第12話

池袋署の生活安全課少年係の担当者に話しを通すと、しばらくして中年男性がのっそりと姿を表す。

 汚れがうっすらとにじみ、よれた襟のワイシャツをきた男はやたらと汗をかいて、しきりに白髪の目立った五分刈りの頭をハンカチでぬぐっている。

 それでも地黒の肌に穿たれた目つきは鋭い。いやあどうもどうもと軽い挨拶を交わしているあいだも、双眸は油断なくあきらたちを観察していた。

 背丈こそ百六十センチちょっと。あきらは見下ろせてしまうが、あの眼光で睨まれてしまえばとてもじゃないが正視できないだろう迫力をもっている。

「ほう。最近やたらと男も女も身長がのびやがる。昭和生まれのジジイには辛い時代だぜ、まったく」

 男はひとりごち、首のあたりをさすりながら幽人を見る。

「俺が宮脇だが……警視庁からわざわざおいでとか。大きな事件かな?」

「事件に大きいも小さいもないですよ」

 幽人が言うと、男は歯を剥いて笑った。

「あるさ。殺人とちんぴら同士の殴り合いは同列にゃできんよ。にしても、キャリアの警部殿と巡査……まあ、なんだか妙なとりあわせだな。それに、部署も聞いたことがない」

「一年前に新設された部署ですから」

「あー。ここじゃ、なんだから外にでるとしましょうかァ。うまいコーヒーをのませてくれる店がある」

 お構いなくと幽人は言ったが、男はいいからいいからとさっさと歩き出した。

 キャリア相手に怯んだ様子もないのは、そうとう肝が太いとみるべきなのだろうか。

 池袋警察署から徒歩一、二分ほどの距離にお目当ての喫茶店はあった。チェーン店ではなく昔ながらの店構えで、ボックス席が五つほどにカウンター席があり、そこそこ広い。

 カウンターの中にいる六十代とおぼしき男性が店長か、親しげな笑みで宮脇を迎える。

 かなりの常連らしい。

 午後三時の店内にはのどかな空気が流れていた。

「ここは水出しコーヒーがうまいんだ」

 宮脇はあきらたちの意見もきかず、さっさとアイスコーヒーを三つ注文してしまう。

 宮脇はかなりの汗っかきなのか、クールビズだと騒がれて久しい昨今では珍しい低めに設定された店内でもびっしょりと汗をかいて、おしぼりで顔を、ついでに頭までガシガシとぬぐう。


「それで?」

「春日千鶴について教えていただきたいと思いまして」

「春日……千鶴……?」

 幽人は事前に印刷してきたデーターベース内の写真をみせる。

 宮脇はしばらくためつすがめつしたあと、「ああ」とうなずく。

「こいつね。覚えてるよ。乾いてるやつだった」

「乾いてる……?」

 不思議な表現に、あきらはオウム返しした。

「そうだ。言葉にも態度にも達観っつーか……まあ、ほかのいきがった連中みたいに反権力っつーか、大人や警察官への対抗心とか意地とかなァ。まあ、なあんにも感じられなかったよ。暴行にしても暇だからやった、みたいなカンジだったな」

 宮脇は二年前の事件だというのにまるで昨日のことのようにすらすらと言う。

「ねえちゃん、俺が、適当言ってると思うのか」

 怒っているわけではなく、どこか皮肉まじりの笑みをうかべる。

「あ、いえ、そんなことありませんっ」

「俺は少年事犯一本だがらねえ。昔にくらべりゃ件数的には減ってるみたいだけどな。中身はだいぶかわってるんだよ。昔は大半が家庭環境になにかしら問題があったもんだ。親が子どものことにほとんど興味がなかったり飯もろくに作らなかったり、子どもより恋人を優先したりな。今だってそういう親はいるが、なにが不満なのかわからないまあ傍からするとどこにでもありそうな家庭、ってのが増えてきたな」

「そうなんですか」

「小さい不満くらいは探せば見つかる、その程度ってことだよ。で、なんでこんなことをしたのか聞くと、憂さ晴らしやら金欲しさ、暇つぶしってのが先にくる。だから捕まらないかぎりどんどん手口が大胆に、凶悪化していく。現場は数字じゃはかれん。とはいえ、どんなやつらにも大きなことがしたいとかそんな夢想はある。それは今も昔もかわらねえ。だからこそ、この女みたいに無気力というかなんというかそういうのは珍しい。そんなやつは群れないで、じーっとしてたかと思うと、あるとき突然爆発しちまうタイプだからなァ」

