第15話
あきらたちは品川区にある東英大学のキャンパスをのぞめる場所に車を駐め、張りこみを開始した。あきらにとっては無論、はじめての経験になる。
果たして有賀俊太郎はみつかるか。
キャンパスへ入っていく学生たちを眺めながら、あきらは不安になる。ここでじっとしているよりもクラブへ行って、聞きこみをしたほうがいいのではないか。
「あまり力むなよ。長丁場になるかもしれん」
「は、はい」
あきらはうなずきながらも全身に力を漲らせないわけにはいかない。
しかしそれも長くはつづかない。日が暮れる頃にはさすがに集中力も落ちて、学生を見ることよりも尻の強張りのほうに気をとられるようになる。
「大丈夫か」
幽人が運転席に戻って、ちかくのコンビニの袋を渡される。袋のなかにはアイスコーヒーと総菜パンがはいっている。幽人はクリームをサンドした菓子パンと、ミルクセーキという胸焼け必死の組み合わせに舌鼓をうつ。
「様子は?」
「異常なしです」
日が落ちるまで場所を何度か移していた。もちろんいつも車ではなく、別のところに駐車して、キャンパスの出入り口に面した喫茶店やらファストフードからの監視もおこなった。
有賀俊太郎はまだ二年生で、出席だって必要だろう。いくら出席が高校のように厳しくないとはいえ、これだけ見ないというのはありうるのか。それとも警察の動きを警戒しているのか。
警察にかかわらせまいと両親が大学にいくのをとめているのではないかという疑念までわきあがる。父親は警察への反感から、母親は過保護ゆえに。
張りこみをはじめて五日が、なんの成果もないままに過ぎていった。
代々木警察署の捜査本部の事件の進展はないようだった。スパイのような真似をさせて申し訳ないが、加藤巡査長に、捜査本部になにかしらの動きがあった際には教えて欲しいと告げていたのだった。
ただ別件で、一点あった。王子警察署の初背警部補から幽人への連絡から判明した。
押し入れで拘束された遺体は歯の治療痕から春日聡子で間違いないらしい。
あれだけなげやりだった初瀬警部がどうして捜査情報を教えてくれたのかといえば、警視庁の捜査一課と幽人たちの確執を耳にしたからとのことだった。
敵の敵は味方だ、と幽人はこぼした。
「あきら、飲み物をかってきてくれるか」
六日目。今日も今日とて車内からの張りこみだ。さすがに疲労は誤魔化せず、目蓋が重い。
あきらは緊張感をなくしている自分に活を入れるように両頬を軽く叩いた。
車から降りると、身体をうんと伸ばす。
最初は道行く人の視線が恥ずかしかったが、今はあまり気にならない。こうでもしないと身体が縮こまったまま動けなくなりそうだった。
自動販売機でブラックのアイスコーヒーと、ペットボトルのサイダーを買う。
「あの……」
背後から声をかけられてはっとした。
ふりかえると、ティーシャツにカーディガンを巻いたものを羽織り、ボーダー柄のスカート、白いミュールに、明るい赤茶に染めたボブカットの女性がたっていた。
頬があかくなるほどチークをのせて、全体的に化粧が濃い印象だ。
よくもわるくも、今のあきらよりも断然、女子力が高そうではある。
「警察の人、ですか」
どうして分かったんだ、とあきらは動揺を顔にだすまいと声を固くする。
「そうだけど。……どうして?」
制服ならまだしも、今はスーツ姿だ。警察とわかるものはなにもない。もちろん張りこみにつかっている車だって覆面だ。
あきらの気配に、女性は弁解するように口早に言う。
「目つきの悪い刑事さんと、でっかい婦警さんががいるってツイッターに流れてて。写真も流れてて……」
そんなものが、とあきらは文明の利器に舌打ちしたくなる。
「最近、連続殺人がおきてるんですよね、大学生を狙った」
「どうして」
「……友だちがみせてくれたゴシップ系の雑誌にのってたんです。うさんくさかったけど、学校のなかだとその噂でもちきりだし……」
報道各社に対しては捜査本部から自粛命令がでているはずだが、中小出版社のだすような雑誌にまで徹底はできない。
「ぞれで、あなたはそれを確かめにきたの」
「ち、違います。あの……私の友だち、最近、大学を休んでるんです」
「だったら連絡を」
「連絡にもでないし、自宅も訪ねたんですけど……」
「もよりの警察署へ相談は?」
「……いってません」
「どうして」
「だって警察は事件性がないと捜査してくれないって言うじゃないですか。事件に巻きこまれたって証拠があるわけじゃないし」
そうではない、と言えないことが歯痒い。未成年もしくは、事件に巻きこまれたという明確な証拠がないかぎり、警察が本腰をいれて捜査することは、彼女の言うとおりあまりないのが現状だ。怠慢というわけではない。そこに裂くだけの人員がないのだ――しかしこれは結局、こちら側の理屈であって市民からすれば怠慢とうつってもしかたがない。
