見える。

「今から二週間前の映像だ。おそらくこの女が春日千鶴だろう」

 しかし春日千鶴というには慎重が高すぎる気がした。写真で確認したかぎりだが、百七十センチは絶対になかった。あっても百六十センチだろう。

「北野舞の様子からすると一服盛られたのかもしれん。どうだ、樋筒。あんな精神疾患を装っているような下手なもんよりずっと有用とは思わんか」

 幽人はじっと写真を眺め、静かにうなずいた。

「……そのようですね」

 さらにもう一枚。その写真には北野舞を介抱していたなぞの女性が単独で写っている。日時は四日前の午後四時。

「有賀俊太郎の姿は?」

「映ってなかった」

「警視、それはおかしいです。数日前に彼の母親が部屋の前までいって扉ごしに会話をしたと管理人は聞いたそうです。映像に残っていないとするなら、彼はこのマンションから忽然と姿を消したということになる」

「声だけならば誤魔化せるだろう。電話のスピーカー機能をつかえばいい。面と向かってでないなら違和感はそれほど感じないだろう。息子を案じる母親が相手なら尚更だ。おそらくこの女が北野舞を手にかけた実行犯だ。有賀俊太郎およびこの女を重要参考人として手配する。おまえらも勝手に動きまわらないでちっとは捜査に協力しろ」

「いえ、我々は独自に動きます。まだ色々と探りたいことがあるので」

 飯塚警視のこめかみに浮いた血管がビクッと震える。しかし開かれた口元から出たのは怒声ではない。

「勝手にしろ。だが、なにか分かったら報告をあげるんだ」

 飯塚警視からすると幽人のような面倒な人間を縛っておくよりも放っておいたほうが捜査上も得策と考えたのかもしれない。

「もちろんです」

 幽人は臆面もなく応え、あきらたちは捜査本部を辞去した。

「……施設にいる春日千鶴さんのこと、話さなくても良かったんですか」

 車にのりこむ。ハンドルを握る幽人の横顔に、あきらは言った。

「さっきの警視の反応をみただろう。春日千鶴の証言など歯牙にもかけないだろう」

 言葉遊びとも思ったが、幽人は幽人なりに、彼女を無神経な捜査員から守っているのだと分かってすこし嬉しかった。

「でもあの映像に映っていた女の人、誰なんでしょう。有賀俊太郎に、春日千鶴以外の女性の存在はありませんでしたよね」

「そうだな」

 幽人は思案しつつも車を発進させる。

「どこへいくんですか」

「……自称・春日千鶴のいる施設だ」

「……え?」

「北野舞、有賀俊太郎の足取りが一切つかめていない今、手詰まりとしか言いようがない。彼女をあのマンションへ連れていく。なにか思い出してもらえることがあるはずだ」

「危険ですっ! 警部も春日さんの混乱している姿はみたはずじゃないですかっ!」

「荒療治であることは承知の上だ。この事件の全容をまだつかめていない。そうだろ? 有賀俊太郎がやったのか、本物の春日千鶴がやったのか。春日聡子の殺しとのつながりは? 死人を生き返らせるサイトのことはどうだ? すべてが断片にすぎん」

「そうかもしれませんが」

「無理強いをするつもりはない。とにかく連絡をとれ。本人が嫌がれば無理強いをするつもりはない」

 あきらは幽人の顔をじっと見つめる。彼女は決して拒否しないだろうことは幽人にも、あきらにも分かっている。彼女は自分がなにものかを知りたがっている。そのために自分自身を追いこむことになっても――だ。

「早くしろ。俺が連絡するか?」

「……いいえ。私が」

 幽人の高圧的な物言いでは不安だ。せめて彼女の意思は尊重したい。

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