「春日千鶴の家庭はどうでしたか」

「今の話ししといてなんだけどよ。家庭そのものは壊れてる。こいつは片親で、一応、母親が保護者っつーことになってるが、半分ネグレクトみたいなもんさ。水商売やってるのは別にいいんだが義務教育終えたんだから、もう親としての義務は果たしたって気になってる、精神年齢低学年ていってもいいのを母親にもってる。こいつを補導したときに電話したんだがな。まあ、しつこく電話してようやくでたのが半日も経ったあとでな」

「……ひどい」

 宮脇はうなずく。

「まったくだよ。娘のことよりも、このことで自分になにか処罰はあるのか、なにかやらなくちゃならないことがあるのか――そればっかで、さすがに閉口したよ。ツラのひとつでも殴ってやろうかと思った」

「彼女を知っている友人によると、マン喫やら友人の家を渡りあるいていたという話しでしたが」

 宮脇は記憶を呼び起こすように宙へ目をむけ、小さくうなずく。

「……みたいだな。母親の話によるとかなり前から実家には近づきもしなかったらしい。一応、高校にはいれたが、すぐに通わなくなってな。で、すぐに中退ってことだ。――で、こいつがなにかしたか、もちろん教えてもらえるんでしょうね」

 口調こそ丁寧だったが、情報は出すだけは気に入らないとの目はいっている。

 幽人はあきらにうなずく。

「渋谷で危険ドラッグを販売していた売人が殺害された事件がありまして。その被害者と交際歴があったようなんです。それで」

「こいつがやったのか」

「それはなんとも。彼女、ここ何ヶ月か連絡がとれないそうなんです」

「ふうん」

 びっしりと汗をかいた背の高いグラスに淹れられたアイスコーヒー、そして消耗品ではなくしっかりとした陶器の器に入ったミルクが一緒に運ばれてきた。

 宮脇の口元がゆるんだ。

「さあ、のんでくれ。ここはマジもんのミルクをつかってるからな。うまいぞぉっ」

 宮脇はミルクをたっぷりとそそぎこむや、ストローで一気に飲んだ。

 たしかにコーヒーもさることながら、しっかりとミルクの味がうまくとけあっている。

 これにくらべると普段つかっているミルクが、白い色をしたただの液体のように思えてしまう。

 ここでも幽人はこだわりの水出しコーヒーをあっという間にベトナム色に染め上げた。

 宮脇も顔をしかめたが、結局、なにもいわなかった。

「あんたらは捜査一課じゃねえ。勝手に捜査をひっかきまわして大丈夫なのか」

 あきらたちの心配ではなく、あきらたちと関わったことによる自分の心配をしているのだろう。厄介事はいやだというよりも自分の頭ごしにおこなわれるであろうくだらないことに巻きこまれたくないのだろう。

「この件は捜査一課は解決できなかった。捜査本部は縮小されています。あなたにご迷惑をかけるようなことはありませんよ。話しを戻しますが」

 幽人はコーヒーを一口飲むと、口をひらく。甘みが気に入ったのか、おいしいですと言うが、宮脇は素直によろこべないような微妙な表情だった。

「警部補は彼女は人を殺しうると思いますか」

「人を殺さない、なんて断言できるような人間はいないよ。そこらへんを歩いているやつですら少し間違えただけでなにかをしちまう―俺は嫌いな言葉だが、魔が差す、っていうやつだな。だが、こいつが殺すとすればだ。金や感情のもつれって聞き飽きたようなもんが原因じゃねえ気がする。もっと、無関係の、それこそ無差別通り魔じゃないが……」

 宮脇は渋い顔になってアイスコーヒーをすすった。飲みきってしまい、ヂュゴゴゴという音が静かな店内にいやに大きく響く。

「乾いた人間だから、ですか」

 あきらは思わず口を挟んだ。

「そうだ。あいつはなにかに固執することがない人間だ」

「彼女には彼氏がいたそうですけど……」

「そりゃ彼氏くらいいるさ。来るもの拒まずってことじゃねえのか? どこまで本気だったかわからんさ。ただ単純に男ができりゃ寝床の心配をする必要はない。二年前の話だから、今もそういう人間性かと断言できるかといわれりゃ困っちまうが……三つ子との魂百まで。根本はかわりようがねえ」

 宮脇は目尻の皺をふかくして、外を見やった。

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