「いつ頃から?」
話しを聞いてくれると思って安堵したのか、強張っていた女性の顔が少しゆるんだ。
「二週間くらい前の週末からなんです。クラブにいくっていったっきり」
「あなたはいかなかったの」
「私はバイトがあったんで。それからぜんぜん……。他の子も連絡がつかないみたいで」
「ちょっと待って」
あきらは手のなかでぬるくなっていた缶コーヒーをもって、車へ駆け足で戻る。
窓を叩いて、「警部」と呼びかける。
かいつまんで事情を話すと、「ようやくか」と幽人は言うなり、運転席からおりてきた。
「ようやく……?」
「いったろ。人の口に戸はたてられない。ちかくの喫茶店で話しを聞こう」
幽人の姿を認めた女性は顔を強張らせつつ、小さく会釈した。
あきらたちはエー大生御用達の喫茶店に入る。店内には大学生らしきグループがいて、そこそこ賑わっていた。あきらたちはなんとかボックス席を確保して向かい合う。あきらと女性はコーヒーを、幽人はバニラアイスを注文する。
女性は経済学部四年の碓井慶子と名乗った。
「行方不明の友だちは、同じ学部の北野舞っていいます」
「北野さんの顔がわかるものはある?」
「はい。携帯に写真が」
写真は飲み会の一場面らしい。たくさんの男女にまぎれ、顔のそばでピースをしているポニーテールの女性が舞なのだという。化粧が濃くて、肌の露出が多めのノースリーブのトップス姿で、男性と肌がくっつくくらい距離感も近い。
北野舞はこういってはなんだが、ノリがよくて誘われればひょいひょいとついていってしまいそうな無防備そうな女性だった。
「――舞は、ちゃらちゃらしているように見えますけど、男性関係は乱れてるってことはありませんから」
「あ、ごめんなさい」
顔にでてしまったかとあきらは恐縮した。
慶子は苦笑いしてかぶりを降った。
「いえ。この子、よくヤリモクの男にしつこく言われたりしてて勘違いされやすいんです。まあ、実際、人との距離感がすっごく近い子で、そのせいで気があるって勘違いされるってことはしょっちゅうですけど」
「週末のクラブから連絡がとれないんだったわよね」
「有名なDJがくるイベントがあったらしくて。舞はそういうのさっぱりだったんですけど、みんなで愉しめるイベントはとにかく機会があればいくっていうスタンスだったから」
「北野さんがいなくなったのはいつ?」
「それが一緒にいった子たちの話しだと、気づいたらいなくなってたみたいなんです。その子は、ナンパされてどっかいっちゃったくらいいにしか思わなかったみたいですけど……。週末だとそういう目的の人が多いし。イベントだと人がすごいから、店の人も監視がしづらいらしくて。実際、舞以外の子たちは音楽よりそっちがメインみたいで」
「そのクラブの名前は分かる?」
「ジャスミンっていうクラブです。けっこう、大きなところです」
ジャスミンは片桐の件で言ったクラブのハコの一つだ。
「刑事さんもそういうところいったりするんですか」
「まあ、非番の時にね。頻繁にいくってわけじゃないけどね」
あきらは必要のないうそをつい、ついてしまう。
へえ、と慶子は心底おどろいたようだった。
あきらは咳払いをして軌道修正を図る。
「彼女にはつきあっている人はいるの」
慶子は少し考えてから、少し自信なさそうな顔をする。
「いない、と思います。すくなくとも私は知りません」
「元彼は?」
「大学になってから付きあってる人は知りません。地元は北陸のほうだって言ってたし……でも、もし、彼氏のところに帰るんだったら勝手にっていうことはないです。そういう無責任な子ではないですから」
「……彼女の家はここから遠い?」
「近いです.。笹塚ですから」
彼女が言った住所をメモに書き留める。
「築三十年くらいは建ってそうなマンションで。ワンルームで、家賃もぜんぜんなんですけど。冗談めかして言ってました。こんなぼろっちいところでも渋谷にすんでるって地元の人たちに自慢できるって」
「碓井さんは――」
「慶子でいいです。名字、あんまり好きじゃないんで。なんか、薄いっていわれてるみたいで。どんな名前つけても、名字のせいでぜーんぶ、変になっちゃうカンジだから」
「慶子ちゃんは北野さんと仲がいいのね」
「……っていうか、気になっちゃうんですよね。あの子、人と一緒にいるのは大好きなのに、最後の一歩、人と親しくするのに消極的みたいで……。そのせいで告白できなかったり。だから、彼女にかぎって男のところにいるとかあまり考えられなくて」
慶子は組んだ手にぎゅっと力をいれる。きっと、彼女たちの仲間うちではもしかしたら、男と一緒にいるという話が既成事実化しつつあるのかもしれない。
「……あなたもわかっているとは思うけど、私たちは捜査中だから、すぐにどうこうするって約束はできない。でもあなたから教えてもらったことは関係部署に絶対伝えるし、できるかぎり進捗状態を聞くようにするから」
「わざわざ、お話しをきいていただいてありがとうございました。道でいきなり声をかけたのに。――あの、刑事さんたち、何を調べてるんですか。もし私でわかることがあったら」
あきらは幽人に目をやる。幽人は小さくうなずく。
「……これはまだ捜査中だから周囲には言わないでね。実はとある人を探しているの」
「人捜しってことは、殺人じゃあ……」
「違うわ。きっと警察といえばってことでそんな風になったんでしょうけどね。で、その子は名前が有賀俊太郎。法学部の学生よ」
「字はわかりますか」
あきらがメモ帳に書くと、慶子はそれを携帯で撮影した。
「わかりました。法学部に友だちがいるんで聞いておきます」
「ありがとう。助かるわ」
あきらと慶子は互いに連絡先をスマフォに登録する。
慶子と別れると、再び車にのりこんだ。
「警部、もしかしてこれをずっと待っていたんですか。興味を……というか、誰かが接触してくるのを」
あきらはスマフォをいじって、SNSツールを操作する。
『警察』、『エー大』で検索すると、それに関するつぶやきがあらわれる。たしかに警察が殺人の捜査出動いてる、デカイ女と目つきの悪い野良犬みたいなやつ、大学に殺人鬼が!?と、おもしろおかしいことが流布されているようだった。
「こんな情報があっさりと出回るようになるようじゃ、おちおち張りこみもできませんね……」
「偶然だと思うか?」
「え?」
幽人はどこか皮肉めいた笑みをみせた。
「もしかして、警部が……?」
「便利な世の中になった。ちょっと面白い情報を流してやるだけであっという間にRTの嵐なんだからな」
そこまでやるのかとさすがにあきらも呆れていると、幽人は真面目な口調に戻る。
「春日千鶴との会話、覚えてるか?」
「え? ……あ、どの部分ですか」
「彼氏と同棲していたという場所のことだ」
あきらはメモを繰る。
「お姉さんもときどきくるんですよね。――クリーム色のマンション」
「窓からは緑がみおろせる。彼女が保護されたのは竹下通りんちかく、でしたよね」
千鶴と会ったあと、あらためて彼女の発見された情報を整理したのだ。
彼女はワンピースに素足という恰好でさまよっていた。足は土に汚れ、長いこと歩いていたのだろう。足には生々しい傷が無数にあったという。
「彼女はどこかを通ってきた。それほど長い距離を歩いて行けるわけはない。第一、そんな長い距離を歩いていればもっと違う段階で保護されていただろうしな。そして彼女が居た場所からは緑が見えた。彼女が印象的に覚えていた場所だから、それだけ規模が大きく緑が広がっている場所……」
「代々木公園、ですか」
「おそらく。もし彼女の記憶を信るとすれば、だがな……。彼女はそこから逃げ出してきたんじゃないかと思っている」
あきらは思わず息を呑んだ。
「千鶴の精神状態はきっと、その恐怖がトラウマになった結果なのかもしれん」
幽人が千鶴に感じた歪みの残滓を思えば、たしかに幸せな家庭から行方を眩ました、とはあまり考えられない。
「俺たちは春日千鶴を探した。彼女が永田朋香の体内から発見された危険ドラッグとのつながりがあったし、その危険ドラッグは大量にうりだされているものとは違う、オリジナリティが非常に高いものだったからだ。だが、彼女と交際関係にあったとおもわれる有賀俊太郎。彼の存在も千鶴以上に重要じゃないか、そう思えるようになった。彼もまたくだんの危険ドラッグと触れ合える機会はあったはずだ。あの俊太郎の母親の様子も、息子の異変を補完しているといえなくもない。息子に降りかかったなにかについて知っているのか、それとも母親の勘なのかはわからないが、なにか息子がよくないことに手をだしていることについて知っている気配があった。そして母親は息子の動向を正確に把握してはいなかった――もしかしたら俊太郎はあの家にはいない。賃貸なのかどうかはわからないが、彼には一人暮らしなり、なんなりの営みができる別の場所があるはずだ」
「……そこから、春日さんが逃げ出した。だから、彼女は有賀くんの顔を見た瞬間、取り乱したってことですか」
「そこまで言うと飛躍しすぎ、かもしれん。ただ、これを捜査本部にもちこんだところで自分の身許さえろくに思い出せない女性の妄言で片付けられてしまうだろう。だから俺たちはそういう証拠に注目する。彼女が口走ったことをただの記憶の混乱のうみだした妄想の産物と断定は、したくない。実際、彼女は精神的に不安定であっても話す内容はいたって普通で、明快だった。彼女の理性はたしかに我々に対して助けを訴えている」
「わかりました。とりあえず、彼女の証言と合致するようなマンションを探しましょう」
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